小川絵梨子と広田敦郎が語る劇作家トム・ストッパードの魅力、最新作「レオポルトシュタット」からあふれ出す舞台への思い (2/2)

“わからない”を超えていくドラマの力

──「レオポルトシュタット」には聞きなれない単語や宗教的な背景など、日本人の肌感覚ですっと理解できないような内容も含まれています。本作に限らず、お二人は翻訳ものを手がけるときにそう言った“わからないこと”にどのくらい補助線が必要だと考えていますか?

広田 その基準はあるようで、ないところがあります。一見難解な言葉でも、俳優さんの力で伝わることもあるし、反対にさすがに何て言ったのかもわからないような言葉には補足をすることもあるし。ただやっぱり時間の感覚は大切で、例えばトムさんが、「上演時間が2時間8分になったんだよ」とメールでおっしゃっていたんですね……僕はその「2時間8分」って言い方が、2時間5分でも10分でもなくて好きなんですけど(笑)、いろいろこだわった末にその時間になったことが大切な気がしているんです。もちろんその時間に必ず収めないといけないわけではありませんが、補助線を加えるにしても時間が延びることはなるべくしたくない。よく、翻訳ものは原語上演より時間が長くなるって言われるんですけど、そんなことはないと思うんです。

広田敦郎

広田敦郎

小川 それは本当にそうだと思います。

広田 だから今回も、2時間8分という感覚を受け継いで、芝居の勢いを失わないテキストにしたいですね。

小川 そうですね。私が翻訳するときは現代英米のものが多いので初演の上演時間は割とすぐ調べられるんですけど、「この作品はこのリズムなんだな」と把握してから翻訳にあたります。ただトムさんの言葉のように現代の古典のようなものになってくると、どうしても私の能力ではなかなかできない部分もあり、今回広田さんが入ってくださったのはありがたいです。一方で演出については、今回「レオポルトシュタット」に触れるまで私が不勉強で知らなかった言葉や用語が出てきますが、もし「その言葉が気になっていまひとつ作品に集中できない」というお客さまがいらしたら、それは演出が失敗してるんだと思うんです。戯曲は何かを説明するためのものではなく、登場人物たちの会話の中でどう変わっていくかを描いたものだから、ドラマがきちんと描けていれば、多少わからないセリフがあったとしても、お客さまは最後まで一緒にいてくださると思うんです。もちろん役者や私たちは作品の背景や単語を理解していなければいけないので、そういう意味で勉強は必要だけど、芝居はそうやって得た“知識”を観客にお伝えするためのものではないよね、と話し合いながら稽古をしています。

「レオポルトシュタット」出演者。上段左から浜中文一、音月桂、中段左から村川絵梨、木村了、那須佐代子、下段左から土屋佑壱、岡本玲、浅野令子。

「レオポルトシュタット」出演者。上段左から浜中文一、音月桂、中段左から村川絵梨、木村了、那須佐代子、下段左から土屋佑壱、岡本玲、浅野令子。

新たな出会いが新たな視点をもたらす

──お二人は戯曲翻訳者たちによる企画を発信・実現するためのコレクティブ、トランスレーション・マターズのメンバーです。トランスレーション・マターズはこれからの戯曲翻訳者のあり方について「演劇の作り手として主体的な表現者であることが求められていると感じています。海外作家と協働できる日本語の表現者であること。稽古場で俳優たちとコラボレートできる翻訳者であること。自動翻訳機やAIには代替されない劇的な表現者であること。そんな戯曲翻訳者の理想を抱いています」と掲げており(参照:想いと計画 - our vision | 「TRANSLATION MATTERS」 トランスレーション・マターズ)、実際に今回も、演出家の小川さんと翻訳者の広田さんが協働して「レオポルトシュタット」という山を登ろうとしていることが感じられます。新しい作品の翻訳や新訳に臨まれる際、お二人は演出家と翻訳家がどんな関係性であることが望ましいと思いますか?

広田 クリエーションにおいてはやっぱり演出家が船頭になるので、僕の仕事は演出家によって多少変わると思っています。つまり稽古場にずっと翻訳家にいてほしい演出家と、あまり翻訳家に意見を求めない演出家がいるので、全体のクリエーションに対してどの程度の関わりを求められているかによります。なので、「どんな関係性が望ましいか」ということは一概に言えませんし、演出家によって台本の読み方はすごく変わってくるので、その相性みたいなものもあると思います。多分小川さんはアメリカで長く学ばれ、創作された経験があり、僕は外国人演出家との仕事が多かったからだと思うのですが、戯曲をこう読むと面白いという感覚が似ているように感じます。「こう訳したら面白がってもらえるかな」というのがわかりやすい演出家です(笑)。

小川 ありがとうございます(笑)。戯曲の翻訳ってセリフを字面だけで訳してもダメで、どのシーンで誰が誰に向かって言っている言葉なのか、その意図を汲み取って訳さないといけないんです。だから言葉そのものではなく、言葉のやり取りの間で生まれたものをどう描くかが非常に大切で。その点で広田さんは、劇作家の意図を汲み取って厚みのある言葉に訳してくださるのが本当にありがたいです。

──9月末には2年越しの実現となるイヴォ・ヴァン・ホーヴェ演出「ガラスの動物園」来日公演(参照:イヴォ・ヴァン・ホーヴェ演出「ガラスの動物園」が2年越しで新国立劇場に登場)も行われます。新型コロナウイルスの影響で、海外の招聘公演などはなおもハードルが高い状況が続いていますが、「ガラスの動物園」然り、「レオポルトシュタット」然り、海外の新たな作品や作り手と出会うことに、小川さん自身はどんな楽しみを感じますか?

小川 「ガラスの動物園」も「レオポルトシュタット」も、出会いを楽しんでいただける作品だと思っています。「楽しい」というのは、新たな視点を得るときにも感じられるもの。私自身、自分の余暇になるとどうしても内向きになってしまって、自分が興味あることだけに目がいってしまいがちですが、実は自分には馴染みがなかったり、難しそうに見えるものでも、出会ってみると、すごく心が揺さぶられたりしますし、私が演劇をやっている理由の1つも、そこにあるように思います。演劇によって新しいことに出会う楽しさ、それを感じていただけるんじゃないかと思いますので、ぜひ「ガラスの動物園」と「レオポルトシュタット」にも出会っていただけたらうれしいです。

左から小川絵梨子、広田敦郎。

左から小川絵梨子、広田敦郎。

プロフィール

小川絵梨子(オガワエリコ)

2004年、ニューヨーク・アクターズスタジオ大学院演出部卒業。2006から2007年に、平成17年度文化庁新進芸術家海外研修制度研修生。2018年9月より新国立劇場の演劇芸術監督に就任。近年の演出作品に、「ダディ」「ダウト~疑いについての寓話」「検察側の証人」「ほんとうのハウンド警部」「作者を探す六人の登場人物」「じゃり」「ART」「死と乙女」「WILD」「熱帯樹」「出口なし」「マクガワン・トリロジー」「FUN HOME」「THE BEAUTY QUEEN OF LEENANE」「ローゼンクランツとギルデンスターンは死んだ」「CRIMES OF THE HEART -心の罪-」「死の舞踏 / 令嬢ジュリー」「ユビュ王」「夜想曲集」「スポケーンの左手」「RED」など。新国立劇場では「アンチポデス」「キネマの天地」「タージマハルの衛兵」「骨と十字架」「スカイライト」「1984」「マリアの首-幻に長崎を想う曲-」「星ノ数ホド」「OPUS / 作品」の演出のほか、「かもめ」「ウィンズロウ・ボーイ」の翻訳も手掛ける。

広田敦郎(ヒロタアツロウ)

劇団四季、TPTを経て、フリーランスの戯曲翻訳者。英語圏演劇の古典・新作から非英語圏の作品まで、翻訳を数多く手がける。2009年、トム・ストッパード作「コースト・オブ・ユートピア──ユートピアの岸へ」の翻訳で第2回小田島雄志翻訳戯曲賞を受賞。近年の主な翻訳上演作品にサイモン・スティーヴンス作「FORTUNE」「夜中に犬に起こった奇妙な事件」「ポルノグラフィ」「広い世界のほとりに」、テネシー・ウィリアムズ作「地獄のオルフェウス」、アーサー・ミラー作「セールスマンの死」「みんなわが子」「るつぼ」、ヘンリック・イプセン作「民衆の敵」、ジョン・スタインベック作「二十日鼠と人間」、ネルソン・ロドリゲス作「禁断の裸体」、ミュージカル「I Do! I Do!」など。