ZAZEN BOYS×NUMBER GIRL「THE MATSURI SESSION」特集|あり得るはずのなかった競演、“異常空間Z”で何が起きたのか

ZAZEN BOYSとNUMBER GIRLが今年5月に東京・日比谷公園大音楽堂(日比谷野音)で初のツーマンライブ「THE MATSURI SESSION」を開催。この模様を収めたライブBlu-ray / DVDがリリースされた。

「THE MATSURI SESSION」は、ZAZEN BOYSが企画するライブイベント。2019年2月に再結成したNUMBER GIRLとの競演というこれまであり得るはずのなかった組み合わせは、イベントの開催発表時に大きな話題を呼んだ。しかし、当初2020年5月に同会場で開催予定だった本公演は、新型コロナウイルス感染拡大の影響により中止に。新規公演も3度目の緊急事態宣言の発令を受けて有観客ライブは中止となり、無観客配信ライブとして実施された。Blu-ray / DVDには、ライブの模様はもちろん、特典映像としてオフショットや両バンドを率いる向井秀徳のインタビューが収められている。

あり得るはずのなかった出来事が起こった2021年5月4日。あの対バンはなんだったのか? 音楽ナタリーでは、向井をNUMBER GIRLの解散前から追ってきた音楽ライター・高橋智樹に本作のレビューを依頼した。

文 / 高橋智樹撮影 / 菊池茂夫

あり得るはずのなかった競演

10年後、あるいは20年後、“あの日”を記録した今作の映像は、どんな感情とともに観賞されるだろう? NUMBER GIRLとZAZEN BOYS──向井秀徳という同一人物がオーガナイズするバンドサウンドが、まったく異なる高揚と狂騒の絶景を描き出す驚異。新型コロナウイルス感染拡大の影響による無観客配信ライブという2020年代ならではの逆境と、その状況を逆手に取って、バンド / スタッフ一丸となって珠玉の映像とサウンドを実現した不屈の冒険心。2002年の解散以降の約16年間におよぶ空白の間、NUMBER GIRLという存在が誰にも上書きされなかったのと同様に、この奇跡の競演もまた、後世に残るロック史上の事件として記憶に深く刻まれていくのだろう。

「ZAZEN BOYS×NUMBER GIRL、GWの野音で『THE MATSURI SESSION』」──両バンドの対バンが初めて音楽ナタリーで告知されたときの見出しだ(参照:ZAZEN BOYS×NUMBER GIRL、GWの野音で「THE MATSURI SESSION」)。このたった1行の見出しはしかし、NUMBER GIRLとZAZEN BOYSというバンドの経緯をご存知の方にとっては、時系列が捻じ曲がったくらいの衝撃を与えるものだったはずだ。この両バンドの共演は「ありえないこと」だったからだ。それはなぜか? 「あの対バンはいったいなんだったのか」について、両バンドの足取りも踏まえて以下のテキストで解きほぐしていきたい。

NUMBER GIRLの存在

向井秀徳、田渕ひさ子、中尾憲太郎、アヒト・イナザワの4人によって1995年に福岡で結成されたNUMBER GIRL。eastern youthやbloodthirsty butchers、fOULなど日本のオルタナ~ハードコアの潮流と、Sonic YouthやPixiesなど洋楽オルタナの文脈をそのルーツとしながらも、酩酊と覚醒、衝動とセンチメントがせめぎ合う向井秀徳の独自の世界観、さらには4人の個性がそのまま音になって轟くようなエクストリームなバンドアンサンブルによって、唯一無二のライブバンドとして1990年代後半のロックシーンで熱い支持を集めていった。当初のインディー・オルタナ直系サウンドから、徐々にポストパンクやダブなど多彩な要素を取り込みながら、独自の進化を遂げていったバンドの日々革新ぶりは、インディーズ盤「School Girl Bye Bye」(1997年リリース)と解散前のラストアルバム「NUM-HEAVYMETALLIC」(2002年リリース)を聴き比べてみれば誰の耳にも明らかだろう。

NUMBER GIRL

NUMBER GIRL

2000年前後のロックの台風の目として、まさにこれからという状況の中、NUMBER GIRLは2002年に突如解散。向井自身「自我の王国」と形容していた創作欲求の権化の如き切迫感が、ついにはほかのメンバーすらも追いつけないレベルに到達し、極限加速の果てにバンドそのものが空中分解してしまったのである。直接的には中尾憲太郎の脱退表明が解散のきっかけではあったが、解散の決断に至った最大の理由は「『中尾、田渕、イナザワ、向井』の四人で『ナンバーガール』という共通の意思が強いため『ナンバーガール解散』という決断に至りました」(当時の解散発表コメントより)という、ストイックなまでにバンドに対して抱く理想とロマンにこそあった。大規模フェスが次々に産声を上げた時代の邦楽ロックシーンを生き急ぐように駆け抜けたバンドヒストリーも含め、彼らの存在と音楽は今なお根強く愛され続けている。

2014年のメジャー盤アルバム3作品再発の際、ユニバーサルミュージックの公式サイトには椎名林檎、後藤正文(ASIAN KUNG-FU GENERATION)、宮藤官九郎、小出祐介(Base Ball Bear)、TK(凛として時雨)、キダモティフォ(tricot)といったアーティストから惜しみない賛辞が寄せられていたのをご覧になった方も多いことと思う。2012年「JAPAN JAM」での向井との共演で「阿佐ヶ谷の風呂なし6畳一間のアパートで聴き倒した曲」と思い入れたっぷりに「透明少女」を歌っていたのは星野源だった。世紀の変わり目のサブカルチャー通奏低音として、NUMBER GIRLの清冽な殺伐サウンドは強烈な存在感を放っていた、ということだ。また、ネットシーン発のバンド / ボカロPたちの中にも、NUMBER GIRLの音楽に影響を受けたアーティストは少なくない。NUMBER GIRL再結成が発表された直後の取材の席で「自分の母親は初音ミクだと思ってるんですけど、父親はNUMBER GIRLだと思ってるんです」と興奮冷めやらぬ表情で語っていたヒトリエ・wowaka、NUMBER GIRLが音楽的なルーツのみならずバンド名の由来にもなっているサイダーガールなど、NUMBER GIRLの鋭利なバンドサウンドと世界観は、後進世代にとっても大きなインスピレーションの源となり続けてきたのである。

次のページ »
ZAZEN BOYSのマインド