A.B.C-Z「Graceful Runner」特集|草野華余子が“10周年の同志”とともにつづった、あの日の夢とまだ見ぬ未来

今年の2月にデビュー10周年を迎えたA.B.C-Zが、通算12枚目となるニューシングル「Graceful Runner」をリリースした。

この曲の作詞作曲を担当したのは、今年のデビュー記念日にリリースされたキャリア初のベスト盤「BEST OF A.B.C-Z」に収録された、戸塚祥太主演のドラマ「凛子さんはシてみたい」の主題歌「火花アディクション」を手がけた草野華余子。彼女は社会現象を巻き起こすほどの大ヒットを記録したLiSA「紅蓮華」の作曲家であり、シンガーソングライターとしても活動している。

今回、音楽ナタリーでは「Graceful Runner」の世界を紐解くべく、草野へのインタビューを実施。彼女がA.B.C-Zというグループに抱いた印象、初タッグとなった「火花アディクション」の制作過程、ベスト盤の特典映像として収録されていたインタビューに感銘を受けて歌詞を書いたという新曲「Graceful Runner」に込めた思いなどについてたっぷりと語ってもらった。

取材・文 / 永堀アツオ撮影 / 星野耕作衣装協力 / rito structure

「ジャニーズが私の曲で踊ってくれてる」

──まず、前作「火花アディクション」のオファーを受けたときの心境から聞かせてください。

「どういう流れで連絡をくださったんだろう?」って思いました。ただ、私は5歳からずっと作曲をしていて、ジャニーズさんのグループに楽曲提供することは作家としてのキャリアの中で大きな夢の1つだったので、これは失敗できないなという覚悟とともにお引き受けさせていただきました。

──実際はどういう流れで草野さんにオファーが行ったんでしょう。

A.B.C-Zの皆さんがテレビ番組で、メンバーの五関(晃一)さんの振り付けで「『紅蓮華』を踊ってみた」という企画をやってくださっていて。Twitterですごい話題になって、トレンドにも上がっていたんです。私はそのとき違う番組を観てたんですけど、自分のタイムラインにパッと出てきたので、急いでチャンネルを変えました。だから「すごいな、ジャニーズが私の曲で踊ってくれてる。恐ろしい……」と思いながら拝見したのが最初ですね(笑)。それがきっかけになってオファーをいただいたんですが、ポニーキャニオンさんとうちの事務所はお仕事をしていていろんなパイプがあるはずなんですけど、なぜか普通にオフィシャルホームページのファンメールの窓口からご連絡をいただいて(笑)。

──あはははは。丁寧というか、すごく遠回りで連絡がきたんですね。

本当に。これまでもジャニーズのアーティストさんのコンペに参加したことはあったんですが、惜しいところまでいって落ちてたんです。来年で私は作家活動10周年を迎えるんですけど、いろんなことがありながらキャリアを積んできて。「紅蓮華」というヒット曲はあるんですけど、アニソンだけじゃなくて、一般層の皆さんの耳にも届く大衆性がある曲を作りたいなと思いながら続けてきたので、オファーはすごくうれしかったです。

草野華余子

──今日は「紅蓮華」について触れるかどうか迷ってたんですよ。草野さんは「紅蓮華」の話ばかり聞かれているんじゃないかと思って。

逆に言うと、そういう名刺がなくてすごく苦労される作家さんも周りにいて。「代表曲が1曲あるのはすごく幸せなことだよ」とおっしゃられる方が多いんですね。もちろん「『紅蓮華』みたいな曲を書いてください」って100回くらい言われてますけど(笑)。そういうときは「紅蓮華」のどの部分を好きでそうおっしゃってくださったのかを丁寧にヒアリングするようにしてます。例えば、「紅蓮華」のアレンジは和っぽいニュアンスもあるけど洋楽的で、メロディはそこまで和風ではないんですよね。メロディが音飛びして細かく展開するところなのか、それとも冒頭のロングトーンなのか、どこを魅力的に感じて発注してくださったのかを丁寧に聞くようにしてて。「売れる曲を書いてください」って言われたときは、「売るのはそちらの仕事です」って返してます(笑)。

──あはははは。はっきりと返しているんですね。

返してます。会議のたびに毎回言うから、マネージャーがヒヤヒヤしてますね(笑)。でも、実際に私は全曲、100万枚ヒットするくらいの心づもりで書かせていただいてて。それは例えば、Blu-rayにしか収録されないキャラクターソングだろうが、10人しかお客さんがいないアーティストだろうが、1億円のギャランティを持ってきた人だろうが関係なくて。世に自分のクレジットで出る作品が、自分が許せない完成度で出るのは、もう死ぬよりも嫌なんです。性格的に潔癖で完璧主義的なところがあるので、とにかく品質保持ができるかどうかに全力を注いで作家活動をしております。

大人の落ち着きと情熱を描いた「火花アディクション」

──「火花アディクション」は戸塚祥太さん主演のドラマ「凛子さんはシてみたい」の主題歌にもなっていましたが、どんなところから作り始めましたか?

ドラマの原作のマンガは単行本の1巻が発売されたときから自分で買って読んでいたんですよ。だから書く内容自体はそんなに困らないだろうなと思ってたんですけど、A.B.C-Zさんのキャラクター性と自分が描きたいもの、それと作品との親和性がクロスフェードする、ちょうどいい箇所を探りながら作らせていただきました。

──今お話に出たA.B.C-Zのキャラクター性について、草野さんはどう捉えていましたか?

いろんな雑誌のインタビューを拝見して、A.B.C-Zを結成されるまでにもいろんなことがあって、この5人になったということを知って。キャリアのあるグループだし、大人の男性が醸し出せる色気みたいなもの……作品がセクシーな部分もある恋愛ドラマだったのもあるんですけど、大人の落ち着きがありつつも、沸々と燃えたぎる感じを出したいと思ってました。作品的には、すごくしっかり働いている女性が恋と仕事に揺れるという現代的な内容で、歌詞についても「女性目線で」という指定もあって。男性が女性視点で歌うのは歌謡曲や演歌ライクなところがあると思うんですけど、すごく得意な方法だったので、書きやすくはありました。

──ご自身の書きたいところと重なった部分は?

……私がダメな男が好きなタイプなので、非常に書きやすくはありました(笑)。

──あはははは。

ま、歳を重ねるにつれてそうも言ってられなくて。恋愛のことを考える比率は下がってきたんですけど、原作の主人公の凛子さんの年齢、20代後半から30代前半の女性が聴いたときにグッとくるフレーズがあればいいなというのは意識しました。「こんな恋してたな……」という記憶をたどりながら(笑)。でも、主演の戸塚さんのビジュアルイメージと並べて聴いてみて違和感のない歌詞の内容とか、音の積み方、リズムにしようっていうのはすごく気を付けたところではありますね。

──目が離せなくなるほどの熱情が描かれていました。

私が原作マンガを普通に読んでいたときに印象的なシーンがあって。それが、目を離させなくて、瞬きができなくなるというシーンだったんですね。好きになってはいけないと思いながらも惹かれてしまうという描写が多くて。遠くにいても視線がバチッと合っちゃう瞬間って、なんとなく火花に近いというか。自分の経験も当てはめてなんですけど、自分も相手も目が離せなくなる状態。熱視線同士がぶつかった瞬間が描きたくて。最初は「火花」というタイトルにしようかなと思ってたんですけど、もっとディープな作品だったので、中毒という意味で“アディクション”を付けました。

──アレンジャーは草野さんにとって盟友とも言える堀江晶太さん(PENGUIN RESEARCH)です。

LiSAさんに初めて提供させていただいた「DOCTOR」から長年タッグを組ませてもらっていて。仕事もですけど、お互いにプライベートでしんどいことがあったら、飲みに行って肩を叩き合いながら「明日もがんばろう」って言える仲の晶太くんにお願いできたので、何も心配なかったですね。

──2013年10月にリリースされたLiSAさんの2ndアルバム「LANDSPACE」に収録されていた「DOCTOR」が、草野さんの作家活動のスタートですね。

そうです。私が音楽を辞めようと思っていた時期で。大阪城野外音楽堂を貸し切って、1人でイベントをやったんです。「2000人集まらなかったら音楽を辞める」って両親に言ってたんですけど、1000人は来てくれたものの、2000人には届かなかった。その時期にストリートでチケットを売ったり、がんばりすぎたせいでポリープになっちゃったんです。それを治したら、今度は歌うのが怖くなって失声症になってしまって。そんなときに、野音のイベントを観に来てくださってた知り合いのエンジニアの方がコンペを紹介してくれました。それがLiSAさんのコンペだったんですよ。「これが最後の1曲になるかもしれないな」って思いながら、藁にもすがる思いで1日で曲を作りました。で、LiSAさんのディレクターさんが大阪に来ているときにCD-Rに焼いて持って行って。当時はMTRで作曲してたし、WAVが何かもわかってなかったくらいなんですけど、初めて作って、お渡しして、それが受かったのが最初ですね。

──そこで「DOCTOR」を作ってなかったら、のちの「紅蓮華」や「火花アディクション」が生まれることもなかったわけですよね。

いやー、よかったですね。私はどうしても音楽を続けたかったし、塞ぎ込んではいたんですけど、死に物狂いで、どうにか突破口があればという気持ちで作っていて。最後の最後、もう自分が歌うのはあきらめようかなというタイミングだったけど、楽曲提供をさせていただいたおかげで事務所が決まって、東京に来ることもできて。今は作家とシンガーソングライターの二足の草鞋で、すごく楽しくやらせてもらってます。