世界屈指のコンテンポラリーバレエ・カンパニー、ネザーランド・ダンス・シアター(NDT)が、13年ぶりに来日公演を行う。今回上演されるのは、“現在のNDT”を感じることができる4作品。来日に先がけ、愛知県芸術劇場のシニアプロデューサーである唐津絵理が、NDTの本拠地・オランダに赴き、芸術監督のポール・ライトフットにインタビューを行った。創立60年を迎え、新たなフェーズに入ったNDTの生の姿に迫る。
取材 / 唐津絵理 文 / 熊井玲
作品の美しさは、カンパニーのあり方から生まれる
──NDTは創設以来60年にわたり、コンテンポラリーの演目のみを上演し続けてきた、非常に先鋭的なバレエ団です。そんなNDTにおけるポールさんの、芸術監督としての現在の役割について教えてください。
2011年から芸術監督を務めており、現在8年目になります。私はカンパニーの代表であり、芸術面での最終決断をする責任がありますが、それだけでなく、アーティスティック・アドバイザーでもあるソル・レオンと共に専属振付家(ハウス・コレオグラファー)の役割も務めています。またキュレーター兼アーティスティック・プロデューサーのアンダーシュ・ヘルストロンにもサポートしてもらうことで、私は芸術監督の仕事が遂行できています。通常、カンパニーの代表は1名であることが多いと思いますが、NDTでは創設以来、財務などの実務面のディレクターと、芸術面のディレクターの2名体制を取っています。両者の権限は同等で、どちらかが上に立つ、ということはありません。お互いの仕事を尊重して仕事を進めています。
──カンパニー創設以来のシステムということですが、NDTの代名詞とも言えるイリ・キリアンの時代から続いていることなのでしょうか?
創設時はベンジャミン・ハルカヴィが芸術監督で、カレル・バーニーがマネージング・ディレクターでした。イリ・キリアンが芸術監督となった時も同じです。バーニーはマネージング・ディレクターを長年務め、キリアンと密に仕事を行っていました。私が芸術監督に就任した際、理事会は体制を変更することも考えていましたが、結局既存の体制が続行されました。子育てで両親が平等であるように、一方が強く、一方が弱いと関係は成立しません。両者の力関係が同等で並立しているからこそ、健全な運営につながるのです。NDT独自の化学反応は、このディレクター2名体制によって引き起こすことができていると思います。
──カンパニーの組織図を見ると、役割がかなり詳細に分かれていますね。それぞれの仕事に集中できる反面、調整などが難しいのではないでしょうか?
すべてに話し合いをするわけではありませんし、メンバーに任せて、私が決断に関与しない事柄もあります。任せるのは簡単なことではありませんが、その関係性がNDTの美しさでもあると思います。ビジネスばかりを追求するのではなく、創作ばかりに没頭するのでもなく、理論的な部分と“狂気”の部分のバランスが取れる構造になっているのです。
“池”ではなく“流れる川”として
──13年ぶりの来日になりますが、ポールさんは日本がとても好きだと聞いています。13年の来日公演では、ご自身の作品「Signing Off」(03年初演)を上演されましたね。
はい。日本は大好きです。最初に私が日本を訪れたのは、まだ日本の景気がよく、多くの文化交流が行われていた時期だったので、7週間で11都市をツアーしましたね(笑)。その後、1990年、93年、96年と、カンパニーにとって本当に大変な時期がありましたが、そういった時期に日本との関係を築く機会を得られたことはよかったと思います。今回は本当にしばらくぶりの日本公演なので、日本に里帰りするような気持ちがしています。現在は、スマホで何でも観ることができますが、劇場で作品を観るのはそれとまた全然違います。今回は私たちカンパニーとしても一歩踏み出す機会になりますし、将来に向けて関係性を構築できる機会だとも思うので、しっかり存在感を見せたいなと。なので、最高のものをお見せできるように、準備を進めているところです。公演を成功させることだけでなく、人々をどう触発するかが重要だと思っています。
──NDTには、今なおキリアンの印象が強く残っています。また、近年はNDTを知らない世代も出てきました。
キリアンが今でも話題に上がるのは素晴らしいことですが、彼がカンパニーを辞任してすでに18年が経っていますし、NDTがキリアンのカンパニーだと思われることは、彼の意図とは異なっていると思います。キリアンはカンパニーのために作品を創作したことで有名になりましたが、自分のカンパニーを作ろうとしていたわけではなく、むしろ偏ったこと、凝り固まったことを打ち砕くため、カンパニーのために闘った最初の人物だと思います。NDTはキリアンの多様なスタイルの作品を踊るために強化され、そうしてさまざまなことができるカンパニーになったからこそ、ほかのコンテンポラリーダンス・カンパニーとの差別化が図れ、名声を勝ち得たのです。そんなNDTだからこそ、今後も“水が動かない池”ではなく、“流れる川”であるべきだと思います。