AIのような美貌のアイドル藤咲凪、ジェットコースターみたいな人生と2ndシングルを語る

AIで作られたようなルックスを持つ“AIドル”を謳うアイドルグループ・最終未来少⼥のメンバー藤咲凪が、2ndソロシングル「幸あれいっ」を配信リリースした。

テレビで放送されたわずか5秒ほどの街頭インタビュー映像が「かわいすぎる」と話題になり、その美貌から「AIなのではないか」という疑惑まで浮上した藤咲。現役アイドルでありながら2児の母親でシングルマザーであることをTBS系「サンデー・ジャポン」で公表してからは、“リアル『推しの子』”としてさらに大きな話題となった。

音楽ナタリーのインタビューに初めて答える藤咲は、自ら「ジェットコースターみたい」だと言う波乱万丈な人生や、「誰かを救う曲が歌いたい」という思いから生まれたソロ曲「幸あれいっ」について赤裸々に語ってくれた。

取材・文 / 西廣智一

欲しいものを手に入れられなかったことがない

──藤咲さんはどういうきっかけで音楽や芸能の世界に興味を持つようになったんでしょう?

小学5年生のときに亡くした母親が、昔歌手を目指していたんです。オーディションに受かったタイミングで私を妊娠していることがわかって、私を産むか事務所に残るかで迷った結果、子供を選んだという話を小さい頃に聞かされていて。そのせいか、幼い頃から「私が母親の代わりに歌手になろう」みたいなことはずっと考えていました。

──でも、実際に目指すとなると“代わりに”とは容易にいかないですよね。藤咲さんは北海道出身ですし。

しかもかなり田舎のほうだったので、なかなか動きにくかったんですよ。あと、私は声のことでからかわれることも多くて、小学校の頃は声マネでバカにされるようなこともあったんです。でもちょうどその頃にアニメの声優さんという職業があることを知って。「特徴的な声ということは、自分も向いているんじゃないかな?」と思うようになって、声優のオーディションも受けるようになりました。

藤咲凪

──夢に向けて具体的に動き始めたのは、何歳くらいのときでしたか?

最初にオーディションを受けたのは15歳でした。高校に通いながら、たまたま東京で受けたオーディションに受かって、誰にも言わずに高校を辞めて「東京に行くからね」と家族に伝えて。止められましたけどね(笑)。

──ですよね(笑)。15歳で北海道から東京に出ていくのはかなり大きな決断だと思います。ましてや成功するかどうかもわからないですし。

そうですね。でも、なぜか「自分ならいけるんじゃないかな?」という自信だけはあって。そのときは即行動に移していました。

──藤咲さんは物事を「大丈夫じゃないかな」「いけるんじゃないかな」と楽天的に捉えるタイプだったりするんですか? それとも自信過剰に思い込んでしまうタイプ?

自信というか、今まで欲しいと思ったものを手に入れられなかったことがないので、いけるだろうと思っちゃうんですよね。

──それ、人生何周目かの人から出てくる言葉ですよ(笑)。

ふふふ。でも人付き合いが下手くそだったのもあって、揉めることが多くて。最初に所属した事務所の方に口答えをしてしまったり、それで辞めることになってしまいました(笑)。

──ちなみに上京して芸能の仕事を始めた頃、具体的な目標はありましたか?

そのときはアイドルをやっていたんですけど、将来的には声を生かしてアニメのお仕事をしたいと思うと同時に、音楽も続けたいと思っていて。楽器に挑戦してみたり、いろいろやっていました。

憧れの神聖かまってちゃん

──音楽に関して、最初に興味を持ったのはどういうジャンル、アーティストでしたか?

中学生の頃の私はちょっと病んでいて(笑)、当時お付き合いしていた人から「お前みたいな歌詞だから聴いてみろ」と薦められたのが神聖かまってちゃん。実際に聴いてみたら心に響くものがあり、そこから大好きになって「自分もこういう音楽をやってみたいな、自分の気持ちを素直に伝えられる人になりたいな」と憧れるようになりました。

──今までのお話を整理すると、自分の個性的な声を生かすには声優が合っているんじゃないかというスタート地点があり、オーディションに合格してアイドルを始めたものの、好きな音楽の方向性は神聖かまってちゃん。一見するとかなり風変わりな道を歩んでいますね。

ですね(笑)。でも、当時BiSHさんが人気だったのもあって、最初にやっていたアイドルグループもけっこうハードな感じだったんです。そういう意味では、「かまってちゃんに近付きたい」という自分の考えにも近いものがありました。

──でも、そのアイドル活動も数年で終了してしまいます。

2、3年ぐらい続けたんですけど、解散してしまって。そのあと声優事務所に入ったものの、そこでもマネージャーさんと超揉めて2カ月で辞めました(笑)。それで今後どうしようかなと考えていたときに、結婚を決意して第1子を妊娠しました。

藤咲凪

──期せずしてお母さんと同じ道を選ぶことになったと。そこも運命的ですね。

そうですね、同じような年齢ですし。それで芸能のお仕事から離れて、北海道に戻ることにしたんです。

──数年間、子育てに専念していたわけですね。でも2022年に再びこの世界に戻ってくる。

芸能から離れている間も相方の(小野)緑ちゃんとはずっと連絡は取っていて。緑ちゃんのSNSを通じて活動を追っていると「いいなあ」という気持ちが芽生えてはくるんですけど、「自分には家庭があるし、来世でがんばろう」と押し込めていたんです。そんな中、結婚生活がなかなかうまくいかないことを緑ちゃんにずっと相談していたんですけど、あるとき「凪はかわいいんだし、芸能が向いてるんだからまたやりなよ!」と言ってくれて。私は芸能活動を辞めてからも、家計を支えるためにチェキなどの販売でお小遣いを稼いでいました。一部には、私が芸能を辞めてからも応援してくれていた方がいたんですよね。でも結婚相手とは会話のすれ違いや価値観の相違などさまざまな理由から離婚することになって、途方に暮れていました。今まで一般的な仕事をした経験もないし、田舎では2人の子供を支える経済力を生み出す方法も見つけられなくて。そんなとき、緑ちゃんが「一緒にやろうよ。もう一度」と言ってくれたことが、私には救いの手のように感じたんです。過去に芸能界を目指していたこととか、いまだに応援してくれているファンの方とか、現在の環境とか、いろいろなことが一気に頭をよぎって……次第にじわじわと「ああ、これしかない。この道しかないんだ」「私ならできるかも、できるはず」って素直に思えたんです。それで上京を決意しました。

──同じグループになる前からの付き合いだった小野さんのひと言で、15歳で上京してきた頃の自信が復活したんでしょうね。

芸能のお仕事から離れている間は自己肯定感も低くなっていたので、余計にそういう感覚があったのかもしれないですね。

5秒の街頭インタビュー映像で大バズり、「サンジャポ」でシングルマザーをカミングアウト

──そこから小野さんとともに最終未来少女として動き始めるわけですが、幼い子供を2人育てながらの活動は、15歳で右も左もわからず上京した頃とはまた違った大変さが伴ったと思います。当初は両立も難しかったのではないでしょうか。

両方を満足にこなすための時間が足りないキツさはありましたけど、メンタル的には全然大丈夫で。むしろ毎日が楽しかったです。

──最終未来少女として活動を始めた頃、どんな未来予想図を描いていましたか?

緑ちゃんとはよく「武道館に立とうね」とか夢を語っていました。そうしているうちに、いろんな大人たちが協力してくれるようになって、少しずつ活動に現実が伴うようになってきた感じです。

──その結果、2023年7月にはKT Zepp Yokohamaでのデビューライブが成功すると。ここまで、ものすごいストーリーですね。

本当ですね(笑)。

──そのライブの直前には、藤咲さんはひょんなことでメディアに取り上げられ話題となりました。確かTOKYO MXの街頭インタビューに偶然映り込んだのがきっかけでしたよね?

そうなんです。ライブまであと3週間というタイミングでチケットが全然売れなくて困っていたので、街頭でビラ配りをしようということになって。そこでたまたまインタビューされた様子が放送されたんです。

──その結果、SNSのフォロワーも激増し、ライブも成功を収めるわけですから。持ってますよね。

いやいや。当時「あのインタビューは仕込みでしょ?」と言われたんですけど、本当に偶然で!

──声をかける側も「かわいい子がいるぞ」と惹きつけられるものがあったんでしょうね。そうした反響の大きさが同年8月の「サンデー・ジャポン」出演へとつながるわけですが、ここで2児のシングルマザーであることを公表されました。

最初は公表するつもりはまったくなかったんです。でも街頭インタビューをきっかけに街中で声をかけられることが一気に増えて、子供と一緒にいるところを盗撮されるまでにエスカレートしてしまって。「いずれバレるくらいなら、自分から言っちゃったほうがいいんじゃないか」と事務所や緑ちゃんと相談して、あのタイミングで公表することにしました。

──お子さんを守るための策だったわけですね。そこから今年に入り、最終未来少女に新メンバーが2人加入しました。新体制になってからのグループ活動はいかがですか?

すっごく楽しいです! 4人になったことでバランスもいい感じになったと思いますし、私と緑ちゃんだけでは生まれないようなアイデアが出てきたり、やれることの幅も広がり始めていると感じます。