鵜山仁が演出を手がけるシェイクスピア、ダークコメディ交互上演「尺には尺を」「終わりよければすべてよし」が10月から11月にかけて、ほぼ1カ月にわたって新国立劇場 中劇場で上演される。新国立劇場では2009年から2020年まで、鵜山演出によるシェイクスピア歴史劇シリーズを展開。「ヘンリー六世 三部作」(2009年)、「リチャード三世」(2012年)、「ヘンリー四世 二部作」(2016年)、「ヘンリー五世」(2018年)、「リチャード二世」(2020年)を、岡本健一、浦井健治、中嶋朋子らほぼ同じキャスト、同じスタッフで上演してきた。今回、そんな“シェイクスピア鵜山組”が再び集結。中劇場の空間をダイナミックに生かした舞台美術も見どころの本公演について、ステージナタリーでは鵜山と舞台美術の乘峯雅寛、舞台監督の北条孝による座談会を実施、司会を本作のプロデューサーである新国立劇場演劇制作部の三崎力が担う。なお特集の後半では、出演者の岡本、浦井、中嶋、ソニンの4人が役や作品への思いを語っている。
取材・文 / 熊井玲撮影 / 藤記美帆
大きな共通点とコントラストが見どころの2作品
──今回は、シェイクスピア、ダークコメディ交互上演と銘打ち、「尺には尺を」と「終わりよければすべてよし」の2作が上演されます。「尺には尺を」では、風紀が乱れたウィーンで統治代理を任されたアンジェロの歪んだ倫理観が、修道尼見習いのイザベラによって暴かれ、一方の「終わりよければすべてよし」では伯爵に身分違いの恋をしたヘレナが、知恵と行動力、忍耐力で思いを遂げる様が描かれます。2作はほぼ同時期に執筆された“問題作”で、女性の登場人物が活躍する物語であることや、相手を欺いて別の結果を導く“ベッドトリック”が効果的に用いられていることなどが共通しています。
三崎力 まず鵜山さんに、この2作を交互上演することへの思いを伺いたいです。
鵜山仁 最初は続きものをやる感覚でした。これまで「ヘンリー六世 三部作」や「ヘンリー四世 二部作」をやっているので、それと同じ感覚で2本やれるだろうなと。ただ続きものの場合は“同じ身体の具合”でできるのが、今回は身体も頭も別のものとしてスイッチしなきゃいけないので、意外と大変ですね。2作を積み重ねていくというよりは、一旦リセットして、毎回一から始める感じ。なので以前の「ヘンリー六世」や「ヘンリー四世」とは違います。それはみんなも自覚症状があるようですね。
かつ、シェイクスピアの舞台空間って具体的じゃないから、お互いの息遣いを頼りにして関係が決まっていくようなところがある。どういう息遣い、どういう感情でそこにいるのかということを共有していかないと取り留めない世界になっていくし、舞台での立ち位置すら決まっていかないんです。という困難を乗り越えて、“手間はかかるけど味わい深い作品”になればいいなとは思います。
三崎 稽古が進んでいく中で、2作品に共通して感じることはありますか?
鵜山 今回は“ベッドトリック”を使っているという点でも共通した企画と言えます。実際、稽古していると両方の哲学が似てるなと感じます。どちらも、人間はいろいろな間違いを犯すけれど最終的にその間違いを愛情が修復してくれるかもしれないという、割と大きなテーマを内包している。ある意味、倫理的なんですよね。悪が善を滅し、善が悪を修復するというような、無限循環的なウェーブから、1つのサイクルを切り取ったような作品だから、そういう意味でも似てるんじゃないかなって。あとメメント・モリ(死を思え)、カルぺ・ディエム(その日を摘め)という哲学も共通していて、その両輪がないと生きるエネルギーが出てこないという意味では、2本一緒にやることで面白さが立体的に見えて来る企画になっていると思います。
ポイントは壁と布
三崎 今回、「尺には尺を」では壁、「終わりよければすべてよし」では布が美術のポイントとなりました。
乘峯雅寛 このコンセプト自体は、鵜山さんから出されたものでしたね。
鵜山 シェイクスピアの芝居ってどういうふうにでも作れるから、思い切ったシンプルなコンセプトを表に出して、理屈づけは後でも良いかと思いました。そこで片方がハード、もう片方はソフトというコントラストが作れたらなと。「尺には尺を」は以前も演出したことがあり、法律とか政治の話だから、システムとか人間と人間の間に立ちはだかってコミュニケーションを阻害するものとして、壁のイメージが沸きました。一方、「終わりよければすべてよし」では全体をふわっとコーティングするもの、ある意味では丸め込むとか、包み込まれるというようなところから布のイメージが沸きました。
三崎 乘峯さんも、「尺には尺を」と「終わりよければすべてよし」を過去に一度、経験されているんですよね?
乘峯 はい、「尺には尺を」は鵜山さん、「終わりよければすべてよし」は文学座附属演劇研究所の公演で、髙瀬(久男)さんの演出で取り組んだことがあります。
三崎 今回、鵜山さんからこういったイメージが投げかけられて、どういうふうに具体化していったのでしょうか?
乘峯 鵜山さんとお話しするときは大体いつも、コンセプトというよりもふわっとしたイメージをお話しすることが多いんですけど、僕が今回鵜山さんとのお話からイメージしたのは“生と死のランドスケープ”みたいなことでした。さきほど鵜山さんがおっしゃったように、シェイクスピアのお芝居は何もないところで、まさにセリフだけで、いろいろなシーンが表現できると思います。そもそもロンドンのグローブ座は新国立劇場の小劇場くらいのサイズ感で、日光の下、照明効果も使わず、歴史劇の広大な風景も深い森の中も表現していたわけです。中劇場はそれに比べてサイズが大きいから、新国立劇場シェイクスピア歴史劇シリーズをもともと手がけていた故・島(次郎)さんもそうだったと思いますけど、舞台の“周りの空間”も含め、どう劇場空間として届けるかを考える必要がある。それも僕ら美術家や照明家の仕事なんだろうなと。中でも今回は作品で描かれる“罪”をどう捉えるかとか、鵜山さんから出ていた“黒、白、赤”というイメージ、また生まれてくるところと死ぬところというイメージがあったので、水の要素を取り込めないかと考えました。
三崎 今回は舞台上に水槽というか、プールを作るんですよね。それは乘峯さんのアイデアでした。
乘峯 はい、以前からシェイクスピア作品には水から生まれて砂になるというイメージがあったんです。だからシェイクスピアをやれるとき、かつ今回のような大きなスペースでやれるときに、いつかこのイメージを具現化したいと思っていました。最初は舞台の背景に海のような広大な水を配するイメージだったんですが、舞台効果を考えたときに手前にあったほうが良いのではないかという意見が出て、プールというか、水溜りのような場所を舞台上に作ることになりました。お客さんは、「なんの水だろう?」と感じると思いますが、そういう思いも含めて水が乱反射するといいなって思っています。
三崎 台本のどこにも水のイメージはないですから、お客さんには自由に想像していただきたいですね。赤と黒、白のイメージも鵜山さんから出てきたものですか?
鵜山 そうですね。これも生とか死のイメージからです。どの色が生で、どの色が死かはわかりませんが、「尺には尺を」は政治と権力とかハラスメントなど強圧的なエネルギーが背景にある芝居なので、天国とか地獄の白と赤のイメージ。対する「終わりよければすべてよし」は始まりと終わりみたいなところがあり、白と黒のイメージ。ただいずれにしても黒赤白って、いろいろな意味を盛り込める色合いなので、色のイメージからシンプルでプリミティブな表現が立ち上がれば良いなと思っていました。
三崎 ここまでのお話でもわかる通り、演出家はコンセプトや哲学を語り、美術家はそれを具体的な造形物として立ち上げていきます。でもそれらをさらに具体化して舞台に乗せ、さらに使い勝手も良いように作り上げていくのは北条さんたち、舞台監督の仕事です。どんなに崇高なコンセプトや画があっても、舞台監督がいなければそれは具現化できません。
北条孝 あははは! 舞台監督の仕事って、僕は個人というより、人の塊だと思っているんです。まず、仕事の依頼が来てから、適材適所の人材を4、5人集めるところから始まり、その後で例えば鵜山さんや乘峯さんの世界にどう近寄っていくかを考えていきます。例えばこの舞台美術ならどこの大道具会社の営業さんに頼もうかとか、照明の服部基さんとはどういうコミュニケーションを取ろうかとか、どう時間配分すれば音響さんのやりやすい環境が作れるのかということを、初日から逆算して進行を組み立てていく。さらにキャストが蹴つまずいたりしないように舞台上を整えていき、なんとか上手いところにそれぞれの人たちが着地できるように考えます。
三崎 今回は床が緩やかな傾斜になっているんですが、美術家はできるだけ角度をつけたがるんですけど(笑)、実際にどのくらいの角度にするかは舞台監督さんが主に判断していくんですよね?
北条 まあ、今回は乘峯さんの経験値もあって一緒に決めていきました。
三崎 また、舞台美術を劇場に持ち込むには劇場ごとの決まりごとがあるので、舞台監督さんは美術の高さや材質についても劇場と折り合いをつけながら具体化していきます。今回、水を使うと聞いて北条さんはどう思われましたか?
北条 水で大事なのは大きさと深さですね。あとプールを作るには時間がかかるんです。水圧はばかにできない要素ですし、接着剤を使って水漏れしないようにする必要がある。接着剤を使うとそれを乾かす時間も必要なので、照明さん、大道具さん、音響さんが仕込む時間と、役者が舞台稽古を始めるまでの時間を計算しながらどのタイミングでプールを作るかを考えていきます。
鵜山 舞台監督にもいろいろな方がいますが、メンテナンスとか保守的な考えに回る体質の方と、北条さんのように実は壊すのが好きっていう人がいて(笑)。北条さんは崩壊するエネルギーみたいなものを大事にされる人だから、そこが面白いし、基本的に僕と通じるところが多いなと思います(笑)。
三崎 僕は北条さんと20年以上仕事をしていますが、ある公演の終演後、北条さんに「今日も何事もなく終わって良かったですね」といったら、「三崎さん、そんな何もない人生なんてつまらないじゃないですか」って北条さんがおっしゃって。さすが北条さんだなって。
北条 ええ? そんなこと言ったかなあ(笑)。
一同 あははは!
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“誤解”が作品を豊かにする