木ノ下裕一×岡田利規×成河×石橋静河が模索する“時代の変遷とモラルの意味”木ノ下歌舞伎「桜姫東文章」 / キャストがつづる稽古の軌跡 (2/3)

時代によるモラルの変化をどう捉えるか

──歌舞伎の台本を木ノ下さんが補綴し、それを元に岡田さんが書かれた台本を拝読しました。展開やセリフの内容は同じなのに、思わず笑ってしまうようなところが何箇所もあり、また自分にも翻ってくる問題が描かれているなと感じました。

岡田 古典の言葉を今の言葉に翻訳することで意味がスッと入ってくるようになる。それは良いことなんだけど、昔の言葉だと何となく受け入れられることが、現代の言葉にすることでダイレクトに入ってくるぶん抵抗感をおぼえるようになったりする、ということだと思います。古典の言葉であることで、お客さんも守られている部分があるというか。「桜姫」というのは、現代の感覚で捉えると、レイプされた女性がその相手の男を好きになってしまうっていう話でしょ、それってどうなの?ということになる。そういった問題点を顕在化させること自体に価値があると考えてクリエーションに取り組んでいますけど。

木ノ下 そうですね。岡田さんがおっしゃってくださった言葉の距離みたいなことは確かにあります。歌舞伎の「桜姫」を観ているとなんだかロマンティックな気分になったりして、それはそれで良いんだけど、でも「はて?」と思うところもあるわけですよね。以前、「子午線の祀り」を観に行ったとき、終演後に「やっぱり日本の古い言葉は良いですねえ」と言っているお客さんを見かけたんです。もちろん、素晴らしい舞台だったし、平家物語の言葉の良さは、僕もわかる。でもはたと、これって900年前の戦争の話なんだけどね、私たち観客はそのことをちゃんと受け止められたかな、と。なので演出のキモになるのは、古典を現代に引き寄せることで生じた問題も描けるかどうかじゃないかと思います。

岡田 そうですね。ただ今この作品をやるうえで、作品をどう解釈するのかということはめちゃくちゃ大きな問題なんだけど、それに対して僕は今、すごく慎重な態度です。実はまだ、何も解釈をしてない、というか、しないようにしています。例えば桜姫に主体性を与えるためにフェミニズム的な観点で描くってことはやろうと思えばできるけど、そこに収束させてしまうのはなんだか貧しくなる気がして。

左から木ノ下裕一、岡田利規。

左から木ノ下裕一、岡田利規。

作品全体を考えることが役作りにつながる

──また台本を拝読し、非人たちの存在が面白いなと思いました。不義密通で拘束され、晒し者にされることになった清玄と桜姫に、岡田台本では非人たちが、2人への“お心づけ”が相当額あるだろうから、今日から景気よくいけるだろうとか、身分がちゃんとした人は性欲のままにいけなくて大変だなと、あけすけな言葉をかけます。ミュージカル「エリザベート」でも、エリザベートの暗殺者でアナーキストのルキーニが、彼女の“闇”を暴露しますが、非人たちによる“清玄・桜姫考”は面白いですね。ヒエラルキーという点では、成河さんが演じる清玄と権助の間にも大きな開きがあります。

成河 大きなお役ですし大事に考えていきたいです。仁左衛門さんがシネマ歌舞伎のパンフレットに書いてらっしゃったんですけど「派手でカッコいいから、みんな権助が好きだって言うし、もちろん自分も好きなんだけど、実は清玄のような複雑な内面を持った人物のほうが演じているときは面白い」と。そんな複雑な役だからこそやるたびに発見があるし、やりながらわかることもあるんだろうなと思います。ただ先程の岡田さんの発言に続けるわけではないけれど、今の稽古ではまだ“急がない”でいようと思っていて。今回、全体のイメージや観客との距離感から作品に臨もうという姿勢でクリエーションしているので、自分の役のことだけにとらわれず、じっくりと作品全体を考えていきたいなって。とにかくこの2人(岡田と木ノ下)は言葉のプロフェッショナルで原理主義者なので(笑)、そこにリスペクトを感じつつ、お二人の理想を体現していくのは、簡単なことじゃないだろうなと覚悟しています。

──桜姫については、先ほど木ノ下さんから「作品の方向性を決める役」とお話がありました。石橋さんはご自身のお役についてどんなふうに捉えていますか?

石橋 この人が考えていることは全然わからないなってずっと思っているんですけど、でもそれが一番重要なことではないんじゃないかなとも思っていて。玉三郎さんが演じた桜姫は、すごく愛おしい人に見えたんです。「この人は何もわかっていなかったけど、最後に悟ったというか、自分が大変なことをしてしまったと気付いたんじゃないかな」と。その無自覚さはヒントになると思いました。ただ今は、飛行機のプラモデルを1つずつ解体していったら人間ができちゃった!というような気持ちで稽古しています(笑)。脳みそが熱を出すみたいな感じがして、これまでやってきた映画や舞台とは全然違うなと。普段は役が隣にいて、なるべく寄り添うような感覚があるんですけど、桜姫は隣にいる感じがしない(笑)。でもそれも成河さんが言ったように、桜姫1人を見つめてどうこうすると言うより、みんなで一緒にこの作品をどうするか話し合いながら作っていることが、結果的に役作りになるんだろうと思うので、桜姫の気持ちがわからないということにあまりパニックになってはいないです。

左から成河、石橋静河。

左から成河、石橋静河。

岡田 その感覚は面白いですね。「桜姫ってわからなくないですか?」っていう感覚が観客とシェアできたら面白いですよね。

──先程、言葉が現代的になると、描かれていることとの距離感が変わってくるというお話がありました。冒頭で、今回は桜姫に主体性を持たせたいというお話がありましたが、女性の社会的な立場の変化を考えたとき、桜姫の描き方は確かに難しそうですね。

木ノ下 桜姫が、権助との密会を隠すため、清玄を不義密通の相手と偽り、そのことで清玄と桜姫が非人の身分に陥ちるシーンで、歌舞伎では「清玄さん、本当にごめんなさい」という感じなんですけれど、石橋さんが演じると「ほんとうにそれは申し訳ないとしか」って言いつつもどこか不服そうなんですよね(笑)。桜姫はあの時、本当は何を思っていたんだろう?と考えるとイメージが膨らむし、ただ従順な女性というわけではなくて常にいろいろなことを考えている人なんだろうなって、そのセリフからも見えてくる。そこが面白いなと思いました。それと「桜姫」が面白いのは、やっぱり全員がままならないってことだと思うんですよね。清玄にしろ権助にしろ清玄の弟子である残月にしろ、こうなりたいとかこうありたいという思いがことごとく叶わない。ヒエラルキーの上のほうの人たちは窮屈な思いをしているし、下のほうの人たちは自由さはあっても社会的ステータスはない。全員がままならない状態でただぐるぐる動いているだけで、桜姫もその中の1人にしか過ぎないと、岡田さんの戯曲では感じます。つまり単純な被害 / 加害の問題じゃなくなるというところが面白いなと思います。

石橋 桜姫って、そもそも権助を好きになるところからぶっ飛んでいますが(笑)、でも転落していく人生の中で、江戸時代なら死ぬという選択肢ももしかしたらあったかもしれないのに、そうはしなくて、実は誰よりもエネルギーのある人だったんじゃないかと思うんです。

──確かに、かなりサバイブしていますね。

石橋 そういうところ、ちょっとカッコいいなと思います。

──古典に新たなアプローチをするという点では、岡田さんは昨年オペラ「夕鶴」の演出を手がけられた際、「つうは資本主義に対して疑問というか批判をぶつける存在だと思うし、資本主義を乗り越えた存在として描きたい」とおっしゃり、資本主義に浸かった観客に問いを投げかけたいとおっしゃっていました(参照:岡田利規と岡本優が描くオペラ「夕鶴」イノセンスをはぎ取って現代の物語に、小林沙羅&与儀巧メッセージ)。今回は観客に向けて、どのような思いをお持ちですか?

岡田 「夕鶴」はめちゃくちゃ説教くさい話なので解釈してしまっても良いと思ったんです。でも「桜姫」はそれとは全然違って、教訓みたいな話でもないし、やっぱりよくわからない。結局、そこが問題なんですよ。観客に何が言いたいのか、ということがわからないんです。「わからないで作っているのか」と思われるかもしれないですけど、でもそれをギリギリまで探しているというか。ちなみに今回、劇中劇の構造でやろうと思っていて、“「桜姫東文章」という作品を上演するというイベントを開催している人たち”というコンセプトでやろうと思っています。

──なるほど、だから役を演じていないときの俳優さんが、舞台上で“観客役”を担っていたわけですね。また今回、サウンドデザインで荒木優光さんが参加されているのが楽しみです。荒木さんといえば、「KYOTO EXPERIMENT 2022」で比叡山の駐車場を使い上演した「サウンドトラックフォーミッドナイト屯」(参照:KYOTO EXPERIMENT 京都国際舞台芸術祭 | 荒木優光)が話題を呼びました。台本上でも、“音”に関するト書きがたくさんあったので、どのようなサウンドデザインになるのか楽しみです。

岡田 あれは、歌舞伎の台本の音の指定を、ほぼそのまま残しているんですよ。そもそも歌舞伎は、音楽をものすごく重要な要素とした形式の演劇なので、サウンドデザインは大事だと思い、信頼している荒木さんにやってもらいたいなと思いました。まだ全然どうなるかわからないんですけど、すごくぶっ飛んだアイデアを持ってきてくれたので、ぜひ上演を観てほしいです。あっというようなことをやります(笑)。

完成までの過程を楽しんで作っていきたい

──お話を伺っていると、皆さんの中でまだ作品の着地点を探っている状態なのだなと感じました。でも悩みながらも充実していらっしゃる様子が伝わってきます。

岡田 そうですね、不安はないです。

木ノ下 不安と楽しさ、ですね。今回の作品は、いろいろな意味でこれまでの木ノ下歌舞伎の文脈とは違う作品になるだろうと思いますし、そのリスクは覚悟しつつ、でもチャレンジのつもりで岡田さんにお願いしました。だから今僕が思っていることは、岡田さんや俳優さんをこの作品に連れてきた責任と、でも歌舞伎のカラーを壊したいという気持ちとの塩梅が難しいなと。また岡田さんの作品を楽しみにしているお客さんと、木ノ下歌舞伎のお客さん、どちらにも納得していただけるようにするのは僕の責任なので、そこは苦しいです。……というわけで、現段階の稽古ではまだ、僕はあまり口を挟んでないんですけど、ここからが私の出番かなと。岡田さんに「もうちょっとここは(表現を)開きませんか」とか「ここはわかりづらいんじゃないでしょうか」と、ケンカしに行くと思いますので……(笑)。

岡田 ケンカはしたくないです。

左から木ノ下裕一、岡田利規。

左から木ノ下裕一、岡田利規。

──俳優のお二人にとってもレアな体験になるのではないでしょうか。

石橋 岡田さんの作品をやるときは例外として、さまざまな作品をやっていく際に「普通はこうあるべき」という考えが作り手の中に暗黙であり、自分もだんだんとその“普通”が蓄積されていって、気付くとそこに導かれそうになるんです。でも演劇や踊りって、社会にある考え方に対して「それはどうなの?」とか「こういう考え方もあるよね?」と問いかけるようなものだと今感じていて。今回、歌舞伎という自分の中になかったものを取り入れたり、岡田さんのやり方で脳みそが崩壊しそうになったり(笑)、すごく大事な時間を過ごしているんじゃないかと思います。

成河 また「子午線の祀り」の話になってしまって恐縮ですが、あれは1970年の初演のときに、約900年前の平家物語のお話を当時の日本の俳優がどうしゃべりきるかを試した実験の場として作られた作品だという話があって。それで新劇の人、能楽の人、歌舞伎の人たちが集まり、けんけんがくがくしながら作ったものだそうなんですね。そのように、日本語をどうしゃべるかという実験をすでに50年前の人たちがやっていた。そして今、僕たちも、日本語をどう表現していくかということをやっているわけです。そういう問題を(金槌を打つ仕草をして)トントントントンやっている場所は面白いよと、お客さんには伝えたいです。言葉の力を信じて作品を叩き上げていく現場にいることができて、僕は毎日静かな興奮と感動に包まれています。

左から成河、石橋静河。

左から成河、石橋静河。

プロフィール

木ノ下裕一(キノシタユウイチ)

1985年、和歌山県生まれ。2006年に古典演目上演の補綴・監修を自らが行う木ノ下歌舞伎を旗揚げ。代表作に「娘道成寺」「隅田川」「東海道四谷怪談—通し上演—」「糸井版 摂州合邦辻」「義経千本桜—渡海屋・大物浦—」など。また渋谷・コクーン歌舞伎「切られの与三」の補綴を務めたほか古典芸能に関する執筆、講座など多岐にわたって活動を展開している。「三人吉三」再演にて読売演劇大賞2015年上半期作品賞にノミネート、2016年上演の「勧進帳」にて平成28年度文化庁芸術祭新人賞を受賞。平成29年度芸術文化特別奨励制度奨励者。

岡田利規(オカダトシキ)

1973年横浜生まれ、熊本在住。演劇作家、小説家、チェルフィッチュ主宰。主宰する演劇カンパニー・チェルフィッチュでは2007年に「三月の5日間」で海外進出を果たして以降、世界90都市以上で上演。2016年から2019年にドイツ有数の公立劇場ミュンヘン・カンマーシュピーレのレパートリー作品を4シーズンにわたって務め、2019年に上演した「The Vacuum Cleaner」が毎年ドイツ語圏での約400の上演作品の中から“注目すべき10作品”を選ぶベルリン演劇祭Theatertreffenに選出。2022年、ハンブルク・タリア劇場「Doughnuts」で同演劇祭の2度目の選出を果たした。近年、能の現代語訳や能のフォーマットを用いた作品も手掛け、「NŌ THEATER」「未練の幽霊と怪物―『挫波』『敦賀』―」を発表。オペラ「夕鶴」で初めてオペラの演出を手がけた。

成河(ソンハ)

1981年、東京都生まれ。大学時代に演劇を始める。平成20年度文化庁芸術祭演劇部門新人賞、第18回読売演劇大賞・優秀男優賞、2022年末に第57回紀伊國屋演劇賞個人賞を受賞。近年の主な出演舞台に劇団☆新感線「髑髏城の七人」Season花、ミュージカル「エリザベート」、「子午線の祀り」、ミュージカル「スリル・ミー」、「森 フォレ」「冒険者たち」「導かれるように間違う」、ミュージカル「COLOR」、「建築家とアッシリア皇帝」など。映像ではNHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」など。

石橋静河(イシバシシズカ)

1994年、東京都生まれ。4歳からクラシックバレエを始め、2009年より米・ボストン、カナダ・カルガリーにダンス留学後、2013年に帰国。2015年より俳優としての活動を本格化させ、2017年に初主演した「映画 夜空はいつでも最高密度の青色だ」でブルーリボン賞新人賞ほか数多くの新人賞に輝いた。そのほかの出演作に「うつくしいひと サバ?」「きみの鳥はうたえる」「21世紀の女の子」など。舞台はNODA・MAP「逆鱗」、KAAT神奈川芸術劇場「ビビを見た!」、コムレイドプロデュース「神の子」、「未練の幽霊と怪物」「近松心中物語」など。