番組前半では「自分よりちょっと上の世代の方というイメージ」という山口百恵が中学生の頃まで過ごした横須賀へ。番組後半には岡村が「師匠のような存在」「僕の芸のほとんどは志村さんから学んだもの」と語る志村けんにスポットを当てる。かつてフジテレビがあった東京・新宿が街ぶらのスタート地点。若かりし頃の志村が通っていた銭湯のオーナーからも話を聞く。さらに志村が通っていた麻布十番を訪問。長く贔屓にしていた料理店のオーナーに志村との交遊録を尋ねる。
ナインティナイン岡村 コメント
今回は山口百恵さん、志村けんさんという、大スターお二人の道のりを勉強させていただきました。百恵さんは僕自身リアルな世代ではないんですが、それでも名前を聞けばすぐわかる伝説のスターで、中学生の頃の話をうかがったら、僕なんかとは生き様がまったく違うと思いました。「スター誕生!」に出て地元で大騒ぎになっても、オーラを消していたとうかがい、その心中はどんなものだったのか知りたいと思いました。僕は全国ネットのテレビに出て地元の大阪で大騒ぎになったとき、気持ち良かったですから。肩で風切って歩いてましたから(笑)。自分と比べても、百恵さんがどんなことを考えていたのか興味があります。
志村けんさんは河田町の旧フジテレビでもご一緒する機会があり、まだちゃんと挨拶できてないときに加藤茶さんとのコント収録を見学させてもらったこともあります。お笑いに対して全力で向き合い、「バッターボックスに立たないとお笑いは起きないんだよ」とおっしゃっていたのをいまも覚えています。僕自身もお笑い番組の収録ではプロデューサーさんや演出家の方に「志村さんならどうするか考えろ」とよく言われたものです。僕はあまりお酒が強くないのですが、志村さんにごはんに連れていってもらうようになってからは、一緒に飲むとうれしそうな顔をされていました。志村さんの前では一生懸命飲みました(笑)。失礼があってはいけないと思い、どうにか頑張りましたが、お帰りになったあとは緊張の糸がゆるんでお酒がまわって、それは大変でしたね(笑)。
百恵さんも志村さんもお若い頃、いろいろ苦労されていたんですね。だからこそ、強い精神力でスターへの階段を駆け上がったのだろうし、番組ではスターになる前の一般人だったころの貴重なエピソードも紹介します。お二人とも自分たちと同じように普通の暮らしをしてきた中で、どんな過程を経てスターダムを駆け上がったのか、興味深いと思います。次も1970年代、80年代のスターにまつわる場所を訪ねたいです。あの年代の方って、やっぱり輝いていた人が多いというか、当時の方々の伝説をもっと知りたいです。1つひとつのエピソードが大きいし、生き様も分厚いというか。興味深いエピソードがいっぱいあるでしょうから、深掘りしたいですね。
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てれびのスキマ/戸部田 誠 @u5u
ナイナイ岡村、志村けんゆかりの地を訪問「僕の芸のほとんどは志村さんから学んだ」 - お笑いナタリー https://t.co/QiqrNytxYH
岡村「僕自身もお笑い番組の収録ではプロデューサーさんや演出家の方に「志村さんならどうするか考えろ」とよく言われたものです」