濃厚なファンクネスに支えられたトラック、ポップに響くメロディ、どこかコミカルでナンセンスな歌詞によって確実に注目度を高めているマハラージャンが、メジャーデビュー作「セーラ☆ムン太郎」をリリースした。
社会人生活を経て音楽活動を本格化させたマハラージャン。今回はOKAMOTO'Sのハマ・オカモト(B)、石若駿(Dr)、皆川真人(Key)、Ovallのmabanua(Dr)、Shingo Suzuki(B)といった面々が独創的でスパイシーなファンクミュージックをバックアップし、ダンサブルかつポップな作品が完成した。
音楽ナタリーでは本作のリリースを記念し、マハラージャンのルーツとこれまでのキャリア、「セーラ☆ムン太郎」の制作工程などを紐解くべくインタビュー。「人と同じことはしたくない」という強い意思に貫かれたアーティスト性に迫った。
取材・文 / 森朋之 撮影 / 斎藤大嗣
「これが自分のやりたいことなのかも」
──マハラージャンの楽曲は、ファンク、ソウルに根差したサウンドと、エッジの効いた歌詞が特徴だと思いました。まずはこの音楽性がどのように形成されたのが聞きたいのですが、マハラージャンさんが音楽に目覚めたのは何がきっかけだったんですか?
母親のお腹の中にいたときに、モーツァルトを聴かされてたのが最初ですね(笑)。小学生のときに「バイオリンをやりたい」と親に頼んだんですけど、なぜかダメって言われて、結局音楽ではなく喘息を治すために剣道を始めて。その後、親父が持っていたトランペットを見つけて、小4からトランペットを習ったんです。それが音楽との出会いなのかな。家にはヌンチャクもあったんですけど……まあ、それは関係ないか(笑)。
──トランペット、楽しかったんですか?
そうですね。中学で吹奏楽部に入って、3年生を送る会で「テキーラ」(ペレス・プラード楽団によるマンボのスタンダード)を演奏したんです。当時、「ウッチャンナンチャンのウリナリ!!」(1996年から2002年に放送されたバラエティ番組)で南原清隆さんがサックスを吹く企画があったんですけど、あんな感じでトランペットのソロをアドリブで吹いたら、体育館の後ろのほうの生徒も立ち上がって、すごく盛り上がって。「これが自分のやりたいことなのかも」と勘違いしたまま、ここまで来ました(笑)。
──(笑)。ポップミュージックに興味を持ったきっかけのアーティストは??
ずっと好きなのはDaft PunkとJamiroquaiですね。洋楽ばっかり聴いてたんですよ。日本のバンドだとゆらゆら帝国が好きなんですが、それも洋楽的な耳で聴けたからなんですよね。
──Daft PunkもJamiroquaiも、ルーツミュージックを現代的なポップスに昇華したアーティストですね。
まさにそういうところが好きなんですよ。古い音楽を組み替えて、新しい音楽にするセンスや質感に惹かれていました。あと、音大出身の知り合いに「音楽をやりたいなら、たくさん音楽を聴いたほうがいい」と言われて、いろんなジャンルの音楽を聴いてた時期もあって。ジャズやファンクもかなり聴きましたけど、特にいいなと思ったのはフランスの音楽ですね。シルヴィ・ヴァルタンからフレンチエレクトロまで、なぜか惹かれるものがあって……。あ、そうだ、L'Arc-en-Cielも好きです。バンド名もフランス語だし。
退路を断ったあとのコロナ禍に「大変なことしちゃったな」
──いろんな音楽を探求しつつ、自分のスタイルを模索していた?
そうなんですけど、どうやったらいいかまったくわからなかったんですよ。学生の頃もバンドをやってたんだけど、まったく思うような活動ができませんでした。で、高校を卒業したあとは理系の大学に進んで。本当は文系に進みたかったんだけど、親から「文系の大学に行って何がやりたいんだ」って言われちゃって。でも、そんなに勉強ができるわけでもなくて、「このまま理系の仕事に就いたら、社会に迷惑をかけるだろうな」と思ったから、CMの制作会社に入ったんです。僕は映画監督の石井克人さんが好きで、「茶の味」とか「鮫肌男と桃尻女」とかすごくカッコいいなと思ってました。石井監督はCM出身の映像作家だから、CMを制作することにも憧れがありました。
──進学も就職も、本当にやりたいこととはズレてるような……。
ヘンなところで人に気を遣っちゃうんでしょうね(笑)。就職してからも曲を作ってたんですけど、やっぱり納得のいくものがなかなかできなくて。フラストレーションを抱えたまま仕事をする状態が何年も続いてたんですが、「いい加減、ちゃんとした曲を作りたい」と思って、陶山隼さん(作曲・編曲家。水樹奈々、V6、L'Arc-en-Cielなどの作品に参加)に作曲を習いに行って。そこでかなりレベルが上がって、すぐに「いいことがしたい」という曲ができたんです。自分自身をすごく投影した曲で、「これを軸にして自分の曲をもっと作ってみよう」と思えました。そして陶山さんに今の事務所の社長を紹介してもらって、リリースにこぎつけたという感じですね。
──楽曲に自分を投影できたことがきっかけだった?
特に歌詞についてはそうですね。僕、映画の勉強をしていたこともあるんですが、虐待や家族とのトラブルなど、作り手の経験を反映した邦画が好きなんですよ。なので歌詞に関しても、社会人のときに感じていたことを書いてみようと。会社に勤めていた頃は精神的にかなりキツくて、よく「目が死んでる」と言われてましたからね。
──「本当は音楽がやりたいのに、なんで俺はこんなことをやってんだ」みたいな?
はい(笑)。ただ、イヤなことをそのまま歌詞にするわけではなくて、できるだけポップでかわいく表現したくて。「権力ちょうだい」という曲もそう。歌ってる内容はけっこうキツいんですけど、“ちょうだい”を付けることでかわいくなるんじゃないかなと。
──なるほど(笑)。しかもめちゃくちゃ踊れる曲ばかりですよね。
クラブに行くのも好きだったし、DJがかけて盛り上がれるような曲にしたくて。「いいことがしたい」も、そういう曲ですね。
──今は会社を辞めて、音楽1本なんですよね?
はい。さっき「人に気を遣ってた」って言いましたけど、「何も自分の意志で決めてないな」と思って。今からちょうど1年くらい前に「マハラージャンとして音楽をやっていきたいので、辞めます」と会社に伝えました。この先どうなるかまったくわからなかったんですけど、とにかく退路を断たないといけないと。やっぱり音楽が好きだし、「死んでもやってやる!」って、そのときは思ったんですよね。そしたらコロナになって、「大変なことしちゃったな」って(笑)。
──(笑)。マハラージャンというアーティスト名の由来は?
事務所の名前が「油田LLC」なんですけど、「油田といえばマハラジャだな」と思って。そのときはつながった気がしたんですけど、今となってはよくわからないです(笑)。
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今も現実感がないレコーディングメンバー