澤田空海理「遺書」インタビュー|メジャーデビューを利用して、ただ1人に届けたい初のラブソング (2/2)

残ったのが「寂しい」

──そしてこのたび、メジャーデビュー曲「遺書」が完成しました。例の女性に対する曲を書くのは「振り返って」で最後だと明言していたかと思いますが、結果的にこの曲もまた彼女に宛てた曲になった。この「遺書」という曲が生まれた経緯を伺いたいです。

今年10月に配信リリースした「ケーキの残骸」やほかのデモなど、メジャーデビュー曲の選択肢がいろいろある中で、スタッフの皆さんと「どの曲でもいいんじゃない?」という話をしていたんですよ。だけどマネージャー陣から「いや、もっといい曲があるはず」「澤田さんが今思っていること、澤田さん自身の人生から出てくる曲を書いたほうがいいんじゃないか」と言われて。そこで僕は、けっこう腹が立ってしまったんです。「そんなの俺が一番わかってるわ」という気持ちがあったし、「その通りだけど、そういうのは『振り返って』でやめたじゃん」という気持ちもあったので。だけど家に帰って、いざ歌詞の1stプロットを書いてみたら「あ、まだ全然出てくるね」という感じだった。彼女について曲にすることは「振り返って」で終わらせたつもりだったけど、全然終わっていなくて、書きたいことがしっかり残っていた。「それならちゃんと書き切ろう」というところから「遺書」の制作が始まりました。

──曲を書いている最中の精神状態はいかがでしたか?

「与太話」を書いていたときのように「もう今は何も考えられない」という状態ではなくて、余裕がありました。「メジャーデビュー曲は『遺書』です」と言うと、「この人大丈夫か?」と思われるかもしれませんが、僕自身はそんなに落ち込んでいないですし、むしろ「遺書」というタイトルは打算的というか、フックを作りにいっているようなものなんですよ。今作に関するコメントでも「届けたい人がいます。そのために音楽と機会を使いました」と書いたのですが、メジャーデビュー曲という多くの人目に触れるであろうタイミングでここまで振り切れたのは、マネージャー陣から「澤田が身を削って書く曲を聴きたい」と言われて、「みんながそう言うならしかたない」という大義名分を得たからかと。あとは皆さんの耳に委ねます。

──私はこの曲を聴いて、「澤田空海理初のラブソングがついに生まれたんだな」と思いました。

ライブやレコーディングでドラムを叩いてくれている吉田光佑とか、近しい感性の友人からも似たようなことを言われました。「与太話」とか「振り返って」とか、“あの人”のことを書いた曲は7、8曲くらいありますけど、少し前に光佑から「結局、空海理さんにとってその子はどんな存在だったんですか?」と聞かれたんですよ。その質問に対する僕の答えは「愛」や「感謝」になるんですけど、たぶん、ずっと取り繕っていたんですよね。彼女のことをテーマにしても、相手への思いを歌うというより、曲を書く手法で失恋ソングの型に落とし込んでいるだけだった。「あなたに出会えてよかった」とかいろいろ書いてきたけど、全部が綺麗事だったなと思って。「遺書」ではそういうものを全部取っ払おうと思いました。その結果、最終的に残ったのが、歌詞の最後に出てくる「寂しい」という言葉でした。

──愛や感謝がちゃんとあったはずだと最近になって気付けたのは、なぜなんでしょうね。離れてから時間が経ったからでしょうか?

そうだと思います。消えかかっているんでしょうね。

澤田空海理

──そう考えると切ないですね。しばらく経ってから初めて愛や感謝を歌えるようになるなんて。

本当に彼女に対する思いが愛に変化していったわけではなくて、僕の中でしがめるものが少なくなってきていて、きれいなものに変わりつつあるんだと思います。今「あなたのおかげで音楽を続けてこられました。ありがとうございました」と書いておかなかったら、例えば1年後に「遺書」を書いていたとしたら、もっときれいな曲になっていた気がしていて。そのタイミングは、意図していなかったにしろ、ちょうどよかったのかなと思ってます。

──「そこには大きな光があるんだろうか。 変わんなきゃいけないんだろうか。 いずれにせよ僕はそれを見てみたいんだ。いつまでも此処には居られないから」という歌詞は、どのような思いで書きましたか?

要は「いつまで自分のためだけに音楽ができるのか」ということを言葉にしていて、この曲を書いているときにはメジャーデビューが決まっていたのも大きいのかもしれないです。ここで書いているのは、「きっと変わっていくんだろう」「変わっていってほしい」という希望ですよね。僕は思い込みが強くて偏りのある人間ですけど、今後1人で音楽をやっていく気はないし、音楽は自分のためだけにやっていればいいものではないと頭では理解しているつもりです。これからもいろいろな人の力を借りていくことになるだろうし、ファンの数も増やしていかなきゃいけない。「光」ってなんなのか、まだ見たことがないから僕にはわからないし、結局何も変わらないのか、全部変わっちゃうのか、書きたい曲が書けなくなるのか……本当に何もわからないんですけど。それでも変わっていく努力をしなきゃいけないと思っているから、このタイミングで「遺書」という曲を出して自分をさらけ出すことにしたんです。

──続く歌詞の「いや、居てもいいんだ。本当はさ。 泥の中で死ぬのも悪くないよ。それでも見せたい景色がある人の数が あの頃より少し増えたんだ。本当は君と見たかった夢だ。」については?

「遺書」に書いたようなことを薄めて、ちょっとずつインディーズでリリースしていくのも、それはそれで美しい活動の仕方というか。できることならずっとこの人のことをしがみながら曲を書き続けていたいし、そういう生活を続けていった先で「あー、人生やり切った」と思いながらご臨終というのもいいかもしれない。だけどそうはならなかったから、歌詞にして、意思表明しているんだと思います。僕がひとりよがりで書く音楽はちゃんとここで終わらせて、もっと大きいところに向けたものになっていくんだ、と。……まあ、「遺書」に書いている時点で、結局はその子に向けているということだから、やっていることはずっと一緒なんですけど。このブロック、「本当は君と見たかった夢だ。」で終わるので、結局それ以外の部分は最後の歌詞を強調するための舞台装置で、やっぱりその子のことしか見えていないのかなと、今話しながら思いました。矛盾ばっかだな。

──でもその矛盾が澤田さんのリアルなんでしょうね。

そうなんですよね。「矛盾することもあるよな、人だもん」と思います。

──とても澤田さんらしいメジャーデビュー曲だと思いますし、この曲を聴いて、澤田さんが過去のインタビューでおっしゃっていた「メジャーデビューする=魂を売る」という話ではないんだろうなと思いました。「振り返って」をリリースしたときは、「例えば今後メジャーデビューするとして、澤田空海理を売り出していくタイミングが来たら、売れる曲を書く覚悟ができている」という意味合いで、「人間として最後に1枚を作ろうと思った」とおっしゃっていましたが。

言ってましたね。今の自分からすると、嘘すぎる(笑)。でも当時は本当に「メジャーに行ったらJ-POP、TikTok、なんでもござれ」と思っていたし、実際、デビューに向けた事務所やレーベルとの打ち合わせでも「僕はそういう曲もどんどん書くよ」という話をしたんですよ。だけど結局、自分の人生を削って作った曲が手札の中で一番強かったということなのかなと思います。今回「遺書」を書いてみて、改めてわかりました。それを強みと呼ぶのも、あまり健康的ではないですけど。

澤田空海理

全部ハズレでありアタリなんだよ

──今後どんな音楽を作っていきたいですか?

「遺書」で「書きたいことなどとっくに無くて、足はとっくに止まってしまった。」と書いているように、書きたいことはもうないんですよ。ただ、今までの経験があるので、時間さえもらえれば曲を書けるなとはすごく感じていて。例えば僕が「アーティスト活動はもうこりごりだ」となって、クラウンさんとの契約が打ち切りになったとしても、作家業があるので、音楽でお金を稼ぐことはできると思います。僕は作詞が得意であると自負しているし、作詞家として器用な自覚はある。だけど器用さだけじゃなくて、心で音楽をしていたい。「心で書いていない音楽が、人の心に刺さってたまるかよ」という気持ちもあれば「でも刺さらないと、世の中とか音楽シーンって回らないよな」という気持ちもある、というのが正直なところですかね。両方の気持ちを抱えながらアーティスト活動を続けていくんだと思う。

──「時間さえもらえれば曲を書ける」という状態もまた、澤田さんが人生をかけて培った財産なので、もっと誇っていいのではないかと思いました。

いいこと言いますね。でも今のところ僕はそれを財産だとは思えないかも。

──でも、技術や表現力を駆使して書いた曲を褒められるのと、「遺書」のように心から出てきた曲を褒められるのを違うものとして捉えてしまう感覚は理解できます。そのねじれている感じ、両方とも存在していることが、現時点での澤田さんの魅力になっているのではないでしょうか。

そうだとうれしいです。まあ、そこまで汲んでくれる人が世の中に果たして何人いるのかとは思うし、傍から見たら「澤田空海理、ずっと中途半端なことやってない?」「アタリとハズレがあるよね」という感じで、作家性としてすら捉えてもらえない気はしますけど。でも「いや、全部ハズレでありアタリなんだよ」という気持ちではいますね。そこは絶対に変えないでいたい。

澤田空海理

プロフィール

澤田空海理(サワダソウリ)

1993年生まれ。愛知出身のシンガーソングライター / 作曲家。幼少期に祖父の影響でピアノを始める。高校生時代に留学先でギターを学びながら作曲活動を開始。2017年4月に作詞、作曲、編曲、プロデュースをすべて自身で手がけたアルバム「フラワーガール」をリリースし、高い評価を得た。代表曲「またねがあれば」は数々のアーティストにカバーされている。2021年3月にアーティスト名義をSori Sawadaから本名の澤田空海理に変更。作家としても活動し、森七菜、足立佳奈、いゔどっと、ナナヲアカリらに楽曲提供している。2023年10月にインディーズラストシングル「ケーキの残骸」を、12月にメジャーデビューシングル「遺書」を配信リリースした。