音楽ナタリー PowerPush - ななみ

「世界を変えたい」暗黒時代乗り越えたシンガーが語る夢

私、ギターが大嫌いなんです

──先ほど“アコギ女子”という言葉が出ましたけど、ななみさんはシンガーソングライターとしてやっていく中で、歌だけでもピアノによる弾き語りでもなく、なぜギターを選んだんでしょうか?

ななみ

私が音楽に夢中になった時期って、YUIさんが流行っていたり、1人でやるならギターっていうイメージがピアノよりも強かったんです。で、ちょうど私のおじいちゃんが昔ギターを弾いてて、6弦が切れたクラシックギターが家にあったので、チューニングもバラバラなままずっと弾いてました。ギターをやり始めたのはそこからですね。でも実は私、ギターが大嫌いなんです。

──えっ!?

ホントに苦手なんです。いつも言ってるんですけど。

──本当は歌だけに専念したいと?

そうなんですけど、やっぱり作詞作曲をしたいので。作詞作曲のお供として最初弾いてたんですけど、やっぱり自分で表現したくなるんですよね。

──ギターは独学で覚えていったんですか?

一応レッスンみたいなところにも行ったことがあります。基礎とかを教えていただいたんですけど、個性は学ぶものじゃないなと思って。音楽活動は大分でのライブ活動が中心でした。ライブをやったり、観たりする中で歌い方とか、いろんなものを学んだんです。でも弾き語りでライブをするようになったのは、私がグランプリをいただいた「The 6th Music Revolution」のときからなので、2年くらいですね。

──ギターを持って歌うスタイルは最近できたものだったんですね。

ちょうど私が退院してからなんです。入院生活が終わって、私まだ歌えるかなって思いながら受けたのが、ミュージックレボリューションのオーディションで。そこで初めて弾き語りで出場して。みんなからはずっと「弾き語りでやりなよ」って言われてたんですけど、下手だから嫌だって目を背け続けてたんです。でも入院して余計なものが全部取れて、もう何も失うものはないって思って。それで出たのがこのオーディションだったんです。中学生の頃からオーディションはいくつも受けていて落ちまくってたので、実はこれが最後のつもりで受けたんです。

──実際にグランプリを受賞してどうでしたか? 何か変わりましたか?

グランプリを取ってから、大分ではすごく褒め称えられたんです。それこそみんなが寄って来て。でも2カ月ぐらいするとサーッといなくなった。そのとき、人って怖いなっていうのを初めて知ったんです。今まで何も成果を残したことがなかった人間だったから、実感したことがなくて。でも人がすぐにいなくなる怖さみたいなものとか、悔しいって気持ちを味わって、それをもとに曲を作ったり、歌に出せるようになったんです。それまではラブソングとか、ちょっと王道な言葉で歌詞を書いてたんですけど、こういう経験をしてからはすごく深く考えるようになりました。

──オーディションでグランプリを獲ってからはどのように過ごしていたんですか?

1人旅っていうライブツアーをさせていただきました。1人でキャリーバッグとギター持って、ライブをして、CDを売って。22カ所の会場を回ったんですけど、やっぱりいい夜もあれば悪い夜もあるんです。そもそも大分にいたときは実家暮らしだったので、1人になることがあまりなくて、すごく周りの人のありがたさにも気付いたし。コンビニのラーメンばっかり食べてて、ごはんって大切だなって思ったり。会場によっては、1人もお客さんがいないときもあったんです。もちろんそういうライブは大分でもありましたけど、グランプリ獲ってからは違ったので。

──ほとんどが初めて行く土地でのライブだったわけですよね。

ななみ

そうですね。完全アウェイです。私のことを知らない人が来て当たり前だったので、その体でずっとライブをしてました。で、全国を回ってからひさしぶりに今年の4月に大分でワンマンライブをしたんですよ。そうしたら逆にホームでのライブの仕方を忘れちゃってて、ちょっとペース崩されちゃったんですよね(笑)。アウェイはすごく慣れてたんだけど、ホームだとみんな笑顔で、誰も腕組んでないし、誰も携帯いじってない!とか思って。

──地元の星を観に来てるわけですからね。

私の場合、攻撃的なメッセージがアウェイではすごい力になったんですけど、ホームでは感謝しなきゃいけないから攻撃的なことはできなくて。それまではみんな敵だ!って思ってやってきてたんですけど、みんな味方ですから(笑)。ありがとうって伝えるのにどうすればいいんだろうとか、そこからはまた勉強でした。すっごいみんな優しくて、やっぱり地元は違うんだなと実感しました。それと、大分でよかったなって思ったんです。

──それはどうしてですか?

もし福岡とかだったら、たぶんみんなそんなに応援してくれなかったと思うんです。大分っていう小さな街だったからみんなが1つになって応援してくれたのかなって。そういうことが改めてわかったのもあって、いろんな経験を1人旅で得られたのでかなり強くなれたと思います。人を近づけないような強さじゃなくて、いい意味での強さというか、優しい強さが身についたというか。

武器は自分の半生

──7月に行われたコンベンションライブ(参照:ななみ、デビュー曲で「暗黒時代」の愛を歌う)を拝見しました。ななみさんのライブはいい意味で新人らしくない、堂々としたパフォーマンスが印象的でした。

皆さんから「緊張なんてしてなかったでしょ」って言われたんですけど、相当緊張してたんですよ(笑)。東京のコンベンションのときは控室で「いなくなりたい」「逃亡したい」ってずっと言ってたくらいです。ライブ前はいつもそういう感じなんですけど、ステージに上がる直前に、もう逃げられないって腹が決まるとスイッチが入るんです。

──1人旅ライブのときも同じような心境だったんですか?

ジュースを投げられたらどうしようとか、トマト投げられたらどうしようとか(笑)。ライブ前はそんなことばっかり考えてます。でもある意味緊張したほうが達成感のあるライブができるんですよ。逆に緊張しないと、なんともいえないステージになっちゃうんです。思いがあまり入らなかったり、集中できなかったり。なので緊張するだけいいライブが毎回できると思ってます。

──グランプリを受賞したときのライブって手応えみたいなものはありましたか?

ななみ

それが覚えてないんですよ。ステージに上がった5分くらいの記憶が全然なくて。ほかの出演者のライブを観ていて、みんなが審査員に対してアピールするぞ!って感じだったのは覚えてるんですけど。肩に力が入っていたというか。それを観てステージ袖で審査員に向けて歌おうとしてた自分も馬鹿だったなって思ったんです。1000人くらいのお客さんが来てくれてるのに、なんでその中の4人くらいの耳の肥えた人に歌わなきゃいけないんだろう、来てくれた人たちに向けて歌おうって心に決めて。その気付きがあったからライブ本番は力が入りすぎないでステージに上がれたんです。緊張はしていたのであんまり記憶はないんですけどね(笑)。でもグランプリを取れたのは本当に運だと思ってます。私よりいい人がいたらもちろん私はダメなわけで、たぶん運とかタイミングがよかったんじゃないかなって。

──いえいえ、実力あってこその結果に違いないと思います。ななみさんのライブのスタイルやメッセージ性はかなり個性的なものだと思うんですが、ななみさん自身が考える自分の強みとか、武器はなんだと思いますか?

半生ですね。間違いなく私は純白な、純粋な心を持った人間ではないから。ものすごく汚いことも知ってきたから、そのぶん簡単にはくじけないというか、落ちないと思います。あとやっぱり、この低い声が私の個性だと思ってるんです。昔はこの声がすごく嫌いで、ガラガラだし、なんでこんなで産んだのってお母さんを責めたこともあったんです。でも今ではこんな個性的な声をくれてありがとうって思って感謝してます。リスナーとしても最初は高い声で歌う女性の歌が好きだったんですけど、だんだん洋楽とかハスキーな声の歌手が大好きになって。武器とまでは言えないかもしれませんが、この声がなくちゃたぶん私はダメだと思ってます。

目標は“世界を変える”

──10月のシングルリリース以降、たくさんの人たちがななみさんの歌を聴くと思いますが、これから歌手として活動していく中で目標は何かありますか?

私の一番の目標は“世界を変えたい”ってことなんです。でもこの世界っていうのは地球全部とかではなくて、自分が今まで経験してきた、自分の周りという意味での世界です。この世界のすべてをいきなり全部1人で変えるのはできないと思うので。でも、自分が経験してきた、それこそ引きこもりだったり、いじめだったり、自分が知っている世界の中で生きている人たち、生きてきた人たちを少しずつ変えることはできると思うんです。これから私もどんどん成長していけば世界も広がっていくし、それで世界をどんどん変えていけたらなって考えています。

──シンガーソングライターとしてすごくまっすぐな目標だと思います。

武道館とか、CD何万枚とか、そういう人間が作ったものはあまり興味がないんです。もちろん魅力的なものだと思うし、いつか武道館でもライブはできたらいいんですけど……。そういうことではなくて、変えたいって思いのほうが強いんです。

──今日のインタビューを振り返ってみて、誰々に影響されたとか、誰々になりたいとかではない、一貫して自分の中にある芯をしっかり持っているという印象を持ちました。

もちろんすごく魅力的な方々は音楽業界にいっぱいいるんですけど、私は絶対にその人にはなれないんです。逆に言えば、私がこれまで送ってきた人生を同じ誰かが送ることは絶対できないので、その人は私になれないはずで。個性を自分で見つけたいし。って思うので。ある意味そこは自信を持っていたいというか。私の全部が無駄じゃなかったんだってことを証明したいんです。若い子たちが私みたいになりたいって言ってくれるような、そんな人になりたいです。

ななみ
ななみ

ななみ

1993年、大分県生まれ。学生時代から地元大分でライブの経験を積み、2013年1月に行われたヤマハグループ主催のコンテスト「The 6th Music Revolution JAPAN FINAL」でグランプリを受賞。NHK大分放送局のノンフィクション番組「ドキュメント 桃」の主題歌として書き下ろし曲「桜」がオンエアされるなど、地元大分での注目を集めた。グランプリ受賞後は、全国22カ所を1人で回る弾き語りツアーを行い、着実にその知名度を上げていく。2014年10月、自身が“暗黒時代”と呼ぶ学生時代の経験をモチーフにした楽曲「愛が叫んでる」をシングルリリースし、日本クラウンとヤマハが合同で設立したe-stretch RECORDSよりメジャーデビューを果たす。