舞踊家と演奏家が呼吸を読んで生み出す空間を、ぜひ体感してほしい
──Noismは昨年、雅楽とのコラボレーションを行いました(参照:ロームシアター京都開館5周年記念事業 舞台芸術としての伝統芸能 Vol.4「雅楽~現代舞踊との出会い」稽古場レポート)。そのとき、和楽器の生演奏と合わせる難しさについてお話しされていましたが、今回はどんなことを感じられていますか?
金森 邦楽は指揮者がいないんですよ。そこが極めてオリジナルなところですね。我々の和的な身体文化とそこが密接に関わっているんだろうなと。すべてを呼吸で読むというか、誰かが刻んでくれるものにみんなで従うということではなく、それぞれの絶妙な間、呼吸、あうんみたいなことで成立する楽曲だから、時間がものすごく伸びたり詰まったりも可変的なんですよね。それが西洋のクラシカルな音楽と、邦楽や原田さんの楽曲と大きく違うところだと思います。今回も指揮者がいないので、奏者同士が呼吸で間を取って演奏するんですけど、それに対して舞踊家も合わせていかないといけないし、あるときは舞踊家の呼吸に奏者が合わせていくこともあるし……本当にいろいろなところで意志がつながって空間の中で立体的になっていく。びっくりするくらいの緊張感が空間を満たしていますね(笑)。
──太鼓の音の波動に、舞踊家も強く影響を受けそうですね。
金森 受けますね。合同稽古のとき、私は基本的に客席にいて舞台を観ていましたが、それでも波動を感じるくらいだったので、太鼓のすぐ前で踊っている舞踊家たちはものすごく影響を受けるらしくて。「ここで締太鼓が鳴る」とわかっていても、身体がビクッと反応してしまうらしいです。そのくらいエフェクティブで強烈な波動が来るので、必要に応じてそれを全身で受けて表現に昇華させたり、動じないようにしなければなりませんが、なかなか大変なようです。
石塚 僕たちも、普段は自分たち演奏家だけでやっていますが、もともと太鼓や音楽って、踊り手やシャーマンのような人が人々の祈りや思いを届けるときにそれをサポートする、トランスさせていくようなものだったと思うんですね。だから演奏の音を向けていく対象が目の前にいるのは自然な感覚だと、今回実感しています。例えば演奏家だけだと、「ここはフォルテだ、そこはピアノだ、ここからはクレッシェンドだ」というような意識で演奏していますが、踊り手の皆さんを観ていると、自然に有機的になるというか。祈りが入った音になったり、熱がこもったり、メンバーの音も変わってくるのがすごく面白いですね。
──舞踊に関して、今回はストーリーのようなものはあるのでしょうか?
金森 別にそうしようとしているわけではないんですけど、“金森穣が作ると必ずなんとなく物語があるもの”にはなるんですよ(笑)。なので、今回も役行者や清音尼を中心に、そこから関係性が生まれて変容が起きて……というようなストーリー性はあります。清音尼というのは佐渡に初めて女郎宿を作ったという伝説のある人なのですが、その女郎宿は佐渡鉱山の労働者たちに向けたものだったと、ある研究書で読んで興味を持ちました。清音尼が率いる女郎たちと、役行者が率いる鉱山労働者、あるいは修験道の僧侶たちが交わって、その緊張関係から鬼的な何かが生まれる、というようなことを今、漠然と考えています。
──音楽面でのストーリー性は?
石塚 明確なものはないですが、1音ごとに持ち物がどんどん変わったりして、そんな曲は初めてです(笑)。鼓童史上でも一番難しい演奏になるのではないでしょうか。ただ演奏家としてはあまり音に意味を込めすぎず、とにかく一生懸命演奏をして、そこにNoismが入ってくることで何か意味が生まれるというふうにしたいと思っています。
──本作は、新潟・埼玉・京都・愛知・山形をツアーします。合同稽古の様子から、何か日本海の風のような雰囲気を感じたのですが、各地のお客さんにどんな時間を届けたいと思われますか?
石塚 もちろん楽曲も素晴らしいですし、踊りも素晴らしいんですけど、今回はそれ以上に、Noismも作曲の原田さんも我々も、ある事象が発生したときに、その空間がどのような感じになるかということを意識して、物作りをしている感じがして。例えばバーンと音が鳴ったときに、それが劇場にどのように響いているか、脚を一歩踏み出したときその場の空気がどう変化するかということにこだわっている現場だと感じるので、ぜひ劇場でそれを体感していただけたら。最近は配信なども増えていますが、画面越しでは感じることができないものがこの作品には立ち現れると思いますし、だからこそ観終わったらすごく疲れるかもしれませんが(笑)、それを味わいに来ていただきたいです。
金森 新潟という地名よりも、地理的に“ここ”──つまり、日本列島の中の“ここ”に新潟と佐渡があり、ここからエネルギーが生まれているという、力みたいなものを感じてほしくて。埼玉や京都、愛知、山形で観たとしても、地理的に「ああ、あそこだな」と感じてもらえるような作品になったら良いと思います。そして結果的に“ここならざるどこか”が観客の心象に見えてくることが、“イコール鬼的なものの現前”ということになるんじゃないかと。この作品を通して、ここ新潟の大地に根ざした何かをつかみたいと思います。
プロフィール
金森穣(カナモリジョウ)
演出振付家・舞踊家。17歳で渡欧し、モーリス・ベジャールらに師事。NDT2在籍中に20歳で演出振付家デビュー。2004年に新潟・りゅーとぴあ舞踊部門芸術監督に就任し、公共劇場専属舞踊団Noismを立ち上げ、芸術監督に就任。平成19年度芸術選奨文部科学大臣賞、平成20年度新潟日報文化賞、第60回毎日芸術賞ほか受賞。令和3年紫綬褒章を受章。
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石塚充(イシヅカミツル)
1979年、埼玉県生まれ。家族全員が太鼓演奏家の家庭に生まれ、幼少期から太鼓に触れて育つ。1999年、太鼓芸能集団 鼓童の研修所入所、2002年よりメンバーとして活動。新人時代より主要演目に出演するほか、2007年からは演出も手がける。オンライン開催された2020年の「アース・セレブレーション」では総合演出を務めた。主な作曲に、「焔の火」「Stride」「また明日」、鼓童提供楽曲第3弾「遥か」など。
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稽古場レポート
2団体の呼吸が混ざり合い、見えざる“何か”が舞台にうごめく
4月中旬、新潟・りゅーとぴあ 新潟市民芸術文化会館を鼓童が訪れる形で、Noism×鼓童「鬼」の合同稽古が行われた。この日は、作品の途中までとなる20分間の通し稽古が実施された。
舞台奥には左右に分かれて大小の宮太鼓、桶太鼓といった太鼓群、銅鑼、琴などが置かれ、7人の奏者が位置に着いていた。通し稽古が始まると、手前のアクティングスペースに、上手と下手からダンサーたちが静かに、ゆっくりと登場。すると、観る者の身体が思わずビクっとなるほど唐突に、太鼓が雷のように打ち鳴らされた。ダンサーたちはそれを全身で受け止めながらも、ただ静かに歩みを進める。
続けて軽快なリズムに乗せて、複数の男性ダンサーが踊り始めた。1人を囲むように踊る彼らは、重みを感じさせる下半身で、土着的で力強く、ゆったりと動き続ける。時折、間を縫って人々がまばらに駆け抜ける様子は、森の木々や海辺の岩を吹く風のようだ。
やがて不気味なメロディへと変わり、井関佐和子が妖艶に、男たちを誘うかのように練り歩いた。大太鼓の表面を擦って出される音は不思議で、風のようにもノイズのようにも聞こえ、脳内にさまざまな風景が立ち上がる。そうして妄想の旅を楽しんでいるうちに、今度は男女がペアとなって、緩急のある踊りを展開し始めた。動きのシークエンスと太鼓の合奏が絡み合い、ダイナミックなイメージが作り出される。大太鼓の響きは迫り来る鬼の足音のようにも聞こえるが、抗えない引力のように観る者を作品世界に引き込んだ。その音の鳴りに、あるときは寄り添い、あるときは拮抗するかのように繰り広げられる舞踊家たちの動きにも、また強い引力を感じた。