Noism×鼓童「鬼」金森穣と石塚充が新潟・佐渡を照らし、そのエネルギーを形にする理由

りゅーとぴあ 新潟市民芸術文化会館の専属舞踊団・Noism Company Niigata(以下Noism)と、佐渡を拠点に活動する太鼓芸能集団 鼓童。新潟を代表し、世界に発信し続ける2団体の初コラボレートが実現する。りゅーとぴあ、ロームシアター京都、愛知県芸術劇場、荘銀タクト鶴岡という4劇場の共同製作により立ち上がるNoism × 鼓童「鬼」では、作曲家・原田敬子が新曲を手がけ、新作を創作する。

“新潟”という題材から原田がたどり着いたテーマは“鬼”だというが、彼女が提示する難易度の高い楽曲にNoismの金森穣、鼓童の石塚充はどう挑んでいるのか。5月中旬、合同稽古を終えた2人が、異色であり、待ち望まれたコラボレーションについての思いを明かした。

取材・文 / 熊井玲稽古場レポート / 大滝知里

金森穣 × 石塚充 対談

出会いから18年、ようやくベストなタイミングが訪れた

──本公演は、共に新潟県を拠点とするNoismと鼓童の初コラボレーション作品です。金森さんの演出ノートによると、「幾度かその構想を抱いたことはあるけれど、今ひとつ自分の中で時宜を得て来なかった(確信を持てずにいた)」けれど今回、「時宜がこの身に訪れた」とのことですが、改めてお互いにとって今回のコラボレートが、どういうタイミングで実現したものだったのかを教えてください。

金森穣 演出ノートに書いた通り、18年前にNoismの活動が始まってすぐ、鼓童の皆さんが活動拠点にする佐渡島の鼓童村に呼んでいただき、そこからご縁は続いていたので、いつかコラボレーションを、とは考えていたんです。でも当時は実現できず、「ああ、今じゃないんだな」と。そこからまた時宜を待ち続けていましたが、2019年にNoismの活動継続問題が浮上し、もし活動が継続できなければ、この作品がNoism最後のプログラムになる、という状況になりました。幸い継続できることになりましたが、新潟で18年培ってきたものを見つめ直すタイミングでもあり、また鼓童も船橋裕一郎さんが新代表に就任されたタイミングだったので、「今かもしれない」と直感が働きました。

──石塚さんは今回、“鼓童音楽担当”とクレジットされています。どんな役割をされているのでしょうか?

石塚充 そんなに確立した役割というわけではないのですが、今回は楽曲も作品もすごくチャレンジングなのと、二十代の若いメンバーに挑戦してもらっているので、原田(敬子)さんや金森さんが持っている作品世界や言語と、鼓童のメンバーが持っている言語をすり合わせる調整役のような感じでしょうか。

今、金森さんがおっしゃった新代表の船橋と僕はほぼ同年代なのですが、僕たちがまだ若手の頃に佐渡の対岸である新潟で、Noismが結成されました。そのときから船橋と一緒によくNoismの舞台を拝見していて、「すごいグループが隣にできたな、いつか共演したいな」と話していました。実際、これまでに共演の話が持ち上がったり、新潟県内のイベントで同じ舞台に立ったりということはあったんですけど実現には至らなくて。またこの10年間で、鼓童のほうでも物作りの仕方や音楽性が目まぐるしく変わっていって、今すごく良い状態だという実感があって。そんなときにNoismから今回のお話があり、すごく自然と「ああ、良いタイミングだな」と思いました。

金森 魔が差したんじゃないの?(笑)

石塚 いえいえ!(笑)

──一見すると、西洋舞踊の影響を受けているNoismと日本的な世界観をベースとする鼓童は、ジャンルや思考性が対極にあるような集団にも感じますが、お互いの共通点や違いをどんなところに感じていますか?

金森 確かに自分は若い頃にヨーロッパで薫陶を受けて10年活動してきて、そこで得たものが基礎にあることは事実なんですけど、でもこの国に帰ってきてもう20年経つんですね。だから日本の国のここ新潟で舞踊と向き合う中で、どんどん自分の中の和的な身体感覚、アジアの文化的要素みたいなものが熟成されていっている。コンセプトや用いる音楽なども和的になっている時期なんです。だから今このタイミングで鼓童とコラボレーションできるのは、自分にとっては必然的というか、自然の流れでした。それと、ある種のトレーニングをベースに身体と向き合うという、“修行”によって身体文化を洗練させていく感覚を鼓童とは共有しているので、先日舞台稽古したときもまったく違和感がなかったんです。1つの集団の中に、音楽をやるメンバーと踊りをやるメンバーがいる感じというか。

金森穣

金森穣

石塚 そうですね。鼓童も、題材としては和の伝統芸能や民俗芸能を扱っていますが、それをそのまま出すということではなく、そういったものを一度自分の身体と魂の中に取り入れ、昇華して、自分の身体から出ていくもので勝負するということを行っている集団なので、Noismの“自分自身の肉体をとことんまで研ぎ澄ませていくこと、それを磨き抜く魂だけを舞台上に乗せていくこと”という点にシンパシーを感じます。だから合同舞台稽古をやったときに、鼓童が鳴らしている音が自然とNoismの身体を通して鳴っているような感じがあって、気持ち良いなと思いました。

金森 初めての共演とは思えなかったよね。

石塚 そうですね。

──Noismも鼓童も、日本に限らず世界をステージに活動している団体ですが、“創作の場”としての新潟については、どのように感じていますか?

石塚 佐渡はすごく特殊な環境で、物作りに集中しやすい環境だと思います。また鼓童はさまざまな地域から集まってきたメンバーで構成された、ある意味、よそ者たちの集まりですが、新潟はよそ者たちが一生懸命作っているものを、“地元でがんばっている新潟のアーティスト”として自然に受け入れてくれていて、その懐の深さというか、愛情のようなものを感じます。そこが、ここで長く物作りをしていきたいと思う要因だと思います。

金森 鼓童は前身の鬼太鼓座を含め50年の歴史がありますが、Noismはたった18年なので、Noismが新潟の舞踊団であると新潟の皆さんに思っていただき、我々自身も胸を張って言えるようになるには、まだまだこれからなのではないでしょうか。

一筋縄ではいかない、原田敬子の楽曲

──今回の作品テーマは“新潟”。なぜ新潟をテーマにしようと思われたのでしょう?

金森 前述の通り、この作品がNoism最後の公演になる可能性もあったので、この劇場でこのメンバーと作る最後の作品としてテーマを考えていました。新潟には感謝もありますし、これまで深く新潟に関わってきたという思いもあるので、それを作品として形に残したいなと。同時に、「新潟すげーな」って思ってほしくて(笑)。鼓童がいて、日本で唯一の劇場専属舞踊団がいる、その力や可能性みたいなものって、新潟の方もまだそこまで理解していないんじゃないかな。我々が新潟で行っているこの舞台芸術は、この国の文化や、この国をはじめ世界の身体文化・身体芸能みたいなことに寄与するレベルのことなんだということを届けていきたいなと。この作品がそういう場になれば良いなと思っています。

──今回、作曲を原田敬子さんにオファーされました。金森さんは2019年のシアター・オリンピックスで原田さんと共演されていますが、今回はどのようなことをオーダーされたのでしょう?

金森 「一応、テーマは“新潟”です」とは伝えましたが、私は原田さんをすごくリスペクトしていて、リスペクトしているアーティストにあれこれ注文をつけすぎるとその人の良さが出ないだろうと思っているので、本当に「好きに作って」と。我々Noismが西洋の文脈にあるとしたら、原田さんも楽曲を楽譜に落とし込んでいくという点で西洋的な音楽的素養があるのですが、この国やアジアの楽器を取り入れていく作曲の仕方が、すごくグローバルなんですよね。という点で、グローバルな身体文化を持つ鼓童とNoismがコラボレートする今回の公演に、原田さんの音楽は絶対合うだろうなと思ったんです。

左から原田敬子、金森穣、石塚充。

左から原田敬子、金森穣、石塚充。

石塚 原田さんは作曲を始める前の段階で佐渡に2回ほどいらしたんですが、「金森さんに『好きに作ってくれ』って言われたんだけど、どうしましょう?」とおっしゃっていて(笑)。

金森 あははは!

石塚 そこから始まって、「まずは鼓童が持っている楽器や演奏方法を全部見せてほしい」と原田さんがおっしゃったのでお見せしたり、メンバーとお話ししたいとおっしゃったのでミーティングの時間を作ったり。あと「ラップの芯やマグカップはありますか?」と尋ねられたので、それもご用意しました。そのとき原田さんは「演奏家が苦しむような曲を作りたい。ただ難しいというだけではなく、何かを超えて次のステップに行けるような楽曲にしたい」とお話しされていました。

──実際に上がってきた楽曲を聴いて、どのように感じましたか?

石塚 昨年の冬に少しずつ譜面が上がってきて、最初、譜面の読み方がちょっとわからないというところから始まりまして……。

金森 オリジナルのマークとかが付いてますもんね(笑)。

石塚 そうなんです、「このマークはどういうことですか?」というやり取りを原田さんと何度か重ねました。なので、1小節ずつ練習していく、というところから始まって、本当に何かを1つ超えていくような作品だなという印象でした。

──4月に行われた会見(参照:“鬼”とは何か、Noism×鼓童「鬼」金森穣・石塚充・原田敬子が意気込み)で、ラップの芯でたたくところがあると石塚さんがお話しされていたのが印象的でした。

石塚 そうなんですよ(笑)。ほかにもいろいろなもので演奏します。

金森 自分が思ったことは2つあって……1つは鼓童に対して、多分これまで鼓童がやってこなかったようなことと向き合う楽曲になるんだろうなということ。それを望んでいたので、「やった!」と思いました。プロデューサーとして、鼓童が潜在的に持ってはいるけれどまだ発揮したことがないような可能性をこの創作から導き出したいと思っていたので。もう1つは、見るからに大変そうな譜面のこの楽曲に対して振付をするのは、また別の難しさがあるだろうなということ。音楽的な構造を自分の中で理解しないといけないし、そこからただの音と身体ではない、劇的な展開もひらめかなければいけないから、チャレンジングだなと思いました。しかも原田さんが、今回の作曲テーマは“鬼”だとおっしゃっていたので、原田さんの楽曲に宿る鬼と、鼓童の皆さんが演奏するときに立ち現れてくる鬼的な何かをつかみたいと思って考えていきました。

──“鬼”というテーマを聞いて、お二人はどう感じましたか?

金森 びっくりしましたよ。「新潟」って言ったら鬼が出てきた、と(笑)。でも面白いなと思いました。作り手としては“鬼”というキーワードでいろいろなリサーチを重ねていき、そこから修験道や役行者、そして清音尼などのイメージが湧いてきました。誰しもが持っている鬼的なものを引き出す儀式みたいなものが、鼓童とNoismで生み出せたら良いなと思います。

石塚 原田さんとお話しした際に、「佐渡にはすごくいろいろな鬼がいて……」とご紹介したので、“鬼”というテーマを伺ったときに自然と「あ、なるほどな」と受け止められました。世界で通じるキャッチーな言葉じゃないかと思いますので、いかようにも捉えられる、すごく面白いテーマじゃないかと思います。

石塚充

石塚充

──会見で石塚さんは、鬼にはいろいろな意味合いがあるとおっしゃっていました。お二人は今回、どのような意味の“鬼”をイメージしていますか?

金森 確かに多義的な言葉なので、どの切り口から見つめるかで様相が変化するとは思いますが、あえて芸術監督の立場から言うと、魅力の“魅”という文字には“鬼”が入っているんですよね。何かに魅了されるとか感じ入る、惹かれるということには何らかの力があるわけで、そのような魅力のある舞踊団でありたいと思う。でも技術的にすごかったり、ものすごい努力をしていても魅力を感じない舞踊家というのもいて、ではその魅力とは一体何なのかということを考えるわけです。今回の作品でも、Noismの舞踊家たち1人ひとりがものすごく魅力的であってほしい。それがかなえば、それぞれの内にある鬼がそこに立ち現れているということになるんじゃないかと思っています。

石塚 佐渡には鬼太鼓があり、鬼って人々の生活にすごく根付いていて、鬼は人々の祈りや願いをある意味具現化した存在だと感じます。そんな私たちの祈りがエネルギーになって鬼が立ち現れるということは、私たち演奏家や舞踊家が舞台で魂を見せることと通じるなと思いますので、今回鼓童とNoismが生み出したエネルギーが“鬼”なんじゃないかと。それが前向きなエネルギーとして世に出ていくと良いなと感じています。