「天日坊」は“今の空気”をまとった作品 串田和美×中村虎之介×中村鶴松が語るコクーン歌舞伎 (2/2)

天日坊の疾走に、人間の姿、役者たちの姿が重なる

──「天日坊」の下敷きになっている「五十三次天日坊」は、慶応3(1867)年初演、155年前の作品。河竹黙阿弥がまだ河竹新七時代、39歳で書いたと言われています。もとは長い長い作品で、明治時代以来上演されていないそうですね。

串田 だから「これは歌舞伎の天日坊じゃない!」とか「間違ってる!」と言われないのが良いところ(笑)。まあ、戯曲を読み直して現代に上演する意味を探るという意味では、歌舞伎だろうがシェイクスピアだろうが、どんな作品でも取り組みは一緒ですけどね。今回はコロナ禍で上演時間をコンパクトにしないといけなくて、前回から30分縮めます。初演では宮藤さんが分厚い原作を何日もかかって読んで、格闘して、こういった本を書いてくれたわけですが……根底で何かを掴んでいる作品は、伸ばそうが縮めようが大丈夫なんだと、今日の稽古でも強く感じました。ちょっと気が早いけど、これからも上演されていく作品なんじゃないかな。「マジかよ」なんて現代的なセリフは、(勘九郎の息子の中村)勘太郎くん、長三郎くんの時代になったら「古ーい、ジジイの口調みたい」なんて言われちゃうかもしれないけど(笑)。

串田和美

串田和美

虎之介 ありえますね(笑)。

鶴松 そういうこと言い出しそう(笑)。

──でも串田さんがおっしゃるように、1人の人間がアイデンティティを探し求める物語は、今後も上演されていきそうな普遍的なテーマです。自分の“生”について悩みを抱えた主人公が疾走する様は、コロナ禍で観ると、また胸を打つものがありそうです。

串田 155年前が初演ということは、ちょうど江戸時代の終わり、幕末ですよね。世の中に漠然とした不安が広がり、“昨年と同じ来年が来るとは思えない”時代だったと思うんです。そうした時代の空気を宮藤さんがきちんと掴んで、このテーマを引き出せたんだと思う。今日も稽古をしながら「人間って何だろうな、役者って何だろうな」と考えていました。コロナ禍でこんなに大変な世の中でも、舞台をやる生き物なんですよ、僕らは。こういうときにも湧いてくる力をしっかり感じながら作りたいし、座組み全員に「負けないぞ」って気迫があります。「今の空気をまとう作品」であることが、如実に現れた舞台になると思いますね。

鶴松 歌舞伎役者は1年中芝居をしている人間の集団で、芝居がなくては生きていけないし、みんな演じることが生活そのもの。この時期に芝居をやることにはさまざまなリスクがあるけれど、どうにか成立させたい、芝居がやりたい、そうじゃないとアイデンティティが示せないって気持ちは全員にあると思います。どんな状況でも前を向いて芝居をやっていきたいし、この芝居自体が、自分の根幹を問いかけてくる気がしています。

虎之介 歌舞伎役者に限らずおそらく今、自分について、人生について、考える時間が増えた人が多くいらっしゃるでしょうしね。自分の居場所、大事な人、どうやって生きるか、何をすべきか……多くの方に共感いただける作品にしたいし、十代の僕が「面白い」と思えた「天日坊」だからこそ絶対に面白いものになる自信があります。どんな方がご覧になっても届くものにしたいです。

左から串田和美、中村虎之介、中村鶴松。

左から串田和美、中村虎之介、中村鶴松。

プロフィール

串田和美(クシダカズヨシ)

1942年生まれ。俳優・演出家・舞台美術家。1966年に劇団自由劇場を結成(のちにオンシアター自由劇場と改名)し、「上海バンスキング」「もっと泣いてよフラッパー」などの代表作を生み出す。1985年から1996年まで東京・Bunkamura シアターコクーン初代芸術監督を務め、2003年に長野・まつもと市民芸術館芸術監督に就任。2005年、渋谷・コクーン歌舞伎 第六弾「桜姫」、「コーカサスの白墨の輪」で芸術選奨文部科学大臣賞、2007年、渋谷・コクーン歌舞伎 第七弾「東海道四谷怪談 北番」で第14回読売演劇大賞最優秀演出家賞、2015年、第22回シビウ国際演劇祭でウォーク・オブ・フェイムを受賞。2008年に紫綬褒章、2013年に旭日小綬章を受章。

中村虎之介(ナカムラトラノスケ)

1998年、東京都生まれ。成駒家。三代目中村扇雀の長男、四世坂田藤十郎の孫。2001年に初お目見得、2006年に初代中村虎之介を名乗り初舞台。コクーン歌舞伎には、2021年上演の「夏祭浪花鑑」で初参加。

中村鶴松(ナカムラツルマツ)

1995年、東京都生まれ。中村屋。2005年に十八世中村勘三郎の部屋子になり、二代目中村鶴松として部屋子披露。コクーン歌舞伎には、2006年上演の「東海道四谷怪談 北番」で初参加。

中村勘三郎の遺志を胸に、枠に留まらない挑戦を
コクーン歌舞伎の軌跡

渋谷・コクーン歌舞伎(以下コクーン歌舞伎)は、「渋谷に歌舞伎を」という思いから、シアターコクーン初代芸術監督・串田和美と十八世中村勘三郎が1994年にスタートさせたシリーズで、古典歌舞伎に新たな演出を加え、数々の話題作を生み出してきた。第1回は、中村勘九郎(十八世勘三郎)、中村橋之助(現・中村芝翫)、市川染五郎(現・松本幸四郎)、片岡孝太郎らと上演した「東海道四谷怪談」で、同作に監修として参加した串田が、第2回「夏祭浪花鑑」以降、コクーン歌舞伎の演出・美術を手がけるようになった。

渋谷・コクーン歌舞伎 第一弾「東海道四谷怪談」より。©松竹

渋谷・コクーン歌舞伎 第一弾「東海道四谷怪談」より。©松竹

串田は歌舞伎を現代的な解釈で捉え直し、本水・泥などを使った大胆な演出や、客席近くでの演技など、観客の肌感覚に迫るアプローチで作品を再構築。さらに笹野高史ら現代劇の俳優を出演させたり、搬入口を開けて舞台と現実世界をつなげたりと、歌舞伎の作劇法の1つである“ないまぜ”の精神で作品の可能性を広げ、幅広い観客の注目を集めた。

その後、コクーン歌舞伎は1・2年に1回のペースで、「盟三五大切」「三人吉三」「桜姫」「佐倉義民傳」といった作品を上演。さらに海外公演や、2009年のBunkamura開業20周年、コクーン歌舞伎開催15年の折には、「桜姫」出演者による“お練り”が文化村通りで行われるなど、国内外で愛されるシリーズとなった。

2011年に上演された第12弾「盟三五大切」は、勘三郎が体調を崩していたため、初めて勘三郎が出演しないコクーン歌舞伎となった。翌2012年には、宮藤官九郎が脚本を手がける第13弾「天日坊」が登場。同作には中村勘九郎、中村獅童、中村七之助らが出演し、“新生コクーン歌舞伎”の幕開けを感じさせた。初演時、串田は作品の公式サイトで「今回はあまり意味など追わずに、若き黙阿弥と宮藤官九郎が提示した物語をそのまんま受け入れ、説明しがたい演劇の自由な魅力を見つけたいと思っています。いくつもの矛盾が混然と絡み合った、なんともバロックな、いびつに輝く、単純で複雑な、滑稽で大真面目な、超古風で超新しいコクーン歌舞伎をつくりたいと思っています」と意気込みを話しており(参照:串田和美メッセージ | 渋谷・コクーン歌舞伎 第十三弾 天日坊(てんにちぼう) | Bunkamura)、勘九郎も「父(勘三郎)を始め皆さんが築き上げてきたものがあって初めてできる新しい作品です。音楽も歌舞伎の下座を一切使わずに、トランペットとパーカッションとエレキギターとベースだけ、今までのコクーン歌舞伎とは根本から違っています」と興奮を語っている(参照:渋谷・コクーン歌舞伎『天日坊』初日を前に出演者らが意気込みを語りました|歌舞伎美人)。

渋谷・コクーン歌舞伎 第十三弾「天日坊」より。©松竹

渋谷・コクーン歌舞伎 第十三弾「天日坊」より。©松竹

同年7月、勘三郎は松本・まつもと市民芸術館で行われた「平成中村座 信州まつもと大歌舞伎『天日坊』」の千穐楽ラストシーンにサプライズ出演。観客を大いに沸かせたが、これが生前最後の舞台出演となった。

勘三郎が亡くなった後、2014年に第14弾「三人吉三」、2016年に「四谷怪談」、2018年に「切られの与三」を上演したコクーン歌舞伎。現在は勘九郎、七之助を中心に、勘三郎の遺志を継ぐ歌舞伎俳優たちが、串田と共にクリエーションを続けている。そして初演から10年ぶりの上演となる今回の「天日坊」には、初演を客席で観ていたと言う中村虎之介、中村鶴松ら二十代の歌舞伎俳優たちも参加し、作品に新たな息を吹き込んでいる。

立ち上げから28年経つ現在も、歌舞伎や現代劇の枠に留まらない挑戦を続けているコクーン歌舞伎。“今、ここ”でしか観られない舞台が、再び幕を開ける。