ブギ連5年ぶりのアルバム「懲役二秒」、甲本ヒロト&内田勘太郎が語るブルースの醍醐味 (2/2)

意味は変でも聴き心地のいい言葉が並んでる

──アルバム1曲目「懲役二秒」のイントロとラストナンバー「ブラブラ」のアウトロに虫の鳴き声が入っていますが、これはコオロギですか?

甲本 エンマコオロギです。一番好きな鳴き声なんです。ザ・クロマニヨンズでツアーを回っているとき、外を歩いていたらコオロギの声が聞こえてきて。いい音だったから自分のiPhoneで録音したんですよ。6分間ぐらい。その音がアルバムにそのまま入ってます。

内田 アルバムに使うつもりで録ったわけじゃないんだよね。

甲本 そうです。寝るときに自分で聴いたりしてます(笑)。

内田 この音が、アルバムを聴くにあたっての1つの“トリップ”になってるんじゃないかな。

──このコオロギの鳴き声からタイトル曲が始まるわけですが、「懲役二秒」というフレーズが強烈です。

甲本 堪え性がないって意味ですね。我慢なんかできない。自分が罪深いことはわかっていて、確かに懲役は受けますよと。でも2秒は長い。長すぎる。もっと短くしてっていうさ。そんなに我慢できないのかって思いますけど(笑)、アル中の歌でもありますね。空瓶を抱いて「ウイスキー湧いてこないかな」って、お酒を2秒も我慢できない人の歌。

内田 Canned Heatってわかる? 缶の燃料。それを飲んでたんだって、昔のお金のない黒人は。Canned Heatっていうアメリカのバンドもいました。

甲本 「Canned Heat Blues」っていうブルースの曲(トミー・ジョンソンが1928年に録音した楽曲)もありますよね。

内田 そうだね。お酒より安くて、当時は普通に飲んでたんだろうな。体に悪いだろうけど。

甲本 「懲役二秒」は歌詞カードには「ウイスキー」って書いてあるけど、実際には「ムーンシャイン」って歌ってる箇所があって。あれは勘太郎さんが「ムーンシャインにしなよ」と言ったんです。

内田 密造酒のことね。

甲本 最初は「干上がった砂漠にウイスキー」って歌おうと思ったんですよ。でも、「干上がった砂漠に月の光」のほうがカッコいいなと。それで、即興で変えました。

──歌詞についても、録音しながらその場で変えていくんですね。勘太郎さんはヒロトさんの歌詞や、言葉のセンスについてどういう印象を持っていますか?

内田 いつも驚きますね。こういう切り口があるのかと。アルバムの2曲目は「畑の鯛」というタイトルですけど、言葉の流れとして美しいと思います。意味は変でも、それを超えて聴き心地のいい言葉が並んでるなと。何を歌ってるのかわからないけど(笑)、意味のあることってそんなにたいしたことないかもしれないし。面白いものを書いてくると思いますね。

甲本 「畑の鯛」はレコーディングの前に歌詞を準備していた曲ですね。自分でも何言ってるかわかんないけど、録音のときに「こんなのができたよ、勘太郎さん」って聞かせて。そうやって前もって用意した歌詞もあれば、本当に適当なやつもあります。3曲目の「痛えで」とかは本当に即興でした。

甲本ヒロト(Vo, Harmonica)

甲本ヒロト(Vo, Harmonica)

──5曲目の「フガフガ」に関しては、1曲を通して「フガフガ」としか歌っていません。

甲本 ノリのいいダンスナンバーみたいなのがやりたくて。勘太郎さんのギターになんとなくハーモニカを乗っけたんですけど、録音した音源を聴いたらなんか足んない気がしたんですよね。それで「フガフガ」ってオーバーダビングで入れたの。

──さらに、ボーナスディスクに収録されている「波を越えて」はヒロトさんの「ええなあ」「たまらんで」という声が入っていて。もはや歌詞という形にもなってないですよね。感嘆の声が漏れている感じで。

甲本 これはツボにぐーっと入ってきた感じですね。もしくは温泉に入ってる感じ。

内田 俺が席を外してるときに録音してて。「録れたよ」って言われて聴いてみたら面白いことになってました(笑)。

甲本 最初は勘太郎さんが「適当にちょっと弾いてみるわ」って言って、ギターを録音したんですよね。で、勘太郎さんが席を外しているときに何か言葉を入れてみようと思ったんだけど、「ええなあ」しか出てこなかった(笑)。録音しているときは勘太郎さんのギターの音に対する「ええなあ」でした。

内田 「ようないなあ」じゃなくて、「ええなあ」でよかったです。

──スローブルースに日本語の歌詞を乗せるのは、例えばロックンロールやポップスに比べると難しいように思うのですが、その点はどう感じていますか?

甲本 確かに、様にならないんですよね。ひと言で言うと。

内田 様になってるよ。

甲本 いやあ(笑)。例えば勘太郎さんが即興で弾き始めて、「よし歌おう」と歌を乗せたときに、なんだか様にならない。だから、「こう来たらこう行くぞ」っていう引き出しをあらかじめいくつも持っとくようにしてます。これならギリギリなんとかなるかなという。基本的には音の問題なんですけど、その言葉から喚起されるイメージが曲と合ってないとつまらないし、外すなら外すで面白い外れ方をしてないとつまらない。そういうことは感じます。

内田 照れるとダメかもね。

甲本 そうかもしれないですね。

内田 ヒロトさんは自分に厳しいんじゃない?

甲本 うーん。でも僕は歌を作るのが好きだから、様にならなくても、曲に歌を乗せるのが1つの楽しみではありますね。

1976年のスリーピーとハミーとの思い出

──勘太郎さん作詞の「49号線のブルース(スリーピーとハミー)」は、スリーピー・ジョン・エスティスとハミー・ニクスンのことを歌った曲ですよね。勘太郎さんは憂歌団として1976年に2人とツアーを回っていますが、当時のことを回想して曲を書いたんでしょうか?

内田 そうですね。当時、九州から北海道までいろんなところを回ったんです。僕らがアルバムを出してデビューしたのが1975年だから、まだ新人だった。そんな中、デビューした次の年に偉大なブルースマンと一緒にツアーすることになって「え、大丈夫かな」と思ってました。でも、スリーピーは当時もうかなりのおじいさんだったんだよね。正確な年齢がはっきりわかってないんだけど。

──戦前から活躍していたブルースマンによくある話ですが、生年にいくつか説があるんですよね。スリーピー・ジョン・エスティスは1899年、もしくは1904年生まれだと言われています。

内田 そうそう。何にせよかなりの歳だったから、歌い出したら爆発的なライブをするんだけど、基本は動きがゆっくりなんだよね。だから僕らとしては安心してツアーを回れたんだと思う。あと、スリーピーは目が見えないから、サインはペケのマークを書いてました。でも、おじいさんとはいえ体は大きな人でしたよ。黒のオーバーコートを着ていたけど、それがすごく埃っぽい匂いがして。「これが(アメリカ)南部の匂いなのかな」と思ったのを覚えてますね。もう50年くらい前の出来事で、演奏を上手にできたという自負もないけど、スリーピーとハミーとああいう時間を過ごせたのはすごいことだなと改めて思って。それで初めて歌にする気になりました。もう歌にしてもいいかな、と思ったんですよね。照れくさいことでもなくなったし。

──「旅してまわった 憂歌団と一緒に」という歌詞に情感があふれてますね。

内田 最初はそのフレーズは入れてなかったんですよ。やっぱりちょっと恥ずかしいからさ。もっとぼやかして書いたら、ヒロトさんが「これはもう憂歌団ってちゃんと書いたほうがいいですよ」って。

甲本 「憂歌団」と歌ってなくても憂歌団のことだとわかっちゃうし、匂っちゃってるから、もうここは潔く書いたほうがいいだろうなと。それに、勘太郎さん本人が歌うとなると照れくさくて抵抗があるかもしれないけど、僕が歌うんだからにそう書きましょうと直談判しました。

内田 うれし恥ずかしいというかね。そうか、それでいいんだなって。スリーピーとハミーと一緒にツアーを回ったこと、本当に昨日のことのように覚えてます。

甲本 うらやましいよ。すごいことです。

内田 ヤマハが提供したスリーピーのための高級ギターを、カメラマンの人がなんかの拍子に落っことしちゃって。ギターって落とすとバーン!ってすごい音するじゃない。みんな遠巻きに見てるだけで、そしたらカメラマンの人が泣き出しちゃったのを覚えてます(笑)。あと、居酒屋に行ったのも記憶に残ってますね。太平山っていう居酒屋チェーンのカウンターで一緒に飲んで、焼き鳥がおいしいって言ってものすごい数を食べてた。2人ともそのあとすぐに死んじゃったけどね。

内田勘太郎(G)

内田勘太郎(G)

ブルースの魅力とは

──野暮な質問かもしれませんが、あえて言葉にするならブルースの魅力ってどんなところにあると思いますか? 例えば同じ黒人音楽でも、ジャズやソウルはポップスとの距離がより近く、一般の音楽リスナーにも馴染みがあると思いますが、ブルースはまた違いますよね。基本スリーコード進行で、若者が聴いたらすべて同じ曲に聞こえるかもしれないし、大衆化されにくい音楽ではあると思います。

内田 でもマ・レイニーとか、1920年代のクラシックブルースの女の人たちが世に出てきたとき、すごく売れたらしいんですよね。ブルースの黎明期に録音っていう文化が始まって、黒人向けのレーベルが生まれて。都会に出てきた黒人たちが都会感を味わうブルースとか、当時けっこうポピュラーなものだったらしいんですよ。まだロックというものは存在してなかったし、白人の歌手もいたろうけど、戦前の時代っていうのは黒人の人たち、ブルース寄りの人たちが王道だったのかもしれない。

──マ・レイニーの影響を受け、1920年代に大きな成功を収めた“ブルースの女帝”ベッシー・スミスも、ポピュラー音楽史にその名を刻んでいますね。

内田 だけど、1950年代でブルースは終わったと僕は思っていて。そういう意味では、ブルースが大衆から遠いのは当たり前なんだよね。ロックやポップスが身近な音楽になっちゃってるし。そんな中でもブルースがなくならないのはなんででしょうね。

甲本 僕は単純にブルースがカッコいいからだと思う。理屈抜きで。部屋で1人でレコードを聴きながら言ってますからね。「カッコええなあ」って。その感覚が伝わればいいんですけど。

──ヒロトさんが最初にブルースと出会ったときも、「カッコええ」と思って夢中になったわけですよね。

甲本 そうですね。で、ブルースを聴けば聴くほどいろいろと見えてくるんですよ。ブルースを聴くにもいろんなパターンがあって、例えば最初にブラインド・ブレイクから聴く人もいれば、チャーリー・パットンから入る人もいる。同じ時代のブルースだけど、全然違うものに接するわけじゃないですか。そんな中、自分にとっては「これがブルースのカッコよさなんだよ」とめちゃくちゃわかりやすく提示してくれたのが、マディ・ウォーターズだったんですよ。だからだまされたと思って、マディ・ウォーターズの最初のアルバムを聴いてみてほしい。「The Best of Muddy Waters」というタイトルなんですけど。それともう1つ、「Trouble No More」という作品。この2枚を聴いてみて、それでつまらんと思ったら、ブルースはつまらんと思う。

──それで「カッコええ」と思えたら、どんどんブルースを聴いてみてほしいと。そういう意味ではブギ連のアルバムもブルースに馴染みのない人にとって大きな入り口になると思います。

甲本 僕らは適当にやってますんで、本当に入り口の入り口ですね。

内田 アルバムを聴いて「カッコええ」と思ってくれたらうれしいね。

公演情報

ブギ連LIVE「第2回 ブギる心」

  • 2024年10月11日(金)東京都 東京キネマ倶楽部
  • 2024年10月12日(土)東京都 東京キネマ倶楽部
  • 2024年10月14日(月・祝)愛知県 THE BOTTOM LINE
  • 2024年10月16日(水)京都府 磔磔
  • 2024年10月17日(木)大阪府 梅田CLUB QUATTRO
  • 2024年10月19日(土)福岡県 Gate's7

プロフィール

ブギ連(ブギレン)

甲本ヒロト(Vo, Harmonica / ザ・クロマニヨンズ)と内田勘太郎(G / 憂歌団)によるブルースユニット。2019年6月に1stアルバム「ブギ連」をリリースし、7月に東京・渋谷CLUB QUATTROで初のライブイベント「ブギる心」を開催。北海道・石狩湾新港樽川ふ頭横野外特設ステージで行われた野外ロックフェス「RISING SUN ROCK FESTIVAL 2019 in EZO」に出演した。2024年10月に2ndアルバム「懲役二秒」をリリース。同月に東京、愛知、京都、大阪、福岡の5カ所を回るライブツアー「ブギ連LIVE『第2回 ブギる心』」を開催する。