Ochunism|“自分以外の何かのために”2ndアルバムに込められた、新たに芽生えた使命と葛藤

自分の音楽に求める“支配感”

──凪渡さんは、そういった難解な楽曲を通じて、何を表現したいのでしょうか?

凪渡 僕は狂気的なものが好きなんですよね。聴いていて頭がおかしくなってくるような音楽が好きだし、そういうものを作りたいと思っている。僕、子供の頃からずっと頭の中が騒がしくて。例えば、授業中に周りが鉛筆を走らせる音がずっと頭に響いて消えなかったり、寝る前に頭の中で連想ゲームが始まってずっと終わらなかったり、そういうことに対するイライラが、ずっと自分の中にあるんです。だから、1つのことに集中できないことも多いし、逆に集中しちゃうと周りと会話できなくなることもあるんですけど、そういう自分の中にある苛立ちを、音楽にそのまま出しちゃいたいと常々思っていて。こういう感情って、言葉にするのは難しいけど、音楽だったら表現できるから。洗脳的というか……自分自身を支配されるような感覚が、自分の音楽には欲しいなと思っていますね。

──凪渡さんが言う“支配”というのは、ほかの誰かに向けられているのではなく、自分に向けられるものなんですね。

凪渡 そうですね。誰かから受ける支配ではなく、自分で自分を支配しているような感覚というか。自分の中からあふれるものを形にして、それに自分で夢中になりたいという気持ちがあります。例えば、日本ではラブソングがよく流行ると思うんですけど、あれも感情の支配だと思うんですよ。わかりやすい言葉で、わかりやすい関係性を描くことで、聴く人が入り込める。それって、音楽に支配されて感情を持っていかれている状態だと思うんですけど、僕が望む支配はそういうわかりやすい支配ではなくて。もっと、釘付けになるような感じというか。ジェットコースターに乗っているように曲に引っ張られて、「何をしているんだ、この音楽は?」と思わせられるような感覚。そういう支配感が僕は好きだし、そういうものを作りたいとずっと思っているんです。なので、本当はもっともっとグチャグチャにしたいんですよ。レコーディングでも、本当はそのときその瞬間に思い付いた音や叫び声も入れてしまいたい。滅茶苦茶におかしくしてしまいたい。ただ、そういう感覚を求めるだけだとなかなか曲は形にならないので、ある程度「きれいにまとめよう」としてしまう。そこが僕のいいところでもあり、悪いところでもあると思ってます。

──今のお話は、凪渡さんがなぜ音楽の道を選んだのか?ということにも通じそうですね。

凪渡 そうですね。僕は小さい頃からしゃべり始めたらずっとしゃべってしまうタイプで。そういうことを続けていると、周りの大人たちも段々話を聞いてくれなくなるんです。そういうことが、自分の中でトラウマになっているのかなと思います。「話を聞いてほしい」という気持ちが自分の中にはずっとあって。それが「自分が表現するものをみんなに見てほしい」「触れてもらえたらうれしい」という気持ちの強さにつながっていったのかなと。自分の表現を見てもらえたら、「そこに自分がちゃんと存在している」と思えるから。

Ochunism

始まりはヒップホップ

──凪渡さんが音楽を表現して生きていきたいと思ったのは、具体的にいつ頃だったんですか?

凪渡 それはOchunismを組んだタイミングなので、ここ2年くらいのことですね。ただ、その前からずっとヒップホップが好きで、高校3年生の頃からサイファーに行ったりしていたんです。ただただ音に乗ってしゃべっているような形が自分に合っているなと思って、家でフリーのビートに乗せて歌詞を書いたりもしていました。自己表現という意味で言うと、僕にとってはそこが発端だったのかもしれないです。ラップって、頭に出てくる言葉をつらつらと話すだけでも形になるんですよね。「韻を踏まなきゃいけない」みたいなルールのようなものも一応ありますけど、僕はそういうのってあんまり関係ないと思っていて。自分が好きなように表現したものが自己紹介になるのがヒップホップだと思う。そういう意味でも、自分はラップに向いているなと思って、やってました。そう考えると、家で1人イヤホンを付けて、誰にも見られずにラップしている瞬間が自分の一番のルーツであり、自分にとって本当の音楽だったのかもしれないなと思います。

──今、バンド内でボーカルを担っているのも、ラップを通して自己表現を始めた経緯が大きいですか?

凪渡 そこはあんまり関係なくて、歌に関しては、物心付いたときから歌っていたんです。小さい頃からじっとできないタイプだったんですけど、歌っている間はじっとできた。なので、歌うことはずっと癖みたいなものだったんです。だからといって、子供の頃、歌うことで何かを表現したいと思っていたわけでもないんですけどね。でも、音楽を始めるとしたら絶対にボーカルだなと思っていたし、僕は歌とラップの境界線は必要ないと思っています。歌もラップもシームレスにつながるべきやと思う。今はまだ、ラップと歌は別物として捉えられることが多いと思うんですけど、そういう風潮には違和感がありますね。

──ちゅーそんさんは、自分がものを作って表現していく立場になるということは、いつ頃から意識していたと思いますか?

ちゅーそん 僕が音楽を始めたのは、中学生の頃にレッチリとかを聴いて、ただただ「目立ちたい」という一心でベースを始めたのがきっかけです。でも、そもそも幼稚園の頃から絵を描いたりマンガを描いたりするのが好きで、他人が作ったものを読んだり聴いたりするより、自分が作ったものを見るのが好きだったんです。僕は、自分が一番の自分のファンなんですよ。正直なところ、自分の求めるものや自分にとって重要なものは自分で作れるし、「自分で作った音楽をまったく外に出さずに自分の中だけで楽しみたい」という気持ちもあるんです。でも、それじゃあ生きていけないので、それをみんなで共有して、みんなでハッピーになろうとしているのが今っていう感じです。

──ほかの誰かに向けてというよりは、まずは自分のパーソナルスペースで生まれる表現を愛しているという点は、凪渡さんとちゅーそんさんに共通している部分なのかもしれないですね。凪渡さんは“狂気”や“支配感”と仰っていましたけど、ちゅーそんさんは、自分自身が表現したいものの根っこにあるのは、どんなものだと思いますか?

ちゅーそん 僕は正直、凪渡に比べると何も考えてないです(笑)。「これを表現したい」という明確なものもなくて。基本的にのんびりしていますし、頭の中も真っ白というか、シワのないきれいな脳みそしていると思います(笑)。なので、自分がそのとき、カッコいいと思う音楽をただ作っているだけなんですよね。それでも、ずっと絵を描いてインスタに上げたりもしているし、今後は音楽だけじゃなく、表現できるものを増やしていけるといいなと思っているんですけど。

──音楽以外で特に好きな分野というと、絵やマンガになりますか?

ちゅーそん あと、映画も好きです。マニアックな作品から有名なものまで、映画はなんでも好き。面白くなくても好きですね。もちろん面白いほうがいいですけど(笑)、「何かを作りたい」と思った人がいて、それを形にしたっていうだけですごいと思う。音楽も一緒ですけどね。