長く深く楽しめる“沼”で待つ!坂東彦三郎×吉田簑紫郎の同年代“団七対談”「夏祭浪花鑑」 (2/2)

“泥場”の難しさ、そして可能性

──泥の中で団七が義平次を殺す場面、文楽では、人形ならではの長い手足を思いっきり使って立廻る様がダイナミック。歌舞伎は本物の水と泥を使って、まるで殺人現場を目撃するかのように、リアルと様式を織り交ぜて表現していきます。

簑紫郎 人形ならではのぎこちない動きも含め、リアリズムではない面白さを感じていただければうれしいです。人形遣い3人で引っ張り合うように操っていくので、人形も重くなりますし、腕に負担がかかる場面です。軽いと振り回してしまうので、重い本身(本物の刀)も使いますし。この泥場、もっといろいろな演出ができる気もしているんです。だんだんと泥まみれの着物に変化させていくとか、いつかやりたい演出の妄想も膨らませていて(笑)。こんなこと言ったら先人の方に叱られるかもわかりませんが。

──文楽でも江戸時代の初演では本水と本泥を使ったとか。

簑紫郎 かしらに泥が付いたらえらいことですし、衣裳さんが大変なことになるので、今、水を使うのは難しいでしょうね。でも一度、可能性だけは試したことがあるんですよ。

──ええ、すごい! 結果はいかがでしたか?

簑紫郎 人形遣いの頭巾が水を含んで前が見えなくなりました。無理でしたね。

一同 (笑)。

彦三郎 人形よりも、まず人間が大変なことになるんですね(笑)。

坂東彦三郎

坂東彦三郎

──息も絶え絶えに横たわった義平次にとどめを刺すところでは、正面を向いていた人形がクルッと体をひるがえし、鮮やかな刺青の入った背中を見せます。

簑紫郎 左遣いに人形の右手を持たせて、片手で一気に回すわけですが、ぐにゃっと体が曲がらないように注意しないといけません。ここに来るまでにだいぶ腕に(疲れが)きているので、泥場はペース配分が肝要。いざ殺す段階で力尽きてしまっていると、きれいに動けないですから。

彦三郎 回転するのは歌舞伎も一緒ですね。ジャンプする際、義平次を踏まないように注意しないといけないですし、刀を首のところに突き立てているじゃないですか。義平次をなさったことがある片岡市蔵さんにお話を伺ったら「本当に怖いけど、しょうがない」とおっしゃっていました。簑紫郎さんがおっしゃるように、ペース配分に気をつけながら、皆で怪我をしないように勤めたいです。

──「しょうがない」とは、“殺される方も命懸け”ですね……! 歌舞伎は今回、中劇場のオーケストラピット部分を泥場にすると伺いました。

彦三郎 そうですね。あと花道を客席通路につなげるので、1月の公演とはまた違う劇場の使い方になるかと。駕籠や御神輿をどう登場させるかなど、未知数な部分もありますが、現場に入ってからも試行錯誤し、どうにかいい形を見つけたいです。

──泥場の前には、釣船三婦内の場(徳兵衛女房お辰のきっぷの良さを見せる場面)があります。

簑紫郎 泥場だけ単発でやると気持ちを一気に上げるのに苦労するので、ここがついているとありがたいですね。

吉田簑紫郎

吉田簑紫郎

彦三郎 なるほど。今回歌舞伎は冒頭に「住吉鳥居前の場(団七と徳兵衛が出会う場面)」も付きます。序幕で引込むとしばらく時間が空きますが、なるべく早く拵えをし直して気持ちを持っていきたいですね。

──この場面は、祭囃子が早まる中、団七が駕籠を追いながら駆けていく場面も印象的。走り出す前にパッと雪駄を脱いで背中側の帯にはさむ、流れるような動きが意外と難しいとか。

彦三郎 団七を得意とされていた十三代目片岡仁左衛門さんの著書を読むと、「衣裳を着ける時、雪駄をあてて、帯をしめる」と書いてありました。

──挟む余裕を持たせて帯を締めるわけですね、細やかな工夫です。文楽の団七も、パッパッと器用に雪駄を脱ぎます。「芸が細かいなあ!」と感心します。

簑紫郎 左遣いとの息を合わせるのに、意外と気をつかうんですよね。鼻緒が引っかかるだけでもタイミングがずれてしまいますから。スムーズに動けるよう、人形の足裏にマジックテープを使ってサッと脱げるようにしたりと、こちらも細部で改良をしています。あそこからお囃子のテンポも上がってきて緊迫感も高まってきますし、リズミカルに運びたいですから。

──ジットリとした夏の夜の殺人に向かって、こちらの血も騒ぐような祭囃子が劇場空間の興奮を高めていく、ドキドキする場面です。

彦三郎 にぎわいからのクライマックス、そして静寂。陰陽ですよね。

簑紫郎 そうだと思います。殺しの場では場内のエアコンを切って、思いっきり夏の蒸し暑い夜を演出しましょうか(笑)。

彦三郎 舞台も暑くなっちゃうじゃないですか。井戸水に氷でも入れておいてもらわないと(笑)。

長く深く楽しめる“沼”で待つ!

──歌舞伎&文楽両方の見どころや工夫を伺い、お二人の団七を拝見するのがますます楽しみになりました。では最後にそれぞれ、観客へのメッセージをちょうだいできますか。

彦三郎 今回は「未来へつなぐ国立劇場プロジェクト」という冠がついていて、正念場というか、大きな意味があると感じています。SNSで見かけた情報だけでつい「知ったつもり」「見たつもり」になりがちな現代ですが、生で観るかけがえのなさを、ぜひ知ってもらいたいじゃないですか。僕、観劇って、ワクワクする前日、芝居を観る当日、「昨日は楽しかったな、またがんばろう」と振り返る翌日と、3日間楽しめるものだと考えているんです。劇場近くの食事、友達と感想を語り合う時間、全部をひっくるめた“体験”ですから。足を運んでみないと感じることができない世界を、一度味わっていただきたいです。初役も多くチャレンジングな公演ですし、ここに長く深く楽しめる“沼”がありますので、お誘い合わせのうえいらしてください。劇場でお待ちしています!

坂東彦三郎

坂東彦三郎

簑紫郎 今、彦三郎さんがおっしゃったことで、僕が言いたいこと全部ですねえ(笑)。

彦三郎 あはは、ごめんなさい(笑)。

簑紫郎 実際に足を運んでいただいて「生で芝居の雰囲気を感じてもらいたい」というお話、僕もまったく同感です。良いか悪いか、好きか嫌いかも、他人の意見に惑わされず、まっさらな目で判断してほしいですから。歌舞伎や文楽を初めてご覧になったら「こんな世界があるんや」って、驚いてもらえると思うんですよ。ぜひご自分の感性で触れていただきたいですね。彦三郎さんは3日間楽しめるとおっしゃいましたが……本当の芝居好きは、初日、中日、千穐楽と3回観ると言います。こちらはトリプルキャストですし、ぜひ皆様、3回は足をお運びください(笑)。

坂東彦三郎×吉田簑紫郎 対談こぼれ話

この日、簑紫郎が大阪から連れてきた団七の人形で人形遣い体験。彦三郎は「壇浦兜軍記~阿古屋」で人形振りで演じる岩永左衛門を演じた際、人形の動きをかなり研究したそう。文楽では、衣裳を着せたり、舞台で遣う準備をしたりと、人形を拵えるのは主遣いの役割。

団七の人形の主遣いを担当する坂東彦三郎(左)と、左遣いで彦三郎をサポートする吉田簑紫郎(右)。

団七の人形の主遣いを担当する坂東彦三郎(左)と、左遣いで彦三郎をサポートする吉田簑紫郎(右)。

白地に大胆な格子柄、いわゆる「団七縞」の着物はシンプル&モダン。「この柿色を出すのが難しい」とは簑紫郎談。文楽と歌舞伎、いずれの団七も着物からチラッと見える彫り物がなんともアブなく色っぽい。背中のくりからもんもんに鎮座する不動明王は、ぜひ劇場でチェック!

吉田簑紫郎

吉田簑紫郎

文楽も歌舞伎も野球チームがあると判明。いつか対戦する日も? 彦三郎いわく、歌舞伎チームは「草野球」ならぬ「ペンペン草野球」とか。

左から坂東彦三郎、吉田簑紫郎。

左から坂東彦三郎、吉田簑紫郎。

プロフィール

坂東彦三郎(バンドウヒコサブロウ)

1976年、東京都生まれ。1982年に五代目坂東亀三郎を名乗り初舞台。2017年に九代目坂東彦三郎を襲名。

吉田簑紫郎(ヨシダミノシロウ)

1975年、京都府生まれ。1988年に吉田簑助に入門。1991年に吉田簑紫郎と名乗り初舞台。