当時の僕らは反骨心をむき出しにした戦い方しかできなかった
──ここからはベスト盤の収録曲を軸にしながら、バンドの6年間を振り返ればと思います。まず初期曲で言うと、代表曲「O・P・P・A・I」をはじめ「Japanese-Pop-Music」「A-Han!!」あたりは、BPMの速い四つ打ちで、歌詞もとがってましたね。
横山 当時、結成したばかりの僕たちがライブハウスにポーンと入ると、「はじめまして」のバンドが3、4組いる状況で対バンすることが多かったんですよ。その中で、どのバンドにも負けないための曲を用意して、ぶつけてたんじゃないかなと思いますね。ちょうど“四つ打ち”が当時流行っていたバンドのキーワードでもあったけど、それを武器に周りのバンドを蹴散らしていくっていう時期でした。
──「O・P・P・A・I」みたいなパンチのある曲も結成当時の勢いでできた?
横山 そうですね。「O・P・P・A・I」は悪ふざけで仮歌から始まったけど、それで突っ走ろうぜっていうのも、そうすることで周りのバンドと差別化したかったんですよね。
──2010年代前半のシーンの流れとしては、もう四つ打ちは飽和状態みたいなムードもありましたけど、そこに真正面から突っ込むような曲ですよね。
横山 「四つ打ちばかりで なんだかうんざりだ」(「A-Han!!」)と歌いながら、四つ打ちをやるっていう、トゲのある歌詞ですよね。当時、俺らが一番カッコいいと思ってたし、「何クソ」っていう気持ちも強かったから、それが自然と表れてたんです。
健太 売れてるバンドに対して嫉妬してたよな。口には出してなかったけど。
秋月 悶々としてた。やし、僕は普通に四つ打ちがカッコいいとも思ってましたね。ライブハウスにも「四つ打ち、もういいよな?」という空気があったけど、純粋に「カッコいいやん?」っていうのを言いたかった。それが「Japanese-Pop-Music」だったんです。
──感覚ピエロは大阪が拠点のバンドですけど、当時の関西のシーンの盛り上がりはどう感じてたんですか? KANA-BOONを始め、キュウソネコカミ、THE ORAL CIGARETTESあたりが一気に全国区になった時期でしたよね。
秋月 関西バンドは強いなというのは感じてました。そのスピード感がスゴかったんですよ。だから、当時の僕らは反骨心をむき出しにした戦い方しかできなかったんですよね。一歩前にはそういう先輩バンドがいたし、やっと僕らがフェスに出られるようになったら、その人たちはもう次の大きなステージに立ってる。そういう状態でした。
「人に肯定されるのが、こんなにうれしいことなんや」って強烈に思った
──「拝啓、いつかの君へ」が宮藤官九郎脚本のドラマ「ゆとりですがなにか」の主題歌になったのは大きな事件でしたね。ほぼ無名のインディーズバンドが大抜擢されて。当時はどんな心境だったんですか?
横山 最初に連絡がきたタクティーさん(秋月)が答えたほうがリアルなんじゃない?
秋月 最初「ドッキリのカメラが入ってるのかな?」と思いましたもん(笑)。
滝口 俺もその話を聞いたとき、健ちゃんと「冗談でしょ?」って話したのを覚えてます。しかも、深夜じゃなくて日曜の22時台で、言うても「どうせ音ちっちゃくてベースとか聴こえへんやろ」と思ってたのに、オンエアされたのを観たらしっかり曲を流してくれてて。「マジか」と思いましたね。
秋月 作り手に愛情があったよな。僕らの存在をちゃんと面白がってくれてたんですよ。
横山 正直、タイアップが決まったって、何かが大きく変わるとは思ってなかったんですよ。でも終わってみたら、あのドラマ自体がすごくいい作品だったし、曲の使われ方もスペシャルだったということが、僕らにとっては大きな出来事でしたね。
──ようやくバンドとして周りに認められた手応えもあった?
秋月 うん。起爆剤ってこういうことだなと思いましたね。実は、当時周りの業界関係者から「一緒にやろう」っていう誘いが来てたんですけど、ずっと断ってたんですよ。だからタイアップが決まったとき、「ついに決めたん?」って言われたりもして。そういう意味では、このバンドで何か今までのやり方を覆せたかなというのはありましたね。
──「拝啓、いつかの君へ」以降は、歌詞が前向きでストレートな曲も増えますけど、このあたりからバンドとして、次のステージに進もうという意識があったんですか?
横山 いや、確かに当時出してたほかの曲に比べたら、「拝啓~」は歌モノに聴こえるかもしれないけど、込めていたメッセージはほかとは違わずとがってたんですよ。
秋月 「拝啓~」できれいな曲を書こうとは一切思ってなくて、本当に思ってたことしか書いてないですね。自分自身の奮い立たせないとダメなところとか、今の現状に納得していない気持ちをつづったから、自分に対して書いてる曲なんです。
──感覚ピエロとしては、初めて秋月くんが作詞作曲した曲でもあるけど、決して何かを狙って書いたわけではなかった?
秋月 たまたまドラマのタイアップがあって、メッセージソングっぽく受け止められたけど、正直、そこまで考えてない。どうやったら感覚ピエロとして成功できるかしか考えてなかったから、それに対する自分の思いをぶっちゃけたんです。僕は前のバンドから、「なんで売れへんかったんやろ?」と思ってたし、バンド人生で溜まってたものを全部吐き出したんですよね。
横山 「拝啓~」は、当時タクティーさんが抱えていたものが100%詰まってたんですよ。それを世に出したときに、ほぼ無名のバンドにも関わらず、使ってくれる人がいたっていうのは、シンプルに感覚ピエロが持つ音楽のパワーが認められたんですよね。
秋月 今でこそ、僕らは「みんなのことを肯定したい」とか言ってるけど、「人に肯定されるのが、こんなにうれしいことなんや」と強烈に思ったのを覚えてますね。
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“エロ”と“エモ”に自然と結びつくようになった