「頭の中のアイデアを100%具現化させたい」“超ギーク”なマルチクリエイター・iamSHUMの正体に迫る

マルチクリエイターiamSHUMのニューアルバム「H.Y.P.E」が配信リリースされた。

ボーカリスト、作詞家、作曲家、サウンドプロデューサー、アニメーターなどさまざまな肩書を持つiamSHUM。「H.Y.P.E」は彼がワーナーミュージック・ジャパン内に設立した新レーベル・WARNER HYPE MUSICからの第1弾アルバムで、iamSHUMが得意とするダンスミュージックをベースに、ロック、J-POPカバー、ヒップホップなどさまざまなジャンルを詰め込んだバラエティ豊かな作品だ。

「1日が36時間あったらいいのにって本気で思ってました」。こう語るほどものづくりに魂を燃やすiamSHUMとは何者なのか? 音楽ナタリーでは彼に「H.Y.P.E」はもちろんのこと、ルーツとなった音楽や、手広く活動する理由、クリエイティブに張り巡らせた仕掛けについて語ってもらった。

取材・文 / 宮崎敬太撮影 / YOSHIHITO KOBA

軸はダンスミュージック

──iamSHUMさんは音楽制作のみならず、映像制作もされていますね。

クリエイティブ全般に興味あるんです。作ることが好き。超ギークです。

──過去作は完全なクラブミュージックでしたが、ニューアルバム「H.Y.P.E」はそれだけでなくロックやJ-POPカバーなども収録されたバラエティに富んだ作品になりました。

そうですね。今作はやりたいことを全部やった、原点回帰みたいなアルバムです。

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──過去作のiamSHUMさんのイメージからすると、My Little Lover「Hello, Again ~昔からある場所~」のカバーには驚きました。

この曲がJ-POPで一番好きなんです。あとYouTubeに投稿したこの曲のカバー動画がちょっとバズったので、今回アルバムにも収録しました。

──19「あの紙ヒコーキ くもり空わって」やthe brilliant green「There will be love there -愛のある場所-」も同じような理由で選曲を?

そうですね。今回カバーした3曲はどれも1990年代後半にリリースされています。当時僕は小学生で、父が音楽関係の仕事をしていたので、音楽番組の収録とかライブとかいろんな現場に連れて行ってもらってたんです。そういう中で特に記憶に残っているのがこの3曲。中高生の頃は洋楽に傾倒していましたが、大人になってふと聴き返してみたら「すごいカッコいい」と思ったのでカバーしました。

──「H.Y.P.E」を聴いて最初に思ったのは、いろんなジャンルの音楽をやっているのに、アルバムとして非常にまとまっているということです。統一感のポイントはどこにあるのでしょうか?

どの曲にもダンスミュージックの色が入ってることだと思います。そこが自分の軸です。ロックでも、J-POPでも、そのジャンルに染まりすぎないことを意識しています。

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iamSHUMのトラックメイキング四天王

──「HYPE」「三次元」は90年代後半のミクスチャーロックを、現代のサウンド感覚でリバイバルさせたサウンドだと感じました。

中学2年のときに友達とバンドを組んで、Linkin ParkやGreen Day、Sum 41とかをカバーしてたんです。そのあたりのバンドの影響が出ていますね。中学の頃はだんだんいろんな音楽に興味が出てきたタイミングだったので、気になるものは全部聴いてました。ヒップホップも好きで、特にハマったのはエミネムやネリー。トラックメイキングでいうと、自分の中に四天王がいて。

──興味あります。

ドクター・ドレー、ティンバランド、ウィル・アイ・アム(The Black Eyed Peas)、Daft Punkです。ドクター・ドレーは生楽器の使い方がすごいなと。ギャングスタラップが流行っていたので格好だけマネしてました(笑)。ティンバランドは斬新な音を取り入れる姿勢に影響を受けています。Daft Punkは僕の中でヒップホップからエレクトロへの道をつなげてくれました。この中でも特に好きなのがウィル・アイ・アムです。

──ウィル・アイ・アムのどんなところに影響を受けましたか?

すごくポップであるということ。僕はファーギーがいた頃のThe Black Eyed Peasが大好きなんです。ファッションでもアイコニックな存在でしたよね。DJもしてるし、彼のようになりたくて音楽を始めたと言っても過言ではないです。iamSHUMという名前にもウィル・アイ・アムへのリスペクトが込められています。

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──いつからトラックメイキングを始めたんですか?

2005年です。当時のバンドメンバーに打ち込みをしてる人がいたんですが、自分の意見やニュアンスを全然うまく伝えらなくて。「じゃあ自分でやろう」と思ってDTMをイチから勉強し始めました。全部において、そういう考え方なんです。僕はいつも頭の中にあることを100パーで具現化させたくて。そうなると全部自分でやったほうが早い。

──iamSHUMさんがボーカリスト、作詞家、作曲家、プロデューサー、アニメーターとさまざまな肩書きを持っている理由がわかった気がします。

さきほど挙げた四天王からの影響で、サンプリングや打ち込みにものすごくハマりました。何十時間もスタジオにこもってることなんてザラですし。集中すると電話すら気付かない。かなり没頭するタイプですね。

興味が沸いたらとことん研究

──ダンスミュージックメインのiamSHUMさんとJ-POPの接点はどこで生まれたのでしょうか?

中学以降はJ-POPを全然聴いてませんでした。再び聴くようになったきっかけは「THE GRIMM」という楽曲を一緒に作ったギタリストのAssHです。彼は僕の一番近しい友人で、YOASOBIをはじめいろんなアーティストのライブでギターを弾いています。そんな彼の影響でひさびさにJ-POPを聴いたら、もうすごいことになってて驚きました(笑)。あと僕、アニメがめっちゃ好きなんです。毎週DJをやってるのでダンスミュージックもたくさん聴きますが、プライベートではJ-POPとアニソンしか聴いてないです。

──どんなアニメがお好きなんですか?

今特に好きなのは「転生したらスライムだった件」です。でも基本的に放送されてるアニメはほぼ全部観てると思います。最近は地方局のアニメもチェックしてますし。で、アニメを観てると自分でもアニソンを作りたくなるんですよ(笑)。それで「ありそうでないアニソンを作ってみたい」とAssHに話して「THE GRIMM」を一緒に作りました。あと僕がアニソンの沼にハマったのは、西武園ゆうえんちで開催された「【推しの子】」のイベントの音楽制作をやらせていただいたことも大きかった。そのときに「【推しの子】」関連の楽曲のステムデータをもらって見てみたらそれがもう、すごいことになってたんです。ボーカルとか、音の使い方とか、自分がこれまで作ってきたものとまったく違っていて。

──具体的にどう違っていたんでしょうか?

わかりやすいところだとコード進行ですね。日本の楽曲はとにかく細かい。これはたぶん国民性なんだと思います。

──海外の楽曲はシンプルなコードで、ボーカルが躍動するような作りが多いですもんね。

ですです。洋楽はいい意味でシンプルなんです。だからこそJ-POPやアニソンの細かさが面白いなと。あと、こういう細かさはダンスミュージックにもめちゃくちゃハマると思った。すべての音をこんなに細かく刻むのかっていう。そこからボカロも聴くようになって、今も研究の日々が続いてます。

──最初におっしゃっていた“超ギーク”な面が発動してしまったんですね。

そうっすね。一旦興味が沸くと、とことんいきます。逆に興味ないことは一切興味ない。

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──iamSHUMさんは、ラップもされますよね。

実はもともとラッパー志望だったんです(笑)。

──そうなんですか?

15歳のときはバンドをやりながらストリートでラップをしてました。あの頃、ラップとメロディをミックスさせたユニットみたいのが流行ってて、そういうユニットを組んでました。当時、地元・沖縄の新聞に取材してもらったこともあるんですよ。

音楽を通して昔の夢を全部形に

──「H.Y.P.E」の8曲目、ダンサーチーム・O-MENZとのコラボ曲「FAKE TOKYO」はどんな経緯で制作されたんですか?

もともとはミュージックビデオに出てもらうダンサーさんを探してて。そしたら元ダンサーの知人がO-MENZを紹介してくれました。いわゆるバックダンサーみたいな感じで名前が出ないのは自分的に嫌だったので、一緒に曲を作ろうと提案したら快諾してくれて。iamSHUM名義で「FAKE TOKYO」をリリースしてから、僕がO-MENZの楽曲「O-MEN」をプロデュースしたという経緯です。どちらもMVではO-MENZが振付を担当しています。

──なるほど。「H.Y.P.E」には日本のさまざまなカルチャーが詰まっているように感じます。

日本に面白いやつがいるって思われたいんですよ。昔は僕が海外に行こうってスタンスで活動してたから歌詞も全部英語だったけど、今は日本にいながら世界に注目されるアーティストになりたいと考えるようになった。これもアニソンの影響です。だってUKでもUSでもアニメフェスに行くと「ドラゴンボール」の主題歌を現地ファンが日本語で歌ってるんですよ。それを見たとき、「あ、日本語のままでいいんだ」と気付いて。

──日本のコンテンツをレペゼンしていこうと。

はい。そのモードになったのが2016、7年頃。当時はまだスタイリッシュなカッコよさだけを追求していたんですが、もっと自分の根本的なスタイルを作っていかなきゃいけないと気付かされたんです。

──そこでクリエティブの原点に立ち返る瞬間があった?

はい。実は小学生の頃はマンガ家になりたくて(笑)。

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──次々と新事実が明らかになりますね。

手塚治虫さんと藤子・F・不二雄さんに憧れて、お母さんにベレー帽を買ってもらって被ってました(笑)。SFが大好きで、バンドにハマる前は映画監督もやってみたかったんです。「マトリックス」(1999年公開)に衝撃を受けて。

──「マトリックス」のエピソードは別のインタビューでもお話しされてましたね。

はい。「マトリックス」を観て、「ネオになりたい」とかじゃなく、「こういう映画を作りたい」と思ったんです。だから当時DVDを買ってメイキングばっかり観て、友達と映画を撮ったりもしてました。思春期に音楽にハマり出したけど、マンガも映画も好きなままで。結果的に音楽の道に進んだけれど、アートワークやMVでマンガや映画への愛を表現することにしたんです。今は音楽を通して、昔やりたかったことを全部形にすることができていると思います。

──柔軟ですね。

最初に言ったけど、僕は作ることそのものが大好きなんです。MVでも新しい映像手法が出てくると撮影の仕方とか技術について調べたりします。裏側が好き。職人気質なんだと思います。あと小さい頃から父のスタジオにあったドラムを叩いて遊んでたし、中学になってギターを弾き始めてもプロに気軽に教えてもらえたんですよ。自分にとってはそれが当たり前だったから気付かなかったけど、今思うと興味があることにとことん打ち込めた環境に心から感謝してるし、そういう経験を無駄にしないようにしたいです。