いざ、タウリケへ!
開幕を1カ月後に控えた10月下旬、「オレステスとピュラデス」の稽古場に足を踏み入れると、まず耳に飛び込んできたのは「いざ、タウリケへ! いざ、タウリケへ!」と繰り返される歌声だ。Taichi Kanekoによる重厚なビートに乗せ、ギリシャ悲劇には欠かせないコロス(合唱隊)を担う俳優たちがラップの稽古に励んでいた。演出の杉原邦生は、これまでKAATで上演した「オイディプスREXXX」「グリークス」においてもギリシャ悲劇の言葉をラップに変換して伝えるという演出を取り入れている。
この日は、今回ラップの作詞を担当した板橋駿谷が直接指導をしていた。1曲通すと、板橋は「素晴らしい! 自分のバイブスが上がったのを感じましたか?」「気持ちで歌った者勝ち!」とキャスト陣を鼓舞しながら、「出だしの1音を大切に」「情景をイメージしながら」と次々にアドバイスを送る。スタッフたちの身体もビートに乗って自然と動く中、演出席から全体を見渡していた杉原が「歌いやすいキーでもう1回!」と素早く指示するとキャストの歌声にもさらに感情が入り、稽古場は“旅立ち”の高揚感に包まれた。
濱田龍臣・大鶴義丹が、対峙する息子と父を体現
続いて、第1場冒頭シーンが繰り広げられた。本作では、トロイア戦争において、ギリシャ軍の総大将だったアガメムノンの息子・オレステスがアポロンの神託を受け、母親殺しを実行したあとの物語がロードムービーとして描かれる。第1場は、濱田龍臣扮するピュラデスと、大鶴義丹扮するピュラデスの父・ストロピウスが対峙する場面。濱田は父と決別し、親友のオレステスのために旅立とうとするピュラデスを、全身のエネルギーをぶつけるように力一杯に演じる。その気迫に呼応するように、大鶴は威厳ある立ち居振る舞いで、息子をはねつけるストロピウスの厳格な父親像を立ち上げていった。
二面性を表現する鈴木仁、愛情で包み込む濱田龍臣
切り裂くような唸り声を上げてオレステスの“痛み”を表現するのは、今作が初舞台となる鈴木仁。オレステスは、自身の母・クリュタイムネストラを殺害したことで“復讐の女神”に呪われているという難役だ。鈴木は錯乱状態に陥ってしまうオレステスを、目つきに狂気をにじませて体当たりで演じる一方で、ふと我に返ると脆さを抱えた繊細さを見せ、演技の幅を感じさせた。ピュラデスは、そんな二面性のあるオレステスを誰よりも気にかけ、深い愛情で包み込む。2人のコンビネーションに注目だ。
ミステリアスで変幻自在な趣里、粒ぞろいな10人のコロスたち
また第1場では老婆の役を担う趣里が、ミステリアスな存在感を光らせる。趣里はおどろおどろしい声、愛らしい声を使い分け、オレステスを惑わす不気味な老婆を表現。本作では趣里、大鶴がそれぞれ複数の役を務め、オレステスとピュラデスが旅先で出会う人たちを演じる。趣里、大鶴がどのような人物として登場するのか、その演じ分けも見どころだ。
オレステスとピュラデスを取り巻くコロスには、杉原作品に出演経験のある内田淳子、高山のえみ、大久保祥太郎、天宮良、外山誠二に加え、今回初参加となる中上サツキ、前原麻希、川飛舞花、武居卓、猪俣三四郎の10人が顔をそろえた。彼らは“その他大勢”ではなく、1人ひとりがくっきりとした個性を持つ巡礼者として旅に同行し、物語をにぎやかに彩る。彼らが十人十色のアプローチでその場に存在することで、シーンに立体感が生まれ、物語はドライブしていった。ちょっとした空き時間に余念なくセリフや動作を確認し合う彼らの姿も印象的だ。
カンパニーを指揮する杉原邦生のスピーディな演出
カンパニーをまとめ上げる杉原の演出は、とにかくスピードが速い。稽古中も気になった箇所は「もう1回やりましょう!」と、納得がいくまで繰り返し、瞬時に立ち位置や動きの修正をしながら、俳優のセリフの発し方、余韻へのこだわりも忘れない。役者同士が激しく揉み合う場面では、細かく動きを作っていく際に自ら動いて見せ、音響スタッフの稲住祐平にも、その場で音の調整の指示を出していった。その姿はまるでしなやかにオーケストラを操る指揮者のようだ。稽古中、杉原はマスクを付けて立ち回る役者の体力消耗を気遣い、声をかける。そんな杉原に「まだ元気です!」と答え、食らいつくように稽古に没頭する役者たちからは演出家への信頼と作品にかける思いの強さがうかがえた。
今作では劇場での観劇とは異なる視点の映像作品の配信も実施。今年7月に発表された配信企画「プレイタイム」にて、劇場が再び動き出していく様子を鮮烈なカメラワークで捉えた撮影の渡邉寿岳が、杉原と再びタッグを組む。2人の若者はその旅路で誰と出会い、何を感じるのか。“誰も観たことのない”ギリシャ悲劇を、劇場と配信で目撃しよう。