“言葉の油断ならなさ”に迫る「たわごと」稽古場レポート / 桑原裕子インタビュー / キャストコメント

開館10周年を迎えた穂の国とよはし芸術劇場PLATが、芸術監督・桑原裕子の新作をプロデュースする。「たわごと」と題された本作では、引退した作家・越間亭杔の元に集まった2人の息子と、元愛人や医師など6人の男女が描かれる。彼らは亭杔の遺言書に書かれた“言葉”に翻弄され……。

ステージナタリーでは本作の稽古場に潜入。多彩な顔ぶれがそろう稽古場の様子を届けるほか、桑原にインタビュー。さらにキャスト6人に自身の役や作品に感じている印象を教えてもらった。

取材・文 / 熊井玲撮影 / 藤記美帆

「たわごと」稽古場レポート

言葉の裏にある思いをくみとる

取材に訪れたのは、稽古開始から数日目の10月上旬。稽古場の中央にロの字に机を並べ、台本の読み合わせが行われていた。その日の稽古は、前日までの続きで、物語の後半からスタート。座ったままだが、キャストは声のトーンや視線の動きだけで、登場人物の心の動きを豊かに表現する。その様子を桑原はじっと見つめていた。

本作の舞台は、引退した作家・越間亭杔が暮らす人里離れた海岸の断崖に建つある洋館。亭杔が危ないという報せを受けて、長男の需(渡辺いっけい)と菜祇(田中美里)夫婦、長年連絡を絶っていた次男の心也(渋川清彦)、そしてかつては亭杔の秘書で愛人だった解子(松金よね子)がやってくる。彼らを呼び寄せたのは、亭杔の介護をしている元看護師の黒江(松岡依都美)とオランダ系在日日系人のテオ(谷恭輔)。実は亭杔は、遺言書を用意していて……。

渋川清彦

渋川清彦

渋川は短い言葉の中に心也の凝縮された思いを込め、渡辺は明るい声音の下にうごめく需の不安を豊かに表現。田中は菜祇のあふれ出しそうな思いを繊細に描き出し、松岡は黒江の芯の強さや生命力を声に乗せる。谷はテオの飾らなさをまっすぐ届け、松金は解子の思考の深さ、艶っぽさを声だけで感じさせた。1つのシーンを読み終えたキャストに、桑原は「とっても面白かったと思います」とまずは笑顔を見せ、続けて台本に書き込んでいた細かなノートを伝えていく。

「言葉ではこう言いつつも、このときこの人は多分別の思いがあって……例えば別れ話のときに、あえてこんな言い方をすることがありますよね……」「ここはもう少し間を取ったほうが、本音を押し出す感じが出るのでは」と身振り手振りを交え、時に笑いを巻き起こしながらイメージを伝えていく。キャストはそんな桑原の言葉に頷いたり、メモを取ったり、質問を返したり、自分のイメージを桑原に伝えたりしながら作品のイメージをすり合わせていった。

田中美里

田中美里

キャストと共に試行錯誤する稽古場

続けてラストシーンへ。登場人物たちのやり取りを、時に笑い声を上げながら頷いたり、メモを取りながら聞いていた桑原は、「まずは状況を整理します」と、そのシーンで登場人物6人がどういう状況にあり、どんな心境になっているかをざっくりと伝えた。そのあと、「このセリフはもっと自立した、余裕のある感じで」「この人は無理して笑わなくてもよくなった、という変化を出したいです」「この人は変わらないトーンで」と細かな説明を加えていく。セリフの裏に隠された登場人物の思いは、桑原の説明を聞き、戯曲を見直すとどれも納得だが、限られた言葉数の中で、その思いのグラデーションを表現するのは非常に難しそうだ。実際、説明を聞きながらメモを取るキャストの手が止まり、思いを巡らせている様子が見られると、桑原はさまざまな喩えを交えながら「こういうとき、こんなふうに感じることありますよね?」と言葉を尽くして説明を加えていった。

渡辺いっけい

渡辺いっけい

面白かったのは、渡辺がふと「『前の住人』というセリフの、『前の』はどういうイントネーションにしたら良いのかな」と質問したとき。渡辺は「ま」を上げて読んでいたが、桑原が「え」を上げて読んでいることに気づき、「『え』を上げて読んだほうが、この場面の雰囲気が出るんじゃないかと思って。どっちで読んだほうが良いですか」と桑原に質問した。するとキャストたちからもいろいろな意見が出て、「正しい発音は『ま』を上げて読むほうかもしれないけれど、確かに『え』が上がるほうが雰囲気が出る」「でもその前のセリフでは、『ま』が上がっているほうがしっくりくる」とそれぞれに意見した。セリフの意味はもちろん、伝え方にも細やかな意識を持つ座組みだからこそ、桑原作品が深まっていくのだと実感した。

桑原裕子

桑原裕子

そんなみっちりとしたセリフの稽古が1時間続いたのち、机を端に寄せて、シアターゲームをすることになった。言葉と動きが別々のルールで同時進行するゲームで、桑原も輪に入り7人でゲームが行われた。すぐにルールを理解し、ほとんどミスがない渋川、渡辺、谷。最初は混乱しつつも徐々にペースを掴み始めた田中、松岡。松金はルールを理解しつつも動きが伴わず、たびたびみんなを爆笑の渦に巻き込み、場を和ませた。その後、再び読み合わせの稽古を重ねて、その日の稽古は終了。作品やセリフとの距離感、キャスト同士の距離感を一張一弛させながら、いよいよ立ち稽古が始まる。

桑原裕子インタビュー

穂の国とよはし芸術劇場PLATの芸術監督であり、2017年に初演された同劇場のプロデュース「荒れ野」で高い評価を得た桑原裕子が、再び豊橋から新作「たわごと」を発信する。今作の主題となるのは、“言葉の信憑性”。言葉と人に向き合い続ける桑原が、今感じている“たわごと”の意味とは? 作品に込めた思いを聞いた。

言葉の不確かさについて考えたい

──とても魅力的な座組みです。今回、キャストが決まってから物語が浮かんできたのでしょうか、それとも作品の構想が先にあってキャストを考えていかれたのでしょうか?

今回は、ぜひ一緒にやりたいと思う方にまずお声がけしました。ただ。今回は言葉を主題にした話にしたい、というようなことは、最初からなんとなくありましたね。

──「荒れ野」に続く、擬似家族のような物語になるのかなと思いましたが、兄弟を軸にした、父親と息子たちを巡る物語です。

最初に書いていたものは、まさに「荒れ野」に近い、擬似家族的な、よるべない人たちが集まってくる話を想定していました。でも顔合わせの2週間前に、それまで書いていたものを全部やめて、違う話にしたんです。というのも、言葉に対するこだわりが強い登場人物を集めて書き始めたところ、あまり破綻が生まれないなと感じて。なので、例えば家族など、もともと関係性があった人たちの中で言葉の問題を掘り下げたほうが、“言葉にならずに噛み合わない”という問題が起きやすいんじゃないかなと考えたんです。まあ、あらすじだけ読むと、遺言書をめぐるお家騒動みたいに見えるかもしれませんが(笑)、予想もしなかったところで気持ちが震えるようなことができたらな、と思います。

桑原裕子

桑原裕子

──タイトルがひらがなの「たわごと」である点に、桑原さんのこだわりを感じました。

“戯言”とはどういうことかを考えていたときに、「あわおと」という音につながって、その音のイメージが、言葉の不確かさ、泡のような感じと結びついたんですね。だから「戯れ言(ざれごと)」とただ漢字で書くのではないニュアンス、淡い音感が欲しくてひらがなにしました。

──「たわごと」というタイトルと、言葉を主題にした話にしようという思いは、セットでイメージされていたのでしょうか?

そうですね。戯曲を書くときにいつも私が思うのは、セリフに本当の気持ちなんて乗らない、ということなんです。その点について、今回はより意識を向けたいというか。この戯曲を書いているときもそうだったんですけど、人に会えない日に気分を紛らわそうとすると、SNSを見ることがあって、でもSNSを開くと情報もだし、他人の気持ちが怒涛のように流れてくる。ある意味、読み物はいくらでも見つかるんだけど、でも例えばある1つの事件に対してどれだけ情報が集まっていたとしても、読めば読むほど本質がわからなくなってしまうとか、かえって不安になるということがあるなと、よく感じるんです。例えばそこに書かれている誰かの気持ちも、本当は誰かに承認されたくて書いているものなんじゃないか、上部だけの言葉なんじゃないか、事実ではないんじゃないか……とか。でもその一方で、人って何か安心させてくれる言葉や情報を求めてもいる。つまりタイミングや関係性によって、言葉は信頼性の高いものにも、信憑性がない“たわごと”にもなってしまう。言葉の油断ならなさ、あてにならなさをやってみたいと思いました。

──言葉を生み出す作家の桑原さんが、その問題に突っ込んでいくというのは面白いですね。

あははは! 最近はコメディなど、気持ちを楽な場所に置いて書かせてもらうものが続いていたのですが、今回は書けば書くほど自分自身の言葉を疑っていくので、自分の言葉に対する懐疑的な状態がずっと取れず、実はすごく書くのがつらかったです(笑)。また今回は、頭の中ではいっぱいいろいろなことを思いつつも、できるだけ言葉に感情を乗せないように書いていた部分があって、でも稽古しながらさすがに言葉が足りないなと思って、書き足したりしているところです。

──戯曲を拝読して、会話が深まりそうになるとスッと引いたり、言葉を飲み込むことで逆に真意がにじみ出たりするシーンが印象的でした。稽古が進む中で、新たに見えてきたことはありますか?

今回は、思っていることとやっていることが矛盾するところがきっといっぱい起こると思うし、起きると良いなと思っています。またそういうチグハグさの中で、笑いが生まれるところもきっとあるでしょうね。例えばいっけいさんは、言葉を重ねれば重ねるほどとっちらかっていくような印象があって(笑)、本質からどんどんずれていく面白さがあると思っています。松金さんは、シリアスとコメディが同居したような印象がある人なので、真剣にしゃべっているのかふざけているのかというわからなさ、言葉に裏切りがあるタイプなんじゃないかと思います。渋川さんは、しゃべらないことで逆に雄弁に何かを語っていることが香り立つと思うので、やり取りする相手との組み合わせによって、シリアスかと思ったらコメディに弾んだり、ふざけているようでしゅんと暗いものが流れるような感覚が出せたら良いなと。全体として、作品をご覧になる方が簡単に気持ちが乗れない、ある種、気持ち悪いものになったら良いのかなと思っています。