水戸芸術館ACM劇場プロデュース 水戸芸術館開館30周年記念事業 最貧前線 「宮崎駿の雑想ノート」より 内野聖陽×井上桂 対談|水戸芸術館のこれまでとこれからをつなぐ集大成

井上桂が見た、「最貧前線」ができるまで

コラム

「海洋実習」海のことは漁師さんに聞こう

海洋実習の様子。

舞台版「最貧前線」の物語のほとんどは、吉祥丸という船上で進みます。そしてその船が、荒れ狂う嵐に翻弄されたり、強力なアメリカ軍の爆撃機と立ち向かうシーンも台本上指定されています。さらには漁師さんたちの海でのタフさや、軍人たちの敵に立ち向かう機敏さも描かれていきますが、「結局はそれを俳優の身体で表現することになる。それが大きな課題だ」と、主演の内野さんのご発案で、稽古に先立ってさまざまな体験学習を行ってきました。

海洋実習は合計2日間行いました。本年4月に漁師さんたち役の俳優が向かった1つが、福島県いわき市の小名浜漁港。この物語には11人の登場人物がいますが、12番目の登場人物ともいうべきものが、彼らが乗り込む吉祥丸。その母港をいわき市近辺に設定したこともあって、小名浜の現役の漁師さんから漁労体験させていただくことになりました。劇中、漁師さん役の俳優さんたちは福島弁でセリフを話しますが、その実地訓練(耳慣らし)にもなる、一石二鳥の体験学習です。

海洋実習の様子。

乗り込んだのは第五天栄丸という50トンほどの漁船。劇中に登場する吉祥丸は、宮崎駿さんの原作では76トンなので、ほぼ同じサイズです。そして5人の漁師さんが出迎えてくれました。顔に深いしわが刻まれた優しい表情のたくましい漁師さんたちです。穏やかな表情ながら、いざ出港となると一瞬で機敏な動きになり、それだけでたくましさを感じます。その手は大きくてグローブみたいで、ロープや釣り具を器用に見事にさばいていきます。彼らは救命胴衣などを身に着けて、海に乗り出しました。それぞれの役どころの立場で、早速取材が始まりました。

港に戻り、船から上がると、さっき水揚げした魚を漁師さんが手開きでお刺身にしてくれました。どんな料亭でも食べられない美味しいお魚でした。今回、いろいろ教えてくださった漁師さんは戦後まもなく生を受けた方々。とはいえ、その子供のときの生活環境は、「最貧前線」の時代とそう変わりなく、体験学習のあとの取材では、そのあたりのお話を伺うことから始まりました。今のような防寒着は一切なかったので、冬の漁のつらさはひとしおで、かじかんだ手をわざと船べりに打ち付けて、その痛みで暖をとったというお話から始まり、漁師と言えども船酔いしてしまう人もいるんだとか。自分だけの漁場を見付けるとそれは子供にも教えないなど、漁師さんでしか知らないお話をたくさん伺いました。そして、「どんなときが一番うれしいのですか?」と尋ねると、異口同音に「浜で一番の大漁になったときのうれしさは、例えようがないねえ」と満面の笑みでの返事に、みんな納得の表情でした。体験者しか語れない多くのエピソードをふんだんに伺いつつ、やがて漁師さん俳優さん腹を割っての宴会になって、さまざまなエピソードや思いを掘り下げていきました。稽古場では、こうした取材などをもとに、それぞれが思い思いに役を深めていきました。

内野聖陽
自分は船長の役だから、船長さんが一番緊張するときを聞きました。やはり嵐の中で操船するときだそうです。乗組員たちの家族が頭をよぎって、舵を取る手に自ずと力が入ってしまうんだとか。このお話に、身が引き締まる思いがしました。
ベンガル
小さな釣り船体験はあるのですが、このサイズの船の揺れが体験できて何よりでした。僕らは波でやっぱり揺れちゃうんですが、漁師さんが全然揺れないで立っている姿も印象的でした。
佐藤誓
船の揺れってこれなんだなあという実感がありました。そして漁師さんの佇まい、その姿を見られたのが何よりです。
塩谷亮
船頭(船長)と船員の、絶対的な関係性が凄かった。お互いがお互いを信じる信頼感というのもビンビンに感じました。そして私の持ち場のエンジンルームが狭くてうるさくてびっくり。浦安にある焼玉エンジンも取材しましたが、なかなか大変な仕事と実感できてよかったです。
前田旺志郎
船から見た海の風景が印象的でした。体験したからこそ、実感できることだけど、毎日稽古している中で、いつもその風景がよみがえってきます。そして船の揺れ。この中で生活するんだー。

自衛隊実習

自衛隊実習の様子。

7月には1泊2日の自衛隊実習が行われました。参加したのは、砲術長と水兵役の3名。海軍の所作を学ぶことが目的ですが、同時に自衛官の皆さんたちとの生活体験もしてきました。ご協力いただいたのは、海上自衛隊横須賀教育隊。隊を挙げての大歓迎ムードで実習が始まりました。実習そのものは、敬礼や号令のかけ方、行進の仕方など基本的なこと。それに加えて、短艇(カッター)に乗って漕ぐことにも参加させていただきました。どの訓練も大きな声の号令で始まりますが、どの作業も命に係わる危険度の高いものばかり。安全第一、そして集中力を高めるために、また周囲に状況を知らせるために大きな声になっているのがよくわかりました。 たった1泊2日の時間でしたが、最後には、皆さんの“帽振れ”でお見送りをいただきました。思わず目頭が熱くなる瞬間でした。

そして、稽古が本格的に始まる前に、漁師さん役、軍人さんたち役の合同のワークショップを行いました。これは、船の上の動きを想定したムーブメントをシミュレーションしてみようということです。舞台装置は船そのものですが、その船は上下に揺れることはありません。でも、その上で、船が揺れているように表現するための、さまざまなトライアルです。具体的には、波の上下運動に合わせた身体の動きを想定したり、その中で風に逆らって船上で歩いてみたり、さらには強風に煽られてしまうなど、いろいろなシチュエーションを重ねて、身体を動かしていきます。指導してくださるのは、ステージングの田井中智子さんとアクションの渥美博さん。2日間のワークショップながら、舞台上での風雨と波の風景が感じられるようになっていきました。

こうした事前準備を重ねた舞台版「最貧前線」。7月末から始まる本格的な稽古では、こうしたことを踏まえて、それぞれの役、シーンを深めていくことになります。

井上桂が語る、近年の水戸芸術館 ACM劇場と、これからの水戸芸術館 ACM劇場

水戸芸術館の外観。

地域に根ざしたオリジナル企画

水戸芸術館 ACM劇場は、前監督の高橋知伽江就任以来、改めて地域のさまざまな資源に注目しつつ、地産地消的に終わらせない企画を提案し続けてきました。

未来サポートプロジェクト 地域の人材と未来を拓く

地域の人材に注目した企画としてスタートした「未来サポートプロジェクト」。すでに13回という回数を重ねるこの企画は、県内の若い才能にその活躍と研鑽の場を提供するだけでなく、その未来を切り拓く企画です。演劇界の人材だけでなく、古典芸能(落語家、大神楽など)、ミュージカル俳優、地元出身のミュージシャンなど、多くのジャンルの才能と一緒にその歩みを続けています。

地域ならではのオリジナル企画の全国発信

前監督の高橋が「地域の題材で、劇場や地域の財産になるような作品を作りたい」というコンセプトで始めたオリジナルのプロデュース企画では、地元ならではの題材を取り上げ、全国でも通用するレベルに育て提供してきました。2016年の恩田陸原作の音楽劇「夜のピクニック」(台本:高橋知伽江、演出:深作健太)を皮切りに、2017年には有名な吉展ちゃん誘拐事件の最後の10日間取り調べに材を取った「斜交-昭和40年のクロスロード」(作:古川健、演出:高橋正憲)、2018年には奇跡の復活を遂げたローカル線・ひたちなか海浜鉄道の10年を描いた「海辺の鉄道の話」(作・演出:詩森ろば)。いずれも、茨城県内に材を取った企画ですが、県内だけでなく東京からも観客を集め、いずれも再演希望の呼び声高い作品が生まれています。本年はそれらの集大成として「宮崎駿の雑想ノートより 最貧前線」の実現に至りました。

水戸芸術館 ACM劇場の未来へのレガシー
「夜のピクニック」再演に向けて

水戸芸術館の外観。

オリンピックイヤーとなる来年は、満を持して「夜のピクニック」の再演を予定しています。茨城県の人材、題材をふんだんに活用したこの企画は、水戸芸術館 ACM劇場の動員記録を達成しているほど地域に愛された企画で、今もなお市民から再演の熱いエールが送られてきます。水戸一高の“歩く会”を題材にした原作は、第1回本屋大賞受賞作としても知られていますが、水戸芸術館の舞台化では、音楽劇として新たな解釈を加え、まさに水戸オリジナルという内容になっています。ご観劇いただきました原作の恩田陸先生にも、高い評価を頂戴いたしました。4年ぶりの再演となるため、フレッシュな人材を求めたオーディションも開催予定です。

水戸芸術館 ACM劇場の今後の活動をご注目ください!