1つの演目を朗読で聴いてから能として観ることで、能の世界をより身近に楽しめる「夜能」シリーズ。このたび宝生能楽堂の45周年を記念して、2024年6月23日に一夜限りで開催される「夜能」に、大曲「道成寺」が登場する。
朗読を担うのは、声優・俳優・映画監督と多方面で才能を発揮する津田健次郎。そして能では「夜能」の発案者である宝生流第20代宗家・宝生和英が自身にとって10回目の「道成寺」でシテを勤め、記念公演を寿ぐ。
ステージナタリーでは、柔らかな陽に包まれた3月下旬の昼下がり、宝生能楽堂で2人の対談を行った。2020年6月の「夜能『生田敦盛』」以来の共演となる彼らは、どのような思いで「夜能」に臨むのか。
取材・文 / 大滝知里撮影 / 平岩享
ヘアメイク[津田健次郎] / 塩田勝樹(Sui)
「道成寺」は“対決”、恐怖を克服しないと挑めない
──宝生能楽堂が45周年を迎える節目の年に、朗読×能のシリーズ「夜能」で大曲「道成寺」が披露されます。能「道成寺」では、思い人である僧・安珍に裏切られた清姫が、大蛇となって安珍を追い求め、最後は鐘の中で焼き殺すという古刹・道成寺の安珍・清姫伝説の後日譚として、鐘を再建するところから物語が始まります。津田さんは「道成寺」について、どのような印象をお持ちでしたか?
津田健次郎 実は「道成寺」にはこれまで触れたことがなかったんです。頻繁ではありませんが、公演を観に能楽堂に足を運ぶ中で、どちらかと言うと能には静かな演目が多いと思っていました。でも、「道成寺」は女性の情念や恨みのようなものが出てきて、能楽師が鐘の中に入って……と、ダイナミックなイメージがあります。どんな公演が観られるのか楽しみです。
──「道成寺」が大曲と呼ばれるゆえんはどのようなところにあるのでしょうか?
宝生和英 一般的に「道成寺」には、乱拍子と鐘入りという難しいポイントが2つあります。乱拍子は、両目を閉じた状態で片足立ちし、左右交互に足を踏みながら30分くらい舞うんです。これは、蛇が石段を一段ずつ登っていく様子を表しているのですが、身体がバキバキになるほど過酷で(笑)。加えて小鼓との一騎打ちと言いますか、シテと小鼓方には相手の呼吸を察知する技術が必要で、能力が足りないとバラバラになってしまう。でも仲良く合わせたら良いというわけでもないんです。意図的にわざと間を外したりもしますし、ギリギリを狙うチキンレースに臨むような感覚があります。
津田 対決なんですね。難しい世界だなあ。
宝生 非常に難しい舞です。一方、鐘入りというのは、鐘後見が鐘をつり上げている縄を離すタイミングでシテが鐘に飛び込むのですが、息が合わないと大けがをするリスクがあります。「道成寺」は能楽師として、ある程度慣れて、恐怖心がなくなった状態でないと挑戦できない曲ではありますね。
津田健次郎の、妖艶で怖い女性の表現はピカイチ
──その「道成寺」が、朗読と能で楽しめる今回の公演では、朗読の脚本を長田育恵さんが書き下ろします。長田さんは、これまで津田さんが「夜能」で読まれてきた「生田敦盛」(2020年)、「小鍛冶」(2022年)の脚本も担当されました。
宝生 長田さんはいつも、津田さんが出演する「夜能」の脚本を書くときは特に緊張されていますよ。“津田さんの個性を生かすために自分を追い込まなければならない”そうで。
津田 三者三様でみんな追い込まれるんですね(笑)。台本はこれからいただくので、どのようなものを読むことになるのかと楽しみにしています。古典を現代語訳するときは、普通に書く台本とは感覚が違うと思うんです。「夜能」では、能の原文が持つ良さを損なわずに、作家性を乗せつつ、朗読としてのわかりやすさを実際に能を観る前に伝えるという役目があって、いくつもの課題が長田さんにのしかかってくる。でも、毎回それを軽々と超えて、豊かな世界を表現してくださっているなと思います。
宝生 「夜能」に限らず、長田さんの脚本では、世界観を壊さないように絶妙なバランスが取られていると感じます。能のようにわかりにくいものを表現するときに、難しい言葉選びもしなければ、曲解してわかりやすく書き込みすぎることもない。津田さんの表現力の賜物でもありますが、「小鍛冶」では三条小鍛冶宗近が小狐丸を鍛え上げたときに、煙立つ真剣が目に浮かぶようでしたし、「生田敦盛」では子供と幽霊の平敦盛がもやにかかって引き離されていく場面で緊張から緩和に移行する臨場感があって、サウナから出たあとのように“ととのう”感覚がありました。僕が津田さんのことを最初に知ったのは、舞台「マグダラなマリア」(編集注:2008年の初演より上演が重ねられたシリーズ。津田は娼館で働くやり手のグレイスを演じた)でしたが、テレビアニメ「TIGER & BUNNY」のネイサン・シーモア(ファイヤーエンブレム)役しかり、津田さんの、妖艶さと怖さが表裏一体となる女性の表現はピカイチ。「道成寺」もハマるはずだと期待しています。
津田 ハードルが上がってる(笑)。でも、「道成寺」は有名なので、周りのリアクションも大きかったです。どう演じるかはまだ想像でしかありませんが、古典には、執着心や思いの強さといった“純度の高さ”が死に至らせるという美しさがあると思っていて。もちろん現代劇にもある要素ですが、古典のほうがより色濃く、故に物語の幹を太くしている。それは、今より自然が近くにある世界で、木や水や空気、暗闇などが夢と現の境目をあいまいにさせていたからで、“世界観の濃さ”が、人と人との結びつきにもあったのだろうと思います。そこがヒントになるような気がしていますね。
“観客を驚かせた”と言い伝わる演出で
──今回、能「道成寺」では宝生家に伝わる特殊演出が施されます。なぜ特殊演出に挑戦してみようと思われたのですか?
宝生 「道成寺」を勤めるには技術と体力が必要で、多い人でも生涯で3回程度と、あまり回数をこなせない曲なのですが、私はありがたいことに皆様からオファーをいただき、今回、10回目を勤めさせていただきます。その記念として、探し出してきた替ノ型(編集注:普通と違う型で勤めること)と、宝生家五代目による口伝の型をミックスしてやってみようと考えています。
津田 五代目って……室町の話?
宝生 そうですね(笑)。この特殊演出は、私が近年では最も小柄な能楽師であることと、まだ三十代でフィジカルが強めなので、今の自分にしかできない演出なのではないかと思って、やってみることにしたんです。先代、先々代を超えるためにも、自分の長所を生かす型で「道成寺」を勤めてみたいという気持ちもありました。詳細はご覧いただいてのお楽しみですが、“観客を驚かせた”という伝承がある演出です。
──どのような驚きが隠されているのか楽しみです。この公演では、「生田敦盛」以来のお二人の共演となることにも注目が集まります。
津田 宝生能楽堂の節目となる45周年で、宗家の「道成寺」10回目、なおかつ珍しい演出でという、スペシャルだらけの公演なので、ちょっと本当にがんばらないと。露払いします(笑)。
宝生 いえいえ、僕こそ津田さんの朗読で盛り上がっているところに水を差さないようにしなければ。津田さんは10年以上前にお会いした頃から能に興味を持ってくださって、二十代で若造だった私にもいろいろなお話をしてくださったんです。コロナ禍で挑戦した「生田敦盛」でご一緒させていただいたときも達成感がありましたが、それを超える大仕事を一緒にさせていただきたいと考えたときに、自分の最も得意な曲である「道成寺」で勝負したいなと思って。今回、夢がかないました。