NELN 第2章の幕開け|邁進し続ける3人の今日までの歩みと目指す場所

NELNの新曲「SUMMERY」「デジャヴ」が7月14日に配信リリースされた。

NELNは映像作家の森岡千織が株式会社blowoutの一ノ宮佑貴代表とタッグを組み、「NEO NERD LOVELY」をコンセプトに誕生させたアイドルグループ。2019年にメンバーオーディションが行われ、4人組として結成された。コロナ禍の中、昨年4月に本格始動した彼女たちは12カ月連続で新曲を配信リリースし、そのMVも毎月公開。昨年末の「アイドル楽曲大賞」で高順位にランクインするなど、森岡とサウンドプロデューサーのShinnosuke Nakasone(ex. 蟲ふるう夜に)のタッグによる楽曲のクオリティの高さでじわじわと話題を集めてきた。

今年に入ると、NELNは12カ月連続リリースを完遂した4月のタイミングでデビュー1周年記念ライブを開催(参照:NELNデビュー1周年ライブは大成功、12カ月連続リリースで得た成長と“宝物”)。7月13日に1年間の楽曲をまとめた1stアルバム「dawn」をリリースすることを発表したが、その後6月にメンバーのAKARIが卒業し、3人体制で再出発することになった。そして彼女たちはアルバム発売日の翌日に新体制初の楽曲「SUMMERY」「デジャヴ」を事前告知なしで突如リリース。活動の第1章を締めくくるとともに、第2章の幕開けを表明した。

音楽ナタリーではこの新曲2曲のリリースに合わせ、メンバー3人と森岡にインタビュー。結成からの日々を振り返ってもらいつつ、1stアルバムの発売から時間を空けることなく新曲をリリースした意図、今後グループとして目指すところなどをじっくり語ってもらった。

取材・文 / 近藤隼人 撮影 / 森岡千織

新しいNELNを印象付けたかった

──1stアルバムが発売されてすぐに新体制初の楽曲がリリースされるというのは、ファンにとっては不意を突かれるような出来事でもあるのではないでしょうか。「えっ、もう? もっと余韻に浸らせてよ」という。

森岡千織 「dawn」は1年間の軌跡をまとめた4人のNELNのアルバムで。それももちろん思い入れの強い大事な作品なんですけど、いきなり新曲をリリースすることであえて余韻を残さず、新たなNELNを印象付けたかったんです。

KARIN アルバム発売の次の日に新曲を出すと聞いたときはびっくりしたんですけど、私たちとしても早く新しい作品を届けたいという思いがありました。

NATSUMI

NATSUMI 自分たち的にも、いい意味で4人の時代を引きずりたくなかったんです。

MAO 最初にこの話を聞いたとき、森岡さんなりの覚悟や意図があるのかなと思って納得しました。過去に縛られすぎないというか、ちゃんと未来を向けて進んでいくぞという決意をファンの皆さんに表したいんだなって。

──新曲にも新体制ならではの思いが表れているようですが、その話に行く前に、まずはこれまでのNELNの歩みを振り返らせてください。そもそもどういった経緯で結成されることになったのか、という出発地点から。

森岡 はい。私はもともと映像作家として活動して、映像の制作会社を持っていて。その中で1人のディレクターとしてアイドルさんにも関わるようになって、そのお仕事が楽しかったのがNELNを結成した1つのきっかけですね。特に桜エビ~ず(現:ukka)さんのミュージックビデオを作った経験が大きくて、そばで見ていて運営もメンバーも楽しそうで、そこに対する憧れみたいな思いがあったんです。そしたらある日、現在NELNが所属している事務所blowoutの代表の一ノ宮(佑貴)と知り合いまして。一ノ宮も音楽やエンタテインメントに熱意を持っていたので意気投合して、2019年の秋にオーディションを始めることになりました。

──メンバーはどういう基準で選んだんですか?

森岡 いろんな方に応募してもらったんですけど、あえて芸能活動、歌やダンスの経験がない同年代の人たちを選んでいきました。自分の憧れからアイドルグループを始めたものの、私にとっても未経験でいろんなことが未知の領域でしたね。それまでは依頼を受ける受注という形で仕事をしてましたが、逆の立場になったので。

NELNじゃなければアイドルをやってなかった子たち

──NELNは王道アイドル的なキラキラ感やハツラツとした空気が少なめで、どちらかと言うとインドアで文化系の匂いがしますが、この方向性は結成時からかっちり固まってたんですか?

森岡 あまり言ってないんですけど、私がアイドルを好きになったきっかけの1つが欅坂46なんですよ。その中でも平手(友梨奈)ちゃんを推していて。なので、私にとっては最初からアイドル=笑っていないという認識だったんです。あとは自分がパリピかナードかで言ったら、ナードな人生を歩んできたので、キラキラ輝いてる人たちと目が合わないというか、なじみがなかったんですよね。オーディションのテーマとしても「NEO NERD LOVELY」という造語を掲げていて、学校のクラスで目立つようなタイプではないけど、教室の隅で自分の好きなものを大切にしてる女の子を探しました。最初から王道のアイドルにするつもりはなかったです。

──メンバーもそのコンセプトを理解してオーディションを受けたんですか?

NATSUMI 私はオーディションを受ける前からアイドル然したかわいい系のアイドルは自分には合わないと思ってました。ほかにもいろいろとオーディションを探したんですけど、一番自分に合いそうだなと思ったのがこのグループだったんです。

KARIN

KARIN 私はもともとアイドルに詳しくなくて。アイドルはかわいいフリフリの衣装を着て踊るものというイメージがあったんですが、たまたまこのオーディションを見つけて、ティザー映像を観たんです。それが私の好きな世界観で、「こんな雰囲気のアイドルもありなんだ」と思ってオーディションを受けることを決めました。

MAO 私もアイドルはAKB48さんみたいにかわいいスカートを履いて踊るものだと思っていて。NELNのオーディションには母が応募してくれたんですけど、私はかわい子ぶるのが苦手だったので、アイドル活動を始めることには正直不安を感じてました。でも、12カ月を通してアイドルに対しての固定観念が取り払われて、視野が広まっていきました。

森岡 アイドルに対しての固定観念が完全に固まっていない人、というのもオーディションの選考基準で、「とにかくアイドルになりたくて来ました!」みたいな人は選ばなかったんです。ティザー映像もコアな方向性のビジュアルで作って、その琴線に触れた人を取った感じですね。このグループじゃなければアイドルはやってなかったという人たち。

──なるほど。メンバーが決まったあと、昨年4月に活動がスタートしましたが、これがちょうど世の中がコロナ禍に突入するのと同じタイミングでした。当初の想定と違うことが多々あったんじゃないですか?

KARIN 最初の緊急事態宣言が出た頃、私たちはダンスや歌を始めてまだ数カ月しか経っていないのにレッスンもリモートになってしまって。12カ月連続リリースの2曲目に出した「スクエア」はほとんどリモートで仕上げたんですけど、直接集まっての振り入れでも頭がパンクするくらい大変だったので、当時すごく不安だったのを覚えています。

──リモートでのレッスンって具体的にどうやるんですか?

森岡 ビデオ通話でダンスや歌の先生とメンバーをつないでレッスンするんです。そのあと成果として撮った動画を提出して、歌だったらそこから先生の添削が入って、またビデオ通話で面談してという形で進めていました。なので、通常のレッスンと比べて工程はかなり増えるんですよね。

NATSUMI グループの始動を告知するティザー映像が公開されたときも、それぞれバラバラに自宅で過ごしたんですよ。本当はデビューとなるその瞬間を一緒に迎えたかったんですけど、それはできないのでみんなに呼びかけてLINEのビデオ通話で気持ちを共有しました。

MAO みんなでカウントダウンしてね。そのあとも何十分も話して、「このあとどうなるのかな。どれくらい世の中に広まっていくのかな」とみんなで話してました。

12カ月連続リリースはめちゃくちゃ大変だった

──その後、デビュー曲「ワンダーフォーゲル」を皮切りに12カ月連続リリースが始まりました。毎月新曲とミュージックビデオを制作し続けるのは相当体力が要ることですよね。しかも活動開始直後ということで、かなりの冒険だったと思うのですが……。

森岡 やっぱりコロナの影響が大きくて、本当は4月にステージデビューしたかったし、その前に何かのイベントに出てプレデビューみたいな形でお披露目しようかとも考えていたんですけど、とてもそんなことができる状況ではなくなってしまって。結成したばかりのゼロの状態なのでほかにできることも少なかったし、スタートダッシュを決めたいという気持ちから、大変だろうけどやりきろうと決意して12カ月連続リリースを始めることにしました。毎月でも新曲やMVを出していかないと知ってもらえない状況だったので。

KARIN 私たちは12カ月連続で新曲をリリースすることをネットの記事で知ったんですよ(笑)。

MAO

MAO それを見て「えっ!」ってびっくりしました(笑)。

森岡 当時はグループ内でうまくコミュニケーションが取れてなかったんですよね……(笑)。直接会えていなかったし。

MAO 「ワンダーフォーゲル」のMVがかなり大掛かりな撮影で、「これが毎月続くの!?」という衝撃と不安な気持ちがありました。

──実際、1年間続けてみてどうでした?

KARIN めちゃくちゃ大変でした。でも、本当にド素人の状態から始めて、最初は「ワンダーフォーゲル」の振り入れに1カ月以上かかってたくらいだったんですけど、12カ月の終盤では1日のレッスンで振りを覚えられるようになりました。

森岡 「ワンダーフォーゲル」のMVは私の映像作家としての意地もあったし、素人の4人をどうにかカッコよく見せるぞと意気込んでかなり手間をかけたんですけど、後半はメンバーの表情や動きがかなりよくなってきて。撮影中に自分が純粋に感動できる瞬間もあったので、無理して12カ月続けてよかったなと思います。

NATSUMI コロナ禍でライブがあまりできなかった分、MV撮影を通してかなり成長できたと思っています。もし12本のMV撮影がなかったらと考えると、ちょっと怖いですね。ライブ活動だけじゃここまで来れてないなって。

MAO 8月後半にステージデビューしたあと、ライブがどんどん決まっていって。新曲のレコーディング、MV撮影と並行してライブ活動をやるのは大変でしたが、無事に乗り越えられてよかったです。

──一番大変だった時期を挙げるとしたらいつですか?

KARIN なんだろう……全部が大変すぎて(笑)。

NATSUMI やっぱり「ワンダーフォーゲル」のときですかね。全部が初めてだったので。後半のほうはかなり慣れてきて、変わらず大変ではあったんですけど、それと同時に楽しむことができるようにもなりました。「ワンダーフォーゲル」の頃はダンスも歌も何もわからず、体力もない状態でした。

MAO 私も「ワンダーフォーゲル」のときが一番大変でした。それまで自分の歌声をしっかり聴いたことがなかったので、プレレコーディングとして最初に歌を練習したとき、「えっ、私ってこんな声だったんだ……」と絶望したんです。レコーディングに向けて焦りも感じました。