上野水香「ボレロ」が東京バレエ団60周年に唯一無二の輝きを添える 記念ガラ〈ダイヤモンド・セレブレーション〉

ダイナミックさと繊細さ、優雅さを併せ持つバレエダンサー・上野水香。そんな彼女が、しなやかさと強靭な生命力を全身で表現するのが、ラヴェルの楽曲に乗せてモーリス・ベジャールが描く「ボレロ」だ。今年60周年を迎えた東京バレエ団の記念ガラ〈ダイヤモンド・セレブレーション〉で、同バレエ団ゲストプリンシパルである上野は、自身の代表作を披露する。バレエ団をはじめ、数々の出会いに対して感謝を述べつつ、アーティストとして自身と常に厳しく向き合ってきた彼女が、今回は「今の私だからお見せできる、会心の『ボレロ』を踊りたい」と意気込む。その思いを聞いた。

取材・文 / 富永明子撮影 / 平岩享衣裳協力 / Grace Class

上野水香インタビュー

東京バレエ団での20年、「日本でがんばってよかった」

──上野水香さんが東京バレエ団に入団されてから、今年で20周年ですね。最高位のダンサーであるプリンシパルとして活躍後、2023年4月からはゲスト・プリンシパルとして舞台に立たれていますが、この20年を振り返って、今のお気持ちをお聞かせください。

この数年で、芸術選奨文部科学大臣賞や紫綬褒章など、いくつかの賞をいただいて、改めて「この国で、東京バレエ団で踊り続けていてよかった」と心から思えました。というのも、バレエは点数がつくわけではないので、お客さまからいただく拍手と喜んでくださる笑顔だけが励みなのですが、長年走り続ける中で「私はこのまま、ただ踊って朽ち果ててしまうのだろうか」と悩むこともあったのです。でも、賞という形で評価していただいて、初めて「日本でがんばってきてよかった」と思えました。この20年が報われましたね。

上野水香

上野水香

──二十代、三十代、四十代と、心身ともに変わっていく時期の中、きっと悩むこともありましたよね。

苦しいことのほうが多いくらい、悩み抜いた20年でした。1つの芸術に身を焦がして生きるためには、犠牲にしないといけないこともたくさんあります。そうすることで技術や芸術性が深まり、ダンサーとして認めていただくことも増える反面、偏った部分が助長されていったようにも思えて、1人の人間として「私はこれでいいのか」と苦しんだ時期もありました。それから、私はただひたむきに努力をして、お客様によい舞台をお見せすることが幸せな未来につながると信じてきましたが、なかなかまっすぐ進めないことも多いんですよね(笑)。思うように踊れなかったり、人から言われた言葉が気になってしまったり。それを「私に足りないものがあるせいだ」と落ち込んで、自暴自棄になったこともあります。それでも応援してくださる方々がいたおかげで、信じるものに向かって進む強さを得られましたし、私を信じてくださる人たちを大切にしたいと思うようになりました。

──大変なことも多い反面、大切な学びも得られた20年だったのですね。

そうなんですよ。バレエの世界も、ほかの世界と同じでいろいろなことがたくさんあります。暗闇にいると感じることは今もありますが、もがいても仕方ないというか、もがきながらでもまっすぐに努力して進んでいくことが大切だと吹っ切れるようになりました。ほかの人がどう思うかとか、変ではないかと気になって、立ち止まりそうなときもあります。でも、立ち止まったままだと、いい方向にも進めない。だから暗闇の中でも、絶対に踏み出さないといけないと今は思っています。支えてくださる方々の力があるから一歩踏み出せているんですけどね。

──四十代後半になって、身体の面では変化はありましたか?

ありがたいことに、バレエの技術的にできなくなったことは今のところありません。それどころか、この年齢になって成長を感じることもあって。今ちょうど(「世界バレエフェスティバル」の全幕特別プロで踊る)「ラ・バヤデール」のガムザッティ役のリハーサルをしているのですが、ジャンプの多い役なのに、私は昔からジャンプが苦手なんです。それで特訓していたら少しずつコツがつかめてきて、ちょっとだけマシになってきました。この年齢でマシになるって、今まで何してきたんだろうって思っちゃいますけど(笑)。開発されるのが遅いタイプなんです。でもきっと、あと数年経つとできなくなることも増えてくると思うので、今を大切にしたいですね。

上野水香

上野水香

踊り続けたことで、自分の「ボレロ」を信じる気持ちに

──東京バレエ団は今年で60周年。水香さんは、40周年のタイミングから在籍していらっしゃいますが、改めて東京バレエ団の魅力はどんなところにあると思いますか?

私が入団するときに魅力的に感じていたことが2つあって、1つは国際的につながっているバレエ団であること。もう1つは、モーリス・ベジャール振付作品をレパートリーに持っていることです。東京バレエ団はNBSという招聘元が母体になっているので、海外のゲストダンサーと共演できる機会があります。一緒にレッスンやリハーサルをして学ぶことも多いです。反対に、私たちも海外のバレエ団などに呼んでいただくほか、定期的に海外ツアーを行なっているので、海外で踊る機会も得られます。

──もう1つ、魅力的に感じたのがベジャールの存在なのですね。1960年ごろから「春の祭典」や「ボレロ」などの名作を生みだし、一世を風靡した振付家です。東京バレエ団との関わりは深く、バレエ団のために「ザ・カブキ」も創作しています。やはり彼の作品を踊ることは特別な体験なのでしょうか?

ええ、私たちのために振り付けてくださった「ザ・カブキ」はもちろん、東京バレエ団のレパートリーになっている「ボレロ」や「春の祭典」「M」など、ベジャール作品と日本人ダンサーは不思議とマッチするところがあります。もちろんヨーロッパの方が踊っても素敵なのですが、日本人ならではのきめ細やかさ、味わいなどが、ベジャール作品ではいい意味で生きるように思います。それも、ベジャールさん自身が日本的な感性をお持ちの方だったので、日本人の精神性とつながる部分があるからかもしれません。

──ベジャール作品の中でも、20世紀の最高傑作と言えるのが「ボレロ」です。これまでジョルジュ・ドンやシルヴィ・ギエムら、錚々たるスターダンサーが踊り継いできたこの演目を、水香さんは20年前から踊っていらっしゃいます。「ボレロ」を踊るには、当時はベジャール自身の許可が必要だったと思いますが、そのころの思い出を聞かせてください。

東京バレエ団に入ってすぐのことで、私はまだ二十代前半でした。実は昔から「ボレロ」が好きで、自宅でパトリック・デュポンさんが踊る映像を繰り返し観て、こっそり練習していたんです(笑)。だから、あるとき「『ボレロ』を練習するから、ビデオを観ておきなさい」と言われたときは、夢がかなって本当にうれしかったですね。すでに踊ったことのある方々に教えていただいてから録画して、それをスイスに送ってベジャールさんに見てもらい、許可をいただきました。最初に舞台で踊ったのは、2004年の東京バレエ団のヨーロッパツアーです。

「ボレロ」より。(Photo:Shoko Matsuhashi)

「ボレロ」より。(Photo:Shoko Matsuhashi)

「ボレロ」より。(Photo:Shoko Matsuhashi)

「ボレロ」より。(Photo:Shoko Matsuhashi)

──ベジャールから直接、指導を受けた経験もありますよね?

はい。ベジャールさんに教えていただいた時間は濃厚で、隅から隅まで覚えています。そこで得たものは自分の中にしっかりと刻み込まれていますね。ベジャールさんが表したいポーズのニュアンスや型があるので、「こういうイメージでやってほしい」と具体的に教えてくださいました。特に印象に残っているのは「『ボレロ』はクラシック・バレエがもとになっているから、『白鳥の湖』や『眠れる森の美女』と同じように、クラシックの基礎で踊ってほしい」と言われたこと。ステップをきちんと、きれいに踏んでほしいと言われ、ハッとしました。考えてみると、ベジャールさんの作品は全部そうなんですよね。クラシック・バレエの基礎がしっかりある人が踊ると、とても素敵。それは今でも思い出すたびに納得しますし、大切にしたい部分です。

──もう数えきれないほど何度も踊っていらっしゃると思いますが、「ボレロ」は飽きることはない演目ですか?

飽きないですね……本当に深い作品で、そのときの自分の状態が全部出てしまうので怖い作品でもあります。踊り終えたときの感覚が日によって違うんですよ。「死んでしまった」と感じるときもあれば、「1日が終わった」とか「天に昇った」とか、あるときは「閉じ込められた」と感じたこともあります。

──「閉じ込められた」とは興味深い感覚ですね。

不思議ですよね。円卓の端が全部壁になっていて、筒状のものに閉じ込められているような感覚になって、踊っている途中から怖くてたまらなかったのを覚えています。そこから出たいと無我夢中で踊りましたが、踊り終えたときはお客様が地面を踏み鳴らすほど興奮して喜んでくださいました。そんなふうに、どんな感覚になるかは踊りだすまでわからないんです。毎回気づいたら我を忘れて踊っていて、自分の中にあるものを差し出して、差し出して、差し出し尽くして、魂がどこかにいってしまう。でも、踊り終えるとお客様からエネルギーが返ってきて、魂が戻ってくる瞬間があります。「ボレロ」は舞台上と客席との間で、ものすごく大きなエネルギー交換が行われていると思います。

「ボレロ」より。(Photo:Shoko Matsuhashi)

「ボレロ」より。(Photo:Shoko Matsuhashi)

「ボレロ」より。(Photo:Shoko Matsuhashi)

「ボレロ」より。(Photo:Shoko Matsuhashi)

──毎回、それだけ魂を燃やし尽くす演目を20年も踊っていらっしゃるというのはすさまじいですね。

実は「ボレロ」に関しては、長い間、自信が持てなかったんです。昔、家でこっそり練習していたときは「私の『ボレロ』には絶対にほかの人にはないものがあるから、早く世に出すべきだ」なんて思っていたんですよ(笑)。でも、いざ舞台に立ってみると「そこまでじゃないな」と感じてしまって、それ以来、怖い演目になってしまった。受けるときもあれば、全然受けないときもあって、なぜその差が生まれるかもわからなくて、どんどん苦手意識が芽生えて……という悪循環。さらに、過去に踊ってきた素晴らしいダンサーたちと自分を比較しては全然ダメだと感じてばかりで、正直「上野水香といえば『ボレロ』」と言われるのがつらかった時代もあります。

──その感覚はいつごろから少しずつ変わっていったのでしょうか?

「私の『ボレロ』、いいかもしれない」と思うようになったのは、コロナ禍前後です。特に、2021年1月、コロナ禍のお正月に踊ったときはお客さまの反応が今までと違っていて、自分の「ボレロ」を信じる気持ちにつながったように思います。私の「ボレロ」は、みんなを希望に導いているのかもしれないと思うようになったんです。何が原因で変わったのかははっきりしないのですが、コロナ禍に私自身、いろいろなことを諦めざるを得なくて、いい意味で肩の力が抜けていたのがよかったのかもしれない。あとは、それまでほかのダンサーと自分を比較していましたが、個性は全員違うのだから順位も正解もない、どの域までたどり着いているかが大切だと気づけたのも大きかったですね。私は私で、ほかの人とは違う「ボレロ」を踊れるんだって。そのあたりから、自分らしい「ボレロ」が形づくられていって、今は踊りたくてたまらないです。

上野水香

上野水香

会心の「ボレロ」を!

──その「ボレロ」も含めた、東京バレエ団の「60周年祝祭ガラ〈ダイヤモンド・セレブレーション〉」が間もなく開催されます。水香さんにとって、思い出の作品がたくさん詰まったガラですよね。

私が入団したときはちょうど40周年で、そのときのガラで「エチュード」と「バクチⅢ」を踊りました。「エチュード」は、超絶技巧が満載でとても難しい踊りですが、音楽も素敵で華やかな作品です。「バクチⅢ」はベジャール振付で、オリエンタルな雰囲気なので、日本人の個性に合う作品ですね。エグみのあるダンサーが踊るとハマって面白い、個性的でパワフルな作品です。あとは踊ったことがないのですが、どれも素敵な作品ですね。「ドリーム・タイム」は振付家のイリ・キリアン独特のムーブメントの美しさを楽しんでいただきたいです。「スプリング・アンド・フォール」は、風の中を駆け抜けるような、爽やかで後味のよい作品。「かぐや姫」は昨年、全幕が完成した新しい作品ですが、ドビュッシーの「月の光」に合わせて、ふたりが音楽的に舞ってくれることでしょう。

──今回、水香さんが踊られるのは「ボレロ」ですが、ぜひ意気込みをお聞かせください。

前回は「上野水香 オン・ステージ」でしたので、3演目の中のラストで「ボレロ」だったのですが、今回は東京バレエ団60周年のお祝いの意味も込めて、一点集中で踊りたいと思いました。「集中のエネルギー」をテーマに、今の私だからお見せできる、会心の「ボレロ」を踊りたいと願っています。皆さま、ぜひ観にいらしてください!

上野水香

上野水香

プロフィール

上野水香(ウエノミズカ)

神奈川県出身。5歳よりバレエを始める。1993年にローザンヌ国際バレエコンクールでスカラシップ賞を受賞後、モナコのプリンセス・グレース・アカデミーに2年間留学。帰国後は古典作品やプティ作品に次々と主演。1995年に牧阿佐美バレヱ団、2004年に東京バレエ団にプリンシパルとして入団。2023年より東京バレエ団のゲストプリンシパルとなる。東京バレエ団ではブルメイステル版「白鳥の湖」のオデット / オディール、「ラ・バヤデール」のニキヤ、「ドン・キホーテ」のキトリなどの古典や「ボレロ」「ザ・カブキ」の顔世御前などのベジャール作品をはじめ数々の作品に主演。バレエ団初演作品にベジャール振付「第九交響曲」、ロビンズ振付「イン・ザ・ナイト」、「海賊」のメドーラなどがある。M. ガニオ、R. ボッレほか数多くの世界的スターとも共演。2014年と2018年に自身によるプロデュース公演〈ジュエルズ フロム ミズカ〉を上演した。2022年に芸術選奨文部科学大臣賞、2023年に令和5年「秋の褒章」紫綬褒章などを受賞。

東京バレエ団60周年のきらめきを凝縮!
「ダイヤモンド・セレブレーション」

2日間にわたって行われる「ダイヤモンド・セレブレーション」には、先に紹介した上野水香の代名詞とも言うべき作品「ボレロ」をはじめ、バレエ団の挑戦と歴史を感じさせる7作品がラインナップされた。

ハラルド・ランダー振付の「エチュード」は、バレエの練習風景をベースにした作品で、東京バレエ団では1977年に初演された。古典バレエに対する敬意とダンサーたちの情熱が、ギュッと凝縮して描かれる。

「エチュード」より。(Photo:Kiyonori Hasegawa)

「エチュード」より。(Photo:Kiyonori Hasegawa)

今回は9月1日のみに上演されるのが、モーリス・ベジャール振付「バクチⅢ」。これはベジャールが1960年代にインドを旅したことをきっかけに生まれた作品で、ヒンドゥー教をテーマに3つのパートで構成される。東京バレエ団のレパートリーとなっているのはその3つ目で、インドの伝統音楽に乗せて、破壊と再生の神シヴァと妻シャクティの踊りが披露される。

「バクチIII」より。(Photo:Kiyonori Hasegawa)

「バクチIII」より。(Photo:Kiyonori Hasegawa)

「バクチIII」より。(Photo:Kiyonori Hasegawa)

「バクチIII」より。(Photo:Kiyonori Hasegawa)

イリ・キリアンが武満徹にダンスのための音楽を委嘱し、オーストラリアの先住民族アボリジニの祭典を取材して生まれたのが「ドリーム・タイム」。夢と恍惚の中で繰り広げられるような、途切れない音と踊りの波に心を委ねてみよう。

「ドリーム・タイム」より。(Photo:Kiyonori Hasegawa)

「ドリーム・タイム」より。(Photo:Kiyonori Hasegawa)

8月31日のみ上演される「ロミオとジュリエット」は、物語バレエの名匠ジョン・クランコによるバレエ。今回は第1幕最後の有名なバルコニーシーンのパ・ド・ドゥが踊られる。

「ロミオとジュリエット」より。(Photo: Shoko Matsuhashi)

「ロミオとジュリエット」より。(Photo: Shoko Matsuhashi)

ジョン・ノイマイヤーがドヴォルザーク「弦楽セレナーデ」に乗せて描く「スプリング・アンド・フォール」からはパ・ド・ドゥが踊られる。ノイマイヤーの音楽感覚が視覚的に表現された、躍動美に満ちた作品だ(9月1日のみ)。

「スプリング・アンド・フォール」より。(Photo:Shoko Matsuhashi)

「スプリング・アンド・フォール」より。(Photo:Shoko Matsuhashi)

そして、今回は8月31日のみ披露されるのが、Noismの金森穣が演出振付を手がける「かぐや姫」のパ・ド・ドゥ。「かぐや姫」(竹取物語)に着想を得た金森は、2021年から創作をスタートし、2023年に全幕バレエとして発表。日本の伝承文学をドビュッシーの楽曲に乗せて豊かに描き出す。

「かぐや姫」より。(Photo:Shoko Matsuhashi)

「かぐや姫」より。(Photo:Shoko Matsuhashi)