少年社中25周年のメモリアルイヤーを駆け抜けた今、毛利亘宏・井俣太良が思うことは?

1997年に毛利亘宏、井俣太良らが中心となり旗揚げされた少年社中が、2023年に結成25周年を迎えた。それを記念し、6月に25周年記念公演第1弾「三人どころじゃない吉三」、9月に第2弾「光画楼喜譚」が上演され、2024年1月に第3弾「テンペスト」でフィナーレを迎えた。

高校時代に演劇部で出会い、四半世紀の時を共にしてきた毛利と井俣。少年社中の歴史とは、つまり2人の歴史でもある。井俣が発破をかけ、毛利が戯曲を書き演出する。学生時代から変わらぬ関係性で作品を作り続けてきた2人の軌跡を追いながら、少年社中が全力で駆け抜けた25周年のメモリアルイヤーを振り返る。

取材・文 / 興野汐里撮影 / 玉井美世子

「テンペスト」のギンは若い頃の井俣太良?

──2023年に25周年を迎えた少年社中は、25周年記念興行として、「三人どころじゃない吉三」「光画楼喜譚」「テンペスト」の3作品を上演しました。少年社中25周年メモリアルイヤーを追った特集の最終回となる今回は、旗揚げメンバーである毛利さんと井俣さんにご登場いただきます。お二人は、愛知県名古屋市にある東邦高等学校の演劇部で出会い、上京。共に早稲田大学演劇研究会に入部し、東京オレンジに所属したのち、1997年に少年社中を立ち上げました。改めてお二人だけで面と向かってお話しするのは、何となく気恥ずかしかったりするのでしょうか?

井俣太良 普通に話せるっちゃ話せるんですけれど、少年社中の現場でも外部の現場でも、毛利とはあえてあまり話さないようにしているんです。

毛利亘宏 そうだったの!? 俺は全然そんなつもりなかった(笑)。でも確かに、ほかの劇団員ともあまり話さないかもしれない。(山川)ありそあたりは話しかけてくることが多いけど、田辺(幸太郎)さんなんかは井俣さんよりもっと話さないし(笑)。昔は井俣さんとよくしゃべったよねえ。

井俣 そうね。だってそれしかやることがなかったから(笑)。

早稲田大学演劇研究会時代の毛利亘宏(左)、井俣太良(右)。

早稲田大学演劇研究会時代の毛利亘宏(左)、井俣太良(右)。

毛利 ははは! 俺ら、よくやり合ってたよね。井俣さんは「テンペスト」で演じたギンそのものだったと思う。ギンっていうキャラクターは俺から見た井俣さんなの。

井俣 俺はあそこまで厳しくなかったでしょ!(笑) でも、「劇団が世に出るためには良い作品作りをする必要があるから、俺が客観的に見ないといけない」っていう思いが強くて、昔はかなり作品に口出ししてたと思う。

──ギンは、「テンペスト」に登場した架空の劇団・虎煌ここう遊戯ゆうぎの主宰の座を追われた元メンバーで、劇団に復讐を誓う役どころでした。少年社中旗揚げ当初の井俣さんは俳優でありつつ、プロデューサー的な目線を持ちながら劇団活動に参加していたんですね。

井俣 そうですね。「毛利の戯曲が合格ラインに達するまで稽古しないぞ!」というような気持ちでやっていました。

少年社中 25周年記念ファイナル 第42回公演「テンペスト」(2024年)より。

少年社中 25周年記念ファイナル 第42回公演「テンペスト」(2024年)より。

毛利 旗揚げ10周年くらいまではそんな状況が続いていたかな。外部の仕事をさせていただくようになった今でも、自分にとっては劇団公演が一番厳しい現場だと思います。

旗揚げから25年経った今、改めて当時のことを考えてみたんだよ。よくあるバンドのサクセスストーリーに、「バンド組もうぜ!」から始まるものがあるけど、少年社中は全然そうじゃなかった。15人くらいいた愛知からの上京組の中で、最終的に残ったのが俺ら2人だけだったっていう(笑)。

井俣 そうそう。こういう話は美談になりがちだけど、俺らの話はまったくもって綺麗なものじゃない(笑)。

毛利 どんなに人がいなくなっても、俺と井俣さんと川本(裕之)の3人の絵で終わるだろうと思ってたんだけど、川本はいつの間にかフラッといなくなるんだよ。のちにまた劇団へ戻って来たけどね(笑)。前に川本から「毛利、俺がまたいつか少年社中からいなくなると思ってるだろう?」って聞かれて、「うん。そう思ってる」って答えたの(笑)。でも、もし今後そういうことがあっても、「また旅に出たか」「いつでも帰っておいで」みたいな気持ちで送り出すことができるんじゃないかと思うんだよね。

井俣 ははは! 川本とももう長い付き合いだし、お互いのことがよくわかってるから、どんなことがあっても許し合える関係性になったよね。

左から井俣太良、毛利亘宏。

左から井俣太良、毛利亘宏。

“劇団員・総・井俣太良化”

──先ほど、旗揚げ10周年の頃のお話が出ましたが、2007年の「チャンドラ・ワークス ーChandra Worksー」、2008年の「カゴツルベ」近辺が劇団にとって1つのターニングポイントだったのでしょうか?

毛利 そうですね。あと、10周年を超えたあたりから、劇団内に井俣太良が“増殖”したんです。“劇団員・総・井俣太良化”(笑)。

井俣 ははは! 確かに井俣太良が“増殖”して、ほかの劇団員が気になるところをちゃんと指摘できるようになってから、俺はあまり劇団のことに口を出さなくなりましたね。それでも何も変わらないときは重い腰を上げるけど、もはやそういうこともほとんどなくなったかな。厳しいこともたくさん言ってきたし、2005年あたりまではつらい時期が続いたけど、俺たち、なかなかすごいことをやってきたと思う。

──2005年には「アトランティス」「リドル ーLiddellー ALICE'S Adventures in Wonderland」、2006年には「光の帝国」「アルカディア」を上演しています。

毛利 あの頃は借金もあったし、活動の軸が定まらなくて大変だったね。

井俣 青山円形劇場でたくさん公演を打ったり、シアタートラムで挑戦的な公演をやったり、赤字続きでいわゆる暗黒時代だったかもしれない。

毛利 2008年の「カゴツルベ」あたりから好転していった兆しがあるよね。

少年社中 第19回公演「カゴツルベ」(2008年)より。

少年社中 第19回公演「カゴツルベ」(2008年)より。

少年社中 第19回公演「カゴツルベ」(2008年)より。

少年社中 第19回公演「カゴツルベ」(2008年)より。

井俣 そう。「俺ら、もしかしたら通用するかも?」みたいな感じになってきたよね。

毛利 創作以外の面でも団体として仕上がっていったというか、今の少年社中の原型ができたのはこの頃かもしれない。2014年に「贋作・好色一代男」で念願の紀伊國屋ホールでやることができて、2016年の「パラノイア★サーカス」で初めてサンシャイン劇場に立つことができた。このあたりで一気に勝負に出たような気がする。

井俣 サンシャイン劇場に立った経験は大きかった。ほかの劇場でやらせてもらうのももちろんうれしかったけど、サンシャイン劇場はまた別の感覚で、「客席にちゃんと声が届くのか!?」みたいな感じだったな。

左から毛利亘宏、井俣太良。

左から毛利亘宏、井俣太良。

お客さんも含めて“全員吉三”

──紀伊國屋ホールもサンシャイン劇場も、今では少年社中のホームグラウンドになっていますね。さらに、中野のポケットスクエアも少年社中の歴史を語るうえで外せない場所の1つです。25周年記念興行では、これら3会場を舞台に3つの作品が上演されました。

毛利 25周年記念興行は劇場から先に決めていって、紀伊國屋ホールで何をやるべきか、ザ・ポケットで何をやるべきか、サンシャイン劇場で何をやるべきかを考えながら、演目を当てはめていきました。ザ・ポケットとサンシャイン劇場では新作をやりたいと思っていたから、紀伊國屋ホールでやる演目は再演ものが良いんじゃないかと思って、2016年初演の「三人どころじゃない吉三」を選びました。

井俣 上演演目を決めたのはコロナ禍でモヤモヤした気持ちを抱えていたときだったから、再演ものの中だったら絶対に「三人どころじゃない吉三」をやりたくて。「三人どころじゃない吉三」の痛快なノリと、お客さんを巻き込んで「絶望的な状況だけど、最後は全員で笑おうぜ!」みたいな勢いが、今の世の中に一番必要だと思ったんだよね。

毛利 そうそうそう! 俺たちわかり合えてるね! 「三人吉三巴白浪」をベースにした「三人どころじゃない吉三」は決して明るい物語ではないんだけど、抜けが良い作品。初演で田辺が演じた和尚吉三も良かったけど、再演で井俣さんが演じた和尚吉三もすごく良かったよ。

左から井俣太良、毛利亘宏。

左から井俣太良、毛利亘宏。

井俣 同じ名を持つお坊吉三、お嬢吉三、和尚吉三が偶然出会い、杯を交わして、義兄弟の契りを結ぶところが、なんとなく少年社中の始まり方と共通してる気がする。

毛利 そうだね。高校の演劇部でたまたま出会った俺たちが、25年以上も一緒にいることになるなんて思ってもみなかった。しかも「三人どころじゃない吉三」は、3人だけじゃなく全員が吉三になるストーリーじゃない? 最初は小さかったコミュニティが、最終的に大勢を巻き込んで大団円を迎えるのも、“少年社中感”を出せた作品だと思う。

井俣 お客さんも含めて“全員吉三“という広がり方も、劇団が貫いてきた理念と一致するよね。