1990年に作曲家として音楽制作のキャリアを開始し、作詞家としてもテレビアニメ「涼宮ハルヒの憂鬱」「らき☆すた」「ラブライブ!」といった人気作に携わってきた畑亜貴。これまで畑が作詞または作曲で携わってきた曲数は、JASRAC登録曲で1870曲(2021年3月時点)を超え、平成のアニメソングを語るうえでもっとも欠かせない存在の1人だと言えるだろう。そんな畑は、作詞家として脚光を浴びる前から、これまでシンガーソングライターとしても独特の感性が光る数々の楽曲を世に放ってきた。それらの楽曲には畑の音楽的嗜好や考え方がより濃厚に反映されている。
そしてこのたび8月13日に畑の最新シングル「蜿蜒 on and on and」が配信リリースされた。同時に畑が過去にランティスから発表した楽曲もサブスクリプションサービスで配信開始。このタイミングで音楽ナタリーでは、シンガーソングライターとしての彼女の思考や音楽性を探るべくインタビューを行い、新曲の制作過程やその背景にある思いをじっくりと聞いた。
取材・文 / 須藤輝
作詞家としての自分と、アーティストとしての自分
──畑さんの音楽からはニューエイジやワールドミュージック、プログレッシブロックなどさまざまな要素を感じるのですが、その音楽的なバックグラウンドについてお聞きしてもよいですか?
私は、やっぱりヴァンゲリスとかが好きで。ああいう、彼方に連れていってくれるサウンドが自分でもやりたいと思う一方で、私は日本の童謡や歌謡曲も好きだったりするんですよね。そういう童謡や歌謡曲の持つ歌詞の力と、ヴァンゲリス的な宇宙へ螺旋を描いていくような力を自分の中で合体させたいというか。どこか遠くへ手を伸ばすような音楽が作りたいという欲求があります。たぶん、私が音楽を作っていることをご存知ない方が大多数だと思うんですけど。
──事実として、作詞家としての知名度が高すぎるというのはあるかもしれません。
作詞家として仕事をしているよりも、アーティストとして活動している期間のほうが長いことは長いんですけど、今、それが自分の中でうまく両立できているというか、棲み分けができているんですよ。作詞を求められる場合は求められたものに対して全力で応えて、アニメーションやゲームの世界観を素晴らしいものに広げることに徹するという快感がすごくあるし、生き甲斐も感じてもいるんです。それとは別に、誰からも求められなくても自分からあふれ出してしまうものがあって。それも生きている限り作り続けなきゃいけない、あるいは、それを作り続けなきゃ自分が生きている気がしないなって。今回の新曲は後者なんですね。
──そうでしょうね。
誰もこれを求めていないですよね。
──いや、そこに同意したんじゃないですよ!(笑)
「まず『蜿蜒』って読めないんですけど?」っていう(笑)。ただ、「自分が今、魂を震わせられるようなことってなんだろう?」と考えて、それが生まれてきてしまったからには出さずにはいられないし、これを表現しない限り私は生きていることにはならない。そのくらい強い衝動と情熱で作っているつもりなんですけど、そこに需要があるかどうかはまた別の話じゃないですか。
──こういう言い方が正しいのかわかりませんが、アーティストとしての畑さんは商業主義的ではないというか。
そこのお役目は作家として果たせていると思うんですよ。なので、そうじゃない部分に関してはとにかく自分が思う方向に解放したいなと。そこでもっと売れそうな方向に舵を切ろうとするような考えは、自分の中で邪念になってしまうというか、もっと煮詰めた、純粋な結晶みたいなものを表現したいという欲望が勝りますね。
──需要のあるなしは置いておいて、畑さんの音楽はハマる人はずぶずぶにハマるんじゃないですかね。
世界各国に「なんかこれ、私が聴きたかったやつ!」と思ってくださる方が10人ずつぐらいいてくれたら、私は超ハッピーですね。
──もっといますって(笑)。個人的には、僕は畑さんの2枚目のオリジナルアルバム「世界なんて終わりなさい」(1999年1月発売)のポストパンクっぽい雰囲気が好みです。ここ数年、The CureやDepeche Mode、Cocteau Twinsなどの影響を感じるバンドが国内外問わず出てきていて、そういうバンドが好きなこともあり。
ありがとうございます。私もまさにCocteau Twinsとかは好きでしたし、おっしゃる通り今そういう音楽をやっている方たちもいて、リアルタイムで通ってきた身としては懐かしいというか面白いというか。音楽が螺旋を描いているように感じられて、歳を取るのも悪くないなと(笑)。
──あるいは畑さんがやっていらしたプログレッシブロックバンドの月比古も、好きな人にはたまらないのでは?
プログレッシブロックは、自分の中でしっくりくるなという感覚があって。それを演奏するミュージシャンの方々とも話しやすいというか、何か共通言語があるのかなと思いますし、月比古を始めたときはとにかくバンドをやりたかったんですよね。私自身、ずっとバンドをやっていたので。でもアルバム(2005年9月発売の1stアルバム「弦は呪縛の指で鳴る」)を1枚作ったときに、このバンドとしてはもうやり切ったというか、もっと違う場所に行きたいなと思って。私は様式美が好きなんですけど、自分が様式美の中で生きるのは好きじゃないんですよ(笑)。
──それにしても、月比古を含む畑さんの初期作品が、当時diskunionからリリースされていたというのも、今考えると不思議ですよね。
確かに。diskunionの方も「なんか変な音楽だな」と思っていたような気がしますね(笑)。
手を伸ばしても届かないものに手を伸ばすのが好き
──歌詞に関しても、ご自身のオリジナル曲は毒や闇があるものが多いですよね。
そうですね。「本質ってなんだろう?」という問いと、今、自分が考えていることや感じていることを純度が高いままで出したいというのがあって。それこそ「世界なんて終わりなさい」のタイトルトラックとかは、当時抱いていた苛立ちや絶望感が色濃く出ていますね。
──曲名からして「世界なんて終わりなさい」ですからね。
自分が死ねばいいのに、世界を道連れにするつもりでいたなって(笑)。以来、この“世界の終わり”というのと、もう1つ“死と永遠”というのが私の中で2大テーマとしてあったんですけど、前者に関しては「毀レ世カイ終ワレ」(2016年5月発売の6thシングル表題曲)というアニメ「ビッグオーダー」のエンディングテーマを書いたときに「あ、この曲で表現し切ったかもしれない」と感じて。なんか、無になっちゃったんですよ。
──燃え尽き症候群みたいなものですか?
近いかもしれないですね。それ以降も音楽は作っていたんですけど、どこかふわっとしたものしか浮かんでこなくて「これは魂の叫びじゃないな」という思いが拭えなくて。もっとこう、自分の奥深いところにある何かに迫れないかと考え続けていたときに、ふと今回の「蜿蜒」というテーマが出てきたんです。結局、私は手を伸ばしても届かないものに手を伸ばすのが好きなんじゃないか。とにかく何かを追い続けて、そして死ぬんだなって。
──死ぬんですね……。
そして、死んだら何も残らない。もう、生き物はみんなそうなんですよね。それが寂しいことなのか怖いことなのかは、まだ死んでいないからわからないじゃないですか。それでも手を伸ばし続ける、前に進もうとする勇気って、やっぱり人間だけが持つものなのかなって。そう考えるとちょっとカッコいいし、「カッコいいまま死にたい」と思ったときに、私にはこのテーマをもっと深く掘り下げる情熱があると感じたんです。「よかった、まだ私は生きてる!」みたいな(笑)。
──“死”というモチーフも一貫していますよね。1stアルバムのタイトルが「棺桶島」(1996年12月発売)ですから。
まあ、生き物のゴールは死なので(笑)。でも、それってあんまりテーマにならないというか、少なくとも作家仕事ではそういう発注は来ないので。「死を見つめてください」とか「棺桶、いいですね」とか言われたことないですし、そこは自分で、1人のアーティストとして追求していこうと思っているんですね。
地球から飛び出したかった
──恥ずかしながら僕は「蜿蜒」という言葉をこの曲で初めて知ったのですが、辞書を引くと「うねうねと長いさま。うねって続いているさま」であると。つまり、そんな道を畑さんは歩んできたし……。
これからも歩み続ける。もはや整理された道などないというのは、みんな気が付いていると思うんですね。例えば雇用制度だってそうじゃないですか。一所懸命働いたから退職金がたくさんもらえて安心なんてことは、たぶんないなって。だから、みんなこの荒れ果てた道をそれぞれのゴールに向かって歩くしかないんだということを歌いたかったんです。それには七難八苦は当たり前なんですけど、そこでめげる自分はカッコ悪いし、とにかく乗り越えてやりたい。
──楽曲としてはスケール感のあるミディアムテンポのロックナンバーで、編曲は畑さんとはかねてからお付き合いのある加藤達也さんですね。
カトタツ先生は、10年ほど前に「千本千女の刃毬唄」(2011年3月発売の「TVアニメ『刀語』歌曲集 其ノ壱」収録曲)という曲をアレンジしていただいたときから、私が表現したくても自分の力では難しくて、もどかしく思っていたところにスッと手を差し伸べて楽曲の世界を作ってくださる方だなと思っていまして。この「蜿蜒 on and on and」も、どこの砂漠かわからないけれど、広大な砂漠を表現してもらいたかったというか、カトタツ先生なら絶対に、私が思い描いているものを形にしてくださると信じていました。
──ジャケットのアートワークも砂漠ですね。
あれは、鳥取砂丘です(笑)。
──やっぱり(笑)。SF映画などに出てくる火星っぽくも見えますね。
地球から飛び出したかったんですよ。鳥取なんですけど。
──歌詞にも表れていますが、畑さんの考え方ってSF的ですよね。例えば僕は「去ったら去ったら星になるかい? 灰だよ 灰だよ 夢見ただけ」という一節が最高だと思っていて。要はどんなにがんばって生きても死んでしまえば灰になるだけだと。
そうなんです。それをわかっていてなお手を伸ばせるというのが、やっぱり人間の勇気かなって。逆に「どうせ灰になるなら、何もやらないでゴロゴロしてたほうが楽じゃない?」という人がいたら、「この刹那、輝くのが素晴らしいんだよ!」と、パンパンって張り倒したくなる(笑)。
──あるいは「去るまえに旅した大地は 去ったって 去ったって 変わらず綺麗だろうね」もそうなんですけど、宇宙的なスケールで見たら人間なんて塵みたいなものだし、その一生も一瞬ですよね。それでも人間は人間らしく生きなきゃいけない。なぜなら人間なのだから、みたいな発想はSF作家に通じるものがあると思います。
私の心は、常に宇宙に飛び出したいんです。もう、何かっていうと成層圏より上に行きたくて。そこに素晴らしい未来があるような気がしちゃっているんですけど、そうやって今いる場所ではない、どこかしら未知の場所へ飛び出そうとする力は、人間の持つ力の中で一番好きですね。あるいは、そういう衝動を持っているのが人間であり、そこが人間の人間らしいところだと私は思うんですよ。だから私も、どんなに無駄だとしても、たとえ誰も聴かなくても作りたいものを作りたい。
──いや聴きますよ(笑)。
よかった。とりあえずお二人(インタビュー担当のライターと音楽ナタリーの編集者)には聴くことを強制します。各国10人ずつのうちのお二人として(笑)。
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“自分にとっての気持ちよさ”に忠実でありたい