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サンドウィッチマン会見での一問一答全文

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本日3月16日、東日本大震災を受けてサンドウィッチマンが都内で会見を開き、義援金口座の開設とチャリティライブの開催決定を発表した。

以下に、会見での一問一答を全文掲載する。

サンドウィッチマン一問一答

伊達:僕らは東北放送という仙台のテレビ局の番組のロケ中だったんですけれども、スタッフの指示が的確だったため山のほうへ逃げまして、そのおかげで奇跡的に助かったと思っております。僕らの地元がこんなことになっておりまして、諸先輩方、(島田)紳助さんはじめ、(笑福亭)鶴瓶師匠、(間)寛平師匠、京本政樹さんとか渡辺徹さんとか、いろんな芸人の僕らの先輩方が「お前ら先頭切ってアクション起こせ」ということで、今回こうやって義援金をみなさんにご協力いただこうと、会見させていただきました。

──どのあたりの海岸で、どのあたりに逃げたのですか?

伊達:気仙沼湾です。ロケが終わってロケバスに乗り込もうとしたところで、でっかい地震がありました。立っていられない状況で、水の上に立っているような状況でした。でっかい地震は何度か経験してますけど、あんな地震は初めて。2分くらいその状況が続いて、そのあと建物からいっぱい人が出てきてガラスが割れる音がして、悲鳴がいっぱい聞こえて、気仙沼市のサイレンが鳴りまして。「津波の恐れがあるから、ただちに高台に逃げてください」と。それで僕らも慌てて逃げたんですけど、僕らは助かった。僕らはその地震の3分くらい前にはお土産屋さんとかにいて、そこには車椅子の人やお年寄りもいました。その人達がちゃんと逃げていればいいなって、ずっと今でも思ってます。

──高台ですか?

富澤:安波山という山です。

伊達:200メートルちょっとの山の、五合目まで車で逃げました。その時点で気仙沼の人は安波山に逃げるというのがある程度頭にはあったのでしょうけど、渋滞してたんで、山に着いたのは約15分後。

──津波の速さは?

伊達:僕らは山の上から見ることしかできなかったんですけども、全部見てます。海の向こう側に白い波が見えまして「あれはなんなんだ」と。50人くらい山の上にいたんですけど、みなさん津波なんて見たことありませんから。

富澤:水平線の上に、白い壁みたいな波が見えて。

伊達:もしかしたらあれが津波なんじゃないかと。ずっと見てたらだんだん近づいてきまして。オイルタンクをまず倒して、そのまま陸の方に近づいていって。陸に波が来てから、波の速さというのがものすごく速くて。あっという間に民家を倒して、船が陸に乗りあげて。すごい光景を目の当たりにしました。

──まだ高台の下に人はいました?

伊達:いましたいました。

──その人達は飲み込まれた?

伊達:そういうことですね。僕はそう思いました。

──どのくらいの人数が?

伊達:砂煙がとにかくすごいんですね。瓦礫の煙というか。まずそれにビックリするんですね。「なんだこの煙は」と。なので、車とかで逃げようとしてる人とかいましたけど、あんなでっかい津波が来るとは思わないですから、いくら津波のことを常に頭に置いている沿岸の人でも、そこまでの津波が来るとは思わない。ちょっと僕らは「これが現実なのかどうか」ってわからなくなるくらいの状況でした。

──時間はどのくらい?

伊達:山の上についてから約10分。遠くからの波が、ゆっくりな感じで見えるんですけど、実はそのスピードってものすごく速くて。陸に上がってからのスピードはものすごく感じましたね。

──高台の上に人は?

伊達:いました。車も多くて、だいたい100人から150人くらいは集まってました。

──義援金を集めることにした経緯は?

伊達:もちろん僕らの地元というのもありますし、たまたま気仙沼でロケをしていて、そういう光景を見まして、毛布一枚で夜を明かしましたし、すごく近くにいたんですね。なので、僕らはこうして無事でいますけど、なにかできることはないのかなって考えたときに、今は募金しかないと思うんです。「笑いを届ける」とか、したいんですけども、それはまだ今は違うかな、と。

──チャリティライブについて。

伊達:それも今は、まだ日にちが決まったというだけの段階なんですけど。

富澤:場所とかメンバーは確定してないです。

伊達:僕らの仕事というのは芸人なんで。ネタやって、それを見てもらって、義援金をいただいて、それを送り届ける、という手段は僕らにしかできないですから。

──日にちは?

伊達:4月9日です。

──会場は?

伊達:まだ決まっていないです。

──お2人以外に出演者は?

伊達:一応声かけしてるのは、気仙沼出身のマギー審司さんはじめ、狩野英孝など、僕らの呼びかけで集まってくれる人にお願いします。マギーさんからは「ぜひやりましょう」と言ってもらっています。

──お笑い芸人以外には?

伊達:まだ本格的に僕らもそっちに動くことはできないので。呼びかけしてる段階なので。歌手が誰が来るとかはわからない。言えば何人か来てくれるはずです。

──チャリティライブのきっかけは?

伊達:僕らにできることは、ライブで人を集めること。その人たちから協力してもらう。僕らのできる道っていうのはライブなのかな、って思ったんです。

──お2人の仙台市内の実家はどんな状況ですか?

伊達:実家にも我々行きましたけれども、ライフラインはすべてストップ。今は復旧しているみたいですけど、当時はロウソク1本で家族で暮らしてました。ただ、沿岸ではなく中心部なので。僕らは津波の被害を見ているので、比較的そのへんは安心しました。

──屋根が潰れたりなどの被害は?

伊達:瓦が庭に散乱してたり、というのはあります。

──友人や知人に犠牲になった人は?

伊達:犠牲になってるかどうかはまだわからないですけど、連絡がつかない。無事だと思います。そういうふうに思いたいです。

──どのくらいの時間、避難していましたか?

伊達:登ってきた道が通行止めになったものですから、降りることができなかったんです。しばらく真っ暗な中。で、スタッフが車が通れる道を歩いてずっと探してくれまして。本当にすごく細い山の道、車一台やっと通れるような道を地元の人に「そこだったら通れるよ」と教えてもらって。

──暗闇になってからの心境は?

伊達:怖かったですね。真っ暗な中で津波の波が見えない状況で。常に揺れてますし。5分おきに余震が震度4とか5とか来てましたし。「津波が来るんじゃないかな」と思っても津波が見えない。ただ、燃えてたんですね、街が。だから、オレンジ色がすごく見えるんですね。真っ暗じゃないといえば真っ暗じゃない。ただ黒煙がすごくて。街の状況を見渡せる状況ではなかった。

──仙台を離れて東京に戻るときの気持ちは?

伊達:僕は仕事を全部すっ飛ばして、仙台に残ってボランティアしたかった。東京に戻っていいのかな、とすごく思いました。

──どんな会場でライブをやりたい?

伊達:できるところだったら、どこでもいいです。

──地震に遭ったその瞬間はロケ中だったんですか?

伊達:カメラはもう回っていませんでした。ロケが終わってロケバスに向かって歩いているところでの地震で、駐車場にいました。

──地震の予兆は?

伊達:なかったですね。僕は1時間前に気仙沼の祝崎というところでロケをやってまして、そこの写真をブログにあげてるんですけど。すごくきれいな水平線で、今はそこがどうなってるのかわからないんですけど、そんな大震災になる予兆ってのはなかったです。

──避難した山の上からロケ現場は見えた?

伊達:さっきまでいた駐車場は見えました。

──津波が来ないままそこにずっといたら、津波にお2人は飲み込まれていた?

伊達:もう間違いなく。だから僕らは、奇跡なんですよね。スタッフの指示がすごく的確だった。僕らは気仙沼のことをそんなに詳しくは知らないですから。街中のほうに逃げた人とか、ビルの2階に逃げた人もいっぱいいますし。僕らがそっちに逃げていたら、そうですね。

──地震のあと、お2人はブログをすぐ更新されました。ファンからのコメントなどは大きな支えになりますか?

伊達:僕らにももちろん支えになりますし、コメントを見ている被災者の方もいっぱいいますし。僕らのブログに寄せられているコメントには、今いちばんみなさんに読んでいただきたいことが書かれています。救助要請も書かれていますし。僕ら気仙沼でそうだったんですけど、通話もできない、メールもできない、ただブログのサイトには行ける、という状況だったんです。だからブログで僕らは無事を知らせましたし。今被災地で孤立している人たち、通話もできない、メールもできない人でも、ブログは載せられる、という人も中にはすごくいると思うんです。もしかしたら僕らのブログのコメントが救助要請の中でいちばん速いのかも知れないです。そこを見ていただけたら。

──富澤さんがブログで街中が燃えている様子を動画でいち早く中継されていました。その場にいない人たちにいち早く気づいてもらう、という考えもありましたか?

伊達:気仙沼は情報がシャットアウトされているわけで、いちばんひどいのが気仙沼だってしばらく思っていました。ただ気仙沼と同じ状態の街がいっぱいあったんで、それはすごくビックリしました。それよりひどいところもありましたし。

富澤:東北放送の人が、撮影はできてるんですけど、素材を届ける術がなかったので、まずはブログをアップして、という感じでした。

──芸能界の先輩から「アクションを起こせ」と言われたそうですが、具体的には?

伊達:紳助さんからは「お前らが動かないとダメだ。お前らが動いたら協力する人いっぱいいるから、そしたら俺らは何でもするよ」と。昨日アッコさん(和田アキ子)からも電話いただきまして「行くときは私も行くし」と、すごく心強いことを言ってもらえました。小朝師匠からも「落語家いっぱい集めてチャリティライブやるから、サンドウィッチマン出てくれ」と。僕からも「わかりました」と。それは日にちはまだわからないですけど。とにかくたくさんの人から、連絡先がわかる人からは全員いただきました。

──富澤さんのほうには?

富澤:僕のほうにもアッコさんから泣きながら電話が来て「何したらいいかわからんから教えてくれ」というのもありましたし、「もし行けというのなら私も行くし」と。あとスキマスイッチの(常田)真太郎っていうのも友達なんですけど、「いま自分にできることはたぶん歌うことしかないんで。YouTubeにアップするから」というのもありました。

──アッコさんは泣きながら?

富澤:「見ていて辛い」と。

──伊達さんの着ている「東北魂」というTシャツには、どんなメッセージが?

伊達:このTシャツは僕らの単独ライブで作ったTシャツなんです。今年単独ライブをやりまして、そのグッズなんです。僕がすごく好きな言葉なんですけれども。東北楽天イーグルスもこの言葉を掲げて野球をやっているんですけれども。今こそ東北に住んでいる人たちにがんばって欲しいな、と。

──先ほど別の会見で、寛平さんがお2人と話したと言っていたが、どんな話を?

伊達:師匠はですね、「地震当日は東北がこんなことになってるとわからんかったわ」と。わかってすぐ僕ら電話いただいたんですけど。「大丈夫か? どんな状況や?」と。「いいカッコするわけじゃないけど、お前らのために俺はなんでもするから、いつでも何でも言ってくれ」と、師匠はすごく言ってくれましたね。

──寛平さんは「走って東北を復興させたい」と言っていて、「サンドウィッチマンと一緒に走りますか?」と聞いたら「伊達が走ったら行く」と言っていました。

伊達:そうですね。いろんなことを考えていかなきゃいけないですね。

──現地で被災されている方は、何を一番必要としていると思いますか?

伊達:まずは情報。あと救援物資が足りないところがものすごく多いですね。テレビカメラが入っている避難所は比較的まだ大丈夫な避難所なんです。もうカメラが入れないところがすごく多い。そこには救援物資がまったく届いてなかったりとか。今日、僕に石巻の友達からメール来たんですけれども、1日イチゴ1個しか食べられない。それくらいしか回ってこない。リンゴも8分の1個。それで1日過ごしている。ATMを壊して現金を奪っていく奴もいる。すごい状況らしいですね。

──津波に巻き込まれていく人を見る気持ちというのは?

伊達:現実なんだろうか、という気持ちですね。唖然とする。何もしてやれない。もちろん下に降りていって救いたかったですけれども、それもできない。本当に無力さというか。見てられない状況。

富澤:ただ逃げて欲しいというのがあって……。受け容れることが難しい。

──山の上に避難されていたときに、同じく避難していた人とは、なにか話は?

伊達:自分の家が流されている人たちなんですよ。そういう人たちとは、話というか、もうまわりでは誰々がどこに行ったとか、逃げたとか、そういう話をしていましたね。こんなのありえない、考えられない、っていう、唖然と見ているだけ。そんなにペチャクチャ喋っている人は誰もいなかったです。

──今、現地の情報はなにか入ってきていますか?

伊達:松島に住んでいる友達から今日「何回も電話したけど初めてつながった」というので連絡来ました。日本三景で有名な松島は「松島湾」なんで、いろんな小さい島があるんですけど、その島が奇跡的に津波の勢いをちょっと弱めたらしいです。松島に行ったことがある方はわかると思うんですけど、海のまわりにお土産屋さんがすごくいっぱいあって、そのお土産屋さんは完全に崩壊してはいない、と。「床上までは浸水しているけど、なんとか耐えている」と。そいつは松島役場で働いている奴なんですけど、そう言っていました。「家は相当水に浸かっている、もう住める場所じゃないけれど、俺や家族は無事だ」と。

──原発について何かコメントは?

伊達:「30km圏内の方は外に出てくれ」と報道されていますが、逃げられる状態じゃない人のほうが多いです。「濡れタオルを口にあてて逃げてくれ」と言われるが、水が出てないのにどうやって濡れタオル作るんですか、ということなんです。被災地のことをなにもわかっていない専門家の人とか。もちろん詳しい方なんでしょうけど。被災地の方は逃げられないんですよ。お年寄りもいっぱいいますし。

富澤:どこに逃げたらいいかわからないです。その情報を教えて欲しい。

伊達:で、その逃げなくちゃいけない人というのは、テレビが見られませんし。まだ電気が通っていない。

──被災者にメッセージを。

伊達:世界中、日本中の方が助けに来てくれていますし、僕らからは「とにかく耐えてくれ、大丈夫だから」って言いたいですね。「みんなが助けてくれるから。だから今は耐えてくれ」と。

──東京に来たのは「東京でやれることがあるんじゃないか」ということでしょうか?

伊達:もちろんですね。僕らは実際に被災しましたし、惨状を見ましたし。そんな中、僕らはテレビや新聞で伝えられる。僕らができることなんじゃないかと。伝わらない情報というのはすごく多いんですね。そこは僕らが伝えなくちゃいけない。停電でなにもできない家族を置いて来ました。

──富澤さんはブログで「東北は負けねーぞ!」と書かれてます。非常に心に残る言葉ですが、その想いは?

富澤:すごく気持ち的にも、下ばっかり見ていたらいけなくて、前に進まなきゃいけないと思って、そういうことを書きました。

──募金などの行動を起こそうと思ったのは、どういった気持ちから?

伊達:テレビで見る情報だけじゃない、というのを僕らはすごく伝えたい。あと、僕らにいちばん出来るのは募金を集めることしかない。義援金を集めようと。僕らは直接ちゃんと宮城県知事に持って行きますし、東北地方全域で使ってくれと、ちゃんと言います。

富澤:気仙沼にはたまたまいたのかも知れないんですけど、こうやって生きて帰って来られて、こうやって喋ってる、というのは偶然じゃない、っていう気持ちで。なにか伝えなきゃいけないから生きてるのかな、という気持ちがあります。

伊達:僕らの使命です。

──各所から既に募金が集まっていることについては?

伊達:すごくありがたいことですし、地元の人間としてもすごく感謝しています。

富澤:ありがたいです。今はいろいろとみんなが文句を言っていたりしますけど、「ありがとうございます」という言葉がすごく今は大事なんじゃないかな、と思います。

──テレビや新聞を通していちばん訴えたいことは?

伊達:とにかく安否確認をして欲しいな、と。今は本当に異常な事態。やっぱり自分が避難所にいたときに「僕は無事だよ」っていうのを誰かに伝えたいけれど、伝えることができない。東京でもそうですけれども、関東、関西、九州、全部の人たちが、東北にいっぱい知り合いや友達がいると思うんですよ。その人の安否をいちばん知りたいはずなんです。避難所の人たちの顔をいっぱい映して欲しい。それは昨日、日テレの「DON!」に出たときに言わせてもらったんですけど。各局で同じ情報を流している場合じゃない。それはすごく強く思ったので今回言いましたけど。テレビを見ていると電話回線が入ったりとか、そういう情報もありますけど、それはほんのごく一部で、安否がわからない人がすごく多いですね。まだ何万人の人がわからない。それをテレビは伝えて欲しい。

富澤:メディアの力って本当にものすごいと思う。こういうときこそ協力して体制を作って行動して欲しい。もちろん皆さん、がんばっているんでしょうけど。

伊達:民放が手を組んで、たとえば「この局は安否確認の局」、「この局は原発の局」、バラエティでも野球でも、娯楽でもいいです。そういうふうに役割を決めてやるような事態なんです。

──被災地の方が元気になるようなメッセージを。

伊達:世界中、日本中からすごく頼りになる人達が駆けつけて、一生懸命寝ないで作業してくれています。だから大丈夫です。今孤立している人とか、孤立している人はこのテレビ見られないでしょうけど、助かりますし、今に救援物資も届きますし、また笑い合える日が必ず来ると思うんで。

富澤:本当に僕らにはこんなことしかできなくて、非常に申し訳なく思います。でも、必ずまた笑いを届けられると思うんで、今はがんばってください。僕らもがんばります。

──次に仙台に戻るのはいつ?

伊達:いつでも戻れる状態でいます。まだ予定はないですけど。戻る手段が今すごく大事になってくると思うんで。東北新幹線がしばらく復旧できないでしょうから。いつでも戻る準備をしています。

──義援金で集まったお金で「いちばんこれを用意して欲しいな」と思うものは?

伊達:現地の人達がいちばん必要としているものを用意して欲しいなと思います。ただ僕らは東京に戻ってきちゃっているので、今なにが欲しいかというのは毎日違うと思うんです。避難場所によっても、あるもの、ないものというのが違う。僕らが気仙沼で感じたのは、とにかく情報が足りない。ラジオもテレビもなかったですし、携帯の充電器も足りない。食べ物や飲み物はもちろん、洋服だったり、赤ちゃんの粉ミルクもお湯も全部なかった。そういったものに使ってもらえれば嬉しいです。

──現地からどうやって戻りました?

伊達:車です。会社が車で迎えに来てくれました。何十時間もかけて。

──あらためて地震のときは、どんなことを考えていました?

伊達:津波というのがまったくわからず、見たこともなかった。今までの地震でも10cmの津波が来ましたとか、そういう報道がよくありますけど、たいしたことないって正直思ってた。みんなたぶんそう思ってると思う。「10cm海面が上がったくらいでなんでもないだろう」と。でも聞くと、20cmの津波で人は踏ん張れないらしいです。流されるらしいです。それを考えると6メートル以上の津波というのは、そんなの誰も考えていない。僕らももちろんこんな津波が来ると思って山に逃げたわけじゃないですし、「山に逃げる必要ないんじゃないかな」とちょっと思ったくらいなんで。

──助からないと思った瞬間は?

伊達:僕らは山の上だったんで、そのときは山に逃げて本当によかったな、と。

富澤:あと火災もありましたんで、もしかしたら火がこちらに来る可能性もあるな、と。

伊達:火のまわり方がとんでもなく速かったです。風向きの方向に火がまわるんで、もしこっちに風向きが変わったら、山が燃えてましたし。

──誰のことを思っていましたか?

伊達:やっぱり家族のことですね。

富澤:一緒ですね。

──奥さんとはどんなお話を?

伊達:地震直後はカミさんと電話ができたんですね。「東京が揺れた」と。大丈夫だと話を聞いて、そこでいったん僕は安心したんですけれども、そのあと僕が連絡取れなかったものですから。そのあと津波が来て、その津波の情報が東京には入っても、僕らにはわからないですし。「“無事だよ”という連絡をしたい」と強く思いました。

富澤:もう、向こうが先に泣いてたんで「大丈夫だよ」と。

──お2人がいちばん願うことは?

伊達:早く復興して欲しいですね。あとすごく余震が多いんで気をつけて欲しい。東京ももちろん揺れますし、こんな状況は今までにないですし、1000年に1度と言われていて。今夜だってでっかい地震が来るかも知れないですし、常に警戒して欲しいですね。何が起きるかわからない。

──義援金は、お2人からは?

伊達:まだ「いくら出す」という話は考えていないですが、だいたい事務所と僕らで、1000万円くらいはいこうかなと。それは当たり前です。

なお、義援金口座は、三菱東京UFJ銀行 目黒支店 普通 0133179「東北魂義援金(トウホクダマシイギエンキン)」。チャリティライブは4月9日(土)に2公演が開催される。会場や時間、出演者などの詳細は、2人の所属事務所グレープカンパニーのオフィシャルサイトなどで今後発表される予定だ。

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