ナタリー PowerPush - 松下唯
苦難を乗り越えつかんだソロデビューへの軌跡
歌手になりたいって言えなかった
──そして2008年夏に名古屋のアイドルグループのオーディションに合格します。福岡から名古屋に引っ越すのって相当な覚悟ですよね?
ですね。その時点で3年くらいメイド喫茶に務めていたので、辞めるときはドタバタで。お店で卒業式をしてもらったんですけど、ご主人様(お客)もメイドちゃんたちも、みんな「おめでとう!」って送り出してくれたんです。
──そこからグループとして活動していくわけですが、当時は将来どうなりたいか、何か目標はありましたか?
入ってすぐの頃は目標という目標はなくて、踊るのも歌うのも好きなので、どちらかというとデビューできたことがただうれしいと思ってました。でも、あるときにふと「私、本当は何をしたいんだろう?」って思った時期があって、母に相談したんです。そうしたら「唯はアニメが好きだし、声優さんとかいいんじゃないの?」って言われて。で、私もわりとすんなり「そうだね」みたいに答えて、じゃあこれから「夢は声優さんになることです」って言おうかなみたいな、最初はそういうノリだったんです。
──あ、グループ在籍時に声優になりたいと言っていたのは、それが発端だったんですね?
そうなんです。でもどちらかというと声優になるよりも、アニソンとかキャラクターソングを歌いたかったんですよ。
──なるほど。当時から歌唱力の高さには定評があったけど、アニメや声優についての話題が多かったのでてっきりそっちの道に進むのかなと思ってたんです。でもやっぱり歌いたかったんですね、そこは。
はい。当時はなんで「夢は歌手になること」って言わなかったのかなって考えたときに、高校時代に「ソロシンガーとしてデビューするのは一番難しい」ってさんざん言われてたのが潜在意識にあって、歌手になりたいって言えなかったのかな。
「私の人生、大丈夫かな?」
──順調に活動を続けていく中、2010年2月から足の怪我で活動を休止することになるわけですが、調子が悪いなと気付いたのはいつ頃だったんですか?
その頃って1日に2公演、3公演がポンポン続いてたんですけど、2010年の頭くらいになんか足が痛いなと感じていて。でも正直踊っていて足が痛いことなんて日常茶飯事だったから、筋を痛めたのかなぐらいにしか思ってなかったんですよ。で、とりあえずスタッフさんに痛い痛いって言ってたら「どこが痛いの? ちゃんと言ってみて」って聞かれたから、「筋かと思ったけど、骨が痛いみたいで」と答えたんです。そうしたら「ちょっと1回病院に行こうか」と言われて、その場ですぐに病院に行くことになって。
──骨が痛いって余程のことですもんね。
で、病院でお医者さんに診察してもらったんですけど、「(仕事は)何をやってるの?」って聞かれたから「ダンスをやってます」って答えて。そうしたら先生がすごく真剣な顔で「あなたこれね、ダンスをやめるか手術するかしかないよ」って言われて、スタッフさんの顔が真っ青になっちゃったんです。私もびっくりして「えっ? どういうことですか?」って質問したら、離脱性骨軟骨炎という病名を教えられて。「あなたの場合両足首だから、このままダンスを続けると将来歩けなくなるよ」と言われて、大事になったなとようやく理解できたんです。
──そこから手術やリハビリのために福岡に戻るわけですね。
はい。入院中は気持ちの浮き沈みが激しくて。まず歩けるようになる見通しが自分の中で全然立たなかったんです。そういう不安とかもあったし、復帰云々よりもまず「私の人生、大丈夫かな?」ってところまで考えちゃって。ずっと車椅子で生活する可能性もあったわけですから。でもあの生活をしたことで、初めてバリアフリーの大切さにも気付けたんです。車椅子に乗ってる人や松葉杖をついて歩いている人にとっては、私たちにとって普通のことが全然普通じゃないんですね。本当にちょっとした段差が怖かったりするし。自分がそういう立場になって初めてそういったことに気付けたことで、他人に対しても優しくなれた気がするし、それは自分の人生にとって大きな糧だと思ってます。
「あ、成功しても100%じゃないんだ」
──ハンディキャップについてまで考えられるようになったという意味では、休止期間は結果としてすごくいい経験になりましたね。
そうですね。でも……実はその頃って、いろいろ悩んでた時期でもあるんです。グループの中でも年齢が上の子たちはみんな考えることだと思うんですけど、20代半ばに近付くと先のことをいろいろ考えてしまうんですね。で、ちょうとそのタイミングで怪我をして休むことになったんですけど。よく周りからは「グループが勢いづいてる中、あのタイミングで怪我したのは本当にもったいないよね」って言われるんですね。確かに悔しいという気持ちもあるけど、休んでいた1年半ぐらいの間にいろんなことを考えることができたし、それは私にとってはプラスだったのかなと、今はそういう気がしてます。
──なるほど。
どっちにしろ手術は8割成功すればいいほうっていうのは前から言われていて、「あ、成功しても100%じゃないんだ」とある程度覚悟はできてました。いざ復帰してからも、病院の先生から「別にダンスは大丈夫なんだけど、高いヒールの靴を履いて激しく踊るのはちょっと。そこでまた足をひねった場合に再発する可能性があるよ」と言われて。それで両親ともいろいろ話した結果、やっぱり卒業しようと決心したんです。周りからは「別にダンスをしなくても、声優のお仕事もできるんだから卒業しなくてもいいんだよ?」って引き止められたんですけど、やっぱり自分だけ歌って踊れないのはイヤだったので、スッパリ辞めることにしました。
収録曲
- Shooting Star
- Rigel
- LOVE MONSTER
- Shooting Star(インストゥルメンタル)
- Rigel(インストゥルメンタル)
- LOVE MONSTER(インストゥルメンタル)
松下唯(まつしたゆい)
1988年7月25日生まれ、福岡県出身の女性シンガー。2008年7月に名古屋のアイドルグループのオーディションに合格し、芸能活動を開始する。順調に活動を続けていたが、2010年2月に両足首の病気である「離脱性骨軟骨炎(距骨)」により、手術やリハビリのために1年近い活動休止期間に突入した。2011年1月からは徐々に活動を再開させるも、同年9月末をもってグループを卒業。その後東京や名古屋を拠点に、ライブ活動やFMラジオでのパーソナリティ担当など地道な活動を続けていく。そして2013年5月、徳間ジャパンコミュニケーションズからシングル「Shooting Star」でソロデビュー。