作詞から作曲、トラックメイキングまで自身で行い、マルチな才能を発揮する春野。2017年にボカロPとしてオリジナル楽曲を投稿し始め、2019年よりシンガーソングライターとして本格的に活動をスタートさせた。現在放送中のサントリー「ほろよい」テレビCMで、Charaのヒット曲「やさしい気持ち」をカバーしたことも大きな話題となっている。
そんな春野が満を持してリリースした1stフルアルバム「The Lover」には、ストリーミングを中心にロングヒットを記録している「D(evil) feat. yama」、佐藤千亜妃をフィーチャーした「Venus Flytrap feat. 佐藤千亜妃」、バカリズムが脚本および原案を手がけたHuluドラマ「住住」の主題歌「U.F.O」といった既発曲に、新曲4曲を加えた計12曲を収録。ローファイヒップホップ、オルタナR&B、ジャズなどの要素を取り入れたトラック、なめらかで抒情的なボーカル、生々しい感情に裏打ちされたリリックなど、独自のアーティスト性が存分に発揮されている。
音楽ナタリーでは春野の音楽ルーツや、アルバムに収録されている全12曲の制作経緯について話を聞いた。
取材・文 / 森朋之撮影 / 伊藤元気
包み隠さずに表現したい
──2019年にシンガーソングライターとして本格的に活動をスタートしてから3年半、ついに1stアルバム「The Lover」が完成しました。
アルバムの中で最初に作った曲は「Angels」(2021年6月発表)なんですが、そのときにはすでに「The Lover」というアルバムタイトルを決めていたんです。その後、通過点としてEP「25」(2022年2月発表)を出して。形にしようと思い立ってから2年くらい経っているので、ようやくアルバムができたなってホッとしてます。
──アルバムに向けて制作を続ける中で、どんなビジョンを描いていたんですか?
タイトルや歌詞もそうですけど、作り話ではなくて、これまで通ってきた道や自分の気持ち、考えていることなどを包み隠さずに表現したいと思っていました。以前、音楽に対する僕のモチベーションは、ずっとネガティブなことだったんです。「あのとき、あんなふうに言わなきゃよかった」「なんであんなことをしてしまったんだ」という経験だったり、大切な相手を傷付けてしまったり、取り返しがつかない失敗がたくさんあるんですけど、それをなかったことにしたくなくて。自分を選んでくれなかった人を後悔させてやりたい、もっとまぶしい存在になって見返してやりたい。そんな思いで音楽をやってきたんですよね。でも、そういうエネルギーってすごく強いけど、持続性がないんですよ。そのうちに鋭い感触がなくなってきて、セピア色みたいにぼやけてしまって、けっこう大きいスランプがあったんです。
──モチベーションを見失ってしまったと。
そうですね。「自分は世界で一番かわいそうな存在だ」と信じて疑わない中で音楽をやってきたんだけど、それ以上、続けることができなくなってしまって。というのも、僕は今、すごく幸せな人生を歩ませてもらってるんですよ。それなのに孤独を演出したり、不幸であろうとするのはちょっとサムいなと。つまり自分のあり方について考えなくちゃいけなくなったんですけど、徐々にポジティブな方向に向かい始めたんですよね。未来のことを考えたり、身辺を整理してみたりすることで少しずつ希望的なものを生活の中に見出して……春野というアーティストはずっとネガティブな側面が強かったんだけど、そこから転じて、こんなにポジティブな曲を書くようになった。そういう違いや変化を見せていければいいんじゃないかなと。それをきちんと表明したくなったんです。これまで顔出しをしていなかったんですけど、このタイミングで解禁したのもその一環。そういう変化の集大成が「The Lover」というアルバムですね。
──なるほど。EP「25」はアルバム「The Lover」の途中経過というか、過渡期の作品だった?
「25」は自分の年齢になぞらえて制作したんですが、過去のことを正直に吐露することで、淀みみたいなものをなくし、次に行きたいという気持ちもがありました。自叙伝というか、「僕はこういう人間だった」というのを作品として形にしておきたかった。そういう意味では、なくてはならないプロセスでした。
──自分自身を吐露することも、変化を受け入れて表明することも、勇気が必要ですよね。
僕はアメリカのラッパー、マック・ミラーをずっと支持しているんですが、彼はまさにそういうアーティストなんです。例えば政治やセクシャリティ的な観点もそうですけど、自分はこういう人間であり、こう考えていると表明しながら音楽をやっていた。それは自分がなりたいアーティスト像の1つなんですよね。
──日本のメジャーシーンにおいては、アーティスト自身が政治的メッセージを表明する壁のようなものがあると思います。そこはどう捉えていますか?
確かに「余計なことには触らないほうがいい」ということはあると思います。特にSNSではその傾向が強い。僕自身もそうだったんですが、立場を表明するのは怖いし、何も言わないほうがカッコいいと思っていたんですよ。でも、だんだんアーティストは海の灯台、標であるべきだと思うようになって。同じレーベルのSIRUPさんを見ていてもそう感じます。自分は歌詞の中では誰かを励ましたり、教唆したり、いろんな意図を持って発信できるのに、なぜ自身の立場は表明できないのか。先ほどお話したマック・ミラーもそうですが、僕が支持してきたアーティストに後押しされたところもあるし、責任を感じるようになったんです。売れれば多くの人の目に留まるし、自分の発言、思想、立場も伴ってくる。自分の意思を発信しない理由はないなと。僕は自分の音楽がいいと信じているし、スターに憧れているところもあって。身も心もそうなっていきたいというポジティブな心境になれたのも、このアルバムを作ってる最中ですね。
あくまでもポップスでありたい
──「The Lover」にはローファイ系のヒップホップ、オルタナR&B、チル、ジャズなどの要素が取り入れられていますが、春野さん自身のルーツは?
小学校、中学校の頃は両親の影響で邦楽ばっかり聴いていました。家の近くの中古CD屋さんに通って、よさそうなCDをジャケ買いして、ラジカセで聴いて。19歳のときに音楽を作りたくなってDAWを買ったんですけど、「どういう音を入れよう?」と思って、いろんな音楽を聴くようになったんです。アメリカのビルボードのトップ50から始まって、ベースミュージックにハマりました。「新しいサウンドデザインが好き」というマインドがあったのかな。さらにいろんなジャンルを聴くようになって、横に広がっていったんですけど、やっぱりポップスとしての側面が感じられる音楽が好きなんですよね。
──これまでの作品もそうですが、春野さんの楽曲は展開が少なくて、サウンドデザインや音色の変化で起伏を描いている印象があります。
そうかもしれないですね。僕は楽器の知識や造詣が深くなかったので、サンプラーやドラムマシンで曲を作り始めたんです。そこからループミュージックにたどり着いたので、自然と展開の少ない曲が増えたというか。その後、ヒップホップやR&Bを通って、2018年くらいからローファイヒップホップと呼ばれる曲を作るようになって。当初はそれしかできなかったというのが正直なところだったので、「これが自分の音楽なんだ」と納得できて、自信が持てるようになるまでにはしばらく時間がかかった気がします。今は制作において選択の幅が増えましたけど、あえて音を詰め込まないこともあるんです。展開を増やすとか、緻密でロジカルな曲も作れると思うんですけど、自分のムードには合わないんですよね。あくまでもポップスでありたい、というか。そうやって今のスタイルにたどり着いたんだと思います。
今までの自分を壊したい
──では、収録曲について聞かせてください。1曲目はインストの「Iron」です。
ストリーミングで音楽を聴くことがメインになった時代において、1曲目にインストを置くのが悪手だというのはわかっているんです。でも、アルバムのコンセプト的にどうしても入れたかったんですよね。これまでは歌詞の中でも感情が揺れ動いていて、迷い続けているような感じだったんですけど、ここから生きていくにあたって強さが欲しいと思って。なので「Iron」というタイトルにしたんです。ちょっと安直ですけど(笑)。
──「Iron」は強く生きていくという意思表示なんですね。続く「Like A Seraph」はグルーヴィかつメロウなミディアムチューンです。“Seraph”は熾天使のことですね。
はい。このアルバムでは一貫して、自分のそばからいなくなっていった人への思い、その人と一緒にいた時間を表現していて。「Like A Seraph」もまさにそうなんですよね。実は「Angels」で言及している人と同じ人だったりするんですけど、あの曲を書いた時期から2年経って、もう1回、同じような視点で作ってみようと思ったんです。「Angels」は相手への思いを真面目に伝えたくて、手紙をしたためるように書いていて。そのあとに作った「Venus Flytrap feat. 佐藤千亜妃」「I'm In Love」は相手というより自分のために書いているところがあったんですけど、それを踏まえて、もう一度その人に向き合ったというか。
──春野さん自身の変化によって、大切な人に対する思いも変わっていく。それはアルバム全体のテーマ性ともつながる話ですね。
歌詞の書き方も大きく変わったんですよ。以前は文章として読める歌詞が好きだったんですが、必ずしも共感してほしいわけではなくて。さらに自分の立場や心情などを表現することが大切になったことで、「文章として正しい必要があるのか?」と思い始めたんです。「Like A Seraph」の歌詞はよくわからないというか、雰囲気しか伝わらないかもしれないけど、聴いてくださった方が何かを感じてもらえたらいいのかなと。最近は受け取り手の解釈が広がることを期待して歌詞を書いているし、この曲はその典型的な例だと思います。「今の自分はこうです」というのがわかってもらえる曲じゃないかな。
──さらにディスコポップ調の「Venus Flytrap feat. 佐藤千亜妃」(2023年2月発表)、バウンシーなトラックの「I'm In Love」とポップチューンが続きます。
「Venus Flytrap」には佐藤千亜妃さんに参加していただきました。佐藤さんの声が以前から大好きだったんですよ。上京するときにも、きのこ帝国の「東京」を聴いていたり。まさか受けてもらえるとは思ってなかったんですけど、歌ってもらえることになってからは「どんな曲を歌わせよう?」とずっと考えてました。この曲の制作がアルバムの中で一番楽しかったですね(笑)。「I'm In Love」は昔の写真を見てるときに浮かんできたワードをたくさん入れてます。どうっていうことない写真でも、「このときはこう思っていたな」と思い出したりするので。現在進行中の恋愛ではなくて、“I'm In Love”だったかつての自分を俯瞰しているというか。恋愛って主観だから、視野もすごく狭くなるんですけど、少し引いて見た瞬間に「バカみたいで面白いな」と思ったり(笑)。自分を笑うような感覚もありますね。
──「I'm In Love」には「ツモ」や「九蓮宝燈」など麻雀の用語が出てきますね。
めっちゃやってるんですよ、麻雀(笑)。友達が雀卓を持ってて、ワイン飲みながらやってます。全体的に抽象的な歌詞が多いんですけど、今はそれが美しいと思っていて。これまでの歌詞とはかなり違うけど、あえて真逆のことをやりたいというか、今までの自分を壊すという破壊願望みたいなものもあるのかも。「前のほうがよかった」という人も絶対いると思うけど、それを恐れず、どんどん前に進んでいきたいんですよね。
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yamaさんにあえてきれいじゃない言葉を歌ってほしかった