素材がよくてもおいしくなければ意味がない
202stは、各スタジオルームで録られた音をミックスダウンするためのコントロールルーム。横長いSSLのミキシングコンソールSL6000G+TRの前に鎮座する、ビクタースタジオ仕様に徹底的にチューニングが施された重厚なGENELECのラージモニタースピーカー1035Bは、ビクタースタジオが音楽業界で厚い支持を集める要素の1つだ。エンジニアたちは原音を忠実に再現するこの巨大なスピーカーとニアフィールドモニターを使い分け、録音された楽器やボーカルの音をトラックごとに細かくチェックし、微調整の末にマスター音源を作っていく。加えて、一般家庭のリスニング環境でどう聴こえるかという民生機器でのチェックも非常に重要なポイント。その意味合いから、ビクタースタジオは2003年に日本ビクター(当時)とウッドコーンを共同開発し、ビクタースタジオのすべてのレコーディングスタジオとマスタリングルームに設置。今では音楽制作現場の標準民生機としてウッドコーンが幅広く採用されている。どんなに優れた楽曲も、ミックスがちぐはぐでは心を打つ名曲にはならない。レコーディングされた楽曲を最高の形で届けるため、アーティストはエンジニアと共に細部までこだわり抜いて楽曲を完成させていく。
SSLのミキシングコンソールSL6000G+TRと、背後の壁面に埋め込まれたGENELECのラージモニタースピーカー1035B。
「私たちがポイントとしているのは“聴いた感じ”なんです。数値がどうだ、特性がどうだとかいうバックボーンも重要ですけども、聴いて単純にいいか悪いか、という判断が大事。料理に例えると、素材や産地がどうであれ、食べておいしくなかったら意味がないんです。素材の味だけを生かそうとしても、味として物足りないものになりかねない。音楽はそういうふうには作られてないんです。なんだかわかんないものを使っていても、うまいのならそっちのほうがいいでしょう?(笑)」
ミックスについて説明するビクタースタジオのエンジニア粕谷尚平氏。
JVCケンウッドとビクタースタジオが共同開発で取り組んでいる高音質化技術「K2HD PRO MASTERING」は、量子化ビット数16bit、サンプリング周波数44.1kHzというCDフォーマットで記録されたマスター音源から、CDフォーマットで失われた倍音(高調波成分)を復元(再現)してハイレゾ相当の音楽データを生成するというもの。ビクタースタジオが共同で開発した「K2テクノロジー」に基づいた技術だが、その作業の根本は、確かな耳と腕前を持つスタジオエンジニアの「主観的評価処理」であるという。
音を“元に戻す”K2HDマスタリング
K2テクノロジーの開発がスタートしたのは、アナログレコードからCDへの変換期である1987年。「デジタルは0と1の符号の組み合わせだから、何度コピーしてもデータ的には一切変質しないので音色の変化はない」という説に、ビクタースタジオのレコーディングエンジニアたちが「納品したマスターのテープとオリジナルのテープではどこか音が違う。ヌケが悪く感じる」と異論を唱えたことに端を発する。ちなみに「K2」とは当時の日本ビクター技術者・桑岡俊治氏と、ビクタースタジオ技術者・金井実氏の頭文字を取ったものだ。
「K2HD PRO MASTERING」は、スタジオで扱われているピュアなオリジナルマスター音源(アナログテープやハイレゾクオリティのデジタルマスター)から制作されたCD用のマスター音源を、数学的に計算すると35兆パターンにもおよぶアルゴリズムを持つK2HDプロセッサで調整し、オリジナルマスターの音に限りなく近い状態で“復元”する技術。スタジオエンジニアによる評価コメントを分析し、膨大な数のK2アルゴリズムから最適なものを選定していく。オリジナルマスター音源とK2HDプロセッサで変換された音源を周波数スペクトルで並べてみると、K2HDで“復元”された音源がオリジナルマスターとは若干異なる周波数を持っていることがわかる。これは秋元氏が語った料理の例えにあたる部分。数値的な判断とは異なる“聴いた感じ”を重視した結果だ。
「原音を忠実に再現すること」「音質を派手に加工したり誇張したりしないこと」をモットーとしたK2テクノロジー。さまざまな技術を駆使しつつも、最終的な判断は人間の耳に委ねられる。“いい音”ではなく“いい音楽”を追求する、現場のプロたちのこだわりの結晶。「K2」という無機質なネーミングも、情熱を持って“いい音楽”に取り組んだ2人の技術者の頭文字だとわかると、不思議な親しみやすさを感じる。
CDマスター時代の名曲が色鮮やかによみがえる
CDが普及し始めた1980年代後半以降は、マスター音源がCDフォーマットで保存されている作品も多い。ビクター運営の音楽配信サイトVICTOR STUDIO HD-Music.ではそんな時代に作られた名曲の数々を、K2HDプロセッシングを用いてハイレゾ相当のサウンドで“復元”したK2HD音源が配信されている。誰もが知っている懐かしのヒットソングから隠れた名盤まで、さまざまな作品がラインナップされているので、興味を持った人はぜひチェックしてみよう。
スタジオモニターヘッドフォンの新スタンダード
JVCケンウッド・ビクターエンタテインメントが今年発売したヘッドフォンHA-MX100-Zは、ビクタースタジオがプロデュースし、アーティストやエンジニアがスタジオ作業で使用する、ハイレゾ時代の本格的なスタジオモニターヘッドフォンとして作られた。2011年発売のロングセラーモデルHA-MX10-Bの優れた面を引き継ぎつつ、ハイレゾ音源の豊かな音域を表現すべくアップデートされた本機。そのサウンドは202stをはじめとするスタジオのラージモニタースピーカーを基準にチューニングされており、実際にラージモニターとヘッドフォンで同じ音源を交互に聴き比べてみると、音像の見え方や各楽器の定位感をメインとした楽曲のイメージは驚くほど近く、そのこだわりがひしひしと伝わってくる。なおビクタースタジオでは本機が全スタジオのモニターヘッドフォンとして採用されている。
JVC HA-MX100-Z(撮影:川﨑名人)
2016年12月21日更新