観客の知的好奇心をくすぐる作品
──「プルガトリオ」はエウリピデス作のギリシャ悲劇「王女メディア」をモチーフにした作品で、男女の愛憎や赦しを描く会話劇です。本作の面白さはどんなところにあると思いますか?
草刈 「プルガトリオ」はラテン語で“煉獄”という意味で、「王女メディア」に登場するメディアと、不貞を働いたその夫・イアソンが死後に出会ったらどうなるか?という発想のもとに書かれた戯曲です。煉獄って天国と地獄の中間にあるような場所らしいのですが、戯曲には「精神病院の一室もしくは、刑務所で受刑者とその配偶者が会うための夫婦面会室を思わせる簡素な白い部屋」としか書かれていませんし、役についても女、男とあるだけ。その2人がお互いに尋問を繰り返す中で、関係性が浮き彫りになっていくのですが、人間のエゴがさらされるような生々しくスリリングな会話には普遍性がある気がします。
周防 この作品は大きく3パートに分かれていますが、起承転結ではない時間の流れ方をしていて、構成が面白いんです。どのパートが時系列的に最初かわからないですし、別のパートを観ることで徐々に全貌がわかってくるような仕組みになっている。観客それぞれの人生観によって、パート1から3がどういう順番なのか、そもそも順番なんかなくて、パラレルに時間が流れているんじゃないか?と、さまざまな解釈ができると思います。
草刈 登場人物が死んでから何千年も経っていて、煉獄で「“浄化”されれば次のステージに行けますよ」と突き付けられる。こんなに厳しく追い詰められているシチュエーションはないわけです。死んじゃってるから逃げ場もないし。男女がお互いにどのように赦しを得ていくかが見どころです。
周防 世界には修復的司法という考え方があるんです。ある事件の被害者と加害者、関係する当事者が集まって、話し合い、関係の修復を図る。裁判で判決を下しておしまいにするのではなく、当事者同士が向き合って話す場を設けるんです。しかし、これがなかなか難しい。個人間の話だけじゃなく、世界の在り方もそうで、国同士の問題について向き合ってとことん話し合うことって避けられていますよね。本当の意味で向き合わないと、修復や赦しは生まれないのに。「プルガトリオ」は、まさに当事者同士が対峙する作品なので、人間の本質的なテーマを扱っているなと思います。
草刈 この作品は、自我、自意識、業というような人間の本質を表現しているのだと思います。でもバーター先生からは「重くならず、軽妙に演じなさい」と言われていて。またドーフマンがチリ出身なので、登場人物が実はラテン系というか、とても激しい。男女が罵倒し合うシーンもありますが、これは日本人のメンタリティとはまったく違う感覚なので、演じていて面白いです。
周防 近頃は親切に何でも教えてくれる娯楽作品が多いですが、「プルガトリオ」は、観客が自分の世界と戯曲の世界を拮抗させ、イマジネーションを働かせるような知的作業を楽しめる作品だと思います。
草刈 台本で言葉だけを追っていると重くて深刻そうなんですが、稽古をしていると、そのセリフがこんなに軽やかになるのか、と目から鱗が落ちます。観客の知的好奇心をくすぐる作品を目指したいですね。
やりたいことの連鎖の中にいたい
──本作は草刈さんが女優に転身されて10周年のタイミングで上演されます。映画監督として、そして夫として草刈さんの10年を近くで見てこられた周防さんは、草刈さんの表現者としての変化をどのようにお感じですか?
周防 とにかく長いことバレエの世界にいたので、同じ表現者と言ってもこの10年はセリフを発するというまったく違うことに挑戦したわけですから、僕としてはまず、女優という仕事を好きになってほしいと思っていました。好きにさえなってしまえば、あとはがんばれると思ったので。そうしたらついに自分で公演をプロデュースするところまできたのでうれしいですね。役者という仕事にきちんと向き合う準備が10年かけてできたんだと思いました。
草刈 そうね。中身は基本的には変わっていないと思いますが(笑)。これまでの10年はダンサーから俳優への移行期という感じで、ドラマや映画、舞台に出させていただきながらも、自分がどういう姿勢で表現に取り組むべきかを模索していました。身体が変わらないと、表現も充実していかないということを理解するのに、何年もかかりましたね。これまでは踊っている自分の身体しか知らなかったわけだから。
──ご自身の中で、大きな変化を感じるターニングポイントはあったのでしょうか?
草刈 実は大きく変わったのは、ここ1年くらいなんです。これまでも発声のトレーニングはしていたのですが、ライブで歌うようになって、声にまつわる筋肉は声を出さないと働かない、“声の身体”を作らないと声の表現はできない、とわかってきたんです。4月の「草刈民代 FIRST LIVE」では全13曲を歌ったのですが、「お客さんの前で歌わねばならぬ」と自分を追い込み、10カ月ほど歌の練習をしてきました。「プルガトリオ」のような戯曲にチャレンジするには地声が充実しないといけないし、まずは歌を通して声の身体に近付くために試行錯誤したんです。
──草刈さんの新たな挑戦がますます楽しみになってきました。では、お二人はこれから先の10年を、どんな10年にしていきたいとお考えですか?
周防 皆さんは、何か面白い体験をしたり、驚くことがあったりすると、友人や家族に話して共感してもらいたくなるでしょ。僕もそうだけど、それだけでは気が済まなくて、喜びでも怒りでも世界中に向かって叫びたいって思ったときに映画を作ってきたんです。例えば、「Shall we ダンス?」では「社交ダンスという世界がとてもユニークで愛おしく、日本人独特の魅力にあふれている!」って叫びたくなった。新作の「カツベン!」も映画史の中で、日本人すら忘れている、世界でも知る人が少ない活動弁士のことを、「こういうふうにして日本人は映画に夢中になったんだ」って、知らせたかったんですよね。なので、次の10年もそういう衝動を起こさせてくれる僕の知らない世界と出会えたらいいなと思います。
草刈 私もこれから10年、20年と、その都度できることを最大限にやっていくしかないと思っています。やってみて初めてわかることもあって、それがわかると、またやりたいことが出てきて……そういう連鎖の中にいたいですね。そのときの自分にふさわしいものが見つかれば、納得して年齢を重ねられると思います。
──今後も、演劇公演をプロデュースをすることはありそうですか?
草刈 高いクオリティを目指せる作品ができると感じたら、またやりたくなると思います。そこには人との出会いも関係してきますし、今回はバーター先生と出会って、ぜひ作品を一緒に作ってみたいと思いました。挑戦できて本当によかったと思っています。
「プルガトリオ」の見どころの1つに、1組の男女がどのように和解にたどり着くか?ということが挙げられます。この男女は、両者が相手に対して悪いことをし、お互いが相手のせいにしている。果たしてどちらの言い分が正しいのでしょうか?
日本語での上演にあたり、周防さんは戯曲を深く理解し、的確に脚色されました。草刈さんと私は双方向で意見を交換しながら戯曲を探り、髙嶋さんは稽古場でいつもアイデアを出してくださいます。私は2人の俳優が歩む道のりを共に作ってきました。アリエル・ドーフマンが求めていることを実現するため、その道をたどって、なるべく遠くまで歩めるように2人を鼓舞していきます。
私たちが生きる世界は、国家同士の争いをはじめ、多くの問題を抱えています。前進するためには和解することが重要です。「プルガトリオ」は広範囲にわたって社会的な意味を持つ作品となるでしょう。観客の皆様には、心をオープンな状態にして、セリフを注意深く聴いてほしいと思います。根底にあるテーマはシリアスですが、ユーモラスな瞬間や謎めいた部分がはっきりしてくる瞬間もあるので、雰囲気が常に変わる本作を楽しんでいただきたいです。