東京事変|10年ぶりのフルアルバムで、たどり着いた“音楽”

東京事変が6月9日に10年ぶりのオリジナルフルアルバム「音楽」をリリースした。

閏年の2020年1月に“再生”した東京事変は、予想だにしないパンデミックに直面するも、歩みを止めることなく精力的に新曲を発表し続けてきた。満を持してリリースされるアルバムのタイトルは「音楽(ミュージック)」。7曲の未発表曲を含む計13曲を収録した本作は、2021年現在の日本社会の有り様、そしてそこに生きる者としての思いをダイレクトにパッケージしたような1枚となっている。

本来であれば全国ツアー、オリパラ、レコーディングと“全部盛り”を予定していた2020年。パンデミックに見舞われた世界で、椎名林檎(Vo)は何を思い、アルバムの制作へと向かっていったのか? その思いをじっくりと語ってもらった。

取材・文 / 宇野維正

8年という時間を経て

──東京事変としてもそうですが、林檎さん自身もひさびさのインタビューとなります。昨年から本当にいろいろなことがあって、話を聞く立場としては聞きたいことはたくさんあるわけですが、1つ思ったのは、やっぱりこうしてアルバムをリリースするとなると、インタビューをちゃんと受けていただけるんだなあということで。

「これってどうなの?」と議論を巻き起こしかねない問題が起こったときも、もともと説明をあまりしてこなかったので、たまにはこうしてお話をしたほうがいいのかなと。もしSNSをやっていたら、きっと私は秒で炎上すると思うので、緩衝材含め、お力をお借りしようと。

──お力になれるといいんですけど(笑)。今回の「音楽」は、東京事変のオリジナルフルアルバムとしては2011年に発表された「大発見」以来、ちょうど10年ぶりの作品になります。2012年に一度解散をして以来、どこまでが計画されてきたもので、どこまでがアクシデント的なものなのかというのが、昨年から続くパンデミックを経たことでさらにわからなくなったというのが正直なところなのですが。

2012年に解散したあとも、可能性は残しながら、都度都度判断してきたという感じです。完全に「やめようや」というほうに傾いたこともありますし、そもそも2020年は本番のオリパラ(東京オリンピック・パラリンピック)の仕事をやってたらできないんじゃないかって話になったこともありましたし。でも、最終的には全部盛りでいこうってことになったんです。オリパラも引き受けて、事変のツアーも制作もフルでやるっていう。

──少なくとも、2020年1月1日に東京事変の「再生」を発表した時点ではそうだったんですね?

はい。そもそも事変が解散した一番の理由は、特に活動後半になってからは毎年のようにフルアルバムを出して、ツアーもやって、と常習化してきたことで無理をきたしていた点にあるので。(伊澤)一葉とか浮雲がほかに活躍の場があったときに、平行してできるようなものではなくなっていたんですね。彼らのキャリアを考えると、あのタイミングが限界だった。それはスケジュールの問題だけじゃなく、事変という現役チームがある状態だと、ほかの現場に行ったときに思いきってそこでやり合えないんじゃないかって。それは、私に置き換えて考えてもそうでした。

──実際に、8年の休止期間の間に皆さん「これでもか」というほど羽ばたきましたよね。まあ、亀田(誠治)さんは結成当時から別のフェーズにいた音楽家ですが。

やっぱりみんな自分の手を動かして(曲を)書かないとダメですよ。作家っていうのは実態のないものだから、いっぱい書かないと本当の姿というのが現れてこない。書いて初めて、実態というのがあるように見えてくるというだけで。彼らにとっては、そういう時間になったんじゃないでしょうか。偶然みんなもともとハンサムですが、時を経てますますいい顔になりましたよね。しみじみ感じ入ることがあります。声も滋味深くなってきましたし。

東京事変

1人の市井の民として

──そういうメンバーのスケジュールも合わせて“全部盛り”で行くぞとなっていた矢先に、パンデミックがやってきたわけですが。実際、当初は東京オリンピック・パラリンピックの仕事も合わせると、とんでもないタスクの負担が予想されていたわけですよね。

それが、そこまで気負ってはいなくて。デビューした年もそうですけど、そういう機会はこれまでも何度かあって。ずっと多忙でしたから。私は全工程を見るので、ずっと働き詰めなんですよ。確かに、オリパラの仕事になると、全然違う毛色の人と話をしなくちゃいけないので、そういう疲れというのはあったでしょうけど。

──「あったでしょうけど」?

私が先方にずっと伝えていたのは、音楽というのは権利であり、クリエイティブというのはお金の使い方の話なんですよってことで。そこが正当な形で決まらない限り、1つも手を動かさないと決めていたので。

──ああ、まだほとんど手を動かしていなかった?

そこにいく前の段階でした。

──東京事変に限らず、林檎さんがアウトプットする表現というのは、いつも驚くほど緻密に仕上がっていて、作品がリリースされたときには気付かなくてもあとから「あれはそういうことだったんだ」と気付くことも多くて。そういう表現をしてきた立場からすると、今回のパンデミックというのはことさら厄介なものだったと思うのですが。

そういう“理性と本能”でいうなら“理性”側みたいなことを言われがちですけど、それだけだとできないようなものをずっと作ってきたのにな、おかしいな、ってよく思うんです。

──それはおっしゃる通りです。

こちらとしてはそもそも毎度臨機応変にやっているつもりなんです。今回厄介だったのは、クリエイティブだとか、商売だとか、いわゆる表沙汰になる部分ではなくて、子供たちの学校のことだとか、もっと市井の暮らしの部分ですね。こういうことが起こったときに、国は何を優先しようとしているのか。その結果、どんな弊害が起こっているのか。それについては、「だせえな」と思うこともあったし、納得のできない要請も多々ありました。アルバムに関しては、出そうと思えば2020年に出せる状態ではあったんです。メンバーからバトンは渡されていて、残っていたのは私個人の作業でした。でも、昨年は事変のもう1つの本業である、ライブ活動について少し考えあぐねていたところがあって。アルバムで初めて収録される曲に関しては、今年の1月から3月に詞を書いて、歌を録って、全体を仕上げたものです。

──それは、詞作で一度手が止まっていたということですか?

いや、詞作そのものというより、曲を作る際にはステージで実現したいポイントというのがあって、円盤ではここまでが精一杯というのを一度見せたうえで、そこでのピークとステージでのピークというのを別のものとして設けたいと常々思っているんです。なので、しばらくステージに上がれないのだとしたら、自分の中でそこに今回だけの折り合いをつけなきゃいけない、地に足をつけ直して別の可能性について考える必要があったということです。

──でも、結果として今回、まるでプロテストアルバムと言っていいほど、いくつかの曲の歌詞が生々しいものになっていて。これは、一度時間を置いたからこそでもあると思ったんですけど。

建造物を新しく建てるとき、その外壁に現地の砂を混ぜるように、作詞段階で現地の砂を混ぜて仕上げるというのが、ずっと変わらない自分のやり方です。だから、もし今の時代、この場所の砂に何かが入っていたとしたら、それがいいものであれ悪いものであれ、リリックが物語ってしまうでしょうね。しょうがないことです。今回は、砂に混ざっている危険物が減るのを、待ちたかったのかもしれませんね。本当はいつもどこかで、ただ綺麗な外壁の建物を作ってみたいと思っているんでしょう。

──そこでは、東京事変の作品だからとか、本人名義の作品だからとかは、もはや関係ないということですか?

甚だ烏滸がましい例えで恐縮ながら、林檎名義はPRADA、事変はMIU MIUみたいな、姉妹ブランドのようなつもりなんです。今回、事変をもう1回始めるときにその話をメンバーにしたら、みんなもそう思っていた、と。もっと申し上げるなら、事変はよりユニセックスでよりスポーティで、なるべくフットワーク軽く受け取ってもらえるストリートカルチャーであってほしい。最初からバンド編成が決まっていて、管も弦も使わずこの5人で目の前にある道具だけでなんとかするというのが事変の基本です。逆に言えば、なんでもありです。それと……デビューしたばかりの頃ならまだしも、20代は、自分がポンと思ったことを書いたり発したりすることがすごく難しくなったんですね。10年以上ずっとそういう抑圧の中にいた。もちろん表現したいものはあふれていたものの、もし20歳そこそこで「音楽」や「三毒史」のような作品を出したとして、きっと世の中で説得力をもって鳴らなかったと思うんです。今は、ようやく描きたいテーマに似合う実年齢になったという気がしてます。

──東京事変のディスコグラフィの中で「音楽」をどう位置付けるかというよりも、2019年の椎名林檎名義のアルバム「三毒史」との連続性の中でとらえることで見えてくるものも多いということでしょうか?

おっしゃる通りです。「三毒史」はこの世の中に毒が蔓延していることを踏まえて、今起こっていることをそのまま実景としてスケッチしただけの作品でして、「音楽」では、その起こっていることについて1人の市井の民として話し合うということをタブーにはしてないんです。あまり思慮深くはないというか、なんでもかんでも口にしてしまう(笑)。もちろん、そこにもメソッドはあって、最終的にはきちんとしたクオリティのものに仕上げねばと思うわけですけど。

──それは、東京事変名義の作品であっても、パーソナルな心象を曲に託すことを躊躇してないということですよね。

ええ、両方聴いてくださった方にはより立体的に聞こえてくれるよう作っています。アルバムの真ん中に置く曲、「三毒史」だと「TOKYO」、今回の「音楽」だと「闇なる白」は一番谷になっている部分というか、アルバムのおへそのところです。一番辛辣なタッチで「現在はここ」というリアリティの軸を毎回書くようにしてるんです。ソロ名義と違って事変では、その前後関係についてまったく別なキャストの視点も入れています。その真ん中までのアルバムの前半では、若い世代に大人として「そうであってほしい」みたいな希望があるぶん、ザッピングするような表現もしてしまったという具合でしょうか。ボキャブラリーも、二十歳くらいの方のものを拝借してもいます。

──ソロ名義と事変名義、どっちのほうが自由度が高いというわけではなく?

そうですね。音楽的な自由度もリリックの自由度もどっちも面白さがあるし、どっちも大変ですし、どっちもすごく疲れます(笑)。

──フルアルバムの単位でいうと、東京事変の2011年のアルバム「大発見」は、起承転結の結としての大団円を迎えたような作品だったと思うんですよ。事変として、そこから本格的に再起動をはかるうえでの難しさみたいなものは全然なかったということでしょうか?

そこはどうにでもなるというか。「こうじゃなきゃいけない」みたいに思って動いてるポイントなんてそんなにないんですよ。確かに大前提のメソッドは昔からあります。一個一個の判断については日々考えることはありますけど、全体のプロットに関してはいくらでも書き換えるし、どうにでもできるので。メンバーもみんな柔軟な人たちですから。こんなにゆるいのに、どうしてそんなにカチッとコンセプトを設けてやっているように見えるのかがわからないんですよ。

──作業の過程はそうなのかもしれないですけど、ライブもそうですし、やっぱりこうして作品として提示されるものについては、蟻の這い出る隙もないようなカチッとしたものとして受け止めてしまいます。

すみません。もっとリラックスしていただけたらいいのに。こちらとしては皆さんに笑っていただきたいとしか考えていません。まだまだですね。

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