東京03

結成20周年 東京03インタビュー(前編)

やめるつもりで組んだ3人のターニングポイントと考え方の変遷

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2009年に「キングオブコント」王者となり、近年は単独公演の全国ツアーで4万人もの観客を動員している東京03。単独ライブを軸にしている芸人の多くが目指す、「ネタだけで食っていく」という道を実現させただけでなく、今ではドラマやCMなど、お笑いの枠を越えた場所でも活躍を見せている。そんな東京03が、明日9月30日に結成20周年を迎え、その記念すべき日にベストライブ「東京03 20周年記念BEST LIVE『東京0320』」を開催する。この公演に向けて、お笑いナタリーは3人にインタビューを実施した。前編は、これまでの活動におけるターニングポイントや考え方の変遷などを中心に紹介する。(後編はこちら

取材・/ お笑いナタリー編集部 撮影 / 草場雄介

※取材は9月15日に実施。

やめるつもりで組んだ3人

──20周年おめでとうございます。今の率直なお気持ちはいかがですか?

飯塚悟志 20周年なんてあっという間だし、全然ピンと来てないんですけど、年齢が50歳なんですよ。こっちの重みがすごくて(笑)。でも、率直な気持ちということで言えば、ある程度現役で単独ライブを毎年やらせてもらって、バイトもせずにコントだけでお金をいただけている現状は本当にありがたいし、組んだときには想像もしていなかったです。50まで一緒にちゃんとコントできているのは本当ありがたいよね。

角田晃広 ありがたいですね。この年齢でここまでコントの回数を重ねている人はなかなかいないと思うので。ツアーもどんどん規模が大きくなってきて、少しずつやれることが増えてきたのかなと思います。

豊本明長 僕も20周年と言われて実感はなかったけど、ずっとコントだけやってるのはすごいことだなあと、我ながら思います。

東京03。左から豊本明長、飯塚悟志、角田晃広。

東京03。左から豊本明長、飯塚悟志、角田晃広。

──つらかったとか、1年1年乗り越えてきた、という感覚はなかったですか?

飯塚 全然ないですね。単独ライブ楽しいもんね?

角田 お客さんの前でやって笑ってもらって最高ですよ。

豊本 基本的には楽しいですね。

飯塚 我々は嫌なことをやってきていないし、無理もしていないから。

角田 それはでかいね。

豊本 でかい。無理な仕事はやってない。

飯塚 「コントだけがんばってやっていこう」って活動していたら、「コントをやってくれ」というお仕事をいただけるようになったので本当にありがたい現状です。

──トリオ結成当時から「コントだけがんばろう」というビジョンを描いていたんですか?

飯塚 ビジョンも何もないですよ。

豊本角田 あはははははは(笑)。

飯塚 ほんとにやめるつもりで組んだ3人なんで。当時はネタで知名度を上げたらすぐにバラエティ番組のひな壇やトーク番組で活躍しないと残れないという風潮があって、俺らは最初からそれは無理だろうなと思っていたんです。おぎやはぎとかアンタッチャブルがすぐ近くにいたから、本当に残るのはああいう人たちだと勝手に思い込んでました。ただ、みんなテレビで売れたあとにネタをやらなくなったから、俺らはネタでがんばっていけばいいのかなって。逆に行こうという考えはありましたね。でもそのうちやめるだろうなって……。ネタだけで食っていけるなんて思っていなかったから。

豊本 うん。ただなんとなく、お笑いをやっていけたらいいなと思っていただけだから、理想像とかもなかった。

角田 僕も漠然としてましたよ。飯塚さんとよく飲んでいて、「テレビはなかなか難しいだろうから、コントの単独ライブをやりたいね」という話をしていたのは覚えてますけど。何年にどうなっていたいとか、そういう計画的なことは僕も一切考えてなかったです。

──みなさんは20年間の活動でターニングポイントがあるとしたらどこだと思いますか?

飯塚 まずね、「東京03」と名乗る前にアルファルファ+ゲスト角田さんでライブをやって、そこで自分たちの土台ができたんです。それがめちゃくちゃ楽しくて、そこから年に2回ずつくらい単独ライブをやってきたんだけど、「夏下手男」(第4回単独ライブ)で、いったん区切りじゃないけど、もう十分楽しかったと思ったの。アルファルファ(※)もプラスドライバー(※)も、お客さんにはウケるけど、芸人にはウケないというのがコンプレックスだった。それが東京03になってからけっこう早いうちに芸人も面白いと言ってくれるようになって、夢が叶っちゃったみたいなところがあって。それで、角ちゃんに「もうやめる?」って聞いたんですよ。そのとき32~33歳くらいで、就職するなら今しかないな、と。そしたら角ちゃんが止めたんだよね?

角田 止めましたよ。びっくりですよね。「やめる?」って聞かれたときは「いやいやいや、今いいじゃん! やろうよ!」って。こっちは楽しい真っ最中でしたから。僕はあんまり現実を見ないタイプなんで(笑)。

東京03飯塚(中央)

東京03飯塚(中央)

飯塚 俺は「20代前半で売れなかったらやめろ」と親に言われてたんですよ。そこからだらだら引き延ばしてやっていて、30歳で東京03を組んで2年ぐらいやって楽しかったから、もう親のためにもやめなきゃいけないって思っていたんです。だから角ちゃんが止めなかったらそのままやめていたと思います。

角田 危なかったー(笑)。

飯塚 止めたのが意外だったんですよ。そもそも角ちゃんが「お笑いをやめる」って言ったときに俺が引き止めてトリオを組んでるから。東京03を組んで、芸人界隈で角ちゃんは面白い人という認識になってきていたので、ちょっと安心していたのもあったのかな。「解散しても、この人は役者としてドラマとかに出て食っていけるくらいにはなるな」って。

角田 そんなふうに思ってたんだ。

飯塚 角ちゃんに解散を止められたことによって、そこからネタ作りも変わった気がします。それまでは角ちゃんを目立たせようと思ってネタを作っていたけど、3人でバランスよく目立つようなネタ作りになりましたね。

※アルファルファ:1995年から2003年まで活動していた飯塚と豊本のコンビ。「爆笑オンエアバトル」(NHK総合)の常連としても知られ、17勝5敗の戦績を残していた。

※プラスドライバー:角田が所属していたお笑いトリオ。1996年に結成し、2002年に解散した。アルファルファと同様に「爆笑オンエアバトル」(NHK総合)の常連で、14勝2敗の戦績だった。

3人だけの世界が一番楽しい

──ほかにも転機と呼べるような出来事はありましたか?

飯塚 やっぱり「キングオブコント」優勝じゃない?

角田 そうですね。

豊本 「キングオブコント」はでかかった。

飯塚 ネタ番組にはちょこちょこ出させてもらえるようになっていたけど、知名度はそこまで上がってなかったので。「エンタの神様」に月イチで出させてもらっていたけど、毎週見ているような人にさえ覚えてもらっていない感覚があったんです。それくらい存在感が薄かった。「キングオブコント」で優勝して、やっと東京03を知ってもらった気がします。

──そこからバラエティ番組を1周するんですね。

飯塚 1周ね……。あんまり言いたくないけど、ある番組で心が折れるという事件もありました。そのときにテレビに出るのがちょっと怖くなってしまって、いよいよもう「コントだけやっていこう」って覚悟が固まった気がします。見返してやりたいという気持ちも生まれましたし。

角田 僕はそこまで覚悟はなかったけど、バラエティ番組に呼ばれるようになったときに結局うまくやれていなかったんですよね。やっぱりコントをやっているときのほうが楽しいという感覚がありました。

飯塚 そうね。あの時期、どんどんコントが楽しくなっていってた。3人だけの世界が一番楽しいっていう。オークラ(※)とは「もうライブでやっていこう」とずっと言ってました。すでにあの頃、オークラは業界のど真ん中にいたので、俺らよりもわかっていたんですよね。この先、ちょっとずつでもお客さんを増やしていけばそれだけでやっていけるようになるって。そういう方向をオークラに示してもらったというのもあると思います。オークラの存在も相当でかくて、オークラがいなかったらやっぱりやめてるんじゃないかな。テレビから距離が離れないように「ゴッドタン」に呼んでくれたり。佐久間(宣行)さん(※)もそうですけど、「ウレロ☆」シリーズ(※)を作ってくれたりとか。ここまで続けてこられたのは周りの後押しが大きいですね。

──「東京03の公式お兄ちゃん」と呼ぶほどの佐久間さんとの出会いはやはり大きいですか?

飯塚 ほんとに大きいです。アングラ芸人になってもおかしくないのに、佐久間さんがテレビとの接点を作ってくれたように思います。角ちゃんの「マジ歌選手権」とか、僕の「ストイック暗記王」とか、テレビでキャラがついたのは「ゴッドタン」のおかげだと思います。集客がドンと増えるタイミングがこれまでに何回かあって、それでいうと「ウレロ☆」シリーズの影響も大きかったです。

角田 テレビでセットを組んでコントをやれるっていううれしさもあったよね。

豊本 そう! 僕がお笑いっていいなと思うようになったのが「夢で逢えたら」(※)だったので、それと同じようにスタジオでセットを組んで毎週コントをやれるっていうのが「ウレロ☆」で現実になったから、すごいところまで来たなと思いました。

飯塚 集客が増えたタイミングで言うと「漫画みたいにいかない。」(※)のあとに三代目 J SOUL BROTHERSのお客さんが来てくれるようになったのもありました。コントをがんばってきましたけど、結局テレビに助けられてますね。

結成20周年を迎える東京03。

結成20周年を迎える東京03。

──最近は3人の活動の中で何か大きい出来事はありましたか?

飯塚 数年前ですけど、豊本が嘘をついていたことかな。それまでずっと俺と角ちゃんが手書きで書いた台本を豊本に渡して、豊本はその台本をパソコンで清書する役割だったんです。それをいろんな取材や番組で言ってたのに、その作業を実は後輩にやらせてたっていう。あれはターニングポイントというか普通にムカつきましたね(笑)。あれ以来、豊本に渡さずに打ってくれる後輩に直接渡すようになったから、豊本は今もうなんにもしてない。ずっと「俺はOLみたいな仕事をやってます」みたいに言ってたくせに、やってもなかったんかいって。

角田 それはターニングポイントだね。

飯塚 豊本を見る目が変わりました。ちゃらんぽらんに見えて、やることはきっちりやってくれてると思っていたんです。

豊本 ちゃらんぽらんに見えて、まんまでしたね。それについては申し訳ございませんでした。

角田 それまで個人の仕事のギャラも三等分にしてきたんですけど、それでやめましたから。

飯塚 それくらいで済んでよかったですよ。全然解散もありうるくらいの事件ですから。

──その話も含めて飯塚さんの作るコントの世界ですよね。

飯塚 あはははは(笑)。ほんとそうですね。

角田 豊本さんはその前にもいろいろあるんですよ。そういうのを飯塚さんがコントにしてライブでやるから、結局ライブの種にはなってるんです。それが東京03を長くやっていられる理由にもなっているのかもしれません(笑)。

東京03豊本

東京03豊本

※オークラ:プロダクション人力舎出身の構成作家・演出家。東京03と交流が深く、東京03の単独公演ではトリネタの脚本を毎回担当している。主な担当番組は「ゴッドタン」「バナナサンド」「バナナマンのバナナムーンGOLD」など多数。

※佐久間宣行:元テレビ東京のテレビプロデューサー。「ゴッドタン」「あちこちオードリー」など多数のバラエティ番組をプロデュースするほか、「佐久間宣行のオールナイトニッポン0(ZERO)」ではラジオパーソナリティを務めている。

※「ウレロ☆」シリーズ:劇団ひとり、バカリズム、東京03、早見あかりらが出演する、客入れあり、一発本番のシットコムシリーズ。演出は佐久間宣行、脚本は土屋亮一、オークラらが担う。テレビ東京系で2011年にシーズン1「ウレロ☆未確認少女」が放送され、2019年までにシーズン5まで制作されている。

※夢で逢えたら:1988年から1991年まで放送されていたフジテレビのバラエティ番組。ダウンタウン、ウッチャンナンチャン、清水ミチコ、野沢直子が出演し、さまざまなキャラクターが登場するコントやメンバーによるバンド演奏が人気を集めた。

※漫画みたいにいかない。:2017年にHuluで配信された、オークラ脚本・監督のドラマ。東京03のほか、山下健二郎(三代目 J SOUL BROTHERS from EXILE TRIBE)、山本舞香がレギュラー出演し、売れない中年マンガ家の悲哀に満ちた日常が描かれた。

我々は大人になった

──この20年で人間的に変わったと思うところがあれば教えてください。

飯塚 ほんとにおじさんになってきたなと思います。僕はネタに関しては日常を切り取るみたいなものが多くて、「この人嫌だな」とか「あんまり好きじゃないな」という人を題材に、その人を責め立てるようなネタを初期には作っていたんです。それが、どんどん大人になっていくうえで「俺もそういうところあるしな」とか「お互い様だな」みたいな、人間はそういうものだということを前提としたネタを作るようになってきました。「人間って全般面白いな」というか、責めてるほうも紙一重というか。今はそのイズムでネタを作ってる気がするな。あと、オチに対する考え方も変わりましたね。昔はもっと雑だったんですよ。自分たちが面白いと思っている部分ができたらそれで十分。オチなんか、しゃらくせえって(笑)。でも全国を回るようになって、観てくれている方はそれでは納得いかないんだろうなと考えるようになりました。やっぱりオチがあったほうが観ていて気持ちいいんだろうなって。いいオチが浮かばなかったときはフェードアウトで終わらせたりすることもあるけど、昔みたいに雑に終わらせるようなことはなくなったと思います。

──豊本さんはいかがですか? 昔は尖っていたとかありますか?

豊本 ちゃんと尖ってましたよ(笑)。

飯塚 豊本はめちゃくちゃ尖ってました。

豊本 深いことを考えていたわけじゃないですけど、ただなんとなく「気に食わねえな」とか思ってました。

飯塚 中学生か(笑)。コンビ時代にびっくりしたことがあって。ライブの企画で豊本がめちゃくちゃスベったときにお客さんから「ええっ!」って悲鳴に近いリアクションがあったんです。そのときに「じゃあおめえがやってみろよ!」ってキレたのを見て、「あ、この人はダメだ」と。そんなことが角ちゃんを引き入れる直前にありました(笑)。

角田 ははははは(笑)。

飯塚 20代前半ならまだいいですよ。もう30近いのにそれでしたから。

豊本 今はもうそんなことは思わなくなりましたから!

角田 でも、実は僕も豊本さんと同じ側の人間だったんです。そういう意味では飯塚さんには苦労かけてきたと思います。だんだん表には出なくなったと思いますけど、根本には中学生みたいな感覚があるかもしれない。

東京03角田(手前)

東京03角田(手前)

──フィジカル面での素朴な疑問ですが、セリフ覚えはこの20年の間で変わりましたか?

飯塚 セリフ覚えは全員早くなってると思います。今がピークくらい早いんじゃないかな。単独公演の大トリのネタはオークラが書いているんですけど、その台本が公演初日の前日に毎回届くくらいの鍛えられ方をしているので。角ちゃんとか、びっくりするくらい早いですよ。

角田 飯塚さんも前から早かったけど、今は本当に早いですね。定期的にやってきたから、鍛えられている感じはあるな。

飯塚 以前は初日だけふわふわしているところがあったけど、今はそれがなくなったかな。

豊本 そうだね。

角田 昔は毎回「もう無理だよ」とか言ってたんです。覚えなきゃいけない時間なのに。今は「無理だよ」と言ってる時間がなくなった。

飯塚 そう! 「無理だよ」って言ってる時間が無駄だから。

豊本 やるしかないから。

飯塚 我々は大人になったんだと思う(笑)。

結成20周年を迎える東京03。

結成20周年を迎える東京03。

東京03 20周年記念BEST LIVE「東京0320」

日時:2023年9月30日(土)16:30開場 17:00開演
会場:東京・エコー劇場
<出演者>
東京03

「東京03 20周年記念BEST LIVE『東京0320』」フライヤー

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佐久間宣行 @nobrock

20周年おめでとうございます!
また一緒にコント番組を作りたい! https://t.co/UFFKOlrvM0

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