AYANE「#Twenty」インタビュー|TikTokで“バズ”を起こした20歳、同世代に寄り添う等身大の1stアルバム

2002年生まれ、奈良県出身のシンガーソングライターAYANE。TikTokやYouTubeでオリジナル曲とカバー動画を発表し、いくつもの“バズ”を起こしてきた彼女が6月28日に待望の初アルバム「#Twenty」をリリースする。

アルバムにはTikTokで流行した「泣きたい夜」「bye bye」をはじめとする既発曲に、新曲の「まだ、、」「Bitter & Sweet」「星に願いを」を加えた計12トラックを収録。バリエーション豊かなサウンドに乗せて「上京してきてから2年間のいろんなモヤモヤやワクワク」がまっすぐに歌われている。

音楽ナタリーではAYANEにインタビューし、アルバムに対する思いはもちろん、2021年に上京してからの2年間の変化、ファンに向けた気持ち、初ツアーへの意気込みなどを語ってもらった。

取材・文 / 高岡洋詞撮影 / 石垣郁果

世界で一番厳しい父に曲作りを勧められ

──音楽ナタリーの特集には初登場となるので、まずは音楽との出会いから簡単に伺ってもいいですか?

両親の影響で、物心つく前から音楽が好きだったんです。赤ちゃんのときも、めっちゃ泣いてても音楽がかかったら泣き止むみたいな(笑)。4歳からダンスを習ってたんですけど、だんだんと「歌もやりたいな」と思うようになって、小学1年生から習い始めました。

──小さい頃から歌っていたんですね。

はい、カラオケに行ったりして。4歳ぐらいのときから倖田來未さんの「キューティーハニー」を歌いながら踊ってました。

AYANE

──かわいい。ご両親はコブクロや絢香さんがお好きだったとか。

そうなんです。その影響から小1の頃は「とりあえず真似から入ろう」みたいに思って、絢香さんに似せて歌ったりしてました。

──自分で曲を作り始めたのは……。

小学校5年生のときです。4年生ぐらいのときから父に「曲を作ってみたら?」と言われてて。

──すごい英才教育パパですね。

この話をどこでしてもそう言われるんですけど(笑)、父は音楽が好きなだけで。でも、とにかく応援してくれているんです。小学4年生のときはまだピンと来てなくて、「なんでAYANEが曲作らなあかんの?」と思ってたんですが、ある日ピアノをポロポロと弾いてたら「あ、なんかこれ曲できるかも」と思って、鼻歌で歌ってそれをレコーダーで録ったのが始まりでした。「どうすれば」っていう曲です。

──「どうすれば夢に辿り着くの」と歌う曲ですよね。

はい(笑)。何かに悩んでいたのか、絢香さんの大きな世界観の歌詞に憧れていたのか、今となってはわからないんですけど。

──ピアノも習っていたんですよね。

小学校2年生からクラシックピアノを弾いてました。でも楽譜通りに弾くことが自分には向いてなくて、1年ぐらいで辞めちゃったんです。それで作曲するためのピアノ教室みたいなところに通うようになって、コードを覚えていきました。

──お父さんに曲作りを勧められるまでは、どちらかというと歌手になりたかった?

はい。歌うことがただ好きで。歌うとみんなに褒められるから楽しい、みたいに思ってました。小学生の頃にテレビに出演させていただく機会があり、その頃からなんとなく周りが「あの子は歌手になるんだ」という目で見てくれていたというか。

──“歌うまキッズ”として活躍されていましたものね。テレビ出演のきっかけは?

お父さんが私の歌唱動画をYouTubeに上げてくれて、たぶん、それをスタッフの方が聴いてご連絡をくださったんだと思います。

AYANE

──お父さん、めちゃくちゃサポートしてくれていますね。

すごいプッシュしてくれてます(笑)。でも弱音を吐いたら「自分がやる言うたんやろ?」というふうに言ってくれるし、世界で一番厳しいんですよ。お母さんも厳しいんですけど、お父さんのほうがスパルタだから、その分優しくしてくれます。

──素晴らしい生育環境。

本当にそうですね。今は両親から離れて東京に来てますけど、事務所のサポートももちろんあるし、プロデューサーの方も支えてくださって。すごくいい環境で活動させてもらってます。

上京して陥ったスランプ

──今の事務所にスカウトされたきっかけはTikTokでしたよね。

はい。2020年の1月からTikTokを始めて、しばらく投稿してたらバズり出したので楽しくなって。動画をたくさん上げるようになったんです。そしたら6月頃に今の事務所の人から「お話できませんか」というDMが来て、「あのプラチナムさん?」って驚きました。見た瞬間すぐに返信して、東京で会う機会をいただいて。すごくスムーズな流れでしたね。

AYANE

──地元ではライブ活動もされていたんですか?

小学校の頃は頻繁にやってたんですけど、中学生になってスランプに入ったのか、本数が減ったんですよ。1年に2回程度しかライブに出なくなって、「なんかモヤモヤするなー」みたいな状態が3年間ぐらい続いて。でも、反抗期が終わると同時になぜかその状態も抜けて、高校に入ってからは2カ月に1回ほどライブをしてました。

──「シンガーソングライターになりたい」と思い始めたのは?

「自分の将来の仕事はこれ」と思い始めたのは高3の頃ですね。それまでも漠然と音楽を仕事にしたいとは思ってたし、ミニアルバム(2020年発表の「Message」)を出したりもしてたんですけど、周りが就活とか進学の話を口に出すようになって初めて明確に意識し始めました。

──上京してから2年経ちましたが、何か変わりました?

いろいろと変わりましたね。2021年の4月に上京してきたんですけど、1カ月後に「曲が書けない!」という状態になったんです。いきなり1人になって寂しくて。外はにぎやかだけど家の中は静か、みたいな環境に虚しい気持ちになってしまったんです。歌詞も曲も全然浮かばなくなりました。それで1回、実家に帰ったんですよ。

──まさに5月病ですね。

それで3週間ぐらい実家で遊びながら曲を作って。「取り戻せてきたぞ」と思えたタイミングで東京に戻ってきて、「なんかいけそう」と自信を持てたんですけど、8月に計画してたワンマンライブがコロナで中止になっちゃってまた落ち込みました。

──それは落ち込みますね。

そのときは家にいてできることをしようと「もう曲を書くしかないな」と思っていました。事務所の社長さんにも「曲は書き続けたほうがいいよ」と言われてたので。その段階ですでに150曲くらいは持ち曲があったんですけど、やっぱり1人きりだとなかなかアイデアが浮かんでこなくて、またスランプになりました。

AYANE

──スランプはどう克服したんですか?

ある日、社長さんとマネージャーさんとのランチミーティングがあって。そこで相談してみたら社長さんが掛け合ってくれて、今のプロデューサーの西陽仁さんにお会いしたんです。それで西さんにいろいろ質問していくうちに一緒に曲を作ることになったんですけど、それがめっちゃ楽しかったんですよ。それから「ぜひ今後もご一緒したいです」と伝えて、年明けにミーティングして仕事をしていくことが決まってからは、もうずっとワクワクです。スランプになることもあるけど、西さんと話をしながら曲を一緒に作っていると「あ、その考え方もあったんや」と新しい発見ができるから、それまでのスランプとはちょっと違って。相談できる相手がいることですごくやりやすくなったし、今は理想の形で音楽ができてると思います。

──西さんとの共作はどんな感じで進めるんですか?

いろんなパターンがありますね。私が歌詞とかメロディを作って西さんに「どうですか?」と持っていったり、西さんがトラックを作ってくれて、一緒にメロディと歌詞を乗せていったり。

──最初から西さんとの共同作業はカチッとはまった感触があったんですね。

ありました。音楽の好みも似てるんだと思いますが、西さんの人間性もAYANEと合うとこがあって。私はあんまりガツガツ来られると引いちゃうタイプなんですけど、西さんは寄り添ってくれるから相談しやすいんです。