実業家ラッパー・TOMOROインタビュー|2022年ラストスパート、“五黄の寅”が本気の世界進出をスタートさせる!

海外ではカリフォルニアのロサンゼルス、国内では六本木、銀座、横浜、名古屋、大阪、島根、千葉を拠点に映像制作会社や広告代理店、ナイトクラブ、シーシャバー、焼肉店などを経営・プロデュースする実業家 / 投資家 / ラッパーのTOMORO。音楽プロデューサーとしても、dTVのチャートで初登場第1位を獲得した明日花キララの歌手デビュー曲「愛してるよ」の作詞・作曲・プロデュースを手がけ、その制作宣伝費を全額投資した。第一生命のテレビCM「U-29 RISK BATTLE」や、映画「新宿スワン2」の制作も担当。さらに、AKB48、仮面女子のメンバーや、森下悠里、岸明日香などの人気アイドルやグラドルが歌う「ROPPONGI DREAM」(映画「W~二つの顔を持つ女たち~」主題歌)を作詞・作曲・プロデュースしたことも。そんな芸能界、世界中の政界、財界など各界の多方面に顔が利き、世界中でコネクションを広げる彼は、2021年12月に「Let Me Hold You」という曲をリリースした。この曲は大ヒットした「Beautiful Girls」やジャスティン・ビーバーとコラボレートした「Eenie Meenie」で知られるアメリカのシンガー、ショーン・キングストンとのコラボ曲だった。つい最近もオースティン・マホーンとコラボレートした新曲「My Section」をリリースしたばかり。この世界的なアーティストたちとのコラボは多くのリスナーを驚かせたが、TOMORO曰く、これはあくまでまだ序章だという。詳しい話を聞くべく、六本木ヒルズ内にある彼のオフィスを訪れた。

取材・文 / 川畑亀次郎撮影 / 入江達也

時が来た

──TOMOROさんから事前に「2022年からデカいことをガンガン仕掛けていくから、今日はその話をしたい」という連絡をいただいたのですが、具体的にはどんなことを考えているんですか?

俺は16年前に、ニューヨークでライブやレコーディングをしていて、そこで50セント率いるG-Unitとつながって、日本ではなくアメリカで勝負しようと決めて動き出したんです。それで5年くらい前から本格的に世界進出に向けて海外アーティストとの楽曲制作を始めていたんですけど、それを小出しにしていくのではなく、時が来たら一気に爆発的にリリースするつもりだった。今年がついにそのタイミングで、「時が来た」っていう感じですね。ちなみに、50セントとは昨年の暮れにもロサンゼルスでメシ食いましたよ。THE G-Unit忘年会ね(笑)。

左からTOMORO、50セント(写真提供:TOMORO)。

左からTOMORO、50セント(写真提供:TOMORO)。

──昨年12月にショーン・キングストンとのコラボ曲「Let Me Hold You」をリリースしていますが、これがその世界進出の第1弾という位置付け?

そういうことです。ショーンとは今4曲くらい一緒に作っていて、あれはそのうちの1つ。ほかにもスヌープ・ドッグやキッド・インク、オースティン・マホーン、ビリー・アイリッシュ、アレクサンドラ・スタン、シャニース、ファットマン・スクープ、DJスウィベル、DJ SODAとのレコーディングがすでにスタートしています。それらの曲を今年これからコンスタントに、少なくとも2、3カ月に1曲以上のペースで出していこうと考えていて。

──海外アーティストとのコラボレーションを軸に展開するというアイデアはどういうところから?

ほかの日本のラッパーで、今言ったようなアーティストと絡んでいるやつ、いますか? 例えばDJスウィベルなんかは、「なんで日本のアーティストはアメリカに来ないんだ?」と言うわけですよ。彼はBTSやジェイ・Z、ブリトニー・スピアーズ、カニエ・ウェスト、ビヨンセ、The Chainsmokersとかの曲を作っているやつなんですけど。最近のアメリカでは、BTSをはじめとしてBLACKPINKやSuperMなど、韓国アーティストがビルボードをにぎわせているじゃないですか。アジア系アーティストがアメリカで注目されている状況がある。「それなのに日本からは1人もアーティストが来ないじゃないか」と。「だからTOMOROなら絶対できるし、TOMOROがそれを実現するんだよ」といつも言われますね。

──なるほど。

TOMORO

日本には素晴らしいラッパーがいっぱいいますよね。みんなラップのスキルも高いし、カッコいいじゃないですか。でも、誰もアメリカには行けてないし、世界の舞台では通用していない。日本語でしかラップしない。「なんで?」と思いますよね。本当に疑問なんですよ。俺は19歳で初めてニューヨークへ行って、「アメリカでヒップホップのムーブメントを起こそう」と思っていたんです。最初から絶対にアメリカで、世界で成功してやろうと思ってたし、最初にライブをやらせてもらったマンハッタンのTouchってハコでG-Unitのメンバーと知り合ってから、向こうの音楽関係者とのコネクションもできていった。でも、そのときはアメリカでの音楽活動は金にならなかったんですよ。日本でやっていた商売のほうが手っ取り早く金になっていたんで、ビジネスのほうにフォーカスして毎日全力で過ごしていたら、いつの間にか商売ずくめで金を稼ぎまくって女を抱きまくって16年も経っていた(笑)。

──それでもアメリカの音楽関係者とのコネクションは維持しつつ、音楽への思いもずっと持ち続けていたわけですね。

そう。日本ではパー券をさばいたり、22歳からは店舗ビジネスに移行して金を稼いでたんですけど、その間も地元の後輩であるMay J.と一緒に曲を作って出したり、六本木で一緒に遊んでた明日花キララをフィーチャーした曲を作って出したりはしていました。LGYankeesとコラボしたり、日本のラッパーとも何曲か作ってリリースしましたね。

ただ、そのへんも結局軽いお遊びって感じで。で、あるときから海外アーティストを日本に呼ぶビジネスを始めたんです。ショーン・キングストン、ハヴァナ・ブラウン、アレクサンドラ・スタン、Nice & Smooth、DJスウィベルとか。マイケル・ジャクソンのお父さんのジョセフ・ジャクソンと俺で会社を1つ作ったこともあり、彼を2度来日させました。そこからまた人脈を得ていき、徐々に「こいつらと一緒に曲を作っていこう」と考えるようになっていって。最近、歌詞を英語で書いているのも、アメリカで勝負していこうと思ってるからなんですよね。

右はマイケル・ジャクソンの父親、ジョセフ・ジャクソン(写真提供:TOMORO)。

右はマイケル・ジャクソンの父親、ジョセフ・ジャクソン(写真提供:TOMORO)。

このタイミングを逃したら終わり

──そうして作ってきた曲が今年、次々にリリースされていくことになるわけですね。なぜ今年、2022年がそのタイミングだと思ったんですか?

誰に何を言われても、どんな逆風が吹いても、どんなピンチが訪れても、時にとばっちりで火の粉が飛んできて俺の行く手を阻んでも、すべて振り払って、己を貫き通して、この19年間戦い続けてきて……ずっとずっと辛抱強く我慢して我慢して力を溜めて、「ついに世界進出のための充電が完了した」っていう感じなんですよ。自分のコネクションと、パワーと、あと運命的にも。今年は寅年ですよね。“五黄の寅”って、わかります? 36年に一度の周期で五黄土星と寅年が重なるのが五黄の寅なんですけど、ものすごい運気を持つ年だと言われていて。今年が五黄の寅で、俺が生まれた年も五黄の寅の年なんです。だから今年は絶対やってやろうと思っていて。

──ただ単に年男というだけでなく、36歳になる今年は36年に一度の特に重要な1年であると。

ハッキリ言ってね、生半可な気持ちじゃないんですよ。本当に人生を懸けて、命を懸けてやってきてるんで。10代の頃、横浜で青竜刀を持ったチャイニーズマフィアたちにさらわれそうになって殺されかけたり、23歳で六本木にクラブをオープンさせたときに、追い込みをかけてきたヤクザに横浜と埼玉のギャングの連合体で対抗して、全員1日でバッチバチにやっつけたり。20代の半ばにはAV女優を連れてシンガポールに行って、マリーナベイ・サンズのカジノの、最低ベット500ドル(日本円で最低賭け金約7万2000円)のVIPルームで最初大損こいて負けまくってたら、その後19連続で「プレイヤー」をめくり当てて大逆転勝利したり。数年前も、当時付き合ってた加藤紗里を連れてマレーシア旅行をしたら、拳銃を持った東南アジアの本物のギャングたちに3400万円分の金品を強盗されて。その後マレーシア政府の連中を超絶接待して、現地の警察を動かして犯人を全員逮捕して無期懲役の刑に追いやったり、本当に命を張ってずっと戦ってきたんです。数えればきりがないほどいろんな修羅場、鉄火場をくぐり抜けて……そんな半生を生きてきました。当然音楽も、世界進出のために何年も何年もかけてすげえ準備してきたし、面倒臭いことも面倒臭がらずに情熱を持ってやってきた。音楽に懸ける思いは本当にどこの誰よりも強いんです。1曲出して終わり、みたいな軽い気持ちじゃないんですよ。人生も短い中で、今35歳で、今年36歳になるわけで、チャンスはここしかないんです。今が勝負なんですよ。世界中で活動してきて、パワーも、人脈も、経験も、そして資金も、すべてがマックスに達した今だから、今やるしかねえって感じさ。今仕掛けて今成功しないと、このタイミングを逃したら終わりなんです。人生は甘くないっす。

Y.T.F.(横浜朋ちゃんファミリア)集合写真。中央が当時16歳のTOMORO(写真提供:TOMORO)。

Y.T.F.(横浜朋ちゃんファミリア)集合写真。中央が当時16歳のTOMORO(写真提供:TOMORO)。

──「2022年が勝負の年だ」というのは、いつ頃から感じていたんですか?

明確に「2022年だ」と思っていたわけじゃないけど、10年くらい前から「だいたいこのへんだろうな」と思っていました。26歳のときに一度ビジネスで大きな失敗をしているんですよ。いろんな悪いやつらに騙されて、裏切られ続けて、24歳のときから六本木、西麻布、渋谷に持っていた18店舗の飲食店と、森ビルと契約してお台場のヴィーナスフォートに出店していたアパレル店舗をすべて失い、それが借金2億3000万円に変わり。その借金は、ありとあらゆる手を使って、たった5カ月で全額きれいに返済しましたけど、そのあたりからですね。海外アーティストを呼び始めたのもその頃だし、20代後半くらいから「たぶん10年後、35、6歳くらいのタイミングで世界に向けて曲を出していくことになるんだろうな」と思って、人脈を作ったり、制作を進めたり、準備を始めていましたね。

ドバイの最高級ホテル、ブルジュアルアラブの1泊200万円のスイートルームにて(写真提供:TOMORO)。

ドバイの最高級ホテル、ブルジュアルアラブの1泊200万円のスイートルームにて(写真提供:TOMORO)。

──けっこう前の段階から、今年へ向けての布石を打っていたんですね。

そうです。それで言うと、DJ YUTAKAがロサンゼルスに行くための資金のスポンサーに俺がなったのもその頃ですね。当時、音楽業界からも芸能界からも干されてしまったどん底のYUTAKAさんを、いろいろ世話したんですよ。金額にすると、たった600万くらいのもんですけど。俺はYUTAKAさんが半端ない実力者だってことも当然わかってたし、80年代や90年代の、まだ誰も日本人アーティストがアメリカで活動していない頃の危険なアメリカに、たった1人で渡って、DJとして活躍した度胸とすごさがわかるし。YUTAKAさんは本当に心がきれいでいい人だから、この人がこんな小さな日本で悲しんでる顔を見たくない、この人にはロサンゼルスでがんばってもらいたいって、心の底から思ったんです。だから、俺はそのときYUTAKAさんの背中を押したくて。俺がYUTAKAさんにできるのは“金を出すこと”だから、資金も出してあげたし、ロサンゼルス行きの航空券も買ってあげたし、YUTAKAさんがロサンゼルスで乗る車として白いBMWを買ってあげたし、YUTAKAさんがやってた日本のレコーディングスタジオを俺の名義に変えて受け継いで。物件の保証金も入れ替えてあげて、返ってきた保証金をYUTAKAさんに全額あげたし。のちに俺がNice & Smoothとやった曲でビートを作ってくれたマッド・ライオンはYUTAKAさんの紹介なんです。そんなふうにつながってくることもあるから、いろんな方面で地盤を固めていましたね。ちなみに、YUTAKAさんは今は俺の手を借りず自立して、自分で音楽で稼いで、ロサンゼルスでそれなりのいい生活をしています。最近YUTAKAさんとロサンゼルスで会うと、あのときこの人を助けてよかったって……よくあのどん底から這い上がって、老体に鞭打って努力して成果を出してくれたって、心の底から思うよ。YUTAKAさんが元気な顔でロサンゼルスにいてくれるのは、俺もうれしい。ってか、YUTAKAさんの成功は俺が一番うれしい。

左からDJ YUTAKA、TOMORO(写真提供:TOMORO)。

左からDJ YUTAKA、TOMORO(写真提供:TOMORO)。

50代からは政治をやります

──世界へ打って出ていこうという中で、新型コロナウイルスの影響はどんなふうに感じていますか?

俺はまったく無傷ですね。全然関係ないです。逆に、みんながステイホームしてるからストリーミングの売上が上がっていくからいいんじゃないですか?(笑)

──とはいえ、パーティにはなかなか来てもらいにくいですよね。

イベントはキツいですよね。でも、今は海外アーティストの来日ライブを組んだりする以外にイベント商売をほぼやっていないですし、打撃は全然ないです。

TOMORO

──イベンターとしてではなく、アーティストとして出演するライブに関してはいかがですか?

もちろんやりたいですよ。この前ラスベガスで行われたイベントに出演しましたけど、それは日本人とアメリカ人が半々くらいずつ集まるようなネバダ州政府のイベントだったんで、これからは、またアメリカ人しかいないところでバーンとやってやろうと思っていますね。先日のイベントでは、ネバダ州政府の一番偉い人ともご挨拶しましたよ。

──そのライブに向けても、コロナのことはあまり気にしていない?

全然関係ないですね。一昨年に「CORONA VIRUS」っていう変な曲を出したんですけど(笑)、俺は基本的にコロナは大したことがないと思ってるんで。この「CORONA VIRUS」のMVでは、AV女優のAIKAに全裸で出演してもらって、うちの六本木の焼肉屋で和牛の女体盛りをやって、AIKAとディープキスをして「濃厚接触してもコロナにかかってません」というアピールをMVでしてやりました(笑)(参照:AIKA & キングラビッツMV出演 TOMORO - CORONA VIRUS feat. D-coy | YouTube)。

──TOMOROさんは以前から常々「日本を元気にしたい」と言い続けていますよね。その信念って、世界中がコロナで苦しんでいる今だからこそ響かせる意味のあるメッセージなのかなという気もするんですけども。

もちろん、その思いはずっと持ち続けていますよ。ただ、現実的に俺が日本を動かせるようになるのはたぶん20年後とかです。俺が50代くらいになってから。

──そこにはどのようなビジョンがあるんでしょうか。

今35歳なんですけど、まずここからの5年間で、音楽をはじめとするエンタテインメントを軸にした商売で世界中で莫大な収益を上げます。そして、40代はその収益を使ってインターナショナルなビジネスを展開していこうと考えていて。それが利権ビジネスなのか、ファイナンシャルなのか、オイルなのか、リアルエステートなのか、リゾート開発なのかクルマなのか……現時点ではまだわからないですけど。そこまで行ったら莫大な資産と地盤ができあがるので、50代からは日本の政治をやります。俺が表に出るのか誰かを操って政治を動かすのかは未定ですけど、そこでやっと俺がこの日本を盛り上げられるようになる。ただ、それは今じゃないんですよ。今はまだできない。

TOMORO

──「今できない」というのはつまり……。

単純に俺の力がまだ日本を動かすには足りないから。この日本を俺の思い通りに動かすには、半端ない桁違いの資金と権力が必要だから。でも20年後であればできる自信があるんです。確実にね。俺、これまでの人生でも言ったことは全部実現してきてるんですよ。六本木ヒルズが建ったときも、俺まだガキでしたけど「絶対ここに住もう」と思って、実際に23歳で月70万円の部屋に毎月家賃を払って住んだし。「六本木で店をいっぱい経営して成り上がり、この街の帝王になる」と言ったら、24歳で18店舗経営していた。言ったことは全部実現してきているんです。なぜなら、俺は理屈なく大きなことを言わないから。俺が言うことにはすべて理屈と裏付けの背景がある。絵空事もきれい事も言わない、建設的に考えた上で、計画し、本当に俺にできると思うことだけしか言わないから。俺が運転手付きのロールスロイスで総理大臣官邸に乗り入れて、官邸警察が全員敬礼して、その中を通り抜けて、安倍昭恵さんと官邸でランチして、そのことがテレビ番組やメディアで報道されたとき、俺のことを20代前半の頃にバカにしてたやつらがみんなひっくり返ってましたよ(笑)。「TOMORO、あいつやりやがった」「TOMOROは本物だ」って。気付くの遅すぎでしょって感じ。俺は普通じゃねーっつの(笑)。俺は自分の口で発言したことは、100%すべて実現しますよ。

左から安倍昭恵、TOMORO(写真提供:TOMORO)。

左から安倍昭恵、TOMORO(写真提供:TOMORO)。

──周りからは大言壮語に聞こえても、TOMOROさん的にはあくまで身の丈に合った発言しかしていないという認識なんですね。

だから、みんなにバカにされたりするんですよ(笑)。「あいつ、また言ってるよ」「フェイクだ」みたいなね。俺はその全部を覆しながら生きてきた。「ほれ見たことか」を言い続ける人生なんです。16歳でビジネスを始めて、18歳で音楽を始めて、そこから17年以上、どんな逆境が吹いても、どんなやつに邪魔されても、たった1人で戦って、勝ち続け、結果を残し続けてきました。

次のページ »
教育を変えたい