今年2019年に創立65周年を迎えた劇団青年座は、大きな理念の1つに、“その時代その時代を映しとる創作劇の上演”を掲げてきた。その上演記録には、まるで日本の演劇史の縮図を見ているかのような日本を代表する劇作家の名前が連なる。そうした劇作家たちのできたての新作に、最初の観客として出会うのが演出家だ。脚本を深く読み込み、設計図を引き、キャスティングを行い、稽古場を総指揮する存在。新劇の流れを汲み、長く歴史を刻む青年座には、さまざまな世代の演出家が在籍している。そして脈々と受け継がれていくものがあるから劇団は生き続ける。本特集では、青年座の2019年度ラインナップから、「DNA」演出の宮田慶子、「ありがとサンキュー!」演出の磯村純、「東京ストーリー‐空き家をめぐる経験論」演出の金澤菜乃英に集まってもらい、座談会を行った。
また特集の後半には、7月10日から上演される劇団の財産演目「明日-1945年8月8日・長崎」で演出補を務める山本龍二、キャストから津田真澄、小暮智美、逢笠恵祐へのインタビューを掲載する。
[宮田慶子×磯村純×金澤菜乃英 座談会]取材・文 / 今井浩一 撮影 / 川野結李歌
[「明日-1945年8月8日・長崎」インタビュー]取材・文 / 川口聡 撮影 / 小林万里
これからの未来のための65年目
──劇団青年座は今年2019年で65周年を迎えました。この数字に、それぞれどんな思いを抱かれていますか?
宮田慶子 私は25周年のときに入団しているのよね。
磯村純 僕は40周年でした。
金澤菜乃英 私は入団して3年目に60周年記念パーティがあり、ほぼ新人のような状態でしたが、歳月の重みを感じました。というのは、宮田さんと一緒にパーティ会場に全作品の公演ポスターを復元して展示するという企画を担当したんです。
宮田 そうだったね、大変だった!
金澤 ポスターに書かれた名だたる方々のお名前を拝見し、時の重みを感じて、デビュー前だったのに自分がやっていけるのかすごく緊張したのを覚えています。その後、16年の「天一坊十六番」で本公演での演出デビューをさせていただいたんですが、この作品は1969年に青年座劇場のこけら落としで上演されたものの47年ぶりの再演でした。今回、65周年の節目に新作をやらせていただけるのも、青年座の一員としてすごく光栄なことだと思います。
磯村 劇団がそれだけ続いてきたことがすごいと思っていますし、その節目で演出させていただくことは光栄です。自分が演出家として独り立ちしてから、劇団の先輩たちや先輩が残してきてくださったもの、稽古場、そして長く観てくださっている観客の皆さんを意識するようになりました。これからの未来のための65年目にしたい、そういうことを僕ら世代が意識していかないといけないと思っています。
宮田 私が入団した頃は劇団名の通り、劇団の雰囲気が青年っぽかった。時はアングラブームで、じゃあ我々はどうしていくんだということで試行錯誤して必死になってもがいていて、ものすごく活気がありました。今や40年が経って、劇団も中年から壮年になり始めたのかな。そこには中年ならではの悩みもあるけれど、劇団が人間と違うのは、世代交代をしていくので若い力で常にリニューアルできていること。私は創立メンバーからさまざまなことを引き継いできた世代ですが、私たちからも引き継いでいってほしいですね。
キャパシティがあるからやりたいことがやれる
──青年座で演出をやろうと決めた理由を教えてください。
宮田 私の場合は、進路に迷っていろんな劇団を観ていたら、この劇団が一番いろいろなことをやっていた。青年座劇場では本当に裸になったり、ものを投げたり、アンダーグラウンドな実験劇をやっていて、かたや紀伊國屋ホールでは王道のエンタテインメント、それでいて新劇の文脈を受け継いだ作品をきちんとやっている。その振り幅がすごかった。これだけキャパシティがあるなら私もやりたいことがやれるんじゃないか、若いうちにやらせてもらえるんじゃないかと思ったんですよ。
──そういう宮田さんは青年座本公演での演出デビューを待たされた口ですよね?
宮田 そう。私は94年の劇団青年座創立40周年記念公演「EXIT×4」という企画で「MOTHER-君わらひたまふことなかれ」を演出したんだけど、そのときに「苦節13年」って自分で叫んでました。劇団以外ではずいぶん演出しているのに、劇団の本公演は1本もやらせてもらえなかったから。辞めなかったのは、私が昔気質だったからでしょう(笑)。演出家は若いうちに起用したほうがいいと思うんですよ、失敗したっていいんだから。でもいただいた仕事ではなく、ホームグラウンドで自分のやりたい仕事を持ちかけられるのは、やっぱり劇団の大きな魅力じゃないかな。
磯村 僕は本当はお笑い芸人になりたかったんです。そのために演劇の勉強をしておこうと。当時は夢の遊眠社さん、第三舞台さんが大ブームで、僕が好きだった女の子も、朝からチケットを取るために並ぶような熱心な小劇場ファンでした。実はその子の気を引くために、作・演出を始めたという邪な理由です(笑)。それまで俳優としては誰も褒めてくれませんでしたが、演出した作品の評判がよかったので、この道でやっていこうと。ただ大学では演出を学んでいなかったし、自分が未熟なことは自覚していたので、演出を学べる劇団を探していたんです。そしたら鈴木完一郎さん演出の「ブンナよ、木からおりてこい」に出会いまして。新劇なのに、こんなに人間のむき出しの感情を鮮明に、しかもユーモアを交えて描く劇団があるのかと、青年座に興味を抱いたんです。
金澤 私は多摩美術大学の映像演劇学科出身です。2年生になるときに映像作家になるか、演劇で演出をやるかものすごく悩んだんですね。当時はコンテンポラリーダンスをたくさん観ていて、自分が生身の動く身体、一瞬一瞬で変わっていく姿に興味を惹かれていることに気付いたんです。それで演出家を選びました。独学で作・演出をやっていたんですが、進路を考える頃に、俳優の生理を学びたくなって。また戯曲を読み始めたときに出会った矢代静一さんの「浮世絵師三部作」(「写楽考 / 北齋漫畫 / 淫乱斎英泉」)に感動し、巻末には初演が青年座と書かれていたんです。それがきっかけで青年座に研究所があることを知り、受験を決めました。
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懐の深い劇団だからここにいられる