さよならポエジーが3月6日に4thアルバム「SUNG LEGACY」をリリースした。
さよならポエジーは兵庫・神戸で結成されたスリーピースバンド。2016年発表の1stアルバム「前線に告ぐ」で注目を浴び、ライブハウスを主戦場にストイックな活動を続けてきた。前作「THREE」から約3年ぶりとなる「SUNG LEGACY」には、「ボーイング」をはじめとしたアッパーな楽曲を多く収録。ジャケットのデザインは既発のアルバム3作とは一新され、バンドの新たなモードがうかがえる1作になっている。
音楽ナタリーでは「SUNG LEGACY」のリリースに際して、オサキアユ(Vo, G)にインタビュー。今年2月にサブスクリプションサービスでの配信が解禁された過去のアルバム3作や、「SUNG LEGACY」にまつわるエピソードを聞いた。
取材・文 / 後藤寛子
さよならポエジーの活動年表
サブスクを解禁して思うこと
──1stから3rdまで、3作のアルバムのサブスク配信を解禁してみて、今の感触としてはいかがですか?
ずっと「してくれ」と言われていましたし、周りは喜んでくれているようでよかったです。逆に「始めちゃったんだな」という意見もちらほら見かけましたけど、みんなの生活の中で聴きやすくなったとは思います。CDショップや物販で直接買ってくれる人にはもう行き届いたかなという気持ちもあったので、これからは、CDをなくしちゃった人、友達に貸したまま返ってこなかった人にも聴いてもらえれば(笑)。あと、少しエゴサーチをしたら、CDを買ったときのことや、「自分がこういう時代にあの作品を聴いていた」と思い出をつぶやいてくれている方がいたんですよね。やっぱり、CDがモノとしてあったから、そういう記憶に紐付いていて、あとから思い出したりできるのかなって。だから、サブスクを始めたからこそ「CDってええな」と思う気持ちもあります。配信のよさは、便利というだけだと思うんで。
──改めて気付かされることはありますよね。
別に「CDを買いに行け」と強要したいわけではないんですよ。ただ、きっと買いに行ったほうが家にいるより楽しいし、CDショップに行くだけの名目でも、道中に何があるかわからない。そうやって自分の足や目や耳で体感することがどんどん減っている時代かなと思うので。強制はしないけど、家を出るきっかけになればいいかな、くらいには思っています。
──今後、配信のみで新曲を発表してみようという考えは?
いや、配信限定は全然イメージできないですね。ははは!
できることを詰め込んだ1stアルバム「前線に告ぐ」
──せっかくの機会なので、サブスクが解禁された3作を振り返っていきたいと思います。まず、2016年発表の「前線に告ぐ」は、1stアルバムにして話題を呼んだ1枚でした。当時、オサキさんとしてはどういう気持ちで作ったんでしょうか?
「こういう作品を目指すぞ」と自分がやりたいことを考える前に、「できることがこれしかない」という楽曲をギュッと詰め込んだアルバムですね。改めて聴くと……いやあ、若いですね!(笑)
──歌詞に当時抱えていたであろう思いが刻まれていますよね。「二束三文」の冒頭の「でもそれなりの才能で 俺は俺を救ってやろう」というフレーズが印象的でしたが、ある種のあきらめと悟りを含んだ反骨心を感じます。
ありがとうございます。昔から「みんなでがんばっていこう」と言えるようなマインドを持って生きてきたことがなくて。いろんなことを悟りたがっていたし、いろんなことを人より早く理解したいという、マセた考えが学生時代からあったんですよね。その感覚を歌にして伝えようとすると、人の背中を押すよりは、だんだん内向的な方向になっていく。でも、ネガティブな歌詞だとは思っていないんですよ。自分にとっての普通というか、素の部分なので。さよならポエジーの音楽性自体はけっこうありふれたものだと思いますけど、作詞に関しては「俺しか書けへん書き方があるやろ」と、ずっと模索していましたね。
──その感性が刺さった人が多かったからこそ話題を集めたんだと思いますが、当時の反響に対してはどう捉えていましたか?
アルバムを出してから、その曲を聴いてライブハウスに遊びに来てくれるお客さんの数が増えました。でも、それは自分の歌が刺さったというより、単純に全国リリースだったからかなと。自分の歌が刺さったかどうかを実感したことはないと言えば嘘になりますけどあまり自分から気にすることはないですね。よく聴いてます、音楽が好きですと言われたときに普通にうれしいと思う感情は当然ありますけど、刺さっても刺さらんでも大丈夫です。
──創作は、あくまで自分から生まれてくるものを突き詰めていく作業?
突き詰めるという感じもしないですねえ。食べたものがそのまま体から出ていくという、人間の仕組みと一緒なんですよ。
鬱屈とした2ndアルバム「遅くなる帰還」
──2018年発表の2ndアルバム「遅くなる帰還」には、どういう印象がありますか?
鬱屈としてますね、当時この作品を作った彼は(笑)。元気いっぱいの曲がないので、ちょっと暗いなあって。「なんでこんなアルバム作ったんかな?」と今でも思いますね。バンドマンとしても、人としても、ひと言で言うと「尖ってるね」と周りから言われてた時期で、あんまり記憶がないです。
──そういう心境が楽曲やサウンドに反映されていると。
そうですね。サウンド面でもあまり明るい感じにしない、きれいにしすぎないという方向性でミックスやマスタリングをしていました。1stアルバムもそうですけど、2ndは特にそうですね。当時の感覚で言うと、サーッと聴き流せて、聴き疲れないような音像を目指していました。今の時代的には、むしろバチバチの音像やリズム感が楽しくてどんどん聴ける感じがあるかもしれないですけど。僕が聴いてきたロックのアルバムだと、そこまでクリアじゃなくて、ちょっと音が奥にあるくらいの音源が好きやったんです。だから、技術力を出してなんでもかんでもきれいな音源に作り上げるのはやめよう、と思ってましたね。
さよならポエジーらしい3rdアルバム「THREE」
──その後、2019年にメンバーが脱退して、現在は正式メンバーの岩城弘明さんがサポートベーシストとして加わり、2021年に3rdアルバム「THREE」がリリースされました。
過去の2枚はなんやったんやろうというくらい、いろいろなことに取り組めた作品ですね。弘明くんが手伝い始めてくれたこともあって、もうちょっと真面目に曲を作ってみようかと(笑)。1stと2ndのときは作りたい音に対して自分の技術が追いついてなかったので、できることを最大限にやった感じなんですけど、「THREE」の頃になるとちょっとずつ自分の理想のギターの音が出せるようになって。歌詞もカドが取れていって、だんだん本音っぽくなっている。個人的には、一番さよならポエジーらしい作品かなと思います。
──チャレンジしたことが多かったんですか?
いや、結局さよならポエジーはそこまで難しいことをするわけじゃなくて、けっこう一本調子なロックな音楽だと思うので。自分の守備範囲や手の届く距離が広くなったというよりは、軸となる幹が太くなった感じですね。
──少し意外だったんですが、「THREE」を出したときに初めてワンマンライブを開催したんですよね。それまではワンマンをやる気はなかったんですか?
いいことおっしゃいますね。まさにやる気がなかったんです(笑)。僕、友達と会うために音楽をやっているところがあるんですよ。仲のいい友達と対バンしたり、知らないバンドと対バンしたり、そういう夜が好きなんです。だから、ワンマンをやろうという考えは全然なかったです。実際やってみても、やっぱり対バンのほうが楽しいですね。
──そうなんですね。その言葉通り、2022、23年のスケジュールを見ると、本当にいろいろなバンドに呼ばれてずっとライブをしていますよね。
そうですね。ありがたいことに、各地に呼んでくれるバンドがいるんですよ。特に「THREE」を出す前くらいから、ちょっとずつ自分の好きだった先輩とご一緒する機会が増えて。それまではレーベルメイトとの対バンが多かったんですけど、2019年頃を境に競演できるアーティストさんの幅が広がっていきました。バンドを始めたときから、誰かを誘うよりも誰かに選ばれるようになりたいと思ってたんですよね。だから、こうしてオファーがあるのはすごくうれしい。なんとなく、自分から先輩や後輩に「出てください」とお願いするのが癪なんですよ。
──(笑)。
自主企画のイベントやレコ発もしたことはありますけど、やっぱり誰かに選ばれることが、自分の価値を認識する瞬間なんですよね。でも、見つけてもらうことに急いではないんです。好きな先輩バンドと打ち上げで一緒になったときに音源交換して……というのがセオリーなのかもしれないですけど、そういう場所でもあえて何もせず黙ってます。自分がいい音源を作っていいライブをやり続けていたら、いつかどこかで見つけてくれるだろうから、そのタイミングを作為的に作りたくなくて。実際、僕らのライブを観たライブハウスのブッキングの人が「さよならポエジーとこのバンドを一緒に組もうと思うんやけど」と言ってくれて、その相手がずっと前から大好きなバンドだった、ということもあったんです。そういうのがすごくうれしいんですよね。いつも、誰かに声をかけてもらうことを幸せに感じながらライブをしています。
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暗い楽曲を作るのが嫌になって