神奈川県が推進する共生共創事業は、年齢や障がいなどにかかわらず、すべての人が舞台芸術に参加し、楽しむことのできる社会を目指すプログラム。その1企画として、ドキュメンタリー映像「音の探検隊 2023 in スプラウト」が、YouTubeで無料公開されている。これは、打楽器奏者の若鍋久美子が、障害児・者・家族サポート事業所のスプラウトで行った楽器のワークショップ「音の探検隊」の模様と、ワークショップを通じて作られた音楽を収めた動画となる。
ステージナタリーでは、ワークショップの最終回に潜入。障がいを持つ人の、日中の生活支援を行っている事業所・スプラウトには、自由なリズムで“音”を楽しむ参加者と、その音色の違いを生かしながら、1つの作品としてまとめあげる若鍋の姿があった。特集では、そのワークショップの様子と、若鍋とアシスタントの伊神柚子へのインタビューを併せて紹介する。
取材・文 / 櫻井美穂
“音”に触れ、楽しむワークショップ
神奈川県平塚市に事務所を構えるスプラウトは、支援学校(旧:養護学校)卒業生の進路先として、日中の生活支援を行う目的で設立されたNPO法人。通所している利用者の数は全体で30名で、利用者の中には、同法人が運営する施設近所のグループホームから通っている人も。スプラウトでは、利用者は介護を受けながら、室内でのレクリエーションや音楽活動、創作活動に参加することで、リズムのある生活を送ることができる。利用者の年齢層は十代から四十代までと幅広く、支援学校の生徒が放課後や夏休みに来ることもあるという。
1月下旬、スプラウトでは、打楽器奏者の若鍋久美子によるワークショップ「音の探検隊」の最終回が行われようとしていた。2023年7月にスタートした「音の探検隊」は、“音”に触れ、楽しむ約1時間のワークショップで、若鍋を中心に、ボーカリストの伊神柚子、スプラウトの利用者と職員が、打楽器を中心とするさまざまな楽器を演奏したり、触れたり、音の響きに耳を澄ませる。ワークショップ会場には、若鍋がテーマに合わせて持ってきたたくさんの楽器が並び、参加者は自ら選んだ楽器を即興で自由に奏でたあと、自身が鳴らした音の“録音”に挑む。“白”をテーマカラーにした最終回では、“ふんわり雲”を表現する大きな白い布も登場。参加者たちは、ふわふわと揺れる布の質感や、通り抜ける風の気持ちよさを感じたあと、その感覚を“音”で表現した。
息ぴったりの若鍋&伊神、しかしコンビを組むのは初めて
若鍋は、東京藝術大学打楽器科を卒業後、演奏活動の傍ら、障がいのある子供たちに向けた楽器指導やワークショップといった活動も積極的に行い、“障がいと表現”に関する活動をライフワークとしている。今回の企画に携わることになった経緯について、若鍋は「特別支援学校でワークショップをすることは多かったのですが、学校を卒業したあとの子供たちが、どのような生活をしているのかを知る機会があまりなく、卒業後の彼らに会ってみたいな、という気持ちがありました。そこで福祉施設でのワークショップを始めたところ、すごく楽しくって。改めて福祉の勉強をし始めたところ、共生共創事業担当の千葉乃梨子さんにお声がけいただき、今回の『音の探検隊』につながりました」と語る。
「ゆずちゃん」「まめさん」と呼び合う若鍋と伊神は、準備中もワークショップでも、息がぴったり。2人は、“骨董書店”というバンドに共に所属していたが、2人だけで活動するのは、意外にも今回が初めてとのこと。若鍋は、伊神に声をかけた理由を「シンプルに“打楽器のワークショップ”という形にしてもよかったんですけど、感覚的に『打楽器だけじゃないな』と思いました。弦楽器なのか、ピアノなのか……と考えている中で、ゆずちゃんの歌声がパッと頭に浮かんだんです。彼女の性格的にも、一緒にできたら良いワークショップになると確信し、声をかけてみたら『やりたい』と言ってくれました」と明かす。
安心感を与える魅力的な歌声の持ち主である伊神は、洗足学園音楽大学でトランペット、声楽、ジャズボーカルを学んだ。大学在学中、実習で特別支援学校やデイサービスの訪問演奏を行ったことはあったが、こうしたワークショップの参加は初めてだと言う。「私が今住んでいる地域に、特別支援学校や発達支援の教室があり、障がいを持った方をすごく身近に感じることが多かった、というのが、今回引き受けたいと思った理由の1つです。まめさんから声をかけてもらったとき、参加者の皆さんとフラットな関係性で、音を彩る役割を担ってほしい、と言われたのも、すごくうれしくて。新たなチャレンジになると思いました」と述べる。
ワークショップでは、若鍋が、鍵盤ハーモニカに似た楽器・アンデスと、タンバリンを巧みに用いて、参加者たちそれぞれが心地よいと感じるリズムで鳴らす音を、美しく調和させていた。伊神も、参加者たちの演奏を温かくサポートしながら、手持ちの楽器を演奏したり、ウクレレを弾きながら、歌声を響かせる。この日は若鍋、伊神を含む参加者全員が、リラックスしながらひたすら音を味わい、楽しんでいる様子が印象的だったが、初回のワークショップでは伊神が緊張してしまい、固くなってしまったのだと2人は笑う。「ただ、2回目からはすごく自然にみんなの中に入っていって、そこからは、どんどん慣れていったよね」と若鍋が伊神に視線を向けると、伊神は照れ笑いをしながらうなずき、「本当に回を重ねるごとに、皆さんと関係を築けていけている感覚がありました。ワークショップが始まる前は皆さんと談笑して、終わったら一緒に名残惜しんで……。ワークショップ外も、そうしたコミュニケーションの時間を取ったことで、より関係が近くなっていった感じがありました」と振り返る。
大事なのは即興性
「音の探検隊」で若鍋が大事にしていたのは、“スプラウトメンバーから出てきたものを大事にする”ということ。若鍋は「どんなに打ち合わせをしても、皆さんが実際にどういう感覚で音を受け止めて、どのような反応をされるのか、その場じゃないと絶対にわかりません。だからこそ、流れを決めすぎず、即興性を大事にしたかったんですね。皆さんから出てきた音に、私やゆずちゃんがどんな音で応えて、皆さんがさらにそれにどう反応していくか……という時間そのものが、音楽的でした。皆さんからの反応は、回を追うごとにクリアに届くようになっていきましたね。それは、私たちが皆さんの反応を、よりキャッチできるようになったからだと思います。私はファシリテーターとして場を仕切りはしますが、基本的には、皆さんが見つけてきた“音”に『いいじゃんいいじゃん!』って茶々を入れるような存在でありたいと思っていて。自分自身にも言えるのですが、好きなものが見つかると、“自分”だったり、“その人自身”が見えてくるので、自分のことや、メンバーの人となりをより深く知っていくためにも、皆さんに好きな“音”をどんどん見つけてもらえたらいいなと思いながらやっていました」と語った。
伊神も「初回では、私も固くなっていましたし、ワークショップの進行も決めすぎてしまっていたところがありました。でも、私たちがやりたい方向に皆さんを無理やり連れて行くのではなく、皆さんから自然発生したやり取りを重視することで、結果的に『こういうことがやりたかった!』という良い時間になることが多くって。私たちも、ワークショップに向かう度に、『今回はどんなものが生まれるのかな』とワクワクしていました」と振り返った。
色も音も“波”
全7回に及ぶワークショップでは、毎回異なる“掘り下げたい音やイメージ”が設定され、最終回のテーマは“スプラウトらしい音楽を作って、作品に残すこと”だった。テーマを7回、ガラッと変えるというのは伊神、テーマカラーを決めるというのは映像チームのアイデア。若鍋は「企画段階から、楽器だけに焦点を当てるのではなくて、身体全体でいろいろな感触を感じ取ることを楽しみたい、という思いがありました。なので、ゆずちゃんや映像チームからのアイデアはありがたかったですね」と話す。「スプラウトのメンバーたちは、体調によっては出席できない回もあったりするんですけど、そういった視覚的な要素があれば、完成したドキュメンタリー映像を見返したときに『あ、これは自分がいた回だ』ということがはっきりとわかります。ちなみに初回の7月のテーマカラーは青で、ゆずちゃんには『椰子の実』を歌ってもらったり、海っぽいキラキラな音が出る楽器を持ってきたり、青い布をみんなで持って、海の波を表現してみたりして、夏をイメージしていました。“音の振動を感じる”ことをテーマにした回もあって、振動について調べたことがあったんですけど、その時に色にも振動があることを初めて知ったんです。『色も音も波なんだ!』という新発見がありました」と話す。一方の伊神はテーマについて「あまり深い意図があったわけではないのですが(笑)、映像面でのメリハリも出るかな、という思いもあり提案しました。まめさんが言ったように、ワークショップ参加者にとっても、“赤の回ではこんな色の楽器で、こんな音が出ていたな……”というふうに、記憶に定着する手助けになったのかな、と思っています」と微笑んだ。
楽器も、テーマによって異なる。「小さめの太鼓や、シャカシャカした音が出る小物楽器は毎回持って行きますが、例えば“音の振動を感じる”回では余韻が長めの太鼓、“木の楽器を集める”回には、木でできた楽器をいっぱい持っていきましたね」(若鍋)。参加者が持ちやすいように楽器やバチに取っ手が付いていたり、その日のコンディションによって横になっている参加者のために、リズム隊ならぬ“寝そべり隊”として、寝そべった状態でも演奏できる大きな太鼓が用意されたりと、楽器にはさまざまな工夫が凝らされていた。参加者は、たくさんの楽器やバチの中から、好きな色や形のものを悩みながら選び取り、“選ぶ”ことを楽しんでいる様子だった。
若鍋は「楽器選びって、性格が出ますよね(笑)」とうなずきつつ、「過去に、肢体不自由の方がいらっしゃる特別支援学校に楽器を教えに行ったことがあるのですが、そこで先生たちがされていた、スプーンや道具を持ちやすくする工夫を、楽器に応用している形です。ただトライアルアンドエラーで、スプラウトの職員の方から『この人は、左手より右手のほうが使いやすいんですよ』など教えてもらったりしながら、みんなでよりやりやすい形を追求しています」と明かす。伊神は「スプラウトの皆さんは、責任感のある方がすごく多い。『この楽器は、あなたにお願いします』と託したら、しっかりと楽器を握って、責任をもって演奏されて、ワークショップの終了時には、楽器と離れがたくなっている方もいらっしゃって。必死に向き合ってくださっていた姿に、胸がぎゅっとなりました」と続けた。
スプラウトメンバーの音を丁寧に集める
最終回のワークショップでは2回“録音”が行われ、映像チームの1人・ペダルが、録音用のマイクを持ち、参加者が楽しみながら鳴らす音を集めていった。その音の模様は、ドキュメンタリー映像で確認できる。若鍋は「企画のスタート段階で、このワークショップの着地点として、映像で発表するか、ホール公演として発表会をするかを話し合いました。ただ私はホール公演には、あまり意欲的ではなくて。もちろん、共生共創事業のシニア劇団の方たちなど、本番があるからこそ稽古を積み重ねられる方もいらっしゃるとは思うんですけど、“本番に行く”というハードルの高さがネックだと感じたんです。なので、『成果発表を見せるぞ』という思いより、積み重ねを観てほしい、と思いました」と話す。また「同様に1つの完結した音楽として提示するかどうかも、実はずっと迷っていて。“あるレベルに到達しなくちゃいけない”という感じになるのが嫌だったんですね。でも、結果的に『こう録りたいからこういう音を出してほしい』という形ではなく、皆さんから出てきた表現を、音も間も丁寧に集めて1つの作品にする、ということができたと感じています」と思いを語った。
伊神も「やっぱり皆さん、いざ録音するとなると、スイッチが入るみたいで。スプラウトの日常ではあまりない空気だそうなんですが、スプラウトの職員さんからは『録音を通して、この人はこんなこともできるんだ、という気付きがありました』というフィードバックをもらいました。参加者の皆さんも、自分自身に『すごい!』と感じているし、職員さんたちも『すごい!』と興奮していましたね。そんな“新発見”の瞬間が毎回見られて、その光景に立ち会わせてもらっていることがうれしかったです」と語った。
伊神ファンの利用者が出す“音”
インタビューの後半は、ワークショップの思い出話に。伊神は「私が『炭坑節』を歌って、利用者さんが踊る……という流れがあったのですが、あれは2回目のワークショップで自然発生したものを、最終回でもう一度味わいたい!という流れなんです。私が歌い出したら、歌に反応した利用者さんの1人が急に踊りだしたんですね。心臓が弱い方だったので、スタッフさんはかなりひやひやしながら、すごく心配そうな表情だったんですけど、血が騒いだように踊っていたその姿が衝撃的で、音のすごさを改めて感じました(笑)」と目を細める。さらに若鍋が「ゆずちゃんのことがすごく大好きな利用者さんもいたよね。秋頃に別の施設に移られちゃったんだけど、ゆずちゃんが近づくと、うれしくって鈴をリン……って鳴らすの。心の動きが、音に出ちゃうんです(笑)」と話すと、伊神はうれしそうに「びっくりでしたね(笑)。寝ていらっしゃることが多いのに、私が行くと起きてくれていたんです」と振り返った。
スプラウトメンバーとの出会いは、2人にも大きな影響を与えた。若鍋は「1人ひとりと関わる、ということが全7回ですごく充実していて、スプラウトの皆さんとももっと会いたいし、まだ出会っていない人とも会いたいな、という思いになりました。それぞれがその人らしくありながら、みんなでわいわいと楽しめるという状況が私にとって理想だったのですが、今回のワークショップで『理想の状況はこれだ』と確信しました。楽器を通して人をより深く知っていく、そしてやり取りを重ねていくことでお互いの信頼関係を作る場所となるようなワークショップを続けていきたいですね」、伊神は「絶対にまたこういった企画に参加したい!という思いでいっぱいです。今回、声に敏感に反応される利用者さんがいらして、声が安らぎの要素になることもあれば、鋭利な声だと苦痛を感じることもあるようで。そういった感覚を教えてもらったことで、自分の声を生かした関わり方はないかな、と改めて探すきっかけにもなりました」と、それぞれの思いを熱く語った。
本編
トレイラー
プロフィール
若鍋久美子(ワカナベクミコ)
千葉県出身。東京藝術大学打楽器科卒業。フリーランスの打楽器奏者としてオーケストラ、吹奏楽、打楽器アンサンブル、現代音楽などクラシック音楽を中心とした演奏活動のほか、ブラジル音楽やオリジナル曲を演奏するバンド「Coro do Picapau」のメンバーとしても活動中。作曲やアレンジ、またダンサーとのコラボレーションや即興セッションなど幅広い表現を追求している。音やリズムであそぶワークショップ、アウトリーチの活動にも力を入れており、“音と身体をつないでいくこと”を大切にさまざまな角度からアプローチしている。NPO法人芸術家と子どもたち、NPO法人ARDA「ふれあいアート」、神奈川県立音楽堂アウトリーチほか、各種イベントを通して、大人も子供も障がいの程度や状態も関係なく、1人ひとりの表現をお互いに楽しみ交流している。また、認定NPO法人ミュージック・シェアリング「楽器指導支援プログラム」にて特別支援学校の楽器指導も行っている。
伊神柚子(イカミユズ)
東京都出身。洗足学園音楽大学管楽器科トランペット専攻卒業。幼少からミュージカル、ピアノ、バレエに触れ、中学から高校時代は吹奏楽部に所属し、トランペットを担当。大学時代は、副科で声楽、ジャズボーカルも学ぶ。卒業後、吹奏楽部指導やトランペットの個人レッスンを行うほか、フリーのボーカリストとして、都内を中心に活動。