インナージャーニー インタビュー|自分たちの外側へ思いを向けた、名刺代わりの1stアルバム (2/3)

自分のためだけに曲を作るのはもういいのかな

──いただいた資料に、各楽曲についてのカモシタさんのセルフライナーノーツが掲載されているのですが、これを読むと「夕暮れのシンガー」「エンドロール」「グッバイ来世でまた会おう」あたりの楽曲は自分自身に対しての思いが多分に含まれていますよね。ただ、歌詞の中ではあくまで「君」に向けて語りかけているというのが特徴的だなと思いました。そういう、他者に語りかけるような形を取りながら自分自身へ向けた言葉をつづるという作詞の手法は、意図的にやっているんですか?

カモシタ その3曲は3年ぐらい前に作ったんですけど、当時は“曲を作る”という行為が外側よりも自分自身に向けたものだったんです。自分が聴いて安心できるものや「この曲を作ってよかったな」と思えるような曲を作りたかったというか。とにかく自分が聴きたい曲を作っていたので、それが歌詞にも表れているんだと思います。でも例えばアルバムの収録曲で言うと「わかりあえたなら」は意識を外側に向けて作った曲だし、曲作りへのモチベーションみたいなものも徐々に変わってきているのかもしれない。

──それは変化するきっかけがあったのでしょうか。

カモシタ バンド活動を通して、「自分だけじゃ生きていくことはできない」というのを改めて実感したんですよね。そこにコロナ禍も重なって、人と人とのつながりの大切さについて考えるようになった。私は「自分の書いた曲で人を変えたい」とはさらさら思っていないんですけど、もっと自分以外の誰かに曲を届けようとしたほうがいいんじゃないかとは思っていて。自分のためだけに作るのはもういいのかなって。そういう変化が曲調や歌詞にも表れているのかもしれないです。

Kaito 僕は「わかりあえたなら」がインナージャーニーの曲で一番好きで。この曲を初めて聴かせてもらったときに「コンポーザーとしてひと皮剥けたな」と思ったんですよ。今本人が言ったように「この曲を誰かに届けたい」という意識がすごく強くなったと思います。

とものしん この曲はちょっとしたこぼれ話があって。僕は初めて「わかりあえたなら」を聴いたときに「俺らに向けて歌ってるのかな」と思ったんですよ。というのも、この曲を送ってもらった次のスタジオ練習にカモシタが3時間ぐらい来なかったんです。そんな状態で「わかりあえたなら」を聴いたもんだから、「あ、俺たち終わったわ」と思って。

インナージャーニー

インナージャーニー

──「わかりあえないね僕たちは」って言っちゃってますもんね(笑)。

とものしん そうなんですよ! アルバム制作でスケジュールも詰まっていたし、思い詰めていたのかなと思って。まあ結果的には遠出している最中にスマホをなくして連絡が取れなくなっただけだったんですけど。このエピソードも含めて思い入れの深い曲です(笑)。

──「わかりあえたなら」のような、自分の思いを外側に向けて発信した曲がある一方で、「深海列車」や「少女」の歌詞は完全に第三者の視点、言わばストーリーテラーのような立場からつづられていますね。

カモシタ 「深海列車」は東日本大震災が起きたときのことを思い出しながら作った曲で、「少女」は移民や難民の子供たちのことを思って作った曲なんです。そういうふうに、世の中で起きたことをベースにして曲を作ることはけっこうあって。社会的な出来事に自分の視点も交えつつ、歌詞にしていくというか。そういう意味では、自分に向けて曲を作っていた頃とも作り方は違うし、「わかりあえたなら」みたいに自分の思いをストレートに発信した曲とも違う。自分がどこに向けてどういう表現の仕方をしているのかはこの3年間でも揺らぎ続けていると思います。

新たなミックスで出てくる別のよさ

──「エンドロール」は既発曲ですが、アルバム収録にあたって新たにミックスが施されています。この曲はサウンドやボーカリゼーションなど全体的にシューゲイザーっぽさがありますね。

とものしん もともとシューゲやオルタナ、バンドで言うとスマパン(The Smashing Pumpkins)とかブッチャーズ(bloodthirsty butchers)を意識していたんですけど、今回のミックスでシューゲっぽさがさらに増したと思います。個人的には、なんとなく“初期衝動感をなくしたバージョン”というイメージ(笑)。

本多 こんなに音を厚くしちゃうんだって思ったよね。

カモシタ それぞれのよさがあるから、聴き比べてもらうと面白いかもしれないです。

とものしん 「エンドロール」は好きな曲ではあったんですけど、今だったらこういうミックスにはしないかなと思っていたんですよ。それを新たにミックスし直してもらったことで、また別のよさが出てきたのは面白かったですね。聞こえなかったギターの音が目立つようになったりしていて。ただこの曲を入れたのは「映写幕の向こうへ」があるからというのも大きいかな。

──どちらも映画をモチーフにした楽曲ですね。「映写幕の向こうへ」は8分の6拍子の穏やかなテンポの楽曲です。過去の楽曲では「平行線」も8分の6拍子ですかね?

Kaito そうですね。「ペトリコール」もそうだし、アルバムで言うと「わかりあえたなら」もハチロクですね。「すぐに」もサビの最後とかはハチロクかな。

とものしん そうか、そんなにたくさんあるのか(笑)。「平行線」を最初の頃に作ったときからハチロクのビートがバンドに染み付いていて、作り慣れているというのはあるかもしれないですね。

とものしん(B)

とものしん(B)

曲に表れるカモシタサラの性格

──「すぐに」はシャッフルビート風の軽快なリズムと裏腹に「どうにもからだが言うこと聞かない 聞く気がないから仕方ない」という歌詞から始まったり、ところどころネガティブな思考が覗いて見えるのが面白いなと。

カモシタ そうですね(笑)。自分はネガディブな性格なので、それが出てしまっているんだと思います。

──皆さんは、カモシタさんの性格やパーソナルな面が曲に表れていると感じることはありますか?

とものしん カモシタはわりと自己完結する人間なんですよ。バンドで決めないといけないことも「なんでもいいよ」と言っておきながら、自分の中では確実に決めているものがある。そういう頑なな部分は歌詞にも表れているんじゃないかな。実は人に寄り添うような歌ではないというか。

カモシタ 確かに自分の中で決めていることもあるけど、いろんな意見が出ると「それもいいな」と思っちゃうんだよね(笑)。

とものしん まあだからこそ、弾き語りとコードだけを送ってもらって、みんなでアレンジしていくという作り方ができるんだとは思うけどね。

Kaito 僕らは、弾き語りで送られてくる曲を各々が勝手に解釈して形にしていくんですけど、サラちゃんがどんなサウンドをイメージして作ったのかあまりわからないときがあって。それでもみんなで好き勝手に音を足していくというやり方が成立しているのは、サラちゃんの性格によるところも大きいと思うんですよね。自分の中で考えていることはもちろんあると思うけど、ある程度こちらに委ねてくれるというか。

とものしん ただ最近、本多がプリプロのときにギターを弾いてくれないことが多くて。後日ギターを入れた音源を送ってくるんですよ。それはやりづらいなと思ってます(笑)。

──本多さんはなぜその場で弾かないんですか?

本多 その場で考えるのがあまり得意じゃないので、であれば家でじっくり考えたほうがいいかなと……。

とものしん 楽曲の色を決めるのはリードギターだと思うので、インスピレーションだけで演奏するんじゃなくて、じっくり考えてくれるほうが曲の幅が広がるだろうし、結果的にはいいのかもしれないけど。“結果的には”ね!(笑)

カモシタ 練ってきたものがあとから送られてきて「そうきたか!」と思うこともあるので、それはすごく面白いですね。

──アルバムの中にもそういう楽曲はありましたか?

カモシタ 「とがるぺん」はソロの入り方を聴いて「おお!」と思いました。

本多 「とがるぺん」はリードギターを3本重ねているんですけど、スタジオだとそういうことができないじゃないですか。この曲は音をダビングするという方法を試したいなと思って、持ち帰りましたね。

インナージャーニー

インナージャーニー

──この曲はmyeahnsの逸見亮太さんによる楽曲ですが、どういう経緯で楽曲提供を受けることになったのでしょうか。

カモシタ 私がもともとmyeahnsを好きだったということもあって、ソロで共演したときから仲よくさせてもらっているんです。去年の11月に初めて対バンをしたときに「インナージャーニーにやってほしい曲を書いたんだよね」と言ってくださって、めちゃくちゃいい曲だったのでアルバムに入れることにしました。

とものしん 人に提供してもらった曲だからこそいろいろ挑戦できて楽しかったね。アウトロの最後で急に激しくしたり、普段だったらやらないであろうことを意図的に取り入れることができた。その一方で、「カモシタ以外の人が作った曲でもインナージャーニーっぽくなるんだ」というのも客観的に感じていて。それも面白かったです。