公開中のアニメーション映画「機動戦士ガンダムSEED FREEDOM」の主題歌として、西川貴教と小室哲哉が初タッグを組み、“西川貴教 with t.komuro”名義で作り上げた楽曲「FREEDOM」。映画が大ヒットを記録している中、西川が同曲を「THE FIRST TAKE」やイベントなどで歌唱することで、「ガンダムSEED」ファンはもとより、幅広い世代にその楽曲の魅力が拡散され続けている状況だ。
音楽ナタリーでは2月に公開した西川のインタビュー(参照:西川貴教「FREEDOM」インタビュー|小室哲哉と初タッグで挑んだ主題歌への思いとは)に続き、小室哲哉のインタビューをセッティング。多くの人の心を震わせている「FREEDOM」がどんな思いをもって生み出されたのかを、楽曲制作者・音楽プロデューサーとしての視点で語り尽くしてもらった。西川のテキストと合わせて読むことで、「FREEDOM」で描かれたメッセージがより立体的に浮かび上がることになるはずだ。
取材・文 / もりひでゆき
刺激の多い立ち位置にいられたのは、本当に幸せなこと
──公開中の映画「機動戦士ガンダムSEED FREEDOM」は、興行収入42.2億円、動員250万人を突破(4月1日現在)する大ヒットとなっています。主題歌を手がけた身として、現状をどう感じていますか?
昨今のアニメブームの中とはいえ、これだけのヒットを打ち出したのは本当にすごいことだと思います。ただ、数字的な部分だけ見ればこれ以上の作品はいくつもあるわけで。そういう意味では、単純に「またアニメ映画がヒットした」といったくくりの中には入りたくない気持ちもあるんですよね。50年近い歴史を持つ「機動戦士ガンダム」の英知が注がれた作品でもあるので、そこは特別な枠に入れてほしいなと。そう思うくらい僕にとっての「機動戦士ガンダムSEED FREEDOM」は、特別で万感の思いがある作品なんです。
──かつてTM NETWORKとして映画「機動戦士ガンダム 逆襲のシャア」の主題歌である「BEYOND THE TIME(メビウスの宇宙を越えて)」(1988年リリース)を手がけたことを考えれば、「ガンダム」という作品自体への思い入れも大きいはずですし。
もちろんです。自分の音楽側のキャリアから考えても、こういった大きなうねりが作れる作品と組ませてもらえることはすごく重要なことなんですよ。今年で40年活動している人間として、大きなエネルギーを持った若い人たちやワールドワイドに活躍されている方々と同じフィールドで作品を評価してもらうには、そういった恵まれた出会いが必要になってくるというか。ちょっと言い方が難しいけど、いわゆる大御所と呼ばれる方たちは、「どうぞご自分の好きなことを思う存分になさってください」という状況になってくると思うんです。いろんな制約に縛られたり、マーケットを意識したり、タイアップする作品のマニアの方たちを裏切らないようなものを求められたりといったアプローチは大変でしょうから、どうぞご自分のファンの皆さんと一緒にやりたいことを楽しんでくださいといった感じで。ちょっと皮肉でもありますけど、本来の立ち位置としては僕もそれで十分なはずなんですよね。
──でも小室さんはキャリアにあぐらをかくことなく、あえて困難なことにもトライし続けていると。そのことが音楽家としての刺激になっているんでしょうね。
そうですね。そういった刺激があったから僕は進化できたと思っている。刺激が何もなければ、きっと独りよがりなものを作り続けていただろうし、そのまま枯れてしまっていたのかもしれないですよね。あえて刺激の多い立ち位置にいられたのは運もあるとは思うけど、本当に幸せなことだなとあらためて思います。
まずは溝を埋めるための“親戚回り”
──今回の主題歌「FREEDOM」は、ボーカリストである西川貴教さんと初タッグを組むという大きなトピックがありました。そこに関してはどんな思いがありますか?
西川くんはずっと“今”を駆け抜けている人なので、「小室さんで大丈夫かな」という懸念が多少はあったんじゃないかなと思うんですよ。一緒にやる人のチョイスにはいろんな可能性もあっただろうし。僕としても「自分でいいのかな」と本当に思ったりもしましたしね。僕の場合、「ガンダムSEED」シリーズに関しては無縁だったので、「今まで楽曲を手がけていた人のほうがよかった」っていう意見が圧倒的に多かったらどうしよう、という思いも正直あったんですよ。
──でも「FREEDOM」がリリースされ、映画も公開された今となっては、その思いは杞憂だったと実感しているんじゃないですか?
うん、今はそう思います。「FREEDOM」を作るにあたっては、自分なりに相当思いを巡らせましたから。「違う」と言われないように、「合ってる」と言ってもらえるように、カッコよく言えば考え抜いて構築していった感がある。あとはチャレンジ、僕なりの冒険をすることも意識しました。今の時代にあるアニメと主題歌の関係性みたいなものとは一線を画すものを提示することはすごく考えたかな。
──小室さんがプロデュースされた楽曲は数あれど、“with t.komuro”名義でリリースされたものは数えるほどしかない。西川さんはそのことに大きな意味を見出していたようですが、小室さんの中にもきっと強い思いがあったんでしょうね。それは覚悟とも言える感情だと思うのですが。
まさにそうですね。西川くんだけの名義でリリースした場合、もしそれが受け入れられなかったとしても僕は隠れられるじゃないですか。だからよくも悪くも「この曲を作ったのは小室哲哉なんだ」ということをわかりやすく表明しておきたかったんですよね。それもまた自分なりにいろいろ考えて出した答えでした。
──西川さんは小室さんのことを「遠縁の親戚筋」といった表現をされていましたが、小室さんから見た西川さんはどんな存在だったんですか?
そこは似てますよ。甥っ子みたいな感じで見てた(笑)。彼は僕の曲も聴いてくれていたようだし、僕の音楽的なクセもわかってくれていた。感覚的に小室哲哉のことを感じ取ってくれていたとは思いますね。ただ、いざ一緒に作品を作るとなると彼もどんなものが上がってくるかは読めなかったんじゃないかな。だからそこの溝を埋める意味でも、彼を育ててくれた関係者の人たち……親戚の例えで言えば、おじさんやおばさんたちにまず挨拶しに行ったんですよ。それが去年の夏くらい。「どう思う? 大丈夫かな、僕で?」みたいなことを、改めてみんなに聞いて回って(笑)。
──相当石橋を叩いて渡っている感じが(笑)。
「いいに決まってるじゃないですか!」ってみんな言ってくれましたけど(笑)。西川くんは「ガンダムSEED」という作品に対して相当深くまで入り込んで楽曲を作っていたようなので、その関係値を知っておきたかったっていう理由もあったんですけどね。そこをちゃんと知ったうえで制作に入りたかったから、まだ何も手を付けていない段階で“親戚回り”をしたっていう。