2020年10月、「リチャード二世」をもって12年続いた新国立劇場のシェイクスピアの歴史劇シリーズが完結。このたび、そのうちの2作が「シェイクスピア歴史劇シリーズ映像上映」として新国立劇場に帰ってくる。上映されるのは、シリーズのトップバッターを担った「ヘンリー六世 三部作」と、続く「リチャード三世」だ。ステージナタリーでは、各作品で主演を務めた浦井健治、岡本健一の魅力を中心に、見どころを解説。また、当時のインタビューなどから、2作に対する演出・鵜山仁の思いやエピソードを送る。当時、見逃してしまった人も、近年シリーズのファンになった人も、今こそ、演劇界のエポックメイキングなシリーズを映像で味わおう。
文 / 今村麻子(各作品解説) 文・構成 / 大滝知里 撮影 / 谷古宇正彦
シェイクスピア歴史劇シリーズってなあに?
劇作家ウィリアム・シェイクスピアが、100年にわたるイングランド王位の変遷を虚実ないまぜに描いた歴史絵巻。そのシリーズは「ヘンリアド」(編集注:“ヘンリーを主題とした叙事詩”の意)と呼ばれ、薔薇戦争を軸にした「ヘンリー六世 三部作」と「リチャード三世」を第1部、「リチャード二世」「ヘンリー四世 二部作」と「ヘンリー五世」を第2部とした8作から成る。
物語の時系列では第2部の「リチャード二世」が最も古く、領地を奪われ追放されたヘンリー・ボリングブルックが、王に反感を持つ貴族らと共に王座を簒奪するまでが描かれる。その後、自らをヘンリー四世と名乗ったボリングブルックの政治をつづる「ヘンリー四世 二部作」では抗争の中で、ヘンリー四世が罪悪感を抱えたり、父子の関係に苦悩したりしながら病死。放蕩者のハル王子にも王位継承者としての自我が芽生え、ヘンリー五世となる。続く「ヘンリー五世」ではフランス軍に勝利を収めるアジンコートの戦いをクライマックスに、生後9カ月で王となったヘンリー六世の運命が嘆かれて幕。そして、貴族の派閥争いや乙女ジャンヌの加勢を得たフランス軍の猛攻、王と国内の混乱を描いた「ヘンリー六世」、王位を虎視淡々と狙っていた男が王座に昇る「リチャード三世」へと物語が続く。
新国立劇場では2009年、当時の芸術監督・鵜山仁による演出で「ヘンリー六世 三部作」が上演されたことを皮切りにシリーズがスタート。同作は、3部作一挙上演で計9時間という大作にもかかわらず、好評を博し、第17回読売演劇大賞の大賞・最優秀作品賞をはじめ演出家・キャスト・スタッフがさまざまな演劇賞をさらった。その成功を受けて、「リチャード三世」(2012年)の上演が決定。あれよあれよと12年の間に「ヘンリー四世 二部作」(2016年)、「ヘンリー五世」(2018年)、「リチャード二世」(2020年)が並んだのである。
また本シリーズでは、キャスト・スタッフがほぼ同じ座組で構成された。同じ役柄を同一俳優が演じる楽しみ、「あの人がこの作品ではこの役?」といううれしい驚き、長期プロジェクトを共にする者たちの一体感、それらも演劇ファンの心を捉えた要因だ。チームには岡本健一、浦井健治、中嶋朋子らに加え、完結前に他界した中嶋しゅう、金内喜久夫、舞台美術家・島次郎などが参加。シリーズを観続けることで、観客は人間の変化や不在を劇に重ねるように体感した。
「ヘンリー六世」
イノセントであり求心力のある王、浦井健治
2009年に開幕した「ヘンリー六世」は、生後9カ月で王位についたヘンリー六世がグロスター公リチャードに殺されるまでのイングランドの混乱を描く。英仏の対立で勃発する百年戦争、市民が反発するジャック・ケードの乱、王位継承を巡ってランカスター家とヨーク家がいがみ合う薔薇戦争と目まぐるしい。演出の鵜山は緩急自在にうねりをいくつも用意し、公演に向けて掲げた「10分に1回は客席を驚かす」の言葉を裏切らない。
鵜山は当時、ヘンリー六世の人物像を「台風の目のような存在」とたとえた。欲望と野心、愛憎渦巻く台風がイングランドで起きているならば、その中心のヘンリー六世はぽっかりと空いた青空。ヘンリー六世役の浦井は、イノセントでありながら求心力を持つオーラのある王として君臨。権力闘争や諍いから離れ、平穏を祈るヘンリーの心優しき胸のうちを照らし出した。浦井のヘンリーの造形は高く評価され、その年の読売演劇大賞杉村春子賞、紀伊國屋演劇賞個人賞を受賞するなど話題となる。以降、浦井はリッチモンド、ヘンリー四世、ヘンリー五世と作品の核となる大役を担う。シリーズを通し、役と共に呼吸し成熟を重ねていった浦井を見逃せない12年でもあった。シリーズのタイトルロールが“浦井健治”によって開幕した奇跡にも改めて乾杯したい。
浦井ヘンリーが終盤のロンドン塔で、岡本演じるリチャードへかける言葉は聞き逃すまい。ヘンリーの祈りは、争いの果てに犠牲になった人々への鎮魂としてもこだまする。
鵜山仁が語る!「ヘンリー六世」
「いざ準備をはじめると、登場人物が多い上に人間関係が錯綜している。それを座組のメンバーでどう回すかが大問題でした」と振り返る鵜山。本作では、彼いわく「昭和の舞台を駆け抜け、新たに平成の舞台を支える、愉快でたくましく、頑固で寛容、懐かしくまた新鮮な」38名の俳優が200以上もの役を演じ分けている。その“錯綜”具合は稽古初日、キャストの本読みを通して初めて鵜山にも全体像が見えたほどだ。また、本人は覚えていないそうだが、新国立劇場の三崎力プロデューサーに「『10分に1回客席をドカンと驚かせたい』なんてことを言っていた」とも。約10時間の芝居で計算すると、ドカンはその数60回。この壮大なドラマにドカンがどう入れ込まれたのか、注目だ。
しかしながら、鵜山が「(芝居を)じっくりやったシーンの後には戦闘シーン、またじっくりやって戦闘シーンの繰り返し」と言い表すように、劇中では人々が入り乱れ、フランス軍との戦い、国内の権力闘争が忙しなく描かれる。戦況がコロコロと変わる一方で、貴族たちも敵味方に分かれ、その変わり身の早さを露呈させた。500年前の物語にもかかわらず、登場人物たちの姿は現代にも通じるものがあり、鵜山に言わせれば、ヘンリー六世も「非常に近しい感じがする。戯曲と同じ現象、人間関係が身の回りにあふれて」いるとか。また、ヘンリー六世役の浦井は稽古場で「諸先輩方の只中、一見静かな台風の目みたいに、とてもいいバランスで浮遊していた」と鵜山。生まれながらに王位につき、傀儡として王権の行き来を眺めた浦井ヘンリーの繊細な演技にも注目を。
Aプログラム「ヘンリー六世」(2009年上演)
- 予定上映時間
- 第1部 1時間20分 / 休憩 20分 / 第2部 1時間45分 / 休憩 15分 / 第3部前半 1時間20分 / 休憩 15分 / 第3部後半 1時間15分
- スタッフ / キャスト
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作:ウィリアム・シェイクスピア
翻訳:小田島雄志
演出:鵜山仁
出演:浦井健治、中嶋朋子、岡本健一、渡辺徹、村井国夫、ソニン、木場勝己、中嶋しゅう、上杉祥三、立川三貴、木下浩之、久野綾希子、鈴木慎平、今井朋彦、金内喜久夫、菅野菜保之、勝部演之、鈴木瑞穂、吉村直、水野龍司、青木和宣、渕野俊太、那須佐代子、浅野雅博、小長谷勝彦、石橋徹郎、清原達之、城全能成、関戸将志、篠原正志、小田悟、川辺邦弘、松角洋平、津村雅之、古河耕史、内田亜希子、前田一世、高橋郁哉
- あらすじ
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第1部「百年戦争」
イングランドでは先王ヘンリー五世の葬儀が執り行われていた。新王は生後1年に満たないヘンリー六世。そのような状況で、皇太子シャルル率いるフランス軍は、神の啓示を受けた乙女ジャンヌを追い風に、イングランドに猛攻。勇将トールボットも息子と共に壮絶な最期を遂げる。さらに摂政グロスター公とウィンチェスター司教ボーフォートは不仲を極め、貴族たちは白薔薇と赤薔薇に分かれて争いを起こす。やがて両国に和議が結ばれ、捕虜となったフランス貴族の娘マーガレットがサフォーク伯の画策で王妃に迎えられたのだった。
第2部「敗北と混乱」
王妃マーガレットを介して王を操ろうとするサフォーク公と枢機卿ボーフォートら赤薔薇派と、和議の条件を嘆く摂政グロスター公は激しく対立。だが、グロスターの妻エリナーは夫を王位につかせたい野心から反逆罪で捕らえられ、摂政グロスター公は暗殺されてしまう。摂政の不審な死に民衆が抗議したことからサフォーク公は追放され、フランスへ渡る途中で海賊に襲われ命を落とす。一方、王位を狙うヨーク公はアイルランド遠征中にジャック・ケードに反乱を起こさせ、自身は反乱が鎮圧された頃に帰還。公然と王位を要求したことから、ついに薔薇戦争の火ぶたが切られる。
第3部「薔薇戦争」
赤薔薇ランカスター家(ヘンリー六世)と白薔薇ヨーク家が全面対決。緒戦に勝利したヨーク家はヘンリー六世に、死後王位をヨーク家に譲渡することを約束させる。これに激怒した王妃マーガレットは軍旗を翻し、戦闘に参加。ヨーク公を捕らえてなぶり殺すも、戦況が変わりフランスに援助を求める。結果、白薔薇が勝利し、ヨーク公の長男エドワードが王となる。ヘンリー六世は幽閉されていたロンドン塔で密殺され、目の前で息子を殺された王妃マーガレットも半狂乱のうちに囚われの身になった。
「リチャード三世」
言葉巧みに人々を欺き、血で血を洗う王、岡本健一
9時間超の大作「ヘンリー六世 三部作」を経て「リチャード三世」を観る醍醐味は、役者の顔を観ただけで背景や人間関係がわかることだろう。若かりし頃の役を同じ役者で観ると、役の持つ宿命を立体的に紐解くことができる。例えば「ヘンリー六世」で才色兼備の女王だったマーガレット(中嶋朋子)は、「リチャード三世」では襤褸をまとい鬼の形相でリチャードを呪う老婆だ。その変貌ぶりに驚くが、息子のエドワード皇太子や夫のヘンリー六世を無残にも殺害され絶望して泣くマーガレットを「ヘンリー六世」で目撃しているから呪いの深さにうなずける。
岡本演じるリチャードを、「ヘンリー六世」から通しで観ることは、シェイクスピアと鵜山の思索の深さを改めて知ることになるだろう。「悪魔の烙印を押された化け物」「地獄の申し子!」「毒を吐くせむしのヒキガエル」などと罵倒されるほどのハンディを背負いながらも、父ヨーク公から溺愛されたリチャード。王になるためなら言葉巧みに人々を欺き、血で血を洗う所業を繰り返してでものし上がっていく。タイトルロールのルーツを「ヘンリー六世」を通して知っていると、リチャードの意志とは先代から託された一族の願いや背景に操られているようにも思わずにいられない。
終盤、リチャードの「馬をくれ、馬を! 馬のかわりにわが王国をくれてやる!」の叫びは必見だ。死への悲しみをたたえながらも、己を奮い立たせて懸命に生き抜いてきた岡本リチャードの喜怒哀楽が、走馬灯のように脳裏を駆け巡るのだ。生きるか死ぬか、どちら側につくかつかないか、常に揺れ動く周りの人々の人生も見え隠れする。連続上演だからこそ味わえる観劇体験は、作品の新たな発見がある特別な時間になるだろう。
鵜山仁が語る!「リチャード三世」
「リチャード三世」における鵜山の興味は、「(彼の)コンプレックス、ストレスの根元はなんだろうかと。リチャードがどこに安らぎを求めて生きていくのか」だった。鵜山が作り上げたのは、室内劇に似た内向きのエネルギーが満ちる舞台。作曲家・池辺晋一郎から「『リチャード酸性(三世)』というより、『リチャードアルカリ性』」と言われたそうだが、自身は「舞台美術も『ヘンリー六世』とはうって変わって母親の胎内のようだったこと、ソロのピアノ曲をたくさん使ったことなども、作品のアルカリ化に寄与したのかもしれません」と分析する。
本作では、「ヘンリー六世」からの続投組が魅力を放つ。タイトルロールを担う岡本については、「岡本くんは役の特徴を見事につかみながら、全体にバランスよく偏在」していたと言いつつ、「リチャード三世ひとりが際立つわけではなく、この時、この年の紀伊國屋演劇賞を受賞した那須佐代子さんはじめ、女性たちの場面もそれぞれ魅力的でした」とし、「恨み骨髄の過去を背負ってセリフを言う」中嶋演じるマーガレットを例に挙げた。鵜山は上演時、「リチャード三世」を「夢の劇」と形容した。
生きている人間、あるいは亡霊が、有限である生にあらがって見る夢。「束の間の生の時間に命を賭した人間たちの姿、幾世代にもわたる格闘のうねり」をリチャード三世という存在に乗せ、舞台上に写し取りたいと鵜山は語った。そうして上演された「リチャード三世」について「『ヘンリー六世』からの広がり、つながりも見はらせる『四部作』になったと思っています」と自信をのぞかせている。
Bプログラム「リチャード三世」(2012年上演)
- 予定上映時間
- 前半 1時間30分 / 休憩 15分 / 後半 1時間20分
- スタッフ / キャスト
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作:ウィリアム・シェイクスピア
翻訳:小田島雄志
演出:鵜山仁
出演:岡本健一、中嶋朋子、浦井健治、勝部演之、立川三貴、倉野章子、木下浩之、今井朋彦、吉村直、青木和宣、那須佐代子、小長谷勝彦、森万紀、清原達之、城全能成、関戸将志、篠原正志、川辺邦弘、松角洋平、津村雅之、前田一世、浦野真介、梶原航
- あらすじ
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薔薇戦争を経て王位についたエドワード四世。しかし、グロスター公リチャードは、その王位を狙っていた。エドワード四世とクラレンス公ジョージの兄2人がいがみ合うように仕向け、次々に優位な継承者を破滅させるリチャード。対立する貴族は処刑し、ロンドン市民たちの支持も得て、ついにはリチャード三世として即位するのだが……。