八生「線」インタビュー|高知発の気鋭SSWが新曲「線」に込めた思いとは?

素朴でまっすぐな声で日々の葛藤と本音を歌うシンガーソングライター・八生。地元・高知を拠点に、SNSへ投稿した弾き語り動画で注目を浴び、2025年3月に1st EP「はじまりのうた」でデビューを果たした。彼女が1st EPの収録曲「しゅらばんばん」や1st配信シングル「大感謝祭!」などで見せた、ユーモアとほんの少しの毒気を帯びた言葉のセンスと生活感のあるメロディは、全国のリスナーへと静かに広がっている。

そんな八生が10月1日に発表した新曲「線」は、これまでの作品の中でもひときわ静かで内省的。「誰か僕に線を引いてくれよ」というフレーズに、“いい人でいようとする自分”と“本音で生きたい自分”の狭間でもがく心の揺れがにじんでいる。学生時代に感じた人間関係の息苦しさから、社会の中で漂う不安、人との距離感と境界線をめぐる記憶をたどり直しながら、八生というアーティストの“根っこ”を描き出した楽曲だ。

音楽ナタリーでは、八生に初インタビュー。音楽活動のきっかけとなったYUIの楽曲との出会い、高知での暮らしで養われた独自の視点、そして「線」に込めた思いとこれからのビジョンまで、じっくりと語ってもらった。

取材・文 / 黒田隆憲撮影 / 森好弘

音楽の目覚め

──八生さんが音楽に目覚めたきっかけは、YUIさんの楽曲だったそうですね?

もともと歌うことが本当に好きで、物心ついた頃から童謡などをよく歌っていたそうです。小学1年生のときに観た沢尻エリカさん主演の映画「クローズド・ノート」のエンドロールで流れたYUIさんの「LOVE & TRUTH」を聴いて、「なんてカッコいい歌なんだろう」と強烈に心を打たれました。その映画はショッピングモールの中にある映画館で観たんですが、終わったあとすぐに併設の楽器屋さんとCDショップに駆け込んで、お母さんに「ギターを買ってほしい」とお願いしたんです。ギターもYUIさんのアルバムも全部買ってもらって、それが音楽を始めるきっかけになりました。

──ギターはすぐに弾けるようになったのですか?

いえ、全然(笑)。ちゃんと「弾こう」と思ったのは中学生になってからです。小学生の頃はミュージックビデオを観ながら「このへんを押さえてるな」とノリで真似するだけで、中学生になってiPodを買ってもらい、自分で音楽を掘るようになってから、ネットで初めてコードの存在を知りました。最初に練習したのはスピッツさんの「チェリー」でした。シンプルで優しいコード進行が弾きやすくて、それがギターを本格的に弾くきっかけになったと思います。

八生

──曲を作り始めたのはいつ頃ですか?

最初に書いたのは小学5、6年生のときです。ドラマ「SPEC」が好きで、戸田恵梨香さん演じる主人公がいつも餃子を食べているのがおいしそうだったから、それを見て「餃子食べたい」っていう歌を作りました(笑)。歌詞は「餃子食べたい、ニンニクマシマシです」みたいな感じで。メロディはもう覚えていませんが、食欲一直線な歌でしたね。

曲を書くことがセラピーだった

──食べ物をモチーフにした楽曲でいうと、1st EP「はじまりのうた」(2025年3月発表)に収録されている「まるいコロッケのうた」にも通じるものがありますね。

確かに(笑)。食べ物の歌は意外と多いと思います。初めて曲を書いたのは小学校のときですが、本格的に曲作りを始めたのは高校に上がってからです。中学までは地元の学校で、1学年40人ほどの小さな環境でした。でも進学した高校は1クラス40~50人で、それが7、8クラスもあるようなマンモス校。地元から進学したのは私1人だけだったんです。

──環境が大きく変わったのですね。

そうなんです。中学の頃はクラスの中でも「イェーイ!」って感じの陽気なタイプだったんですけど、高校に入ってからは女子が多かったこともあって、ちょっとしたことが変に伝わって噂になったりして。怖くて、本音を言えなくなってしまったんです。それで自分の気持ちを吐き出す場所が欲しくて日記をつけ始めました。その日記には訛りの強い言葉で感情をそのまま書いていたんですけど、「これをなんとか形にできないかな」「この気持ちを昇華できないかな」と思ったのが、作詞作曲を本格的に始める一番のきっかけでした。

──そのときに作ったのはどんな曲だったのでしょうか。

もうあまり覚えていないんですが……女の子が多い環境で、コミュニティが自然とできていく中、「どっちのグループにも入りきれない」「あぶれてしまいそう」と感じた瞬間があって。そういう苦しさを描いたような気がします。今の自分からすると「なんてことないこと」なんですけど、当時は本当に大きな壁に見えていたんですよね。それを歌にすることで、「私は歌を作れる人間なんだ」と思えたし、自分を少し肯定できた。実際、曲を書くことがセラピーのようになって、鉛のように重かった気持ちが少し軽くなったんです。

──自己分析のような意味合いもあったのですね。

日記を書くこと自体が自己分析だったし、歌詞にすることで「自分はこういう言葉を使いたくないんだ」と気付くこともありました。だから曲作りを通して、同級生や友達と関わるときに、「自分はどう接したいのか?」という指針が見えてきた部分もあったと思います。

八生

──作詞作曲をすることは、自分の言いたいことややりたいこと、逆にやりたくないことを知っていく作業でもある?

そうですね。それは今も変わらないです。ただ、日記を書き続けることで「恐ろしいくらい忘れていってるな」と思うこともあります。書いた瞬間に気持ちを吐き出して、もう手放してしまう感覚があるんです。だから最近は書きすぎないように気を付けています。

──でも、書き出すことで新たなインプットの余白が生まれる、という面もありますよね。

はい。頭がパンパンになっていると何も入らないけれど、吐き出すことで容量が空いて、新しいものが入ってくる感じもある。でも私の場合、そのキャパが小さくて(笑)。出したら出した分だけ入るけど、容量自体はあまり多くないのが悩みです。だから今でも、吐き出したいことは一気に日記に書くし、短いメモに残すこともあります。手書きだと筆圧や字の汚さにそのときの心情が出るので、できるだけノートに書くようにしています。眠くて何を書いたのかわからないようなページもあるんですけど、そういうときしか出てこない言葉もあって、そこから曲が生まれることもあります。

“人の心に刺さるもの”を

──八生さんは楽曲のアレンジもご自身で手がけていらっしゃいますよね。

いやあ、アレンジはまだまだわかっていない部分も多くて、周りに助けてもらっていることもたくさんあります。でも「大感謝祭!」という曲は歌詞の内容が過激でそのままだとキツい印象になるので、ブラスを入れることであえてパーティ感を演出しました。そうやって音の方向性で作品全体のバランスを取ることは、いつも意識しています。

──それはDTMで作っていくのですか?

はい。まず自分で「こんなメロディやアレンジがいいな」という設計図をDTMで作っていきます。最初は完全に独学で、iPhoneに入っているGarageBandで制作を始めました。ベースもドラムもブラスも全部鳴らせるので、それを使いながらいろいろ試して、感覚的に覚えていった感じです。

──曲作りで大切にしていることはなんでしょうか。

歌詞に関しては、“人の心に刺さるもの”を書きたいという思いがあります。誰かの心に届けるには、自分自身も傷つくくらいの覚悟で書かないといけないのかなと。「これを歌ったら自分もしんどいかも」と思うような言葉こそ、本当に響く気がしていて。そのうえで歌いやすさやキャッチーさも大切にしています。サビでどんなフレーズを残すか、口ずさみやすいメロディにできるか。長い目で見て、世代を超えて愛されるような歌を作りたいです。誰かに歌い継がれて、生活の中でふと口ずさんでもらえるような──そんな曲を目指しています。

──影響を受けたアーティストはいますか?

あいみょんさんです。私が高校2年生のときにデビューされたんですが、最初に知ったのはYouTubeや配信ではなく、同級生が外の広場みたいな場所でデビュー曲を大声で歌っていたことがきっかけでした。そのとき「なんだこの歌詞は!」と衝撃を受けて、すぐに調べたんです。そしたら、あいみょんさんは本をたくさん読まれる方だと知って、当時の私は長編小説を読むのが苦手だったけど「本を読むことで歌詞の深みや言葉の引き出しが広がるんだ」と気付かされたんです。そこからミステリーや恋愛小説など、いろんなジャンルの本を読むようになりました。

──最近読んで印象に残った作品はありますか?

ヒューマンドラマ系が好きなんですけど、津村記久子さんの「この世にたやすい仕事はない」がすごくよかったです。主人公がある仕事を辞めて、少し不思議な仕事をいくつも転々としていくんですが、その中で出会う人との会話や、仕事に対する価値観、自分の心の在り方が丁寧に描かれていて。5つの仕事を経て主人公が下す決断、その心の流れや決心の仕方にとても共感しました。自分自身の心の動きにも通じる部分があって、すごく響いた作品でした。

地元・高知でしか書けない歌がある

──高知で育ったことは、ご自身の創作にどんな影響を与えていると思いますか?

昔はあまり意識していなかったんですけど、音楽活動でいろんな場所に行くようになって、故郷の存在の大きさを改めて感じるようになりました。例えば朝4時にキジの鳴き声で目を覚ましていたのに、東京ではサイレンの音で起きることがある。そんな違いに触れるたびに、時間の流れ方や空の広さがまったく違うんだなと実感します。自然の中で暮らしてきた経験は、無意識のうちに歌詞ににじんでいるんだなと。心を川にたとえたり、空の青さを歌詞で描写したり、そういう感覚は高知で育ったからこそ生まれたものですね。

八生

──音楽活動を通していろんな土地に足を運ぶようになって、地元のよさがわかったということですね。

そうですね。もちろん東京にも魅力的な場所はたくさんありますが、やっぱり肌に合うのは、ずっと暮らしている高知なんだなと感じます。小さな地元の学校にそのまま残っていたら、きっと楽しくて居心地もよかったと思う。でもマンモス校に進学して、多くの人間関係にもまれたからこそ、人としての幅や奥行きが出たのかもしれません。外に出て、いろんな人と関わった経験が、今の自分の作品に深みを与えていると思います。

──今も高知を拠点に活動されているんですよね?

はい。そこでしか書けない歌があると思っているので、今は高知を拠点に活動しています。もちろん、もっと忙しくなったら上京する可能性もありますが、それも自分のがんばり次第だと思っています。