Amazon Prime Video「HITOSHI MATSUMOTO Presents ドキュメンタル」シーズン6 |ハリウッドザコシショウ×バイきんぐ小峠 王者に共通するのは“圧倒的”な笑いの馬力

お笑いナタリーで展開している「HITOSHI MATSUMOTO Presents ドキュメンタル」シーズン6特集のラストを飾るのは、ハリウッドザコシショウとバイきんぐ小峠による優勝者対談。「ドキュメンタル」という番組を王者の目線から語ってもらうと共に、2人の出会いから現在に至るまでの関係性を辿った。「キングオブコント」「R-1ぐらんぷり」そして「ドキュメンタル」で初登場からの優勝を果たした彼らは、“圧倒的”なファイトスタイルで共鳴している。

取材・文 / 狩野有理 撮影 / 多田悟

左から、バイきんぐ小峠、ハリウッドザコシショウ。

まさかのお客さん9人、地獄のユニットライブ

──「ドキュメンタル」の話に入る前に、まずお二人の関係性についてお伺いしたいと思います。前回ザコシショウさんとケンドーコバヤシさんがお話していた「ジョナサン事件」(参照:ケンドーコバヤシ×ハリウッドザコシショウが語る「ドキュメンタル」シーズン5特集)の真相もぜひ教えてください。ケンコバさんのお話だと、小峠さんが説教したことでザコシさんの人生が変わったとか。

バイきんぐ小峠 天龍源一郎さんの引退試合のあとジョナサンで飲んでいたら、「なんで俺だけ売れねえんだ」ってザコシさんが愚痴りだしたやつですね? 永野もお前も世に出て俺だけ売れてない、みたいな。

ハリウッドザコシショウ いや、お前とバヤシ(=ケンコバ)がそういうことを言わせようとして、俺にバカバカ酒を飲ませてたんだよ。ネタ見せ番組で落ちたかなんかを酔って愚痴ったら怒られて。

──小峠さんの説教が響いて「R-1ぐらんぷり」で優勝できたとおっしゃっていましたね。

ザコシ それじゃあ僕にとって小峠はバカクソ恩人じゃないですか!(笑)

小峠 あはははは(笑)。そんな大層なことじゃないです。

バイきんぐ小峠とハリウッドザコシショウ。

──お二人共よしもとの養成所NSCご出身です。よしもと時代から交流はあったのでしょうか。

ザコシ 僕がよしもとを辞める直前くらいの頃、バッファロー吾郎Aさんに「ユニットコントやろうよ」って誘ってもらって「爆笑新ネタ逆転満塁ホームラン寄席」というライブに出たんですよ。そのときに一緒に出ていたバイきんぐを見て、「面白いネタやってるね」くらいのことはしゃべったと思います。その後、1年間休んで東京に行くための資金を貯めてワタナベエンターテインメントに入ったんですけど、なぜかそこにバイきんぐがいて。

小峠 僕もよしもとを辞めて東京に行って、ワタナベのオーディションを受けたんです。

ザコシ 「新ネタホームラン寄席」のときはもう辞めるって決めてたの?

小峠 いや、あのときはまだ決めてないです。そのちょっとあとですね。

ザコシ じゃあなんで俺より先に東京にいるんだよ(笑)。

──追い越してますね。

小峠 僕らがお金を貯めていたのは半年くらいなので、その差だと思います。まあ西村は親から金もらってたんで貯めてないですけど。

左から、バイきんぐ小峠、ハリウッドザコシショウ。

ザコシ あっはっはっは!(笑)

──ワタナベで再会して、そこから仲良くなったんですか?

ザコシ いや、そのあと同時期にソニー(SMA)に移って、そこからですね。僕はずっと自主ライブをやりたくて、バイきんぐに声をかけて「やんべえ」というライブを始めたんです。「やんべえ」って静岡弁で「やばい」って意味なんですけど。地獄みたいなところでやってたよな?

小峠 下北ファインホールという、ちょっと広いただの部屋で。

ザコシ 1階が銭湯の建物の2階にあって、会場代が2時間で3千円とか。そこを3、4時間借りてやってました。で、満を持して開催した第1回ユニットライブ「やんべえ」、まさかのお客さん9人っていうね(笑)。

小峠 あはははは(笑)。

ザコシ 今考えると地獄だけど、そのときは感覚が麻痺してたのか1回目にしてはまずまずだと思ってた(笑)。

小峠 今9人は怖いですね。

バイきんぐ小峠とハリウッドザコシショウ。

バイきんぐの優勝で火がついた

──ザコシさんはなぜユニットの相手にバイきんぐを誘ったんですか?

ザコシ ネタの感じとかお笑いに対する気持ちで通じ合う部分があったんですよ。

──反対に小峠さんから見てザコシさんの印象はどんなものだったのでしょうか。

小峠 無茶苦茶なネタをやる人だと思っていたんですけど、一緒にライブに出させていただくようになってから実はちゃんと考えたうえでやってる人なんだっていう印象に変わりました。

ザコシ 当時はお前らも相当だったよ?(笑)

小峠 僕らはベースがないまま、ただめちゃくちゃなことをやってましたね。

ザコシ 今でこそ「コントといえばバイきんぐ」みたいな感じになっていますけど、とんでもないネタやってましたから。野球してる子供がボールをなくして、地底人がそのボールを乗っけたワイングラスをテイスティングしながら出てくるんですよ。面白かったけど、設定飛びすぎだろ(笑)。

左から、バイきんぐ小峠、ハリウッドザコシショウ。

小峠 「なんでこれウケねえんだろう」って言ってたけど、ウケるわけがない!(笑)

──小峠さんは一緒にユニットライブをやろうと言われてどう思いましたか?

バイきんぐ小峠

小峠 ありがたかったんですが、最初は「あ、じゃあよろしくお願いします」ぐらいの感じでした。でもやっていくうちに、これはすごく大事なことなんだろうなと徐々に感じてきましたね。自主ライブのノウハウはザコシさんに教えてもらいました。

ザコシ もぎりから何から、音響とか照明の人も自分たちで発注して。イスも自分で並べてなあ?

小峠 そうそう。お客さんなんかこれぐらいしか来ないってわかってるのに、一応多めに並べるんですよ。で、無駄に並べた分、無駄な労力使って自分たちで片付けて(笑)。

ザコシ あはははは!(笑) もしかしたら来るかもしれないっていう希望があるんだよな。結果、空席が多くて悲しい気持ちになるっていう。

──そんな2組が「キングオブコント」「R-1」で優勝したのは感慨深いですね。

ザコシ 本当ですよ。優勝だなんて、そのライブやってたときはできるわけねえと思ってましたから。

小峠 「やんべえ」をやってた2組が優勝って、改めてすごいことですよね。

ザコシ あの地獄からよく優勝できたよ!(笑) でもまあ、バイきんぐはひたすらやってましたけどね。ネタを研ぎ澄ませる作業を。

小峠 「キングオブコント」で優勝する前の4年間、僕らは2カ月に1回、新ネタを6本下ろすライブをやっていたんです。これがまあまあしんどいんですよ。で、3年ぐらい続けたときに、一旦やめてみようかって話になったんですけど、ザコシさんに「続けたほうがいいよ」って言われて。「じゃあもう1年だけ」と思ってやっている途中に優勝したんです。

左から、バイきんぐ小峠、ハリウッドザコシショウ。

ザコシ え、俺こそ恩人じゃん!(笑)

ハリウッドザコシショウ

小峠 まあそういうことになりますかね(笑)。お笑いに関する最終決断みたいなものについてはザコシさんを信用していたんだと思います。しんどかったですけど、ザコシさんがやれって言うならやろうって。

──ザコシさんもSMAから初の優勝者が出て刺激になったんじゃないですか?

ザコシ すごいプレッシャーを感じましたね。僕は「あらびき団」(TBS)にずっと出ていて、ギリギリ食えるかどうかっていう生活でしたけど芸人としては一応満足はしていたんです。でも「あらびき団」の放送が終わってしまって、Webに移行したりしてフワフワしているときにこいつらが優勝しちゃったもんだから、ちょっと焦りました。直属の後輩にガッツリ抜かれてるわけですから。コンテストで優勝するしかもう道はないんじゃないかと火がついたのは、こいつらの優勝がデカかったかもしれないです。

──小峠さんはザコシさんが「R-1」で優勝したときのことを覚えていますか?

小峠 テレビで観ていて、優勝が決まった瞬間はやっぱりうれしかったです。あのときは圧倒的にザコシさんだったもんなあ。

ザコシ お前らの「キングオブコント」も圧倒的だった。その圧倒的なお笑いの馬力っていうのがなかったら、たぶんライブを一緒にやろうなんて誘ってないと思います。“安打製造機”みたいな奴とは一緒にやりたくないんですよ、僕は。

バイきんぐ小峠とハリウッドザコシショウ。

完全勝利じゃないと意味がない

──お二人の「ドキュメンタル」での戦い方も圧倒的だったように思います。

小峠 ザコシさんの勝ち方はすごかったですよね。いつも通りのザコシさんのままずっと攻め続けて勝つっていうのは観ていてもすごく気持ちいい勝ち方でした。誰がどう観てもザコシさん(が勝ち)っていう。

ザコシ 僕は小峠がシーズン2で優勝したときに「またやられた!」と思ったんですよ。「こいつが獲ってるし俺も獲らねえと」という気持ちにさせられました。ただ、だからと言ってギリギリで優勝しても意味がないと思っていて。どんな形であれ優勝は優勝なんですけど、やっぱり完全勝利したいじゃないですか。だからシーズン5のオファーが来たとき、有言実行するために前振りのVTRで「これぞ『ドキュメンタル』ってやつを見せますわ」って言っておいたんです。自分を奮い立たせるために。それをやっといて当日全然ボケなかったらバカしょっぺえじゃないですか。

──優勝するだけでなく、勝ち方にもこだわっていたんですね。

ザコシ そうです。というのも、よしもと芸人がいい接戦をすれば別のシーズンに呼ばれるチャンスがあると思うんですけど、たぶん僕らに次はない。だから絶対に一発で決めてやろうっていう気合いがありました。そういうのは思わなかった?

「ドキュメンタル」シーズン5より、ハリウッドザコシショウ。

小峠 僕は「ドキュメンタル」に関しては絶対に優勝しようっていう感じではなくて。もちろん攻めなくちゃいけないとは思っていましたけど、あの空間にできるだけ長いこといたいっていう気持ちが強かったんです。「ドキュメンタル」って、この世で一番お笑い濃度が高い空間じゃないですか。だから、その体験をずっと味わっていたかった。すぐ負けるのはもったいないというか。

ザコシ それはあるな。もっとやりたかったもん。あと3時間は余裕でやれると思う。

小峠 マジですか? すごいっすね。

──みなさん「長かった」「疲れた」とおっしゃる中、ザコシさんはまだやれた?

ザコシ そりゃ疲れてるんですけど、あんな面白いことないですから。マジで24時間やってみたいです。

「ドキュメンタル」シーズン2より、ジャングルポケット斉藤。

──“24時間ドキュメンタル”! 見てみたいです。ですが、「ドキュメンタル」では時間が経つにつれ笑いが起きにくい空気になっていきます。特にシーズン2で小峠さんとジャングルポケット斉藤さんが繰り広げた1対1のバトルは笑いとは真逆のケンカのような雰囲気でしたよね。最中はどんな心境だったのでしょうか。

小峠 あんまり覚えてないんです、必死すぎて。たぶん斉藤も僕も笑うとかいうモードではなかったと思います。「頼むから笑ってくれ、もう早く終わらせようぜ」っていう一心で、しんどかったですね。用意していたものはあの時点で出し尽くしていたので、最後はもうただの暴力(笑)。お笑いのスキルどうこうじゃなしに、どっちが狂ってるかっていう次元に達してたんじゃないでしょうか。“狂い者勝ち”みたいな。

ザコシ “狂い者勝ち”って初めて聞いたわ(笑)。でもあの戦い方はお前の芸風に通ずるものがあるんじゃない?

小峠 あの狂気じみた感じは確かにそうかもしれないです。