Murakami Keisuke、ブラウンアイド・ソウルを掲げ“カッコいい”に振り切ったニューアルバム

Murakami Keisukeのニューアルバム「Water and Seeds」が配信リリースされた。

「Water and Seeds」はMurakamiが活動のコンセプトとして掲げてきた“ブラウンアイド・ソウル”の集大成的な作品。Renato Iwai、岩井郁人(Galileo Galilei)、Michael Kaneko、gbといった多彩なアーティストがサウンドプロデューサーとして参加している。

Murakamiは2017年6月に1st EP「まもりたい」でメジャーデビューしたが、音楽ナタリーに登場するのは今回が初。「Water and Seeds」に確かな手応えを感じ、早くも次の作品を作りたいと意欲を見せる彼に、これまでのキャリアを振り返ってもらいつつ、各収録曲への思いをたっぷり聞いた。

取材・文 / 蜂須賀ちなみ撮影 / 梁瀬玉実

やっぱりソウルがやりたい

──Murakamiさんは大学在学中はアカペラサークルに所属し、「ハモネプリーグ」(フジテレビ系で放送のアカペラバトル企画)にも出演。卒業後にソロ活動と作曲を本格的に始めたんですよね。最初に、好きな音楽や活動遍歴について聞かせてください。

小学生1年生から5年生までの5年間はアメリカに住んでいて、母が車の中で聴いていたCarpentersや、父の趣味だった井上陽水さん、チューリップを聴いて育ってきました。ギターを始めたのは中学に入ってからです。当時は家や学校の校庭の端っこのほうで弾き語りをしていたくらいだったんですけど、人前でやりたいという気持ちがずっとあって。ただ、静岡の片田舎に住んでいて、近くにライブハウスもなかったので、実際にステージに立てたのは関西の大学に進学してからでした。同時に、音楽仲間が欲しかったので、アカペラサークルと軽音楽部にも在籍するようになったんですが、そうこうしているうちに、「ハモネプ」のオーディションを受けることになって。そしたら合格して、あれよあれよとアカペラの道へ……。そのあとはおっしゃっていただいた通り、卒業後にソロ活動を始めて今に至るという感じですね。

Murakami Keisuke

──1人で歌うときはどんな音楽をやっていましたか?

コブクロさんや山崎まさよしさん、19さん、ゆずさんなど、アコースティックギターをかき鳴らしながら歌う人たちの楽曲を手当たり次第カバーしていました。同時に、洋楽も聴いてたんですよね。Queenのフレディ・マーキュリーやスティーヴィー・ワンダー、マイケル・ジャクソンといった70~80年代のアイコニックなボーカリストたちが特に好きで。そういった洋楽からも日本のフォークソングからも影響を受けてきたけど、「その2つは完全に混ざり合うものではないんだ」という感覚をずっと持っていて。やってきたこととやりたいこと、できることのバランスをうまく取れないような時期がけっこう続いていましたね。

──2022年以降は“ブラウンアイド・ソウル”をコンセプトに活動されています。このワードで自分のスタイルを表現しようと思った経緯は?

2017、2018年頃に、当時のスタッフチームと打ち合わせを重ねる中で、スタッフさんが提案してくれる「Murakami Keisukeはこういう音楽をやれば伸びると思う」というものと、自分の中にある「僕は音楽家としてこう見られたい」「伸びるかどうかはわからないけど、こういう音楽がやりたいし、これをやっているときは気分がいい」というものとの間にズレを感じるようになったんですよ。「僕と同世代の人たちで言えばこんな感じです」とNulbarichさんや向井太一さんを例に挙げて、音源を聴いてもらったりしたけど、スタッフさんはあんまりしっくりきていない感じでした。だけど去年チームが変わり、自分のやりたいことをやれる環境が整ってきたので、「これはチャンスだ」と思ったんです。そのタイミングでちょうど曲作り合宿に行く機会があったので、「可能な限り曲を書いて帰ろう」「自分のやりたい音楽のジャンルに名前を付けてみよう」と思いました。その中で「僕の根底にあるのはソウルとカントリーだ」という結論に行き着いて。「ビネット」(2018年発売のアルバム「Circle」収録曲)も「Nothing But You」(2018年リリースのシングル曲)も「モノクロ世界」(「Circle」収録曲)も今思えばソウルロックだったし、僕はやっぱりソウルがやりたいんだなと。“ブルーアイドソウル”という言葉があるけど、アジア人の僕がやるんだったら“ブラウンアイド・ソウル”だなと思って、2022年からこのワードを打ち出していくことになりました。

──自分のやりたい音楽を明文化することで、何か変化はありましたか?

言語化したことで、僕はもちろん、チームのみんなも指標が明確になったと思うんですよね。僕が書いた曲に対してチームの方から「いい曲だけど、ソウルではないよね。だからリリースするのはほかの曲のほうがいいかもしれない」という意見をもらったときは、みんなで同じ方向を見ているんだなと思えてうれしかったです。1stフルアルバムの「Circle」は二面性のある作品だったと思うんですよ。めちゃめちゃJ-POPな曲もあれば、今のテイストに近いソウル色の強い曲もあったから、きっと聴いた人の中には「結局この人は何がやりたいの?」と思った人もいただろうし、僕がリスナーだったとしてもそう感じるようなアルバムでした。昨年“ブラウンアイド・ソウル”というワードを掲げて、ビジョンをグッと固められたのは、自分にとっての転機だったと思いますね。

Murakami Keisuke
Murakami Keisuke

とにかく面白くてテンションの上がる曲を

──「Water and Seeds」は、Murakamiさんが“ブラウンアイド・ソウル”というワードを掲げるようになってから初めて発表するフルアルバムです。「Circle」と比べると、曲調だけではなくボーカルもかなり変化していますね。ソウルのニュアンスが歌からも伝わってきます。

過去に出した曲も、今の自分が歌い直したらもっとパンチが出るんでしょうね。正直「歌い直したいな」という気持ちもありますけど、スティーヴィー・ワンダーも若い頃はちょっと声が細かったりするじゃないですか。若い世代の子たちが、いつか「Circle」を聴いたときに「Murakami Keisukeも昔はこうだったんだ」と思ってくれたら、なんかいいなと思いますね。

Murakami Keisuke

──歌にパンチが出るようになった理由に心当たりはありますか?

そもそも2017、18年に出した音源に対して悔しさを感じていたんですよ。普段家で歌っているときはもっと声が太かったはずなのに、スタジオにあるマイクでレコーディングしてCDを作ると、思ったよりも細い声でパッケージングされてしまう。「俺の声ってこういうんじゃないんだよな」という違和感がずっとあったんですけど、コロナ禍に入って時間ができたことで、どの程度の太さで歌ったらイメージ通りに聞こえるかという実験をすることができたんです。毎週インスタで歌の動画を上げていたんですけど、動画を撮りながらいろいろ試す中で、「こんなふうに歌うと意外と細く聞こえるんだ」「自分は太く出しているつもりだったのに」といった気付きがありました。そういう試行錯誤と紆余曲折があって、今の歌声ができあがっていますね。

──では、収録曲について聞かせてください。1曲目の「SUPERNOVA」は、今年4月にデジタルシングルとしてリリースされた楽曲で、ゾーンに入っている瞬間を形にした曲だそうですね。

Galileo Galileiの岩井郁人くんと一緒に書いた曲です。Galileo Galileiのメンバーが住んでいる北海道にあるスタジオにお邪魔して制作しました。ジャネール・モネイの「Make Me Feel」やハリー・スタイルズの「Music For A Sushi Restaurant」、マイケル・ジャクソンの「The Way You Make Me Feel」のような、ベースが生きる楽曲を作りたかったので、郁人くんにベースを弾いてもらいながら、ベースラインを考えるところから始めました。「とにかく面白い曲を書きたい」「テンションの上がる曲を書きたい」という気分だったので、「正直リリースできなくてもいいよね」ぐらいの気持ちだったんですよ。サビがファレル・ウィリアムスの「Happy」のコード進行なんですけど、「このコード進行だったらシングル曲にもなりうるね」「でも、ならないだろうね」とか言いながら作っていたのに、本当にシングルになっちゃいました(笑)。デモの段階から「フー!」っていう声が入っていて、マイクの近接効果で音をわざと割りながら録って、お互いのアイデアを詰め込みながらとにかく遊んだ曲ですね。

──ソウルフルな歌い回しも印象的でした。特にファルセットの部分が素晴らしい。

ハスキーボイスに憧れているんですけど、僕の声はどんなにがんばってもしゃがれないんですよ。フレディ・マーキュリーやハリー・スタイルズ、アレン・ストーンのようなパンチのある声が出せたらいいなと思うけど、僕の声はどうしても澄んでしまう。だけどファルセットであれば、僕のような声質でもファンキーに表現できるんですよね。

──そのうえで、参考にしているボーカリストはいますか?

Maroon 5のアダム・レヴィーンですかね。デビューする前にMaroon 5にハマったタイミングがあって、彼の歌を聴きながら「あ、こういうことか」「このやり方だったら、俺も活路を見出せそうだ」と思ったんですよ。自分の声の強みと弱みを踏まえたうえで曲のポテンシャルを表現できるようになったのは、20代中盤に入ってからだったと思います。