下は小学1年生から上は還暦まで
──稽古はどのように進んでいるのでしょうか?
まずは読み合わせをしました。これだけのセリフ量なので、言葉をコントロールできないと面白くない。何が起きているかを明確に伝えることは、この劇を作る基本だと思っているので。今、スタジオの中にトイシアターを作ろうと思っているんです。お客さんにもその中に入ってもらい、不思議な空間に入り込んだような感覚になってもらいたいなって。それと、1921年の初演のときは、お客さんが「なんだ、この芝居は!」って怒って舞台上に上がり、大騒ぎだったそうなんですね。せっかくだからそんな空気もどこかに残したい。また過去の劇場にしようと思っていないので、振付の平原慎太郎くんと相談して、現代の音楽を取り入れるようにしたりしています。
──“俳優”役にはダンサーの方が多くキャスティングされていますが、ダンサーにセリフの稽古をつけるのは、俳優の場合と違いますか?
それはもう、近藤良平で経験済みなので(笑)。でも “俳優”グループの中に玉置さんや岡部さんが入っていると、2人が演じるのを見て「あ、これはやっていいんだ」ってダンサーたちの演技の幅が広がったり、だいぶ違いますね。あと子役がいいんですよ。オーディションで選んだんですけど、彼らは集中力がすごい。僕が言ったこともちゃんと理解するし、大人がやっているアップのワークショップにも参加していて。自慢の子役です(笑)。今回の稽古場は、下は小学校1年生から上は還暦まで、非常に幅広いですね。
──確かに年齢、キャリア、ジャンル、全方位に幅広いですね(笑)。
雑多ですごく面白いです。まあそれぞれ、自分が得意とするジャンルをまっとうしたいという思いはあるかもしれませんが、混ざり合うことで可能性が広がるし、どんどん今、それが求められているんじゃないかと思います。
──そうですね。近年ますます、歌えて踊れることが俳優に求められている感じがします。
だと思います。だからダンサーたちがこの作品のセリフを全部読み取って表現できるようになったら、恐ろしい。彼らには強烈な身体もあるわけですからね。
シンパシーを感じまくりです(笑)
──本作は、作家、演出家、俳優それぞれの立場や思いが描かれていますが、作家であり、演出家であり、俳優である長塚さんにとって、もっとも面白みを感じるのはどの部分ですか?
いろんなところでシンパシーを感じまくりですが(笑)、作者であるという点では、昔やってもう愛さなくなった作品の登場人物たちが僕のところにやってきて、「やってくれ」ってお願いされるようなことがあったら、もう胸が痛くなるでしょうね、やっぱり愛しい部分がありますから。1つの時間を生きてしまった、そして生きてるような死んでるような不思議なポジションに立脚している彼ら(“登場人物”)には、生き物としての気の毒さはハンパないです。と同時に、俳優って生き物は、舞台上のものはリアルでないとわかっていながら、すごい演技とかにハッと惹かれて、リアルを感じてしまうことがあるんです(笑)。はたから見たらばかげているかもしれないけど、「……ナニッ!?」って惹かれてしまうのが劇場に生きる者の性。非常におかしいです。そういう意味でも、これまで僕が「三好十郎の作品がやりたい」と思って「浮標」をやってきたのと今回では全然違って、ピランデッロの作品ではあるけれど、あまりそれを意識していません。もちろん、この作品に触発されて8月に上演した「プレイヤー」は劇中劇的な形態になったりはしているのだけれど、ミヒャエル・エンデのような世界観は僕が子供の頃から持っていたものだし、少年のような心持ちで非常に愛しく感じていますね。
──近年は日本の戯曲に取り組まれることが多かった長塚さんですが、翻訳劇という点で、今回は言葉にどのような意識を持っていらっしゃいますか?
稽古場では、母親役のセリフが固すぎる感じがあったので調整はしています。でも翻訳調には翻訳調の面白さがあると僕は思っていて、“登場人物”のセリフではそういう部分をあえて残しつつやっています。と言うのも、それを現代口語的にしてしまうと違和感が逆に生まれると言うか、無理に芝居っぽさをなくさなくてもいいんじゃないかと思っていて。現代語にする意味が明確にあるとき、例えばサイモン・スティーブンスのようなイギリス、アメリカの現代作家の作品なら大いにそうする意味があると思うし、マーティン・マクドナーの作品には小劇場的な言葉の選択も必要だと思うけど、キャラクターがそれぞれ抱えている問題、例えば家父長制の問題などがセリフに反映されている場合もあるから、中途半端な現代語にするとかえって白々しくなるのではないかと思っていて。それなら思い切った古い訳を使ったほうが面白いと思うんです。
──長塚さんはこれまで、「浮標」「冒した者」「背信」をKAATで上演されていますが、下北沢などほかの劇場で観る長塚作品とは異なる傾向があるように感じます。
確かに違いますね(笑)。ただこれまでKAATで上演した作品は、葛河思潮社という文脈で行われていたものですし、KAATに呼ばれて演出するのは初めてなので、今回はちょっと新しいスタートになります。僕は今回この作品を喜劇と捉えているんです。それに、切り口を変えれば子供でも楽しめる作品になると思うので、間口をぐんと広げて、にぎにぎしいものにしたい。演劇の可能性が広がるように作られた作品なので、ただの古典じゃないってことを見せたいですね。
- KAAT神奈川芸術劇場プロデュース
「作者を探す六人の登場人物」 - 2017年10月26日(木)~11月5日(日)
- 神奈川県 KAAT神奈川芸術劇場 中スタジオ
- 作:ルイージ・ピランデッロ
- 翻訳:白澤定雄
- 上演台本・演出:長塚圭史
- 出演(戯曲配役順):山崎一、草刈民代、安藤輪子、香取直登、みのり、佐野仁香・藤戸野絵(Wキャスト)、平田敦子、玉置孝匡、碓井菜央、中嶋野々子、水島晃太郎、並川花連、北川結、美木マサオ、岡部たかし
- 長塚圭史(ナガツカケイシ)
- 1975年生まれ。劇作家、演出家、俳優、阿佐ヶ谷スパイダース主宰。96年、演劇プロデュースユニット・阿佐ヶ谷スパイダースを旗揚げし、作・演出・出演の3役を担う。2008年、文化庁新進芸術家海外研修制度にて1年間ロンドンに留学。帰国後の11年にソロプロジェクト・葛河思潮社を始動。「浮標(ぶい)」「冒した者」「背信」を上演。また17年に福田転球、山内圭哉、大堀こういちらと新ユニット・新ロイヤル大衆舎を結成し、4月に北条秀司の「王将」三部作を東京・小劇場楽園で上演した。近年の舞台に「かがみのかなたはたなかのなかに」、シアターコクーン・オンレパートリー2013+阿佐ヶ谷スパイダース「あかいくらやみ~天狗党幻譚~」、「音のいない世界で」(いずれも作・演出・出演を担当)、こまつ座「十一ぴきのネコ」、CREATIO ATELIER THEATRICAL act.01「蛙昇天」、シス・カンパニー公演「鼬(いたち)」、「マクベス Macbeth」(いずれも演出を担当)など。読売演劇大賞優秀演出家賞など受賞歴多数。また俳優としてドラマ「あさが来た」、「Dr.倫太郎」、「グーグーだって猫である」、映画「バケモノの子」、「yes!~明日への頼り」(語りを担当)などに出演。12月16日に出演映画「花筐/HANAGATAMI」が公開される。
2018年4月27日更新