須貝英が作、稲葉賀恵が演出を手がける新作「私の一ヶ月」が11月に新国立劇場 小劇場で上演される。本作は、イギリスのロイヤルコート劇場と新国立劇場による劇作家ワークショップ(参照:ロイヤルコート劇場のメンバーが、新国立劇場との「劇作家WS第1段階」語る)から誕生した作品で、約2年にわたりブラッシュアップを重ねてきた。2005年から2021年くらいの日本を舞台に、3つの空間のさまざまな時間を描く本作では、今は亡き父の影を感じつつ生きる、母と娘を軸にした物語が展開する。
稽古が佳境に入った10月中旬、ステージナタリーでは娘の明結(あゆ)を演じる藤野涼子にインタビュー。作品にまっすぐに向き合おうとするその目線に、明結のイメージが何度も重なって見えた。
なお本作は新国立劇場の2022/2023シーズン【未来につなぐもの】シリーズの1作目となる。
取材・文 / 熊井玲撮影 / 藤記美帆
戯曲の謎は、明結が動くことで紐解かれていく
──本作では、地方に暮らす一家の和室と、一家が経営するコンビニ、そして東京のとある大学の図書館の閉架書庫という3つの場所で起きる多数のエピソードが同時展開します。台本が3段に分かれていたり、時間軸が飛んだりとかなり特殊な構造の戯曲だと思いますが、藤野さんはまずどのように読み進めていきましたか?
まずは台本の上段を読んでみました。でもそれでは話がつながらなかったので、次は上・中・下段を同時に読んでみたんです。そうしたら、最初はまったく別の空間で起こっている別々のお話に見えたのが、3つのシーンのつながりが見えてきて。私が演じる明結(あゆ)は、舞台上3つの場所を移動するのですが、明結が動くことで、まるでミステリー小説のようにシーンのつながりが紐解かれていく印象を受けました。
また、これまで私が舞台で演じてきた役では、独白するシーンが多かったのですが、今作は1人ひとりのセリフが短くて、普通の会話のようなやり取りで進んでいくんです。特に、岡田義徳さん演じる佐東と明結が、閉架書庫で最初に出会うシーンなどは、本当に日常的な、他愛無い会話から始まるので、日常から想像しやすい作品だなと思いました。
──物語は明結と、村岡希美さん演じる母親の泉を軸に展開していきます。大石将弘さん演じる父・拓馬はすでに他界しており、母と娘は拓馬の両親と暮らしているという設定です。藤野さんと村岡さんとは今回が初共演です。
はい。村岡さんは、「ちゃんと眠れてる? 大丈夫?」って、私の母よりもお母さんのような感じで気を遣ってくださいました(笑)。緊張して休憩時間にも台本を読んでいるとふと声をかけてくださったりと、積極的にコミュニケーションを取っていただけることがありがたいです。そんな村岡さんの優しさや気遣いで、ふぉんって心の中が温かくなり花が咲くような気持ちになることがあって。その気持ちが、芝居をするうえでも母と娘という親子関係につながっていくと良いなと思います。
──明結と泉は互いに依存することなく、個として自立している印象があり、素敵だなと感じます。
演出の稲葉(賀恵)さんからも「親子というよりは姉妹のような感覚だと思う」と言われて「なるほど」と腑に落ちるところがありました。逆にじいじやばあばのほうが親のような感じなのかなと。具体的にそういうシーンが台本に書かれているわけではありませんが、明結はきっと、じいじやばあばにはたくさん叱られていたんじゃないかなと思いますし(笑)、そういうときにお母さんは中立の立場を取ってきたんじゃないかなという感じがします。
──明結は二十代前半の設定。藤野さんと同世代です。二十代の明結から、お母さんの泉はどのように見えていると思いますか?
明結は、お母さんの昔のことを知りたいという気持ちを持ちつつも、恥ずかしさがあると思うんですよね。私も両親の出会いとか、お母さんが今までどう過ごしてきたか聞いてみたいと思いつつも、恥ずかしい気持ちもあるなと思います(笑)。また明結はお父さんの死に対してずっと謎を感じているので、その点についても教えてほしいという気持ちを持っていたのではないかと思います。
日記は記憶を思い出す装置
──本作では、日記が重要な鍵となります。藤野さんご自身は自分の考えをまとめるときや、留めておきたい記憶などを文字に残すことはありますか?
日記は絶対につけたほうが良いと思っていて、実際に人にも薦められたりしたのですが、ノートを用意して3日で辞めてしまいます(笑)。特に舞台をやっているときには「今の気持ちや課題をメモしたい!」と思うことがあり、いろいろな日記の付け方を試したことがあるんです。例えばボイスメッセージで残してみたり、日記のアプリを使ってみたりしたこともあるんですけど、やっぱりなかなか続かないですね。ただそうやって過去に残したメモをふと見つけて、「確かにあのときこれでつまずいたな」とか「あのときはすごく大変だったけど、今はきっとそこまで悩まないだろうな」と思うこともあり、そういうときは自分の成長を感じます。
最初の読み合わせで稲葉さんが「日記は記憶を思い出す装置」とおっしゃっていて。その通りだなと思います。過去の出来事や感情はどんどん忘れていってしまうけれど、ちょっとでもそのときのことが書き留めてあると、当時の状況や思いが鮮明にフラッシュバックする。今回も、明結はお母さんの日記を読むことで、自分で経験したことではないけれど追体験するんじゃないかと思うんです。そういう点でも日記をつけるのは素敵なことだなと思います。
──特に、藤野さんのこの数年間は、ほかの人にはない経験ばかりだったのではないかと思います。
激動でしたね……出来事もですが、感情も目まぐるしかったと思います。あの時のことを書いておけば良かったですね(笑)。
明結は何面性もある人なんじゃないか
──映画やテレビドラマでの活躍が多い藤野さんですが、舞台では平塚らいてうら「青鞜」を作った女性たちを描く二兎社「私たちは何も知らない」(永井愛作・演出)、女性だけで演じる「ジュリアス・シーザー」(森新太郎演出)など、非日常的かつ一筋縄ではいかない作品に出演されています。それらのご経験と、現代の一般家庭を描く「私の一ヶ月」とで、作品に対するアプローチの違いはありますか?
特にはないです。もともと役や、舞台か映画かドラマか、というところでお芝居の仕方を変えることはないので。でも今一番難しいと感じているのは、日常的な会話が多いので自分の中で小さな芝居になってしまいそうになること。これまでの舞台は言葉であるメッセージを伝えることが多かったのですが、今回はセリフの伝え方がちょっと変わるかなって。
──明結とご自分に、距離の近さを感じるところはありますか?
ありますね。ちょっと違うかもしれませんが、あるシーンで、明結が佐東に「私はどうしたら良いんですかね」っていうセリフがあるんですけど、それを言うとき、自分が今、このカンパニーで最年少で、ベテランの方たちの前でどうしたら良いかわからないっていう気持ちが乗ってしまうことがあって(笑)。そういうときは、「私はどうしたら良いんですかね」っていうセリフに対する佐東の答えに、実際は泣くシーンではないんですけど思わずじーんとしてしまうことがありました。日常的な会話も多く入り込みやすいから、明結の気持ちに共感しやすいんですよね。
逆に難しさを感じるのは、対面する相手によってテンションを変えていくところです。明結は二面性、三面性があって、実はいろいろな思いを隠しているのですが、彼女が抱えているものを意識しすぎず、かつ相手によって対応を切り替えていくのは難しいです。でも自分だけでどう演じるかを考えるのではなく、例えば佐東と作っていく明結、泉と作っていく明結があると思うので、それを稽古場で今、みんなで考えながら作っているところです。
──3つの場所で、時間軸が戻ったり進んだりするのも、俳優さんの感情の整理が大変そうですね。
そうですね。明結はとにかくいろいろな時間と場所へ行くので、移動している一瞬で気持ちを切り替えていくのが難しいです。
──劇中で明結は大きく変化していきます。その1つとして、東京で出会う佐東との関係は非常に重要です。藤野さんは明結がどんな人物だと思いますか?
抱えているものが大きいし、何面性もある人だなと思っています。ただ、私自身もプライベートと仕事ではテンションが違いますし、その点では誰もが普段からそういうことをしているとも言えます。例えば佐東といるときの明結はすごく変なところがあるんですよ(笑)。台本で読むと、明結は佐東の話をまったく聞いていなくて、会話が噛み合ってないんです。でも一方で、佐東に自分のことを知ってもらおうともしている。でもじいじやばあば、お母さんにもお父さんの話は切り出せなくて、孤独に自分1人で悩みを抱えてきたんだと思います。そういうシーンが書かれているわけではないけれど、表面的には明るい子だけど1人でいるときはまったく違う顔をしている人なんじゃないかなと。だからもし私が明結と友達になって、自分はすごく明結と打ち解けられているって思っていても、実は明結は私に自分の内面をまったく見せてくれてないってことがある人なんじゃないかと思います。
──今のお話を踏まえると、佐東といるときの明結は、ちょっと素が出ているのかもしれませんね。
そうですね。佐東と明結にはちょっと似ているところがあるんじゃないかなと思います。佐東もあることで傷ついて、以来、あまり人と関わらない謎の多い人なので、明結とつながるときがあるんじゃないかと思います……という話を、稽古場で皆さんとしながら作り上げていて。稲葉さんはディスカッションを大切にしてくださって、ご自身もこれはわからないなってことはみんなに意見を聞いてくださるんです。それによってみんなでキャラクターを深く理解していくことができているなって。だから1人で作り上げていくのでは考えられないような深さで、明結の気持ちを掘り下げていけていると思います。
この作品が、家族とコミュニケーションを取るきっかけになったら
──改めて、舞台の面白さをどのように感じていらっしゃいますか。
やっぱり、実際に2時間くらい、お客さんの前でリアルに芝居することは舞台でしか味わえないことだなと。お客さんからのリアクションや、お客さんと一体になって空気を作っていくところは、怖いところでもありますが、私はすごく舞台って好きだな、今後もやっていきたいなと思っています。また稽古を1カ月かけてやれる、インプットの時間は大切です。ドラマや映画だとなかなかそうやってみんなで考えていこうという時間は作れませんが、舞台ではみんなで意見を交換し合って、1つの作品を作っていくのが楽しいです。人見知りなので、自分の心を開いて臨むことは難しいなとも思うんですけど、私、追い込まれるのが嫌だけど好きなんです(笑)。しかも舞台は1日1日課題があるから大変なんですけど、壁を乗り越えた先にお客様との気持ちの共有とか、何か違う世界が見えるのかもしれないと思うと頑張れます。
──本作はさまざまな世代に響く部分があると思いますが、藤野さんと同世代の観客にはどんなところを感じてほしいですか。
まずは3つのシーンが同時展開するので、目で見て楽しいと思います。どこで何が起こっているのか、ワクワクするんじゃないかなと。また、私自身もそうですが明結に感情移入するところが多いと思います。例えば1人暮らしとか上京している人たちがこの舞台を観たら、久しぶりにお父さんやお母さんに電話してみようかなと思うんじゃないかと思うし、学生の方だったら、恥ずかしいけどお母さんの過去や両親の馴れ初めとかを聞いてみようかなって、コミュニケーションを取るきっかけになってくれたらうれしいですね。
──親子だからこそ話せないこと、でも話したいこと、聞けていない気持ち、ありますよね。
ありますね。それは直接話を聞けるうちに聞いたほうが良いと思います。私もお酒を飲まないと両親に聞けない話がありますが(笑)、でもやっぱりずっと一緒にいられるわけではないから、今一緒にいられる時間を大切にして、例えば“お母さん”じゃなくて、“お母さんになる前の学生だった頃の1人の女性”として、誰かの人生を知りたいと思うきっかけになってくれたらありがたいですね。
プロフィール
藤野涼子(フジノリョウコ)
2000年生まれ。神奈川県出身。俳優。2015年に公開された映画「ソロモンの偽証」で主演デビューし、第39回日本アカデミー賞新人俳優賞、第37回ヨコハマ映画祭 最優秀新人賞、第40回報知映画賞 新人賞などを受賞。NHK連続テレビ小説「ひよっこ」、NHKドラマ「腐女子、うっかりゲイに告る。」に出演。NHK大河ドラマ「青天を衝け」では主人公の妹・てい役を務めた。舞台では、二兎社「私たちは何も知らない」、音楽朗読劇「愛しいクレアへ-冷蔵庫のうえの人生-」、「ジュリアス・シーザー」など。