木下百花|好きなものを好きに作る こだわり抜いた“本当の自分の音楽”

木下百花が新作「また明日」を6月16日にリリースした。

2017年にNMB48を卒業した木下は、バンド活動などを経て2019年に配信シングル「わたしのはなし」でソロアーティストデビュー。自身ですべての楽曲の作詞作曲を手がけ、2020年12月には1stフルアルバム「家出」をリリースした。新作「また明日」には“出会いと別れ”をテーマにした全5曲を収録。伊東真一(G / HINTO、SPARTA LOCALS)、岡部晴彦(B / ex.サザンハリケーン)、吉澤響(Dr / セカイイチ)といった磐石の布陣によるアンサンブルと木下の程よく脱力したボーカルスタイルによって生み出される、人間味にあふれた飾らないバンドサウンドを堪能できる作品だ。

音楽ナタリーでは木下にインタビューを実施。グループ卒業後の活動を振り返ってもらいながら、今作の制作についてはもちろん、ミュージシャンとしてのこだわりについても詳しく話を聞いた。

取材・文 / ナカニシキュウ 撮影 / つぼいひろこ

自分をそのまま出していきたい

──まず、音楽家・木下百花はいかにして形作られてきたのかというお話から伺えたらと思います。作曲を始めたのはいつ頃なんですか?

ソロ活動を始めるちょっと前くらいですかね。もともと音楽がずっと好きで、音楽がないと外を歩けないレベルでずっと聴いてるんですけど、アイドルを辞めて「これから何しようかな?」と思ってたときに、ふと「自分が音楽を作ったらどういうものができるのか」が気になったんです。毎日なんもやることなくて、ただ時間が過ぎるのを待つだけというか、時間の流れを早めたくてお酒飲んで寝るという生活をしてたんで(笑)、これはいかんなと思って。何か見つけようと思ったんですよね。

──何か明確にやりたいことがあってグループを抜けたわけではないんですね。

木下百花

なかったですね。活動をやり切った感がすごくあったから、何も考えんと「もうええか」と思って辞めて。

──アイドルになる以前は、どういう音楽を聴いて育ったんですか?

おとんがレゲエ、おかんがブラックミュージックで、姉ちゃんはギャルなんでトランスを聴いていて。自分はアニメにハマってたんで、アニソンを聴いていました。だから、木下家にはたぶん王道文化がなくて。

──J-POPはおろか、ロックすら誰も聴いていないという。

聴いてないですね(笑)。「ロックって何?」みたいな。「ギター鳴っとったらロックなんかな」くらいのレベルでいまだにわかんないんですけど。

──アニソンを聴いていた頃、気に入るポイントはどういうところにありました?

今思えばですけど、ちょっと変わった感じを好んで聴いていた気がしますね。歌詞やメロディが変で、流してたら「何これ?」みたいに言われるものがたぶん好きでした。ヒャダインさんの作る曲とか、あとエロゲーのキャラソンとか。それが小学生のときで、中学生になってから急に、アニソン以外に大枠として音楽というものが存在することを理解したんですよ。初めて買ったアルバムはスガシカオさんなんですけど……。

──へえ、それはちょっと意外です。

スガシカオさん、戸川純さん、西野カナさんを聴いてました。

──めちゃくちゃなラインナップですね。

はい(笑)。何か惹かれるところがあったら、なんでも聴いてたので。

──アニソン期から一貫して、何か“整っていないもの”に惹かれているような印象ですね。戸川さんはまさにそのタイプだと思いますし、スガさんと西野さんにしても、サウンドこそ洗練されていますけど歌詞で「普通そんなこと書かないでしょ」という違和感を表現する方々ですし。

そうですね。人を見るときも、何か欠落してそうな人がどうしても魅力的に感じるんですよ。勝手にこっちがそう思ってるだけですけど、それは今でも変わらないです。

──なるほど。ちなみにギターはいつからやってるんですか?

ただ持ってるだけの時期もあったんで、本格的に弾き始めたのはここ2年くらいじゃないですかね。

──そもそもギターという楽器を選んだのはなぜ?

それしか知らなかったから(笑)。もちろんドラムとかも存在することは知ってたけど、自分が使うものとして想像できる範囲内にはギターしかなくて。本当に何も考えつかなかったんですよね。

木下百花

──小さい頃にピアノを習ったりもしていなかった?

あ、ピアノとバイオリンを習わされてました。でも基礎を一向に学ばなくて、教本も読まなかったから毎回先生にめっちゃ怒られて。「こっちが月謝払ってんねんから、怒られる筋合いないやろ」みたいに思ってました(笑)。

──型通りの練習をさせられた苦い経験が原体験としてあることで、自由な音楽を表現するための楽器としてはピアノが候補にも挙がらなかったと。

そうかもしれないです。

──そしてソロ活動を始めてからは、「百花」や「kinoshita」といった名義でも活動してきましたよね。現在は「木下百花」という名義になっていますが、これは“本当の自分の音楽”として提示できるスタイルがようやく見つかったということですか?

そうです。最初にソロで音楽活動を始めることになったとき、まったく何も知らずにこの世界へ飛び込んだので、自分のやりたいことよりも周りの大人の言うことが正解なんじゃないかと思う時期があって。それが別名義時代なんですけど、やっていくうちにどんどん原点に戻っていくんですよね。「あれ? 私が最初にやりたいって言ってたことに戻ってきてるな?」って。それで「なんや、自分がいいと思うものをそのままやるのが一番いいやん」みたいな謎の自信が構築されて(笑)、本来の自分の名前に戻しました。

──とはいえ、作詞作曲は最初からされていたじゃないですか。それだけでは足りなかったということ?

足りなかったというか、「私、こういうのじゃない」って思ったんですよ。確かに曲自体は自分で作ってるんですけど、それを周りの大人がきれいに固めてくれることによって、本来作りたかったものではなくなっていく感覚ですかね。「私自身はこんなにカッコよくないし、こんなにきれいじゃない」って。本当の私はどこか欠落しているタイプで、「醜いところもあるけど、だからこそ美しい」みたいなところを音楽でやりたかったはずなのに。きれいに固めたら嘘になっちゃうと思ったし、嘘をつくのもしんどいから、これじゃ長く続かへんなと思って、自分をそのまま出していくやり方をしたいと思ったんです。

──それができるようになったのが前作「家出」(2020年12月発売の1stフルアルバム)だったと。

そうです。あれは本当に木下百花として作る音楽の基盤になったアルバムやなと思ってて。あれを出したことで、これからどういう方向へ行っても変じゃないみたいな。ちゃんと好きなものが作れたから本当に“自分”って感じがするし、しっかりと自分で肯定できるものになりました。

──音楽家としての軸足がそこで固まったんですね。

そうですね。

やりたいと思ったことは今やらないとダメ

──では新作「また明日」について伺います。ちょっと面白いなと思ったんですけど、1stアルバム「家出」には「家出」という曲は入っておらず、今回それがあるという。

「家出」というアルバムを作ったけど、「家出」って曲がないなと思って。それで、曲だけあってタイトルが決まってなかったやつに「家出」と付けました。

──作品をまたいで表現したいと思うくらい、家出というものは百花さんにとって大事なものなんですか?

それはありますね。常に家出したいというか、衝動に駆られていたい欲求がすごくあって。なんとなく日常を生きたり、妥協したり、惰性で何かをやったりするのが本当に無理なんですよ。それに気付いた瞬間おかしくなっちゃうんで、衝動的にそのときいる場所から逃げ出して夜中にお菓子を食べながら公園行ったり、常にそういうことをしてたい人なんです。

──「次はこれ、その次はこれ」が見えすぎちゃうと、そこに何か異物を紛れ込ませたくなる、みたいな。

そう。常に「5分後に死ぬかもしらへん」と思ってるんで、自分がちょっとでもやりたいと思ったことは今やらないとダメやなと。そういう姿勢は自分の中のルーツとしてあるものやと思います。

──「家出」は木下百花の生き方を象徴するキーワードなんですね。

そうです。

──曲の作り方としては、詞先が多いとのことですが。

全部そうです。常に思考がグルグルしてて、1つの行動でも何行もの文字が頭の中に出てくるんですよ。そういうのを溜めすぎるとよくないから、歌詞として書くことで気持ちを整理している感じです。だから歌詞が溜まっていく一方というか。

──それを文章として形にしようとは思わなかったですか? コラムなりエッセイなりで。

私、本当に締切が守れないんで(笑)。

──僕が勝手に思ったのは、文章にするとそれこそ整いすぎちゃって嫌だったりするのかなと。音楽であれば、言葉として完全じゃなくてもより強く伝わる場合がありますよね。そういう部分がフィットしたのかなって。

うんうん、言っている意味はわかります。抽象的なものであればとことん向き合って書けるんですけど、具体的に誰かに伝えなければいけないとなると……まあ歌詞も伝えなきゃいけないんですけど、歌詞って聴く人によって形が変わるじゃないですか。それがコラムとかを書くとなったら……。

──いかに誤解なく論理的に書けるかが重要になりますからね。

それが難しくて。歌詞は確かに自分に向いてるかなと。

──ただ、作品を聴いた限りでは詞先とは思えないくらい歌メロが立っていて。なんなら優れたメロディメーカーだなとすら感じます。

木下百花

ホンマですか? それはうれしいです。

──「歌メロをしっかりしたものにしたい」という思いはあるんですか?

なんもないですね(笑)。ギターで流れを作ってから、いっぱいストックしてある言葉を見て、歌いながら歌詞として付けていく感じなので。そんなにめっちゃこだわりがある感じでもないというか。

──そんなふうに言葉があふれて仕方ないタイプの人は、どちらかというとラッパーになるケースが多いと思うんですよ。

ああ、ラップは好きです。たまにラップも入れますし。

──ポエトリーリーディング的なものもやりますよね。でも基本は歌ものじゃないですか。

基本はそうです。

──だから歌ものに対しての思いが何かあるのかなと思ったんです。

やっぱり歌がめっちゃ好きなんで。音楽活動を始めるとき、自分からどんなものが出てくるかを考えていた時期に踊ってばかりの国さんの曲をよく聴いていたんですけど、踊ってばかりの国さんの音楽ってすごく“歌”じゃないですか。曲も演奏もいいんですけど、やっぱり歌がすごいなって思うから、そうやって聴いてきたものに影響を受けてるんだと思います。ただ、ゆらゆら帝国さんとかも好きなんですけど、あの人たちに関しては歌というよりもサイケデリックで曲がヤバいところが好きなんですよね。だから「全部やりたい」みたいな感じなのかもしれない。

“生きてる”感じの音

──今回、作詞作曲のみならず編曲のクレジットも全部百花さんになっていますけど、具体的にはどういうやり方をしているんですか?

木下百花

最近、私が打ち込みを覚えて。GarageBandで作ったデモを参考曲と一緒にポンと送って、サポートメンバーの大人組3人(伊東真一、岡部晴彦、吉澤響)が「じゃあ、こういうのどう?」ってアイデアを出してくれる感じです。

──そうなんですね。デモを作って渡しているというのは正直ちょっと意外です。

最初は作ってなかったんですけど、さすがにみんな困ってたから、かわいそうやなと(笑)。そろそろやらなあかんかと思って。

──デモでリズムやコードの感じ、使う楽器のイメージなどを全部百花さんが作って、細かいところはバンドメンバーと一緒に詰めていくんですね。

そうです。弾けないなりにリードギターとかも「こういうイメージ」みたいな感じで乗っけるんですけど、ギターの伊東さんが毎回フル無視して返してくるんですよ。デモに全然なかったヤバいギターを入れてきて、「どういうつもりなんですか?」って聞いても「いや、普通に入れてるだけだよ?」しか言わない(笑)。けっこう自由にお互いでアレンジしてる感じですね。

──伊東さんのぶっ飛んだアイデアに対して、「さすがにこれはダメ」って言うこともある?

ほぼないです。好みが合ってるのかもしれないし、自分の中にないものを知るのもすごく好きなので。

──それこそ先ほどのお話と重なりますけど、まさに“家出”的なものとして機能していますよね。デモで指示した通りのものしか上がってこないのでは、それはそれでつまらないという。

本当にそうです。おかげでワクワクしながら作れるし、勉強にもなるし。ただ、リズム隊に関しては私の中にあるイメージを大きく外さずにアレンジを加えてやってくれる人たちで、バランスがすごくちょうどいいですね。

──まあ、リズム隊までそれをやり出したらポップミュージックとしては成立しないでしょうし。

前衛的になりそう(笑)。

──そういうやり方だからだと思うんですけど、ソロシンガーの作品というよりはバンドの作品に近い味わいだなと感じました。

ああ、そうですね。やっぱバンドサウンドが好きっていうのもあるんですけど、やたらボーカルがでかい音源とかが嫌いで(笑)。ソロシンガーの人たち自体はすごく好きなんですけど、歌の存在感だけが際立ってるような録音がめっちゃ嫌いなんですよ。だから自分がそういうふうにならないようには意識してますね。

──それと、歌や楽器の録り方自体に生々しさを重視している印象があります。

名義が違った時代とかはけっこうプラスチックな感じがしてて、それもそれでカッコよさはあるんですけど、自分が出したい音はもっと“生きてる”感じというか。ライブでもそれは同じで、純粋に音を生の感じで聴いてもらえる、あったかいライブにしたい。そのために今までは見せてこなかった部分も見せるようにしているので、みんなから見える印象はかなり変わってきたんじゃないかなとは思います。

──変な言い方ですけど、とても“元アイドル”の音には聴こえないです。

あははは(笑)。