松田定次

マツダサダツグ

牧野省三の息子で、1921年に父の主宰する牧野教育映画撮影所に入る。カメラマンから助監督、監督へ。各社を経て、戦後は東映時代劇の大黒柱的存在で大型時代劇を作り、一方で“多羅尾伴内”シリーズをヒットさせた。2003年1月20日、老衰のため死去。