ナタリー PowerPush - JINRUI
奇跡の復活を遂げた名コンビ 第一弾ネタライブがDVD化
10年間のコンビ活動休止へ
──「ボキャブラ天国」放送当時はハードな生活だったのでは?
シンカ そうですね、一番忙しかったときは1年半ぐらい1日も休みなかったです。で、ご存じかもしれませんが、ちょうどその頃に加賀谷が体調を悪くしてしまって……。「もういい加減休みくれ」って言われたから、「いいよ」って返したら、ずっと休んだんです、10年間。
加賀谷くん 10年間休みました(笑)。
シンカ 休みすぎだろ、お前! どんだけ休んでんだよ。
加賀谷くん だって「休んでいい」って言ったじゃないですかぁ。
シンカ 加賀谷に休みたいって言われたとき、「5年かかってもいい、10年かかってもいいよ、お前がやりたいっつったらまたやろうよ」っていう話をしたんですよ。そしたら本当に10年後に言ってきて(笑)。
加賀谷くん 僕はその話、すっかり忘れてたんですよ。危ない、危ないと思って。
シンカ ギリギリセーフでしたね。11年目だったらもうアウトだったかもしれないです。加賀谷いわく、「竜宮城に行ってきました」って(笑)。
加賀谷くん ただ箱もらわなかったですけどね。
シンカ ホントにそのまま戻ってきただけで。
──その間シンカさんはソロで活動されていたわけですが、久しぶりに加賀谷さんから電話が来たときに、すぐにやってみようかっていう話になりました?
シンカ いや、そうはならなかったです。やっぱり10年間人前に出てないっていうのはキツいんじゃないかって思って、その時点ではコンビで活動を再開させることは一切考えてなかったです。あと、どれぐらい本当にやりたいのかっていうのも疑問だったんで、自分のトークライブにゲストという形で1回出てもらったっていう。で、ゲストで出てもらって、「どうなんだ? 本当にやる気があるのか?」っていうところをちゃんとチェックして、それでもやりたいんだったらコンビで活動しようって考えてました。
──加賀谷さんは、療養中のこの10年間、ほとんどお笑いからは遠ざかっていたんですか?
加賀谷くん もともとあんまりテレビ見ないんですよ、僕。そういう意味ではお笑いから遠ざかってたんですけど、どの場においてもエンタテイナーであろうっていう気持ちは宿ってました。
──シンカさんは、そのトークライブで手応えを感じた、と。
シンカ まぁそうですね。面白い面白くないっていうよりは、本人のやる気ですよね。そこで必死になるかどうかっていう。で、「どうしてもやりたい」っていうので「じゃあ、やろうや」と。
「JINRUI」としてコンビ復活
──いよいよ新コンビ「JINRUI」として復活して、実際久しぶりにネタ合わせしてみた感じはいかがでした?
シンカ そのときですか? 「キッツイ……」と思いました。
加賀谷くん ……僕はいけると思いました。
──あははは(笑)。
シンカ いや、それはそうですよ。さすがに10年人前に立ってないんで、そこでできたらお前10年も休んでないだろっていう。そのトークライブっていうのは2009年の7月終わりにやったんですけど、復活ライブまでに2カ月ちょっとあったんで、その間に稽古して、なんとかある一定のところまで持っていきました。
──ある程度合わせていくうちに昔の感じに近づきましたか?
シンカ っていうか、その昔の感じを再現しようっていうのはもともとないんですね。やっぱりお互い10年全然違う道を来てるんで、また新しい形ができるんじゃないかなってすごく思ってて、そこはいまだに探ってるところでもあるんですけど。例えば、コントだとボケとツッコミが逆転するものもありますし、お互いボケでありお互いがツッコミだったりするネタもありますし、昔と比べると幅広くなったと思いますね。さらに今後いろいろ変わっていくとは思いますけど。今ちょっとハマってるのが即興漫才っていうもので。
──DVDにも即興が入っていますよね。
シンカ それよりも、もっとですね。普通の即興は、自分らの中でこうやろうかって流れをある程度決めてやるものなんですけど、今はさらにハードルを上げて、お客さんにお題をもらうんですよ。例えば「お茶」だったら、「お茶」ってお題をもらった瞬間からもう始めるっていう。考える時間0秒、合わせる時間0秒。今興味があるのは、そういう即興漫才なんですよ。2人で舞台に立ちながら構築していってオチまでつけるっていう。そういうの最近楽しくてやってますね。
JINRUI(じんるい)
左/加賀谷くん(1974年2月26日、東京都生まれ)、右/シンカ(1969年3月8日、三重県生まれ)。1991年に松本ハウスとして活動開始。1999年から約10年間の活動休止期間を経て、2009年10月に新コンビ名「JINRUI」として完全復活。JINRUIという名称は、「加賀谷くんに人間になってほしい」というシンカの願いから名付けられた。